人工知能が人間の仕事を奪うのか?

おはようございます。Manachanです。

昨日、都内で開催された「私立中学の合同説明会」に行ってきました。小学6年生の娘を持つ身として、できるだけ本人に合った教育環境を見つけたいという親心が動機でしたが、同じように考える親は多いようで、ものすごい人出でしたね。170余りのブースが全部埋まり軒並み順番待ちでした。

最近の私立中高のパンフレットを見ると、「人工知能(AI)」という言葉がそこら中に踊っています。たとえば、

「2020年代以降、半数以上の仕事が人工知能に置き換わられると言われています。そんな時代を、どう生き、どう学んでいくか?」

来るべき時代に、いかなる教育ソリューションを提供するのか?できるのか?という点は別として、「いずれ人工知能に仕事を奪われる」という問題意識は、教育界としてかなり共有されているようですね。近所の区立小学校の校長でさえ、こないだそんな話をしてましたから・・

今回のブログは、「本当に、人間の多くの仕事が人工知能に奪われてしまうのか?」を、自らの体験を踏まえて検証・推論したいと思います。

私は、そのテーマを語るのに適した人材の一人だと自負しています。というのは私自身かつてITエンジニアとして、自分自身の仕事が奪われるリスクをリアルに感じ、必要に迫られて転職・キャリアの組み換えをしてきた者だからです。

実際、いま「人工知能に仕事を奪われる」云々の議論は、10年ちょっと前に、「IT技術やグローバル化によって先進国の仕事が奪われる」という議論と瓜二つに見えます。当時書いたエッセイを引用しますね。

ITは職を奪う?(2009/8/6)

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↓ 引用ここから

「ITは、我々の職を守るのか?奪うのか?」という問いに対しては、賛否両論が分かれます。バラ色の将来像を描く人もいれば、逆に職を奪われることを、危惧する人もいます。

日本という、経済先進国で働く者にとってみれば、ITの浸透によって、事務的な仕事が不要になったり、あるいは、より労賃の安い国に流出することによって、より高度で価値の高い仕事にシフトすることを迫られる、それができなければ、職を失う・・・みたいな状況に置かれた人も、多いことでしょう。実際それは、数年前、ITエンジニアとして働く、私の身にも起こりました。

数年前、私はオーストラリアで働いていました。ここは英語圏で、賃金水準が比較的高い国です。当時、同国のITチームの仕事を、インドや中国に移そうという話がありました。それらの国では、ほぼ同レベルのITエンジニアの労賃が、オーストラリアの3分の1から5分の1、と言われていました。特にインド人の場合、英語のハンディもありません。

私は、直感的にこう思いました。「このままでは、職を失ってしまう」と・・・

考え抜いた末、私が到達した結論は、こうでした。

『途上国のITエンジニアで、簡単に代替できてしまうような仕事をしている限り、未来はない』
『途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない』

折りしも、数年前から、我が職場に研修にきていた中国人エンジニアから、耳寄りな話を聞きました。彼の勤務する、大連のオフィスで、いまチームリーダーを募集しているとのこと。それも、二人の部下を率いて、米国の顧客向けに、オフショアからサービスを提供する仕事だとのこと。

中国へ行こう!私はそう決心しました。妻を説得して、電話面接を受けまくりました。そして数ヵ月後、私は住み慣れたシドニーを後にして、マイナス7度、凍てつく大連の土を踏んだのです。

中国での仕事は、大変忙しいものでした。私も部下2名のチームリーダーでスタートしたのが、1年後には3つのプロジェクトを同時に回し、計15名の部下をマネージする立場になりました。

そんな日々、大連オフィスに、見慣れた顔がやってきました。それは、シドニーのオフィスでかつて一緒に働いていた、オーストラリア人の同僚だったのです!話を聞くと、結局、シドニーの仕事を大連に移すことになり、彼の担当するアプリケーション知識を、大連のエンジニアに伝えに来たとのこと。

シドニーから、仕事を追いかけて、赤道を超えて中国にやって来たら、結局、元の仕事が追いかけてきたというわけです。私の選択は、間違っていなかったと、この時確信しました。

↑ 引用ここまで
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そろそろ、話を人工知能に戻しましょう。スマホ搭載AIアプリ、自動翻訳アプリ、医療・介護用ロボット…その発展は目覚ましく、さらに加速しているように見えますが、それが人間の仕事を奪う時には、少なくとも二つのことが起こらなければいけません。

・企業の経営陣が、人間がやっている仕事の全部または一部を、人工知能に置き換えるという「意思決定」が必要。
・上記意思決定の判断材料として、既存の業務フローの全部または一部を人工知能に置き換えるという「業務設計」が必要。

逆にいえば、少なくとも下記の仕事は、「人間」がやらなければなりません。

・人工知能の活用の是非を「責任」をもって決断する仕事
・業務を整理し、人間の労働と人工知能のベストミックスを「設計」する仕事

私が10数年前、「途上国のITエンジニアと競争するのでなく、彼らを使う立場にならねばならない」と考えたのと同様、これからの時代は、「人工知能を使う立場になる」ことを念頭に置いて仕事するのが、結果的に職を守り、キャリアを発展させるのだと思います。

キーワードでいえば、「責任」と「設計」でしょうね。人工知能は定型業務はもちろん、「判断」までできますが、自分の「判断」したことの「責任」までは取りませんし、それは最後まで人間の聖なる仕事として残るでしょう。逆にいえば、組織のなかで責任取らないサラリーマンとか、税務調査入られた時に責任とらない税理士会計士、金融商品の紹介してるだけの資産コンサルタント等は、今後どんどん淘汰されるのでしょうね。

また、業務のなかには、「ハイタッチな人間相手の仕事」のように、人工知能が代替しにくい領域が含まれます。例えば、生きるか死ぬかの瀬戸際になった時、多くの人は人工知能よりも安心して相談できる医師のアドバイスを選ぶでしょうし、そこに「宗教・死生観」がかかわってくると、なおさら、人工知能の及ぶところではありません。また、マイホームのように、多くの人が一生に一度だと思う大きな買い物になると、多くの客は人工知能よりも信頼できる営業マンを選ぶでしょう。つまるところ、業務は「人工知能と人間労働」のベストミックスになるわけで、その全体を「設計」する仕事もまた、人間の聖なる仕事として残るでしょう。

あと言うと、「起業家」も人工知能には代替できない領域でしょうね。自分自身も起業して4年目、実態は「気楽な零細企業社長」として、日々、いろんな方々と出会い、パートナーシップを組んで仕事していますし、ビジネスチャンスを求めて世界中に出かけます。極めて非定型な仕事、かつ属人的なスキル・人間力がものを言う仕事ですので、人工知能がどんなに発達しても奪われることはないでしょう。

以上まとめると、最後の最後まで人間の仕事として残りそうなのは、

・倫理的責任を伴う仕事(経営者など)
・ハイタッチな人間相手の仕事(医者、宗教家、芸術家からセールスマンまで)
・上記全体を設計する仕事(業務プロセス技術者など)
・起業家

これからの時代は、「人間とは何か?」、「労働とは何か?」、「人工知能はどう使うべきか?」、「社会のなかで責任取るとはどういうことか?」といった、本質的な問いを深く思考する能力や、他者を巻き込んで議論を深めていくコミュニケーション能力が必要なのだと思います。あとは、「変わる能力」(=時代のニーズに合わせて自分のスキルや職種を組み替えていく能力)も大事ですね。

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