グローバルITビジネス

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人生から余暇が消えた

おはようございます。Manachanです。いま、東武東上線で、埼玉県東松山に向かっています。まもなく板橋区が終わり、「♪ダンダンダンダ ダンダンダ~ ダンダダ埼玉♪」の鼻歌で気分を盛り上げる。

昨晩は東京で、「英国&トルコ不動産セミナー」を開催。今回の講師は、おなじみの「清水さん」の他、英国人創業社長のアンドリュー・ウェストコット氏も来日しました。

懇親会で、アンドリューと話していたら、こんなこと言ってました。

「今回は、ドバイ、スペイン、中国を経て、日本に来たんだよ」
「もう何週間も家に帰ってない。そろそろ英国に帰らないと家庭がやばいなあ」

ま、程度の差はあれ、出張に次ぐ出張、という意味では俺も一緒なんだけど…会社興すと、自然、そうなりますよね。

サラリーマンをやめて、独立事業主になってみると、「余暇」とか「出張」の意味合いが、全然違ってきます。

サラリーマン時代は、有給休暇の範囲内であれば、上司の許可とって休むことができたし、いくら休んだところで、毎月、決まった日に給料が支払われたし…その意味で、週末や夏休みは、まさに「余暇」でしたね。収入が途絶える心配なしに、心おきなくリラックスして、休めたものです。

ところが自営になってみると、当然ながら、給料の保障はない。自分の給料を出すための売り上げを、自分ひとりの力で上げなくてはならない。月によっては、売買仲介の売り上げゼロ、みたいなことがありますけど、それでも、家族四人の生活費や、子供たちの習い事の費用は、必ず出ていく…

「いつ、収入が途切れるか分からない」という状態は、実際、かなりのプレッシャーです。当面、私はサラリーマン時代の所得を、事業を通じて稼ぎ出すことが目標で、それ位は、さすがに達成できると思うんだけど、仮にそうなったところで、決まった給料が保障されていない以上、「もっと稼がなきゃ」のプレッシャーは消えないでしょう。

だから、余暇なんてないし、稼ぐ前提なしに遊ぶ気にはなれません。土日、祝日、週末問わず、売り上げにつながる仕事があればどこへでも飛んでいくし、ある意味、「ずっと働いている」状態ですね、

あと、出張の意味合いも違ってきます。独立自営になった私は、サラリーマン時代とは比較にならない数の出張をこなしていますが、当然、交通費や宿泊費は、自分の経営する会社から出さねばならない。要は自腹と一緒なので、LCCや高速バスなど、可能な限り安い交通機関を選び、3000円台の激安ビジネスホテルに泊まる。新幹線出張と、「都ホテル」、「リーガロイヤル」レベルの宿泊が当たり前だった外資系サラリーマン時代に比べると、ずいぶんグレードが落ちたなあという気がする。

こないだ、カンボジア出張で使ったゲストハウスが1泊800円ですからね。125円でストリート散髪して、屋台で62円メシ食って、学生バックパッカー時代に逆戻り。もう笑うしかない…

ですが、良いこともあります。いまは出張も余暇も、自分ひとりで決められます。経営陣や上司の命を受けて行くのではないので、要は好きな時に仕事して、好きな時に休めばいい。

行き先も経路も滞在期間も、会社の規定など関係なく、自分の一存で決められますから、「出張のついでに、遊んじゃえ」みたいなことも可能。たとえば、

名古屋出張の時は、高速バス使って、途中の「足柄サービスエリア」で富士山の写真撮って、静岡限定「まりこの紅茶」飲んで、「う宮(うみゃー)~富士宮やきそば」をお土産に買って帰る。

札幌出張の時は、新千歳空港の「ニコニコレンタカー」で2200円レンタカー借りて、周辺の「ウトナイ湖」、「パレットの丘」など、広い大地ドライブを堪能して、安平町追分の「角谷さんのカマンベール」をお土産に買って帰る

【富士の裾野で…】

【北の大地で…】

みたいなことが可能。要は、出張自体が遊びみたいなもんだし、そもそも今やってる仕事自体が遊びみたいなもの。

楽しい 忙しい 儲からない」の三拍子揃ってますけど、ま、それはそれで、自分らしい働き方、生き方なのかなと思ったりします。

どれだけ働くのも自由、どれだけ稼ぐのも自由、稼げなくて生活できなくなっても自分の責任…「自由」とは、こういう状態を言うのだと思う。

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千葉を捨てて埼玉に転進

おはようございます。Manachanです。名古屋出張を終えて、関東に帰ってきました。

関東・一都三県のなかで、埼玉県VS千葉県は、永遠のライバル。都市レベルや「格」、イメージの面でいえば、1位東京、2位神奈川、これは不動のツートップ。それに続く関東3位は、埼玉?それとも千葉?…永遠に決着のつかない戦い。

千葉だって埼玉だって、東京に近い地域は、結局、似たもの同士だと思うんだけど…土地代が比較的安くて、都内のような高層住宅や、横浜みたいな「坂の頂上までびっしり戸建」が少なく、その代わりカーポート付きの戸建住宅や2階建て木造アパートが、無秩序に広がって、田畑と混在している、みたいな感じ。

似たもの同士の「埼玉VS千葉」ですが、一つだけ、圧倒的に違うものがあります。それが、「アパートの建てやすさ」・・・・具体的にいえば「都市計画上の用途地域」や「法令上の制限」において、

埼玉は、千葉よりずっと、規制が緩いんです!!

私、いまアパート建売業者のために、千葉県と埼玉県で土地仕入れをやっています。最初にターゲットにした地域は、千葉県の柏・松戸地域。ここは、地価が安い割に、結構高い賃料が取れる。

確かに、地価と賃料のバランスは首都圏でピカイチなんですが、それはあくまで、アパートが建てられたらの話。実際には、アパートのプランが入らず、膨大な数の検討図面が無駄になっています。

私思うに、千葉県の土地探しでガンなのは、

「一種、二種低層住宅地域」(一低、二低)
「一種高度地区」

千葉県は、やたらこういう土地が多いんです。特に、隣地が北側に隣接している場合、北側斜線制限をモロに受けてしまう。

たとえば、第一種高度地区で高さ10mの建物を建てたい場合、北側斜線がかかると、隣地境界線から、4メートル離して建てるか、あるいは斜線に合わせて壁を削らなければならない。その分、北側の土地が無駄になる。だから、相場より坪15万円くらい安く買わないと割にあわないんだけど、世の中、アパート建売業者なんて星の数ほどいるから、そんな割安な土地はとうの昔に誰かが買ってるよね。


あと一ついうと、土地販売図面には、都市計画法上の「用途地域」(一低、二低など)は載っていても、「高度地域」に関する言及がないものが多い。普通、「低層」地域ではない、「一種・二種中高層」(一中高、二中高)などの地域では、やたら厳しい「一種高度地区」が適用されることは少ないのですが、

千葉県では、中高層地域のくせに、一種高度地区が適用されることが多くてびっくり!

あと、「隣地境界から1m離して建てなくちゃいけない」とか、千葉県独自のルールがいろいろあって、悩ましい。それだけ賃貸面積が減り、利回り落ちるからねえ…

千葉県でも特に、賃貸需要の旺盛だと思われる千葉市、松戸市、そして市川・船橋の総武線沿線エリアが、非常に建てにくい

比較的規制が緩く、建てやすい印象があるのが八千代市、柏市など…でも、柏はともかく、八千代の賃貸需要は限られるし、駅近でもない限り田舎で賃貸経営が成立しないので、それはそれで悩ましい。

千葉県での土地探し、これまで「歩留りの悪さ」に、さんざん辟易したので、隣の「埼玉県」で探してみました(埼玉に近い千葉で育った私は、埼玉県、特に東部エリアの土地勘に自信あるのです…)。

やってみて、思ったこと、

埼玉は、神だ!!!
アパート、むちゃくちゃ建てやすいじゃん!!

埼玉県は、千葉県と比べると、天国のように規制が緩い。「一種高度地区」は少ないし、東京下町から続く「準工」(準工業地域)が広くて、こういう場所はほぼ建て放題。しかも、隣地からの距離は千葉みたいに1m離す必要はなくて、50cmで良い。

千葉で土地探していた時は、「鈴木さん、斜線きつくて、建築プラン入りませんでした!」みたいな報告ばっかりで、そのたびに「ガクッ」と来たけど、埼玉に場所を移すと、サクサクとプラン入るじゃん!

だから私、アパート建売業者に進言しました。

首都圏での土地仕入れを加速したいなら、千葉ではなく、埼玉にターゲットを移すべきです!

私、千葉県出身だから、もちろん千葉に思い入れあるんだけど、でも、ここまで規制きついと、出ていかざるを得ないよねえ。

土地仕入れやってみて、埼玉県がなぜ、千葉県より100万人も人口が多くて、平均地価が高いのか、その理由が分かった気がしました。家賃水準はほぼ同じでも、埼玉なら土地を有効に使えるもんねえ。

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誰でも儲かる魔法のツール

こんにちは、Manachanです。いま東京から名古屋へ移動中。今日は富士山がきれいだなあ♪

世の中に、「情報商材」なるものがあります。アフィリエイト、せどり、FX…たぶんネットビジネス系が一番多いでしょうが、不動産関連もたくさん出ています。

この世界は(どの世界で似たようなものでしょうが…)「玉石混交」。ざっとみた印象で、「約5%の良質な商材」と、「約95%のゴミ商材」で構成されています。

「ゴミ商材」の典型的パターンは、経験・知識の乏しい「情報弱者」に対し、「ツール」、「動画教材」、「高額セミナー」などを売る。

商材名(タイトル)もワンパターンよね。

・金ぴかのランディングページ

に、

・「ど貧乏のシングルマザーだった私が、月○○○万円稼げるようになった方法を一挙公開」

・「社畜サラリーマンだった私が、副業で年収○○○○万円を稼げるようになり、悠々自適に。その秘密を聞きたくありませんか?」

みたいなやつ…彼らが本当に裕福で心身ともに充実してるならば、こんな貧困ビジネスまがいに手を染める必要はないと思うんだけどな。キーワードは、

・誰でもできる

・○○するだけで、簡単に儲かる

ある程度社会経験を積んでくれば、「そんなうまい話、あるわけないじゃん」と思うわけですけど、引っかかる人、結構多いみたいね。

私、どうしても理解できない。

なぜ、誰でも手に入るノウハウで金持ちになれると思うんだろう?

ここで基本に立ち返って、「スキル」と「ノウハウ」の違いをみてみましょう。

スキル:教養や訓練を通じて身につける能力。「手に職」、「技能」のニュアンスに近い。

ノウハウ:人の知識をそのまま利用する方法。

スキルは、自分の手を汚して、数限りなく試行錯誤して、失敗も数多くして、はじめて身につくものです。

私も、英語や中国語のスキル、ITエンジニアやマネジャーとしての職務スキル、収益不動産物件の見極め方や運営方法など、数多くのスキルを、「自分の手を汚して」身につけてきました。学習法など別にありません。自己流でも、とにかくたくさん量をこなしたから、上手になったのです。

収益アパート用地探しにしたって、千葉県内だけで何千枚もの図面をみて、百くらいの土地を見に行って、いろんな失敗や無駄、回り道をしたからこそ、「勘どころ」が分かったのです。

そんな感じて、汗と涙とともに得られた「スキル」を、他の人でも使えるかたちにしたのが「ノウハウ」です。

誰かが開発したノウハウをそのまま使う…要は、私たちが文明の利器を使うのと一緒。私たちは誰でも冷蔵庫を使う。その時、今日の冷蔵庫を開発するのに費やされた膨大な努力やお金のことを、知らなくてもいいわけです。

ノウハウを使うと、確かに便利だし、苦労知らずで目的を達成できる面がある。ただ、それを使えば「ビジネスで成功できる」、「金持ちになれる」のかというと、全く別の問題。

ノウハウを使って成功できるとすれば…たとえば、何らかの規制や技術的障壁があって、他人が知りえないノウハウを自分だけが特権的に使えるとか、あるいは自分にしかできない特殊な能力を使うノウハウであれば、もちろん話は分かる。

でも、今はネット時代、誰もが同じ情報にアクセスでき、同じノウハウを知りえる時に、なぜ、成功できると思ってしまうのだろう?

ノウハウ自体の価値は、それを知る人、使う人が多くなればなるほど、コモディティ化、陳腐化する。価値は限りなくゼロに近づく。「誰でもできる簡単な方法」であればなおさら…たとえば、

「英語、中国語、日本語が、すべてビジネスレベルでできる人」なら商品価値は高い。そこまでのスキルを身に着けるために、長年の努力を続けられる人は限られるから、でも、

「冷蔵庫で果物を冷やすことができる人」や「市販のコーヒーメーカーでホットコーヒーつくれる人」の商品価値はゼロ。誰でもできる、知ってることに価値はないし、それを使って金持ちになれる確率もゼロ。

話、戻りますが…ゴミ商材に引っかかる人というのは、厳しい言い方をすれば、「冷蔵庫で果物を冷やせるようになれば、お金持ちになれる」と思っているのと大差ないのではないかと思う。

コピペしてるだけで本当に金持ちなれるのなら、皆、とっくの昔にやってるよね。

業者がどういう意図で、不特定多数のネットユーザーにおいしい儲け話を持ってくるのか、その見極めも必要だと思います。

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ラオス~東南アジアの佐賀県

こんばんは。Manachanです。

3月下旬に、出張で「ラオス」に行きます。タイ、ベトナム、中国と国境を接する小さな内陸国、「東南アジアで一番地味で目立たない国」ラオスへの訪問が実現した暁には、私はブルネイを除く、ASEAN10か国全てに、渡航したことになります。

いま、東南アジア進出・投資ブームの日本ではありますが、タイ、マレーシア、フィリピン、べトナム、ミャンマー等に比べて、ラオスに関する情報はまだ少ないので、簡単に解説しますと、

【ラオス人民民主共和国の概要】

・位置は、(ざっくり言うと)タイの北、ベトナムの西、中国(雲南省)の南
・面積は23.7万平方キロ、日本の約6割
・人口は非常に少なく、660万人。
・ASEANで唯一、海に面していない
・主産業は農業、水力発電、繊維など

ラオスの位置

これだけだと分かりにくいので、より知名度の高い隣国「ベトナム」、「タイ」との関係から、ラオスを詳しくみていきましょう。

【ベトナムとの関係】

ラオスにとって、ベトナムは、「よく働く、成績も良い隣のお兄さん」みたいな感じでしょうか。ベトナム人は、工場の経営者、技術者、あるいは商売人として、ラオスに大勢入り込んでいます。

とはいえ、ラオスとベトナムとは言語・文化的にも差が大きく、隣人で緊密な関係だけど「所詮は他人」みたいな感じかと思います。

【タイとの関係】

ベトナムと比べると、タイはラオスと何かと共通点が多い。

タイ人とラオス人は、民族的に同根であり、タイ語とラオス語は、「方言」程度の差しかないとされています。お互い、属する国が違うので、ラオス語は一応、タイ語とは別言語ということになっていますが、両国民の意志疎通は、基本、通訳なしで可能。

もっとも現時点では、両国間に、「圧倒的な経済力、文化力の差」が存在します。ラオス人は小さい頃からタイのTV番組を見るし、携帯電話も、ラオス文字の入力システムがないので、タイ文字で入力する…だからラオスではタイ語が通じる。逆にタイでラオス語が通じるかというと、必ずしもそうではない。

タイから流入するTV番組や商品を見て育ったラオスの若者は、タイ、特に「花の都」バンコクに憧れます。そして、たくさんのラオス人が、自国に比べて給料の良いタイに出稼ぎに出ます。地続きだし、顔も同じだし、言葉も通じる…タイ社会に溶け込んだラオス人が、大量のタイ・バーツ紙幣を持ち帰るので、ラオスの街ではバーツで普通に買い物ができるとか。

なかなか、面白い関係だなあ。

タイとラオス、言葉も文化もあまりに似すぎていて、かつ経済的には大差がついてる関係…だから、タイからみて、ラオスはどうしても、外国というより、「タイの周辺部、田舎」みたいな位置づけになってしまう。

日本でいうと、イメージ的に一番近いのは、たぶん「福岡県と佐賀県」の関係かなあ。九州外の人には分かりにくいでしょうが、以前、福岡市に住んでいた私は、どうしても、こんな連想をしてしまう。

タイ=福岡県
バンコク=福岡市
ラオス=佐賀県
ビエンチャン(ラオスの首都)=佐賀市

佐賀駅・・・博多まで32分900円の近さ。誰もが、遊びに行く

佐賀は、大都会・福岡に隣接する、田舎県。福岡と似た言葉を話し(肥筑方言)、福岡市へ約1時間以内で出られる近さゆえ、多くの佐賀人は、働く場、学ぶ場、遊ぶ場を、福岡に求めます。

佐賀県内のJR線に乗ったことなくても、西鉄バスで天神・博多には毎月遊びに行く、福岡の都市高速と市営地下鉄を乗りこなす…県名としてはマイナーでも、実質、福岡県民と大差ない生活を送っている佐賀人は多い。

逆に、福岡からみれば、佐賀は他県というよりは、福岡の周辺部にある田舎エリア、というイメージの方が強いでしょう。その辺が、「タイとラオスの関係」を彷彿とさせますね。

そのラオス、首都ビエンチャンで、外国人も買えるようなクオリティのコンドミニアム国内第一号が、いま企画されています。私は今月末、その物件を視察しにいきます。価格は、バンコクに比べれば圧倒的に安く、一室数百万円の世界です。

「東南アジアの佐賀県」マイナーな人口小国ラオスですが、首都の一等地に建つ初のコンドミニアムということで、私も注目しています。どんな小国でも、「首都」は国のショーウィンドーとして整備されますし、外国人投資家がお金持って入ってくるのも「首都」ですから…

首都・第一号プレミアムがついた物件、上がり目は大きいはずと思っています。

次回(ラオスに注目する理由)に続く、

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新幹線は金持ちの乗り物

こんばんは。Manachanです。数日ぶりのブログ更新になります。

私は、子供の頃から、旅と乗り物が大好き。その心は、いくつになっても、変わりません。

私が物心ついた時、遠い土地に連れていってくれる乗り物といえば、「新幹線」でした。日本がまだ経済伸び盛りの、若々しい新興国だった頃、IMFから借金して建設した新幹線は、今も昔も、日本の陸路交通の代表選手。

1970年代は、こんな歌がありましたね。

♪~ビュワーン ビュワーン 走る青いひかりの 超特急 時速250キロすべるようだな 走る~♪

当時はこんな車両でした・・・

東京~新大阪間を、当時最速の「ひかり号」で移動すると、所要時間は3時間10分。今では「のぞみ」で2時間半で行けますけど、新幹線の登場前は特急電車で10時間とか、かかっていたわけですから、とても画期的な乗り物でした。

私の少年時代は、東京や千葉からほとんど出ない生活。いつかは憧れの「新幹線」に乗って、京都、大阪・・・遠い西の大都会に行ってみたいと思っていました。

あと、当時は寝台特急「ブルートレイン」の全盛期でしたね。寝台車に乗って、翌日には、大阪より遠い四国とか、九州まで連れていってくれる「さくら」、「はやぶさ」「富士」なども、当時の男の子には憧れの乗り物でした。

東京駅や上野駅に行って、写真撮りに行ったんだよなあ・・・

当時からみると・・・今の交通は、環境が激変しましたね。

まず、ブルートレインがほぼ姿を消しました。今でも残っているのは「カシオペア」とか「北斗星」みたいに北海道に行くプレミア寝台くらいで、あとは全て、飛行機と新幹線に食われてしまったんでしょうね。

新幹線は、今でも健在ですが、東京~名古屋みたいな短距離だと高速バスとの競合、長距離の幹線だとLCC(格安航空会社)との価格競争が厳しくなってますね。

今は、高速バスやLCCが、とにかく安い。激安!こんな安い移動手段は、昔はなかったですよね。私は、名古屋出張で時間に余裕ある時は、高速バスを使ったりしますが、料金的に大差がついてますね。

【東京~名古屋間】

新幹線  片道10070円 所要時間1時間半
高速バス 片道2600~3600円 所要時間5時間

また、福岡に行く時はLCC使用がほとんど。ジェットスターなら安くて時間も短い(ただし、成田までの移動が必要)。

【東京~博多間】

新幹線  片道21520円 所要時間5時間半
LCC 片道7000~15000円 所要時間2時間

高速バスは、平成版、庶民の乗り物

高速バス、LCCという、格安移動手段が定着したためか、新幹線に乗る客と、明らかに客層が違いますね。

新幹線には、会社から交通費出てそうなビジネスマンや、お金に余裕のありそうな年配の客が多く、一方、高速バスやLCCには、お金に余裕なさそうな若者が目立つ。日本の格差社会を実感しますね。

新幹線の運賃が、今後、高速バスなどに対抗して安くなる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。低価格競争しても、意味がない。

であれば・・・新幹線に全席コンセントをつけたり、木目調のフローリングや椅子にしたり、液晶テレビをつけたりと、高級感、プレミア感を演出する工夫が必要になってくるのではないでしょうか?

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中国‐成熟と閉塞感の時代

こんばんは、Manachanです。

昨日は、名古屋での「タイ土地投資セミナー」。バンコク在住の講師、佐々木扶美さんとのコラボ企画でした。

アジア太平洋大家の会主催・共催のセミナーは、すでに開催100回を超えます。私も仕事柄、たくさんの講師の方々と親交がありますが、実にいろんな方がいるものですね。佐々木さんは、「メインの講演」よりも、「質疑応答」で実力を発揮するタイプ。受講者の質問に答えて、タイの話をすればするほど、信頼感や好感度が増していくという、あの独特なキャラクターがいいですね…昨日のセミナーも、とても好評でした。

セミナーが終わった後は、タクシー飛ばして名古屋マリオットホテルに駆けつけ、「旧友」に会ってきました。彼は大連勤務時代(2005-07)の中国人の同僚(イニシャルはFT)で、いま、長期出張で名古屋に来ています。今回は7年ぶりの再会。

私、FTとは、同期同日入社。忘れもしない2005年3月7日、氷点下4度の大連で、一緒に入社オリエンテーションを受けた仲間です。同日の入社人数は約10名で、外国人は私ひとりだけ、あとは全部中国人でした。

約1時間にわたるオリエンテーションは中国語で行われ、終わった後、私は中国語のノートPCを渡され、配属先のチームに案内されました。

【以前、私が働いた、大連ソフトウェアパーク】

その後も、同月同日入社の仲間同士で、時々食事に行ったりして、仲良くしていました。入社2年後の2007年、私は日本渡航(移住)と転職のため、退社。一方FTはそのまま会社に留まり、今日に至ります。彼はそれなりに出世して、プロジェクトマネジャーになっていました。今は台湾、日本、オーストラリア、インドと、海外出張で飛び回る多忙な日々。

はたからみれば、充実した職業人生。でも本人は、そういう日々に満足してないようです。

とにかく、きついんだよ。お前(Manachan)みたいに、早くITの仕事辞めたいんだ・・

と彼はいいます。

中国は、競争がむちゃくちゃ激烈。若くて、優秀な奴がたくさん居すぎるんだよ。30歳そこそこなのに、技術知識完璧、英語完璧、日本語もできて、プロジェクト経験豊富…そんな連中と張り合わなきゃならない。とにかく、中国は人が多すぎる。

かくいう彼は、40代前半。私と同世代。

でも、その割に仕事の量が伸びてるわけじゃない。お前(Manachan)に居た頃と違って、マネジャー・役職者が増えて、ルールや決まり事も格段に増えた。たくさんの同僚が会社を辞めていった。仕事やりにくい環境になってるよ。

お前がいた頃(2005~07年)が、会社の黄金時代だったのかもな。あの頃は、ビジネス伸びていたし、皆が、夢と希望をもって一生懸命働いた。今は全然違うけどな・・・

私が大連にいた頃は、仕事が、本当に楽しかった。発展感、期待感、わくわく感に満ち満ちて…18年のサラリーマン人生のなかで、あれだけ充実した日々は、前にも後にもありませんでした。

当時、中国人の社員は非常に若くて経験が浅く、マネジャー層の人材は外国に求めざるを得ませんでした。その多くは、台湾、香港、シンガポールや、欧米諸国で働いた華人系の人間が担っていました。その他、技術者層はインドやフィリピンに人材を求めていましたから、

明治の日本がそうであったように、まさに、「中国、世界に教えを乞う」状態。ダイナミズムがすごかった。

でも、いま中国で働いても、あの頃と同じ体験はできないんだろうなと思います。私が中国を去ってから7年。この間に、


・大企業化
・サラリーマン化
・管理・監視体制

が急速に進み、以前のような高揚感が職場から失われたのだと思われます。FTだけでなく、数名の同僚が異口同音にそう言いますもんね。

これは、日本もたどった道。かつて、日本の多くの職場にも、成長期待と希望に満ち溢れた時期があり、働く人々もやる気に満ち溢れ、がむしゃらに、猛烈に働いた。その結果、日本の経済は大いに伸びた。

その高揚感が、次第に変質していく。経済的繁栄が続くなかで、働く人々は安定を求め、リスクを嫌い、失敗を恐れるようになった。そして、管理者層からワーカー層まで、全部日本人だけで固まって、多様な発想力も失われていった。その後、バブルが崩壊して、日本経済から「成長」の二文字が消えていった…

中国も、多少の時差はあれ、日本と同じ道をたどっているのだと思います。この先、中国の経済は成熟し、低成長の時代を迎え、いまの日本と同様、多くの人が閉塞感を感じることでしょう。

それに人口動態的にも、中国は日本や韓国と同じ、少子高齢化の典型パターンですもんね。日本から数十年遅れて、ハイパー高齢化社会を迎えることが、ほぼ決まっています。

人にも、国も、「旬な時期」というものがある。私は、働く者として、中国の「一番旬な時期」を体験できて、とてもラッキーだったと思いますが、そういう時期は、わずか数年の間に過ぎ去ってしまうものなのでしょうね。

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中韓が、英語圏で活躍する理由

こんばんは、Manachanです。

前回の日記、「日本人ひとりぼっちの10年」の続き。再度引用しますが、

(英米圏のいろんな国で・・・)同じアジア人でも中国人や韓国人はたくさんいるのに、日本人は私しかいない。

その理由はなぜなのか?を、私の体験から、考えてみました。

私が身を置いていたのは、オーストラリアやアメリカの、多国籍IT企業の現場。エンジニアやマネジャーとして、英語ネイティブたちにまじって、中国、台湾、香港、韓国、シンガポール、マレーシア、フィリピン出身のアジア人たちがたくさん働いていましたが、日本人は限りなく少なくて、見渡す限り私ひとり・・・みたいな状態が続きました。7年も8年も、ずっとそんな状態。

アジア人の同僚たちを、よく観察してみると、

・シンガポール、マレーシア、フィリピンなどの出身者は、母国の大学を卒業して英米で就職した者が多いのに対し、
・中国、韓国など、非英語圏の出身者は、移民第二世代か、英語圏で高等教育を受けた者がほとんど

「移民第二世代」という言葉が分かりにくいので、解説しますと、

・中国や韓国をルーツに持ち、親の代から英語圏に移民して、本人は英語圏で育ち、英語の教育を受けた者

彼らの多くが、ファーストネームは英語名です、リチャード・チャンとか、グレース・リーとかね。アジアの顔、心は英語圏人・・・というパターン、

特に、リチャード・チャンとか、マイケル・チャンみたいな名前は、アメリカやオーストラリアでも、かなり多い部類に入るのではないでしょうか。まじで、人数が半端ないですから。

そうした、無数の第二世代アジア人「リチャード・チャン」たちが、英米圏の第一線の現場で、活躍しているわけです。アジア人は概して教育熱心なので、高等教育を受けた者が多く、財界、法曹界、政界で活躍している者も少なからず・・・

でもって、彼らのルーツは、中国や韓国が多い。同じアジアの民族でも、日本人がかなり少ない・・・というのが現状かと思います。

つまり、「リチャード・チャン」は多くても、「リチャード・スズキ」が極めて少ない。そのプレゼンスの差が、アメリカにおける慰安婦の像みたいな問題になって出てきていると思います。

私、以前の日記「激突!橋下発言vsアングロサクソン」で書きましたけど、こういう問題に対して、日本から、日本人にしか分からんロジックで攻撃しても意味ないと思いますよ。

アメリカで活躍する日本人をもっと増やして、プレゼンスを示さなければ、日本のリスクは高くなると思います。

Zappos創業者Steve Hsieh、Youtube創業者Steve Chen・・・
中華圏から米国に移民した第二世代が、いま、大活躍しています。

さらに言うと、これは、単なる「時差」の問題なのかと思います。つまり、中韓の方が、日本に比べて、英米圏に移住した歴史が長い。少なくとも、一世代以上は違う。

中国には、華僑という、海外移民の長い歴史があります。第二次大戦後だけをみても、共産主義の新中国あり、大躍進あり、四人組支配あり・・・それを嫌って海外に活路を求めた中国人が非常に多かった。今みたいに、目覚しい経済発展をしてもなお、富裕層は中国から出国しまくってます・・・

韓国でも、朝鮮戦争あり、ベトナム戦争あり、北緯38度線の分断あり・・・常に移民が、海外に向かいました。

それと同時期に、日本は、経済成長を謳歌し、平和で住みよい国ができた。わざわざ、海外移民する必要性を感じる日本人も少なかった。

日本で、海外へ越境、長期滞在、移住・・・という社会現象が起きたのは、ごく最近のことですし、数だって、まだそんなに多くありません。

最近、海外に出た、日本人のなかから、次の世代が生まれて、英語の教育を受けて、英語圏で活躍して・・・それが、まとまった数になるまで、あと20年以上は、かかるでしょう。それまでの間、英米圏のいろんな職場で、私が体験したような、「日本人ひとりぼっち」状態は、続くでしょうね。

もっとも、私は日本人一人ぼっちでも、寂しくありませんでしたけど・・・英語ちゃんと覚えて、いろんな人と仲良くなればいいだけだから。

英語を駆使して、アングロサクソンの理屈を使いこなして、世界の第一線で活躍する力強い日本の次世代が育つことを、願ってやみません。

私も、いま、リスクをとって海外に出ていく日本人を応援します。その行動が、次の時代に花開くと思いますから・・・

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最終回!会社員の辞め方…その6

前回の続きです。

果敢にも、年収8桁のオファーを蹴って、不動産専業になる決断をした私ですが…

この決断、そう簡単なことではありません。我が家では、私が唯一の稼ぎ手。最低限、家族4人が暮らしていくための日本円キャッシュフローを、稼がなくてはなりません。重い責任が、我が双肩にかかっています。

結構厳しかったのが、


もと年収1000万プレイヤーだったサラリーマンが、突然、職を失うと、日本国からすごい額の税金・保険料が課せられるのです!

失業した後、ハローワークに申請すれば、とりあえず失業保険はもらえますが、その期間中も、下記の出費は義務的に発生します。

・国民年金
・健康保険
・地方税(私の場合、都区民税)

このうち、国民年金は、申請すれば全額免除してもらえますが、健康保険と地方税は、免除は無理だし、前年度の収入(1000万超)を基準に計算されるので、ものすごい額の請求がきます。私の場合、

国民健康保険:年76万円 (毎月6万4千円)
都区民税:年64万円 (毎月5万3千円)
========================
合計、年140万円 (毎月11万7千円)

これ全額払ったら、失業保険の半分以上は、一気に飛んでしまう!しかも、44歳で退職した場合、会社都合退職でも最長6ヶ月しか失業保険もらえないので、終わった後は、月11万円以上が自動的に出て行くことになる!

こりゃたまらん・・・私は区役所の窓口で、国民健康保険の減免だけはしてもらいましたが(良くて半額程度)、都区民税の減免は一切認められないので、今でも毎月6万とか払っています。

現時点の収入がないのに、前年度の収入が高ければ大金とられる日本の仕組み…不条理すぎる~。

地方税、国保に加えて、物件取得の費用、固定資産税、都市計画税、退去時リフォーム・清掃代…貯蓄は、どんどん減っていく。

1000万オファーを蹴ったのは失敗だったのかと、思ったりもしましたが…


独立して、7ヶ月。
いまの生活が、バラ色とは、いいません。

確かに、時間は自由に使えるし、物事を自分の一存で、バシバシ決められる、その意味での豊かさを感じていますが、それは、当然のことながら、「経済的な不安定」と表裏一体でして、常に、どうやって食っていくかを、考えなくてはなりません。

もちろん、頑張ってますが、オカネの面で余裕ができるのは、まだまだ先のことかと思います。

サラリーマン暮らしって、つまらなく感じるかもしれないけど、それでも、毎月、決まった額がチャリーン、チャリーンと銀行口座に振り込まれる、その安定感は、何にも変えがたいもの…その身分を失ってみて、よく分かりました。

私、3月29日に、フリーランスになる決断をした・・・

決断とは、「正しくない事を選択し、後の努力で正しかった事にする行為」。私の場合もまさにその通りで、自分の決断が正しかったのかどうかは、ひとえに、日々の努力で決まるのだと思います。

そして、我ながら、良い人生を歩ませてもらっていると思います。神様に、そして自分の内なる声に、忠実に生きられるのですから…

これで、全6回に及ぶ、「会社員の辞め方」シリーズも終わりです。

私という、一人の男が、会社をクビになり、めげずに転職に成功して、それを敢えて蹴って、事業を興す選択をした…

その物語が、日本全国の人々、特に、働くお父さんたちの心を奮い立たせることに、少しでも役立つのであれば、それに勝る喜びはありません。

―完―

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1000万オファーを蹴る!会社員の辞め方…その5

前回の続きです。

3月27日…六本木にある外資IT企業から、年俸1000万のオファーレターをいただきました!

解雇されてから、わずか1ヶ月余りで、首尾よく、次の仕事が見つかる。しかも年俸8桁、勤務地は花のギロッポン…本来なら、大いに喜ぶべきことです。

しかし、私は悩みました。この有難いオファー、受けるべきか、どうしようかと。

2月14日に解雇されて以来、私は、「ITエンジニアとして転職活動」をしながら、「海外不動産投資のセミナー企画、講演、執筆」を、同時並行で進めていました。

後者(不動産関係)の案件数、作業量は増える一方。すでに「本業フルタイム」に近い時間を、費やすようになりました。

こちらは、大したお金にはなりませんけど、とにかく、むちゃくちゃ楽しいのです。「趣味がそのまま仕事になる」感じで、どんなに長時間働いても、苦痛にならない。いや、趣味と仕事の区別が、そもそもない!

それに、この仕事は、ITを駆使すれば、自宅でもカフェでも、海外のリゾート地でも、どこでも出来る。毎日、満員電車に揺られて、いつも同じオフィスで、上司同僚の顔を見なくても済む。

世の中、こんな働き方、こんな人生が、あってもいいかもしれないな・・・」と、思い始めていました。

その頃には、両親や親しい友人たちに、私の進路について、相談するようになりました。

「これまで通り、サラリーマンとしてITエンジニア続けながら、副業として不動産の仕事をするか?」、あるいは「ITの仕事を辞めて、不動産専業になってしまうか?」

面白いことに、誰もが、「不動産専業になった方がいいと思う!」と言うのです。。。

友人から、こんな有難いお言葉を、いただいたこともあります。

男の人生で、運気に恵まれる時って、何度もあるもんじゃないんだよ。Manachan、君はいま、本当に時代の波に乗っているんだ。輝いているんだ。海外不動産投資という、デッカイ魚を、まさに手にしようとしてるんだよ。

これをフルタイムで取り組んで、自分の事業にするか、これまで通り、副業でやるかは…よく考えて欲しい。君の判断次第だよ。

うまく言えないけど、神様が、「不動産の仕事やりなさい!」と、いろんな友人の口を通じて言わせてるような気がしてきました。

そうこうしているうちに、外資某社の最終面接に合格して内定を取り、年俸1000万のオファーレターが来ました。”Annual Package 10 Million Yen“という英文字が目に入ってきましたが、これまでと違って、全然胸躍らない。

Manachanブログ - 世界で不動産を買おう!

私は一晩中、いや、まる二日近く、悩みました。これまで15年以上、続けてきたITの仕事。未だに8桁の年俸を取れる労働力としての商品価値を持ちながら、これをみすみすドブに捨てるのか?

8桁年俸を捨てると、間違いなく、家族の生活水準は下がります。半ば趣味みたいな不動産の仕事が軌道に乗って、同等以上の収入を手にするために、どれだけの歳月がかかるのか、見当さえつきません。

子供も二人いて、上の子は小学生、下の子は幼稚園。今は安上がりだけど、これから、どんどんお金がかかるようになります。

私は、どういう選択をすべきなのか?答えはもちろん、自分の胸のなかにしかありません。熟慮の末、ついに

3月29日…私は、魅惑の1000万円オファーを蹴って、不動産専業になる決断をしました!

時に、44歳と5ヶ月。そういえば自分の父も、44歳で脱サラ起業したんだっけな。歴史は繰り返す…

何だか、見えない糸で導かれたような感じです。「40歳を過ぎた、大の男が、雇われ人なんかやるんじゃない。自分の事業を興しなさい!」という天の声なのか?商売の街・柏で生まれた男の宿命なのかもしれない。

しかしその後、1000万のオファーを蹴ってしまったことを、心から後悔する出来事が起こりました!

次回に続く…

次回いよいよ最終回!「続きが読みたい」方は、応援の「ぽち」を、よろしく。

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転職活動に成功!会社員の辞め方…その4

前回の続きです。

2013年2月14日…会社を解雇されて、東京・溜池山王の寒空に放り出されました!

その日の東京は、快晴。憎らしいくらい、抜けるような、完璧な青空が広がっていました。この忙しい大都会で、突如、無職になった私が、何を思ったか?

胸に去来したのは、「岬めぐり」のメロディー…

♪~岬めぐりの バスは走る~
僕は どうして 生きていこう?
悲しみ 深く 胸に沈めたら
この旅 終えて 街に帰ろう~♪

Manachanブログ - 世界で不動産を買おう!

私の人生で、初めての「会社都合退職」(=解雇)。

これまで長年、打ち込んできた仕事、誇りに思ってきた「職」と「雇用」が、一瞬にして失われた喪失感。あれだけ頑張ったのに、時間と命を削ってきたのに…

2月の日本、「岬めぐり」には寒すぎるけど、しばしの間、美しい自然のなかに身を置いて、「悲しみを、深く、我が胸に沈めたい」と思った…

顧客・雇用主の厳しい要求下で働くITマネジャーの人生には、「自分の手持ちのスキル」と、「業務で求められるスキル」が合わず、成果を出せないことがあります。

今回の解雇は、不幸にも「スキルが合わなかった」ために起こった、いわば「事故」のようなもの。そう割り切って、次の職場は、ちゃんと、スキルの合うところを見つければいい。私の場合、ITマネジャーとしての長年の経験プラス、英語も中国語もできる。その能力を発揮できる職場など、探せばいくらでもある…

それは理屈では分かるけど…再スタートを切る前に、「悲しみを味わう」、しばしの時間が欲しいと思いました。

しかし、私の場合、そんな時間もなかった。ITの職を失っても、「不動産投資」という世界を持っていて、そちらで日々、スケジュールが埋まっていたから…

解雇されたその日は、福岡から、三和エステート社の担当者が上京し、千葉県で企画している一棟アパート>の融資づけ作戦会議がありましたし、

2日後には、そして、3月27日。ついに、ある外資の会社から内定をもらいました。年収1千万、勤務地は東京・六本木…これで、まともに生活できるようになる!

しかし、何なんでしょう?ITの仕事、全くやる気にならないのです。全然、ワクワク感を感じないのです。

一方で、不動産関係の仕事は、お金にならなくても、本当に楽しいのです。「遊び」がそのまま、仕事になっちゃってる感じなのです…。

私は迷いました・・・せっかく手にした、この1000万オファー、受けるべきか、受けざるべきか?

次号に続く・・・

連載、いよいよ大詰め!「続きが読みたい」方は、応援の「ぽち」を、よろしく。

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