おはようございます。Manachanです。
大阪の高校バスケ部の事件をはじめ、教職員の児童に対する体罰が巷の話題になる今日この頃。家庭内でも、児童虐待やネグレクトが新聞やTVニュースに取り上げられたりしますね。
あれが「体罰」という文脈でマスメディアに出るということは、社会の価値観が変わったのでしょうね。今は、「教育的配慮とはいえ、大人が子供に暴力を振るうのは良くないことだ」という観念が、広く日本社会に受け入れられているようです。
私の子供時代は、今よりずっと、教育現場や家庭に、体罰が蔓延していた時代です。体罰が原因で死亡事故を起こしてしまったらともかく、そうでない限り、体罰など当たり前すぎて、ニュースになることなど、考えられなかった。
そして、当時の親たちの多くは、学校に、子供たちをビシビシ、体罰でしつけて欲しいと希望していました。
私が中学生の頃、授業に遅刻したら、男女関係なく、廊下に一列に並ばされてビンタ食らいました。「男性教諭が女子中学生を張り倒す」みたいなこと、今なら新聞沙汰になってもおかしくないけど、当時は全く問題にならず、
また、中学二年の時、宿題を忘れて、先生に横腹にパンチを数発食らって、目に涙を浮かべたこともありました。
「愛のムチ」、「愛の拳」という言葉が生きていた時代・・・先生に体罰受けても、殴られた方が悪いとされた時代。今とは価値観が逆ですね。
とはいえ、私の親世代は、日本の歴史始まって以来、「やさしいパパ」、「マイホームパパ」、「友達みたいなパパ」が登場した時代とされます。
私の父や母は、その親や先生から、比べ物にならない位の、体罰を受けていたと聞きます。
「父親は、本当に恐ろしかった」、「竹の定規を持って、子供を追いかけ回した」・・・そんな話を、よく聞きます。
世の中、世代が下るにつれて、だんだんやさしくなっているのかもしれませんね。
私は、子供たちを叱ることはあっても、手をあげたことは一度もありません。妻もそうです。
子育てにおいて、体罰は、多大なエネルギーを使う代わりに、そんなに効果なさそうな気がしているからです。
体罰というかたちで、親が子供に暴力を使ったら、子供は自分の言うことを聞かせるために暴力を使うことを覚えるでしょう。また、大きくなった時、それが親や教師に向かうこともあるでしょう。
もちろん、逆効果を起こさない、効果的な体罰というものも、世の中には存在するのかもしれません。「体罰のアート」、「愛の鞭アート」というのかな・・・
ただ、子供に体罰を使う時、親の心理状態は、100%に近い確率で怒り心頭、少なくとも冷静ではないでしょう。「体罰のアート」なるものが成立するためには、親が自分の感情を完璧にコントロールしつつ、ゴルゴ13のごとく冷静に、子供がケガしない部分を叩く(お尻ペンペン等)配慮が必要で、これは私を含めて、並の親にはできないことだと思います。
とはいえ、子供に手をあげたい誘惑に駆られることも、正直言って、多々あります。
「可愛い盛りは5~6歳まで」と、よく言われますが、子供が7歳にも8歳にもなると、本当に、親の言うこと聞きませんからね。友達から変な言葉を覚えてきますし、反抗もしますし、
だいたい、大人の世界だって、しっかり、暴力がビルトインされているものです。
社会には、ルールがあって、誰もがルールを守ることを前提に運営されていますが、ルールを守らない奴は、必ずいる。
ルールを守る者が、ルールを守らないで好き勝手やる者と、同じ土俵で競争はできない。
だから、警察や軍隊の「力」で、ルールを強制的に守らせるメカニズムが存在する。
もちろん家庭内で、子供に、ルールを守らせる必要があります。
小さい子供には、理屈が通用しませんので、大人の世界にもある「力」に訴えるのが、一番手っ取り早い方法なのかもしれない。
それ以外の方法(子供にプレゼントをあげるor取り上げる、子供の気分が変わるまで待つ、子供に寄り添って共感してあげる等)は、いずれも、「すぐに、目に見える効果」が期待できにくいものです。
家庭によっては、とても上手にやってるところもあるのでしょうが、少なくとも我が家では、できていません。
親というのは、子供の前では教育者であっても、それ以前に、生活者でもあります。たくさんの仕事、コミットメントを抱えています。子供に使える時間も限られます。
制約の多いなかで、どのように時間を有効に使って、子供に、ルールを守るちゃんとした人間に育ってもらうか・・・体罰を使わない想定なら、なおさら、ハードルは高い、
常に試行錯誤しながら、子供の成長にあわせて、最善の方法を見つけていくしかないのでしょうね。
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