旅日記

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ソウルで迷子になった話

おはようございます。Manachanです。

今晩、韓国ソウルに旅立ちます。現地一泊だけの駆け足出張です。東京からだと、ソウル行くのも福岡行くのも大して変わらない距離だし、ビザ不要だし、羽田・成田発フライトの便数も鬼のように多くて便利なので、一泊すれば十分ですね。

今のソウルは、地下鉄は東京みたいに四通八達、日本語英語OKのインターナショナルタクシーなるサービスも登場して、とても便利になりましたね。

私が初めて韓国に行った1988年とは、隔世の感があります(27年も経ってるから当たり前か・・・)。あの頃の韓国は、

・渡航にビザ必要
・日本人観光客も少なく、ソウルのミョンドン(明洞)でさえハングル文字オンリー
・ソウル市内の地下鉄路線も数えるほどしかなく、市内移動はバスかタクシー

ソウルで市内バスを乗りこなすのは、ハングル文字の読解力と土地勘がないと無理なので、外国人観光客は必然的にタクシーのお世話になるわけですが、当時、ソウルのタクシーがまた難しくて、

・乗り合いタクシーが一般的
・韓国語以外全く通じない
・他の客もいるので、どこに連れていかれるのか分からない
・料金がいくらかかるかも分からない(運ちゃんの言い値)

私は21歳の時(1990年)、妻と一緒に韓国旅行したことがあります。ソウル金浦空港に着いたのが夜10時を回っていたので、タクシー乗って適当に近く宿に泊まろうとしました。覚えたての片言の韓国語で、

ソデムンヨグァン(西大門旅館)

と、行き先を告げると、運ちゃんは分かったのか分からないのか知らないが、猛スピードで車を走らせました。

金浦空港を出てまもなく、路上で女性をピックアップ、しばらくして別の男性をピックアップ、(もちろん韓国語で)運ちゃんとの猛スピードの会話が始まり、私も妻も一言も聞き取れない。

かなりの距離を移動したところで、路上で女性を下ろし、別の女性をピックアップ・・・そんな感じで、乗客が何度も何度も入れ替わり、タクシーは走る。さすがの私も、どこに連れていかれるのか不安になってきました。

そしてついに、乗客は私と妻だけになりました。タクシーの走行距離はすでに、金浦空港~西大門をはるかに超えていると思われ、真っ暗闇のソウルの街を東へと移動しているようでした。

私たちはソデムンヨグァンに行きたいんだけど、本当にそこに向かってますか?

当てずっぽうの韓国語で運転手に聞くと、ものすごいスピードで答えが返ってきて、こちらは一言も聞き取れない。しばし無言。

しばらく走って、ラブホテルみたいな怪しい宿で下ろされました。請求された料金は、予想よりは高くありませんでした(乗り合いだからねえ・・・)。でも、ここがソウルのどこなのか、全く分からない。

当時、韓国の宿泊施設は、普通のホテルに見えても「大人のおもちゃ」自販機が置いてあったり、実質的にラブホ利用されているケースも多く、要はホテルとラブホの境界がはっきりしていませんでしたが、今回案内された宿は、室外も室内も「やらしいピンク」で固められ、いかにも歌舞伎町の裏町にあるラブホのたたずまい。

さらに、ホテル支配人が私たちの寝室にずかずか入ってきて、私のパスポートか身分証明書を見せろと言う。この宿は21歳未満は泊まってはいけないようで、その意味では私はギリギリセーフなんですが、その事実を確認するのに10分以上かかった・・・すでに午前0時を回り、こちらは不安と疲労困憊ですぐ寝たいんだから勘弁してよ~と叫びたくなる。

ことが一件落着すると、ベッドで泥のように眠ったのは言うまでもありません・・・

次の日、ソウルは快晴、気持ちの良い朝を迎えました。外に出るとここは住宅街でで、団地・アパートがたくさん建ち並んでいました。平和なひととき、優しそうなおばさんに韓国語で聞いてみる。

「ここはどこですか?」
「チャガンドン(長安洞)だよ」

【チャガンドンは、こんな感じの下町でした】

宿に戻って、ソウル市内地図で「チャガンドン」を探すが、見つからない。後で分かったことですが、ここはソウル市内東部の住宅地で、チョニャンニ(清涼里)駅の近く。都心部からは離れているので、当然、観光客向けの地図には載っていなかったのです。よく考えたら、昨晩のタクシーはソウル市内を西から東へ大縦断していたのです。

【乗り合いタクシーの大移動】

とにかく、ソウル市内の中心部に出ようと思い、ホテルをチェックアウトする。歩いて5~6分のところに、ソウルメトロ2号線のシンダプ(新踏)駅があったので、そこから地下鉄に乗る。シンソルトン(新設洞)駅で一号線に乗り換えて、有名な観光地トンデムン(東大門)駅に到着。ここはさすがに観光地図に載っており、私も妻も、ほっと一息つきました。

ヒヤヒヤ、ちょっとワクワク・・・21歳の若さで経験したソウル迷子物語、今となっては良い思い出です。インターネットもスマホもある現代、こういう体験は、しようと思ってもなかなかできるものではないでしょう。

ま、あれで韓国個人旅行の度胸がついたから、私にとってはプラスの体験でしたね。

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お金で世界を知る

こんばんは、Manachanです。

ほぼ毎月、仕事で海外に行く私。行く先々の国から、お札や小銭を持ち帰って、次回訪問する際に、また使う・・・その繰り返し。

特に訪問頻度の高い東南アジア出張。渡航前に訪問先国のお金を揃えて、ウェストポーチに入れていきます。こんな感じで、

【3月1~4日、東南アジア出張の際の現地通貨小銭】
左からフィリピン・ペソ、ベトナム・ドン、カンボジア・リエル、タイ・バーツ

明日からは韓国出張なので、ウォンを用意しました。

【63,000ウォン。一泊分の宿代くらいにはなるかな?】

現地通貨の小銭って、便利ですよね。これがあれば空港からそのまま街に出られるので時間節約になるし、また空港で不利なレートで両替しなくて済むからお値打ち。あと、海外の空港での乗り継ぎで数時間滞在する際も、現地通貨持ってれば両替せずに空港で飲み食いできるので便利。

もっとも、クレジットカードやATMカード使えばいいじゃん、という話もありますが、国によっては機械がうまく動かなかいこともあるし、時にはマシンの前で長蛇の列に並ぶこともある。結局、現地通貨の現金に勝るものはないわけです。

そんな感じで、我が家には、常に十数カ国のお札やコインがストックされています。もちろん、私が使うために持っているわけですが、最近は、子供たちのマネー教育の素材としても使えることが分かりました。

先月の出張から帰ってきた時、息子にはベトナムドンとフィリピンペソ、娘にはカンボジアリエルとミャンマーチャットの小額紙幣をあげました。

私はいつも、旅先でしわくちゃ、ボロボロの「きったねえお札」を使ってますが、子供たちには一応、ピン札に近い条件のものを選んで渡しました(でも1000ペソとか、1000バーツみたいな高額紙幣は勘弁ね。パパの一日分の滞在費にはなるから・・・)。

こういう外国のお金って、話のネタになるんですよね。6歳の息子ポニーとの会話

ポニー:「パパ、1万ドンって、日本円でどの位なの?」
私:「60円くらいかな」
ポニー:「ベトナムでは、1万ドンで何が買えるの?」
私:「屋台で、うずら卵入りのラーメンみたいなものが食えるよ」
ポニー:「本当?ベトナムって安いんだね」
私:「うん、日本よりは安いよ。でも食堂で食べると、2万5千ドンくらいかかるんだ」

【ベトナムで、こんなものが食える!】

こんな感じで、各国の物価や生活感を知る上で、なかなか良い題材なんですよ。フィリピンではペソ、ベトナムではドン、タイではバーツ…それぞれの国で別々のお金が使われ、それを使って現地の人々の生活が営まれていることも学べる。

我が家ではすでに、子供たちの日常会話に海外通貨が登場するようになっています。

ソフィア:「私の1ペソどこにやったの?」
ポニー:「テーブルの上にあるよ」
ソフィア:「早く返してよ!」

うちの子供たちもそれぞれ性格が違うようで、ポニーは国名や通貨名、現地物価に興味あるみたいですが、一方ソフィアは感覚派で、デザインが美しい紙幣を好む。

十数カ国の紙幣のなかで、ソフィアが選んだのは、

ミャンマーチャット札!

確かにチャット札は、裏面のデザインがやたら凝ってて、ビジュアル系。真ん中の5チャット札もなかなかイイ感じですね。もっとも、日本円にして0.6円くらいなんだけど・・・

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Kanazawa meets Tokyo

こんばんは、Manachanです。

今日、2015年3月14日は、北陸新幹線開業の日。金沢、富山など北陸地方の都市にとっては、間違いなく「地域の歴史を変えた一日」だったことでしょう。新幹線開通によって、両都市から東京への時間距離が劇的に短縮されました。

東京―富山 最短2時間8分で直通
東京―金沢 最短2時間28分で直通

これまで、北陸地方は東京から行くと遠くて不便な場所でした。特に金沢の場合、

東京都心―羽田(電車ORバス)
羽田―小松空港(飛行機)  
小松空港ー金沢市街(バス) 

電車、飛行機、バスを乗り継いで、どんなに接続良くても4時間はかかっていたのです。飛行機の荷物検査の手間を考えると本当に面倒だし遠いし…
飛行機を避けるルートとしては、

東京―米原(東海道新幹線)
米原―金沢(北陸本線)
or
東京―越後湯沢(東海道新幹線)
越後湯沢ー金沢(ほくほく線+北陸本線)

の二つがありますが、いずれのルートも日本アルプスを南か北に大きく迂回するため移動距離が長く、やはり不便。高速夜行バスだと乗り換え不要だけど8~9時間かかる。東京ー金沢の直線距離は大したことないのに、アクセスの悪さゆえ、「東京~広島」くらい遠く感じたものです。

ですが、このアクセスの悪さが、東京の人間をして「金沢」に対する淡い憧憬を抱かせたのも事実。

兼六園、金沢城、ひがし茶屋街、現代美術館、伝統工芸の数々…「和」の美に溢れた、風情あふれる街だとは知っている。でもアクセス不便ゆえ金沢訪問歴のある東京人はそれほど多くない。

近江町市場のカニ、ホタルイカ、ボタンエビ…TVでみて気になってはいる。でも連休の家族旅行は金沢をスルーして、羽田からの便数の多い札幌や沖縄に行ってしまう東京人。


そんな金沢が、新幹線で直接行ける地に変わる!

新幹線開業を待たずして、東京人、特に女性たちの間では、「金沢行ってみたいね」という声が、ふつふつと湧きあがってきました。

TVの北陸新幹線特番でも、「金沢」が毎日のように取り上げられ、多くの東京人にとってまだ見ぬ街・金沢に対する期待、ボルテージは否が応にも高まりました。

そして3月14日…夥しい数の東京人、老若男女がJR金沢駅に押し寄せました。「殺到」と言っても良い

駅構内は、すわ「アメ横」か「渋谷スクランブル交差点」かと思うほどの人混み。特に新幹線改札付近は立錐の余地もない位。駅を出ても、兼六園方面行きのバス停は大行列ができて、とても乗れない。金沢駅の歴史はじまって以来の大混雑だったことでしょう。やっぱ「新幹線の力ってすごい!」

一方、金沢の人々にとって、「東京とつながった」期待値は、さらに大きいことでしょう。地域経済に与えるインパクトは巨大。加賀友禅の着物姿の女性、ゆるキャラの着ぐるみ、ジャズコンサート…金沢駅構内と構外で、終日、いろんなイベントをやっていて、賑やかでした。

北陸新幹線でつながったいま、東京からみて、金沢は大阪とほぼ同じ時間で行ける地になりました。そして金沢からみて、東京は大阪より近い場所になりました。金沢と富山は今後、京阪神よりも東京圏との交流・依存を深めていくことは間違いないでしょう。

Kanazawa meets Tokyo.…2015年3月14日、それは東京が金沢と出会い、金沢と東京が出会った、記念すべき日。

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成田1000円バスと、3000円リムジンバスの存在意義

こんにちは、Manachanです。ベトナム、カンボジア、タイを回る、「3泊中2泊は機中泊」という弾丸ツアーから無事帰ってきました。

朝8時前の成田空港到着ロビーでは、京成の「東京駅行き1000円バス」カウンターに長蛇の列ができる一方で、隣の「東京空港交通リムジンバス」のカウンターは閑古鳥が鳴いていました。職員を配置していないブースもあった位だから、やる気が感じられないっすね。

ま、それもそのはず。成田に到着した旅客のほとんどは東京に向かいます。この区間をバスで移動する場合、「東京駅まで1000円のバス」と、「都内各地(新宿、渋谷、著名ホテル等)まで3000円のバス」があります。同じ高速バスなので所要時間は変わりません。ではどちらを選びますか?という話。

そりゃ、日本語が読めて普通に電車に乗れる人なら、前者を選ぶでしょう。1000円使って東京駅に出れば、あとは山手線や地下鉄で都内どこでも行けるし、追加でかかる交通費も200円程度でしょう?私は、重い荷物を抱えて都内のホテルに直行する用事でもない限り、3000円のシャトルバスを使う理由を全く見出せませんし、多くの人も同じように考えるでしょう。

あと、最近は日本人だけでなく、外国人旅行者も1000円バスを使って都内に出る者が多いようです。1000円バスのモニター画面には、東京駅から銀座、秋葉原、六本木、スカイツリーなど、都内著名観光地への行き方が、日本語と英語で表示されるようになりました。これに中国語、韓国語、タイ語などが加われば、個人旅行者の多くは、1000円バスに流れるでしょう。実際、私がバスチケット買う時、前に並んでいたのは台湾人の女性二人組でした。

勢いあふれる1000円バスと、すっかり元気を失った3000円リムジンバス…このままいけば、東京空港交通シャトルバスは成田~都内主要エリア路線を全部捨てて、町田や八王子、大宮みたいな郊外ターミナルや、北関東各都市と成田を結ぶ路線でしか生き残れないのではないかと思います。

3000円の運賃をいきなり1000円に下げるのは、コスト構造上、無理でしょう。3000円の運賃取って存続したいのなら、プレミア路線に特化する以外にないと思います。たとえば、

・ウッディ調の高級感ある車内空間
・ゆったりした3列シート
・フリーWiFi
・各席にコンセントとUSBポート
・ウェルカムドリンクサービス(日本茶がベスト)
・子供用にiPad貸出サービス

高級プレミアバスって、こんなイメージかな?

ここまでやってくれるなら、私も3000円払ってもいいかなという気になる。子供連れて成田から海外行く時、「今回は、お父さんちょっと奮発して、シャトルバス乗せてあげるぞ」、「わーい♪」みたいなノリで。

そんなこと考えていたら…リムジンバス、ちゃっかり「スーパーキャビン」なる新車両を導入してました。全席シート電源が、我々ビジネスパーソンの心をくすぐりますね。

これに乗れるなら、成田まで3000円払ってもいい!

加えて、各座席に「ビデオ・オン・デマンド」をつけてくれれば、都心~成田間を3500円に値上げしても良いのでは…特に北関東や町田・八王子から成田へのバス移動は2時間以上かかり、映画一本くらい見れちゃうわけだから、ビデオ・オン・デマンドを標準装備すれば皆に喜ばれるでしょう。

いずれにせよ「夢を売る」ような付加価値をつけられるかどうかが、相対的に割高なリムジンバスが生き残る道だと思います。

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再びカンボジア散髪

こんにちは、Manachanです。カンボジア・プノンペンでの不動産土地視察を終え、これからバンコクへ飛びます。

昭和30~40年代の日本を思わせる活気溢れるプノンペンで、散髪してきました。これまで、世界各国での散髪日記はこちら(海外散髪フェチ)。

約2年ぶりに、プノンペンで散髪屋を探してみて思ったこと、

女性向けヘアスタイリストがやたら増えている!

こういう店では当然、男の髪を切ってくれるわけはなく、炎天下のなか、さらにさがし歩きました。

ようやく見つけた!男女共用ユニセックス散髪!

この店の料金体系はシンプル、

散髪のみ  2ドル
顔そり   プラス1ドル
シャンプー&頭皮マッサージ プラス1ドル

全コースやって4ドルはなかなか安い!おかげでサッパリしました。

使用前

使用後

散髪屋のお兄ちゃんと

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ベトナム~カンボジア陸路国境越え

こんばんは、Manachanです。バンコク・ドンムアン空港から、夜行便で成田に飛ぶところです。

私の海外出張は、いつも時間との戦い。短い時間に過密なスケジュールを詰め込みます。仕事柄、たくさんの国・都市で不動産視察をこなさねばならない一方、家庭の事情で、あまり家を空けられないから、そうならざるを得ない。本当はもう少しゆっくりしたいんだけど…

時間を節約しようとすれば、自然、空港から視察先への単純ピストン輸送、ピンポイントな訪問になってしまいます。

私は、そういう視察をいつも不本意に思ってきました。海外不動産を扱う以上、陸路をくまなく歩いて、見て、感じて、それぞれの国同士の関係、首都と地方の関係、首都のなかで各地域の関係…それらを自分の言葉で語れないと良い仕事ができないと思う。

ですので、時間の許す限り、陸路での都市間移動を旅程に入れたいと思っています。幸い東南アジアでは、それぞれの国が陸続きになっていて、べトナム~カンボジア間、カンボジア~タイ間、タイ~ラオス間、タイ~ミャンマー間を、バスなどで陸路移動する人も多い。

バスは飛行機乗るより格安で行けるし、それに、国境を超えた瞬間、人々の行き来や経済的な力関係なども体感できるのがメリット。

昨年3月には、ラオス(ビエンチャン)で不動産視察の後、タイ(ウドンタニ)への陸路移動を決行。この区間は60㎞くらいの短距離なので、国境超えのイミグレを含めても2時間余りで行けるのでラクでした。

今回の出張では、ホーチミン(ベトナム)とプノンペン(カンボジア)の不動産視察を予定していたので、この区間はバスで陸路移動を思い立ちました。両都市間の距離は240㎞。イミグレ含めても6時間という話だったので、ま、その程度ならいいかなと思っていましたが…

道中トラブル続きで、とても6時間では着きませんでした。

3月3日、午後3時30分、ホーチミン市のファングーラオ通りでバスに搭乗(出発したのが3時50分)

出発してみると、ホーチミン市内の渋滞と信号待ちはかなりのものでした。30分かかっても3~4㎞しか移動できない。途中のバスターミナルで、なぜか乗り換え(意味不明)。

バス乗り換え地点(ホーチミン10区)

その後も渋滞のホーチミン市街地を北西へ移動。ようやくクルマが流れてきて、快調に飛ばす。出発して2時間余り、約60㎞移動して、カンボジア国境近くで夕食休憩。ベトナム語しか通じない食堂でしたが、メシは旨かった。ライスペーパーに肉と野菜を包んで美味しくヘルシーにいただく。

夕食休憩場所(ベトナム領タイニン省)

その後、私の道程に、にわかに暗雲が立ち込めました。私、カンボジア入国にあたって電子ビザを取ってきました。これはカンボジア政府が公認している歴としたビザなのですが、バス乗務員の一人としてこのビザを見たことないようで、方々に電話かけまくって途方に暮れてました。私は、無事カンボジアに入国できるのでしょうか?

問題の電子ビザ

約10分後、ついに国境のイミグレに到着。ベトナム出国はまだしも、カンボジア入国で大変時間がかかりました。クメール語のできる女性職員に付き添ってもらって、役所のいろんな部屋を回って…20分くらいかかって、ようやく、カンボジア入国が認められました。

カンボジア領に入ると、ネオンが煌々ときらめく『カジノの街』がありました。ベトナムではカジノが禁止されているので、賭けで遊びたいベトナム人が国境を超えて遊びに来るのです。

カンボジア領バベット「カジノ特区」

その後は、片側一車線とはいえ、交通量の少ないカンボジアの国道1号を快調に飛ばす。しかし、約1時間後に予期せぬトラブルが・・・

タイヤがパンクして走行不能に…(カンボジア領プレイベン県)

あたりは真っ暗。とんでもない田舎で、なにもない場所…ここで夜風に当たりながら、無為に1時間以上の時間を過ごしました。本当にプノンペンに着けるんだろうか?

そこに、救いの神が現れました。代替バスが現場に到着してくれたのです。そこに乗り換えて、プノンペンに向けて走行開始。間もなく、メコン河をわたる渡河ポイントに到着。

バスごとフェリーに乗って渡河(カンボジア領ネアックルン)


的地、プノンペンに着いたのは、翌3月4日の午前1時近く。約9時間にわたるトラブル続きの旅もようやく終わりました。

真夜中のプノンペン…でも都会っていいなあ。

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ベトナム語学習ノート

こんばんはManachanです。羽田空港なう、これから夜行便でベトナムに向けて飛びます。今回の出張は、機中泊を含む3日間でベトナム、カンボジア、タイを回るという強行軍。主な目的は、

ベトナム・ホーチミンでのコンドミニアム視察
カンボジア・プノンペンでの土地視察

あと、「タイ・バンコクでの中古一棟物件視察」という話もあったけど今回は流れました。旅の直前なのでシンプルに一本書きますね。

私は10年以上前、オーストラリア・シドニーのコミュニティカレッジで、ベトナム語を少しだけ習ったことがあります。

なぜ、英語圏のオーストラリアでベトナム語?日本から考えると不思議な感じもしますが、現地で暮らしていれば特に不思議なことはなく、

・近所に、ベトナム人がむちゃくちゃ大勢住んでいる。
・ベトナム語しか通じないベトナム料理屋が少なからずある。
・そういう店に限って安くて美味い!

当時、私がどんな環境で暮らしていたかといえば、この文章を読めば大体わかります。

シドニー西部のサバイバル言語術(2004/7/28)

世界中あらゆる国・地域から、オーストラリアを目指して、人々が移住してきます。私が住んでいたシドニー西部エリアは、日々、新移民がやって来て居を構えるエリアでした。オーストラリアの公用語は英語ですが、移民の皆が英語できるとは限りません。特に、ベトナム、中国、アラブ圏の出身者は、英語力限りなくゼロのままで来る人も少なくありませんでした(ま、流暢な人も多いけどね…)

そんな土地柄ですので、移民出身国の言語をコミュニティカレッジで教えてたりするんです。私の住んでたエリアでは、中国語(北京語、広東語)、アラビア語、ベトナム語…のラインアップが多かったですね。

なにしろ、先生には事欠きません。街を歩けば、アラビア語やベトナム語を教えられる人、いくらでもいるんですから。

それに需要も多い。中国語はご近所さんや得意先が使う言葉だから覚えるとか、ベトナム人の彼女彼氏が出来たとか、移住後長年経って母国語を忘れかけたので学びたいとか…あと嬉しいのは学費の安さ。一学期(3ヶ月)行って2万円くらいでしたね。

私の場合は、アラビア語とベトナム語を履修しました。

アラビア語を学んだ理由…隣りのおじさんがアラビア語しか通じないので、少しでも覚えれば便利かなと思った。
ベトナム語を学んだ理由…近所の美味しいベトナム食堂のメニューを解読したかった。

二つ、とにかくやってみて、アラビア語は難しい、とっつきにくいと思いました。
ベトナム語は、アラビア語に比べれば断然覚えやすいと思いました。

ベトナム語はアルファベット表記なんです。そのまま文字を読めます。アラビア語やタイ語みたいに、知らない文字を一から覚える必要はありません。

それに、ベトナムは漢字文化圏なんです。日本語みたいに、漢字由来の語彙が多いんです

「ベトナム」は、「ビェトナム(越南)」
「現代ベトナム語」は、「クォックグウ(国語)」
「春夏秋冬」は、「トゥンハツードン(春夏秋冬)」
「ありがとう」は、「カムオン(感恩)」
「注意」は、そのまま「チュウイ」

みたいに、漢字表記しようとすればできてしまうのです。

そろそろフライトの出発時間が迫ってきました。次回はベトナムからの更新になります。お楽しみに。

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ふなっしー千葉の梨

おはようございます。Manachanです。今日は大阪でセミナー。移動は成田からの激安LCCを使い、新幹線の半額以下で関西入りします。成田への道中、いま船橋近辺を通過中でして、今回は地元ねたで一本書ききます。

船橋といえば、子供たちの人気者「ふなっしー」

我が家でも、神棚(?)には「ふなっしー」が鎮座

その爆発的人気にあやかって、船橋近辺の商店も、続々と「ふなっしーグッズ」を扱うようになりました。たとえば「千葉ピーナツ船橋店」、昔から名産の落花生を扱う店として有名でしたが、最近では「ふなっしーグッズ店」に模様替えしたんじゃないかと思う…

「ふなっしー」の由来は、「船橋の梨」(子供なら誰でも知ってますね)。南は船橋市から、北は柏市あたりまで、西は市川市から東は印西市の千葉ニュータウン近辺までの下総台地上、15~20㎞四方の広大な地域が、実は日本一の梨の産地なんです。

栽培面積、収穫量、産出額ともに、千葉県は全国一。2位の茨城県を2倍近く引き離しての、ぶっちぎりトップ。

結果樹面積は1620ヘクタール。市町村別では白井市>市川市>鎌ヶ谷市>船橋市の順。

面白いことに、「日本一の梨の里」は東京のベッドタウンで、数百万の人口が集中するエリアでもあります。大消費地・東京から至近距離なので、まさに「関東内地産地消」。

住宅地と梨農園の混在ぶりは、たとえば「新鎌ヶ谷駅」(成田スカイアクセス線、東武野田線、新京成線の交差駅)に行くとよく分かります。駅周辺は商業施設(アクロスモールとイオンタウン)、その外側に戸建中心の住宅地が少々、さらに外側は広大な調整区域となっており、梨畑が広がります。この辺に住む人間は当然、地元で採れた梨を食っているわけです。

私も柏市出身なので、梨畑や直売場を身近に感じて育ちました。梨には歳時記というものがあって、千葉県の場合、

幸水(こうすい)  7月下旬~8月中旬
豊水(ほうすい)  8月下旬~9月中旬
新高(にいたか)  9月下旬~10月中旬

品種によって収穫時期がずれるので、千葉県民は約3か月間、地元の新鮮な梨が楽しめるというわけです。私の子供の頃は、「長十郎」という品種がまだポピュラーで、幸水と豊水の間がちょうど収穫時期だったのですが、今では食味の良い「豊水」に押されてしまっています。

なお、私たち千葉原住民からいわせると、梨の本場は「白井」か「大町」(市川市北部、成田スカイアクセスの駅がある)であり、船橋は大した産地じゃないだろうという気持ちもありますが、それでも、ふなっしーが千葉の梨を全国的に広めてくれるのであれば、それはそれとして嬉しいです。

東京近郊でありながら、梨や葉物野菜、こしひかりをはじめ、全国上位の農産物を豊富に持つ千葉県北西部。太陽と水と土に恵まれ、「郷土」を感じさせる地域でもありますね。

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ザ・神奈川

おはようございます。Manachanです。

私は千葉県柏市の出身です。柏は東京都心からみて東北方にある衛星都市…この一帯で育つと、東京は行く用事多いから当然身近、茨城や埼玉もクルマ10~20分ですぐ行けるから身近ですが、「都の向こう側」にある神奈川は、少し縁遠い感じがしていました。小学校時代、友人が横浜の港北区に引っ越した時は、すごく遠くに行ってしまう気がしました。

神奈川県内に頻繁に足を運ぶようになったのは、ここ1~2年、不動産の仕事やるようになってからですね。川崎・横浜はもちろん、相鉄線の奥の方、京急線の上大岡以南、かなり田舎なJR相模線方面とか、結構いろんな場所に出没しています。

神奈川県の出身者が、関東の他の都県の人と違う点といえば、自分の地元の名乗り方、

・東京生まれの人は、たいてい「私は東京出身です」と言う。
・埼玉生まれの人は、たいてい「私は埼玉出身です」と言う。千葉、茨城、栃木、群馬生まれも同様。
・でも神奈川生まれの人が、「私は神奈川出身」と言うことは少ない。

その理由は、神奈川県に「横浜」という、圧倒的存在がある上に、「湘南」「横須賀」「小田原」「箱根」など、全国的知名度のある地域名がたくさんあるからでしょう。

横浜の出身者が、「神奈川県出身です」と言うことは少ない。「横浜」といえば誰でも知ってるから。
藤沢や茅ヶ崎の出身者なら、「神奈川」より「湘南」と言った方が世間的に通じやすい。
横須賀の出身者なら、「神奈川」というより「横須賀」を打ち出した方がイメージしやすい。
東京に近すぎる川崎も、「神奈川」に言及する頻度は少ない。

でもって、横浜、川崎、横須賀、湘南の人口をあわせると、神奈川県の人口の半分をゆうに超えてしまうので、「神奈川出身」って一体何なのよ?って話になる。

私の印象では、「神奈川出身」を名乗る人は、県央地区(相模原、座間、大和、海老名、厚木、綾瀬など)の出身者が多いように思います。要は、「海もなく温泉もなく」、「厚木基地の騒音が身近で」、「小田急乗って町田に買い物、遊びに行くエリア」の人々ですね。

県央のなかで、相模原だけは政令指定都市だし、リニアの駅も設置されたりと知名度はまあまあ高いですが、その他の市名は、関東内でさえあまり知られていないので、「神奈川出身」を名乗る方が分かりやすいのでしょう。

県央はマイナー…だからこそ、「神奈川」という県名が一番似合うエリア。アンニュイなほど、神奈川らしい。これぞ、「ザ・神奈川

こうやって、二組のアーティストを並べてみると、同じ神奈川県でも別の文化圏の人って感じがしますねえ…

「横浜」出身のアーティスト:ゆず
路上ライブ地:伊勢佐木町

「神奈川」出身のアーティスト:いきものがかり
路上ライブ地:相模大野、厚木、海老名

なお、柏出身の私が、神奈川県内で、最も共感を覚えるエリアが、「ザ・神奈川」県央地区ですね。

都会でも田舎でもなく、都市計画も住宅開発も中途半端で、ローカル色満載で、内陸なので冬寒く夏暑く、県都・横浜とは疎遠、東京(新宿)にも中途半端に遠いので身近な「町田」で済ませてしまう…いろんな面で、柏エリアとそっくり。

県央のなかでも、特に「オダサガ」(小田急相模原)の街が好きです。ちょっと昭和テイストで枯れてて味があって…餃子も美味しいですし(Manachanオダサガ街歩きエッセイ)。

オダサガのうた」出た!利用客増えてるんだから、オダサガに急行くらい止めてやってね。

オダサガのうた

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フィリピンで文無しになった話

おはようございます。Manachanです。

いま、両親が自宅に泊まりに来ています。明日、両国国技館で行われる大相撲10日目を見に行く予定で、とても楽しみにしています。うち(江東区)からは近くて便利ね♪

今回のテーマは、「フィリピンでの盗難トラブル」。私の大家仲間のヒロさんが、最近フィリピンで盗難事件に遭った体験談をご自身のブログで書いておらっれるので、不動産ブロガー界では、それなりに話題になっているトピックかと思います。

私は、昔から海外に頻繁に出ているので、フィリピンでの盗難トラブルも経験あります。一番印象に残っているのが、大学時代、バックパッカーやっている時に、持ち金全部とられたこと。

1988年12月のことです。当時のフィリピンは今みたいに政情安定しておらず、2~3年に一度、クーデターが発生する状態。私のマニラ滞在中も、ホナサン大佐が首謀する、コラソン・アキノ政権に対するクーデターが勃発し、私は生まれてはじめて、「自分の頭上を爆撃機が通過する」、「約1㎞先で銃撃戦」という状態を体験しました(参考:同時期にクーデターを体験した方の手記)。

非常事態ゆえ、フィリピン人の友人とともに、いろいろと移動しました。マニラ→ロスバニオス→タガイタイ→マニラ…その移動中に、ドサクサに紛れて、手持ちの現金全部を取られました。

被害額は現金約17万円で、今から考えると大した金額ではありませんが、当時、肉体労働のアルバイトでお金を貯めて海外激安旅行していた私にとっては結構な額でした。しかも、

☆持ち金全部なくなっただけでなく、
☆パスポートも損傷して使えない。
☆そもそもクーデター最中なのでフィリピンから出国できない。

…という、なかなか素敵な事態に。

当然、愉快な状況ではありません。少しでも早く帰国したいのですが、クーデターの収束まで2週間弱。旅客機など飛ぶはずもなく、その間は、マニラで過ごすしかありません。

その後、クーデター首謀者のホナサン大佐が逃走し、フィリピンに平和が戻り、マニラ湾の海っぺりにある日本大使館もオープンしました。しかし、パスポートが損傷しているので、そのままでは使えない。そして、日本への飛行機チケット買う金もない。

当時、日本大使館の職員は、訪ねてきた私を虫けらみたいな蔑んだ目で見ていました。ま、私は駐在員やビジネスマンではなく、汚い恰好したバックパッカーなので迷惑視されたのでしょう。

「こんな時期に呑気にフィリピンほっつき歩くなんて…」
「我々は邦人ビジネスマンの救出で不眠不休なんだぞ」


…でもねえ、私だって「邦人」なのよねえ

職員の対応に、良い気持ちはしませんでしたが、ただ、一つだけ良かったことは、マニラ在住の日本人神父さんを紹介してもらったこと。

私はそこを訪ねていき、恥ずかしながら、日本への旅費6万円を貸していただきました

また、パスポート損傷問題ですが、フィリピン滞在中に再発行すると3週間ほどかかるらしい!そんなに待つ気にはなりません。大使館に事情を話し、今すぐ帰国したい旨を伝えたところ、パスポートに代わる「渡航文書」(Travel Document)なるものを発行してくれました

神父さんから用立てていただいた6万円で買った片道航空券と、渡航文書で、私は翌日、無事日本の地を踏むことができました。

ま、あまり愉快でない経験をしたわけですが、私の場合、フィリピンを嫌いになることはありませんでした。

マニラで市街戦が展開するなか、フィリピン人兵士の姿が、今でも忘れられません。彼ら、迷彩服を着たまま、呑気にトランプ遊びしてるんです!南国らしく、労働意欲の低い人たちだと思ってましたが、戦闘意欲も低いのね‥

あと、クーデターの最中でも、フィリピンの人々は限りなく陽気で、優しい。あの明るさをみていると「たぶん、何とかなるよね」と思ってしまう…

こう見えても、彼ら、やる気ゼロに近い…

当時のフィリピンを体験した者から見ると、いまのフィリピンの経済発展ぶりは信じがたい、まさに「シンデレラストーリー」。

1988年当時、マニラの金持ちエリア「マカティ」で一番高い建物が、確か4階か5階建てだったと思います。今は70階建てクラスがどんどん建ち、ものすごい都会になりましたね。

バスやタクシーだって、当時は日本から持ってきた20年落ちをそのまま使ってて、「上大岡駅行きの横浜市営バス」に、「Cubao」とか「Santa Cruz」みたいな地名を書いた紙を貼って、そのままマニラの街を走っていました。今のマニラは高級車、新車バリバリ走ってます。

フィリピンがここまで豊かになったのは、政治的安定の賜物なのでしょう。経済離陸した今のフィリピンで、当面、クーデターが起こるとは考えにくい。ま、盗難事件程度なら今後もあるんでしょうけど。

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