つながる常磐線、帰還する福島

こんばんは、Manachanです。

私はJR常磐線、常磐高速、国道6号線の沿線で生まれた者ですが、2011年の震災、大津波、原発事故の影響で、福島県内の一部区間が通行止め、立入禁止になってしまったことに、心を痛めておりました。

しかし、震災から3年、4年と経過するごとに、原発至近の地域を含めて、交通網がどんどん復活して、嬉しい限りです。

国道6号線・・・2014年9月15日、全線開通
常磐高速・・・2015年3月1日、全線開通

あと、残るは「JR常磐線」だけですが、こちらも着々と全線開通に向けて、動いています。現時点では、竜田~原ノ町間(46.0㎞)と、相馬~浜吉田間(22.6㎞)、計68.6㎞が不通になっていますが、今年3月1日に、全線開通に向けたビジョンが示されました。

2016年3月まで、原ノ町~小高間9,4kmが開通 (不通区間 59.2kmに短縮)
2017年3月まで、相馬~浜吉田間22,6kmが開通 (不通区間 36.6kmに短縮)
2017年3月頃まで、小高~浪江間8,9kmが開通 (不通区間 27.7kmに短縮)
2018年3月頃まで、竜田~富岡間6,9kmが開通 (不通区間 20.8kmに短縮)

そこまで来れば、残りは富岡~(夜ノ森、大野、双葉)~浪江間20.8㎞だけです。この区間は福島第一原発至近の高線量地域を含むため、除染が不可欠ですが、すでに試験除染が始まっており、来春には、開通時期を示すとのこと。

私は、2020年東京オリンピック前の全線開通に向けて意欲満々とみています。これが実現すれば、高速、国道6号、JRと、3つの基幹交通インフラが全て復旧することになりますね(公共土木工事になると、自民党政権は民主党政権より熱心で、復旧ペースが速いですね。)

 

津波直撃で駅舎が流出していた富岡駅(2014.7筆者撮影)
2018年3月までに、やや北側の場所に駅舎・ホームを新設して、開業するでしょう。

tomioka

 

帰還困難地域のバリケードが張られていた夜ノ森駅前(2014.7筆者撮影)
おそらく、2019年頃に除染が終わり、開業すると思います。

yonomori

 

交通インフラ復旧と歩調をあわせて、原発至近住民の帰還も順次、進んでいます。

・2015/9 楢葉町避難解除
・2016/3 南相馬市、避難解除の見込み

・2017/3 浪江町、帰還開始の見込み
・2017/4 富岡町、帰還開始の見込み

住民の帰還は、長い時間がかかるでしょう。放射線の問題を抜きにしても、インフラも整わない、買い物する場所もない、学校もない、職場もろくにない…という状態から、町が機能を取り戻すには、それこそ10年以上かかるかもしれません。特に、浪江町や富岡町は町民の2~3割が帰還困難区域内の住民、大熊町や双葉町に至ってはそれが7~9割に上りますので、「除染が済んで、帰れるところから、順次帰還」にならざるを得ず、途方もない時間がかかりそう。

しかし、これら一連の流れをみると、日本は、重大な原発事故のあと、住民を避難させるのではなく、帰還させるという選択をした、これは確かに言えるでしょう。

1986年に重大事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ原発の場合は、ソ連政府や、それを引き継いだウクライナ政府、ベラルーシ政府が何をしたか?誤解を恐れずに一言で言えば、住民を遠方に移住させた。そして、汚染地域の除染を行わずに、放っておいた。

事故後、30年近く経ちましたが、同原発から30㎞以内は今でも、原則立入禁止。それ以遠でも、汚染の著しい地域は住民を半ば強制的に移動させたようです。例えば、原発から55㎞離れた、600年の歴史を持つキエフ州ポリスケ市は、1万人余りの住民が移動し、街は廃墟になったそうです(リンク)。

一方、福島事故後の日本は、チェルノブイリとは全く対照的に、生活空間を除染して住民を帰還させるという方向に舵を切ったのです。この選択が吉と出るか凶と出るかは、相当の歴史的時間が経ってみないと分かりません。ただ、

私は、原発至近住民の帰還という、途方もないチャレンジに挑む日本という国を尊敬します。

 

日本は、このようなロジックで動いていると思います。

・いまの日本には、居住地選択の自由がある。

・私(Manachan)が自ら選んで東京に住んでいるのと同じく、福島の人が自分の意思で福島に住み続ける権利があり、それは尊重されなければならない。

・住み続けたいニーズがある限り、原発至近の高度汚染地域であっても、除染して、交通インフラを整えて、人々が住めるような環境に戻さなければならない

 

すでに開通している常磐自動車道は、原発から近い場所で路上の空間線量5μSrv/h。国道6号に至っては10μSrv/h近い値を計測します。これは、一般の人が立入できないチェルノブイリ4号機から数百メートル地点の線量(5~8μSrv/h)に相当するそうで、そんな場所に一般車両を通して良いのか?警官や作業員を立たせておいていいのか?当然、賛否両論がある話と思います。

しかし、日本はそれでもやるのです。なぜなら、

・原発至近の国道6号や常磐道は、第一義的に地域住民の利便や生活復旧のための道路である。

・東京など他地域の人間が、放射性物質の拡散を恐れて開通に反対しても、被災地復興の方が大義があり、優先される。

 

チェルノブイリでは、事故の影響で、168の村が消失したという。その「墓標」が、2011年に完成したと聞きます。これらの村々に、生活の槌音が戻ってくることは、もうないでしょう。600年の歴史を持つ古都でさえ消失しているのですから…

chernobyl

 

その轍を、日本は踏まない。どんなに時間がかかっても、どんなに困難があっても、故郷を取り戻したいと思う。生身の人間の意志が何より尊重される国なのです。「大熊町」、「双葉町」といった、原発至近の自治体名でさえ、墓標に載ることはない。それを日本人が許さないから…

2019年頃に、常磐線が全線開通し、2020年に聖火ランナーが第一原発近くの6号線を走る。住民の帰還も、少しづつ進み、まずは富岡や浪江、次いで、大熊や双葉にも人が戻ってくる…チェルノブイリ事故の30年後と福島事故の30年後は、全く違ったものになるような気がします。

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