前回の続きです。
「俺、たぶん会社クビになるよ!」と、妻に初めて相談したのは、今年1月18日のこと。
それ以降も、形勢挽回しようと、昼夜問わず、必死に働きましたが…私の懸念が現実味を帯びたのは、1月29日の夜…その日、私は、ついにプロジェクトを実質的に外され、客先ではなく本社オフィスでの後方勤務を命じられました!
私への作業指示は、客先に常駐する同僚から来ることになっていましたが、蓋を開けてみれば、作業指示どころか、メールの返信でさえ、一日一通くらいしか来ない。客先で、私抜きで、物事が進んでいることを悟るのに、時間はかかりませんでした。
2月第一週…日々、定時に出社しても、何もすることがない。客先には行くなと言われる。バツが悪いので、終日、誰とも話さず、お昼は一人寂しくバーガーキングで済ませ、定時に退社する毎日。
その頃にはさすがに、「クビになった後のこと」を、考えるようになりました。妻とも毎日、その話をしました。
妻:「会社辞めること、子どもたちには、まだ話さない方がいいわね。緊張するから…でも、生活費はどうするの?」
私:「当面は大丈夫だよ。でも、厳しくなったら、家賃の安い柏あたりに引っ越さなきゃならなくなるかも…」
我が家の夫婦間会話は、中国語です。うちの子どもたちは、私には日本語で、妻には英語で話すので、中国語は使わないのですが…娘ソフィア(当時7歳)は、毎日、夫婦間会話を聞いているので、中国語も大部分、聞き取れるようで、
子どもに聞こえないようにと、寝静まった後に話していたことも、ソフィアには、ちゃんと聞かれていたのです。
ソフィア:Papa is losing his job and we have to move our house, right? (パパの仕事がなくなって、おうちも引っ越さなきゃならないんでしょ?)
2月6日…上司が、オーストラリアから来日することになりました。私は、彼の時間をとってもらい、これまでのプロジェクトの経緯、私が結果を出せなかった理由と、今後、この会社で能力を発揮するために、何をサポートしていただきたいか…その辺を、切々と訴えました。
上司は、「よし、分かった。うちの会社で、君が能力発揮できる部署やプロジェクトがあるかどうか、調べてみる」と言って、ミーティングは終わりました。
私、心のなかでは、「こんな生殺し状態は嫌だ!一日も早く、会社都合でクビにしてくれ!」と叫んでいたのです
その後しばらく、会社に定時出社しても、何も仕事のない状態が続く。こんな日々は、あと何日も続かないだろうなと思いながら…
そして、案の定、ついに、Xデイが来たのです。
2月14日、木曜日…その日の朝、子どもを病院に連れていく関係で、出社は午後11時過ぎになる旨、リーダーに伝えて、その通りの時間に、出社しました。
お昼前、私はリーダーに呼ばれ、ミーティングルームに通されました。そこに、日本支社の社長もいました。
ついに、来たか・・・
その後、約30分の間に起こったことは…まるでニューヨーク・ウォール街の映画でも見ているような情景が、私の眼前で繰り広げられました。
俗にいう、「ロックアウト解雇」というのでしょうか…
1)まずミーティングルームで解雇を通告し
2)書類にサインさせて、
3)業務用PCとセキュリティカードを回収して
4)付き添いをつけて、社外に送り出す
その後は、二度と、会社に入ることはできません。帰りしな、同僚に簡単な挨拶だけして、ジ・エンド…全てが、終わりました。
まだ昼過ぎの時間でした。コート羽織って外に出ると、そこには東京・溜池山王の、抜けるような青空が広がっていました。
これから、どうやって生きていこうか??
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