言語技術者のぼやき

こんにちは、Manachanです。7月30日から、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で、家族と過ごしています。早いものでもう4日目ですね。

今、この家はなかなか賑やかで、義母、義姉、そして我が家(私と妻、子供2人)の計6名が常時いる他、ケアンズに住む義弟も毎日のように来ます。私がケアンズに来た日には、義姉の旦那さんがいたし、明日からは義母の妹が米国ロサンゼルスから飛んできます。

 

この家族は、全員、3か国語以上を話します。家族のルーツは台湾ですが、その後、日本に6年、タイに3年、インドネシアを経て、今はオーストラリアに定住しています。妻の二人の姉は日本で生まれ、弟はタイで生まれ、各地でいろんな言葉を話してきた…そんな環境で過ごせば、特別な学習をしなくても多言語話者になります。

私自身も、この家に毎年来るようになって、もう20年以上になります。育った環境こそ日本語オンリーでしたが、大人になってから英語圏と中国語圏で長年過ごしたので、今ではこの多言語ファミリーに違和感なく溶け込んでいます。

 

この家の食卓では、大人も子供も、自分と相手の関係に応じて、誰もが英語、中国語、日本語のいずれかを使い分けます。二人の子供たちも、義母からは中国語、妻や義姉からは英語、私からは日本語と、三つの言語で話しかけられて、それぞれの言語で返答します。生まれながら、ナチュラルにマルチリンガル。

この家の食卓に、時々、単一言語しか話さない人が入ってきます。例えば、義姉の旦那さん(アメリカ人男性)、義弟のパートナー(オーストラリア人男性)は、いずれも英語しか話しませんが、そういう時は皆が彼らに合わせて、英語オンリーの会話になります。

 

子供の頃から、農作業を手伝っていれば、植物の知識と、要領の良い身のこなしが自然に身に着くのと同じように、普段、多言語環境で過ごしていれば、誰もがナチュラルに、多言語話者になります。私もその一人だし、その能力を特別なこととか、特に優れているとかは思わないのですが、

その私が、日本という、「単一言語話者」が圧倒的に多い社会に行くと、「英語や中国語の能力」がそのまま、「特殊能力・技術」として重宝される、おカネにもなる…という、不思議な体験をします。

確かに日本で、日本語オンリーの家庭で育てば、英語や中国語が、生活のなかでナチュラルに身につくものではありません。そういう能力は、留学とか高額な教育機関とか、おカネをかけて身につけるものなので、私が自然に(カネかけずに)身につけた英語や中国語の能力がおカネになるのも、理屈からすれば当たり前ですが、

 

・私にとっては「日本語」も「英語」も「中国語」も、日常生活や仕事で使う当たり前の言葉なのですが、

・でも日本語しか話さない人々からみれば、私は「日本語の世界」と「英語や中国語の世界」をつなぐ「言語技術者」に見えるらしい。

 

自分が「言語技術者」として重宝されるのは有り難いことだし、求められればもちろん、皆さんの期待値を踏まえて行動しますけど、その過程で、日本語の単一言語話者に対する「違和感」や「カルチャーの違い」を感じることがあります。例えば、

 

・外国語の発音・アクセントをやたら気にする人がいる。例えばクイーンズイングリッシュのアクセントがどうとか、豪州訛りがうつったら嫌だとか…

⇒私たち多言語話者の多くは、どのアクセントであろうと、厳密に気にしない。会話のなかで大体の意味が通じればいいと割り切る。

 

・外国語の言い回しを厳密に気にする人がいる。例えばメールの末尾に書くBest RegardsとかYours SincerlyとかBest Wishesなどについて、誰がどういう場合に使うのか、みたいなことにこだわる。

⇒私たち多言語話者の多くは、別にそんな些末にこだわるより、同じ内容で言い回しが何通りもあるのは当たり前なんだからとっとと覚えればいいじゃんと考える。

 

また、彼らの外国語学習のスタイルに関しても、違和感を感じることがあります。

 

・自分たちが日本語しか話さず、他の外国語を覚える気がないのに、自分の子供には高いお金をかけて英語を身に着けさせようとする人がいる。

⇒私たち多言語話者は、新たな外国語を学ぶことに関する抵抗感がほぼないので、もし子供に英語やらせたいのなら、まず親である自分が先に英語を覚えて、家庭内で日常的に英語を話す環境をつくる方が早いと考える。また、生活のなかで自然に外国語を学んできたので、子供たちに「英語に慣れさせる」ためだけに大金を使うことは不思議だと感じる。

 

・子供たちが日本語を確立する年齢になる前に、英語圏に語学留学させようとする人がいる。

⇒英語留学の過程で、日本語の読み書き含めたサポート体制がしっかりしていればいいけど、そうでないなら「日本語があやふやになるリスク」の方を強く感じる。私たち多言語話者は、「英語は世界中の何十億人が話すありふれたスキル」なのに対し「日本語は1億数千万人しか話せない特殊スキル」という感覚が強く、同時に日本語の経済的価値の高さも認めている。せっかく日本に住んで両親とも日本語話者なら、まず子供たちが日本語の読み書きを確立してから、英語が必要になった時に後付けでやればいいじゃんと考える。

 

Englishが話せるなんて当たり前、漢字の読み書きできる方がすごいじゃん!

multilingual-children

 

そのような違和感も含めて、私たち「多言語話者」のものの見方、感じ方を、日本社会にフィードバックしていくことは大事だと思っています。そろそろ公立の小学校でも英語クラスが義務化されますし、東京はじめ都市部では外国人住民が少なからず暮らしているわけですし…徐々にマルチカルチュラル、マルチリンガルへの舵を切る日本社会に、有益な情報を与えていきたいと思います。

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