フランダース戦略とその応用~後編

こんにちは、Manachanです。

前回の日記(フランダース戦略とその応用~前編)を書いてから、業務が立て込んでしまいまして、更新が1週間ほどかかってしまいました。

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「前編のあらすじ」

19世紀のベルギー・フランダース地方を舞台として生まれた小説「フランダースの犬」は、地元ヨーロッパではほとんど知名度がなく、評価されなかった。

後世、この物語を日本人が発見し、世界名作劇場としてテレビアニメ化して、大成功をおさめた。今や日本発のアニメ「フランダースの犬」が英語やスペイン語に翻訳されて、欧米圏に逆輸出されている。

ヨーロッパで埋もれていた無名な文学作品を、異文化圏の日本に移植することで大きな価値を生み出した事例として興味深い。
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「フランダースの犬」から、私たちは何を学べるか?

人間だれしも、生まれ育ったところで、真価を発揮できるとは限らない。自分の持って生まれた才能・性質と、母国の社会環境との相性がベストであるとは限らない。

「母国の社会環境」を、「いま属している会社や組織」と読み替えても良いでしょう。もちろん、いまの職場や仕事から精一杯学ぶことも大事ですが、場合によっては、思い切って環境を変えた方が良い結果につながることもある。

私は日本で生まれ育ちました。10~20代の自分にとって一番悩ましかったのが、自分はとにかく「同質の競争」が大嫌いだということ。

当時の日本は、今よりもずっと経済は好調でしたが反面ガチガチな企業社会で、「皆でスタートラインについて、一斉にヨーイドンで、同じゴールを目指して競争」が強調される社会だったように思います。

中高生には受験競争があり、会社に入れば出世競争があり…幸か不幸か、私は負けず嫌いで競争能力も高かったので、勝ち残りはそれなりにできましたが、そんなことしている自分がアホらしくて…

そもそも、「なぜ、同じ年齢の日本人ばっかり集めて競争させるのか?」が腑に落ちなかった。似たようなスペックの連中ばっかり集めるから同調圧力もすごい。「空気を読め!」とか、「そんなの常識だろ!」とか。タクシーや会議での座り方ひとつとっても見えないルールがたくさんあって、私にとっては息苦しかった。

私は大学時代、バックパッカーとして世界中を歩きました。広い世界には、いろんな民族がいて、いろんな文化や価値観、ライフスタイルがあって、それぞれ悩みを抱えながらも結構楽しそうに暮らしている…そんな世界をたくさん見てきたので、日本に帰って、「素晴らしい多様性」の窓から自分自身をシャットダウンするかのような働き方がアホらしかった。

当時からみると、日本の社会もずいぶん変わりました。私が社会人になる頃から、世界最強を誇った日本株式会社はにわかに競争力を失い、企業社会からドロップアウトする者も増え、転職も当たり前になって、グローバル経済の波を受けて東京では外資系の職場も増え…国の経済力は落ちたかもしれませんが、私にとっては、ずいぶん、生きやすい日本になったと感じています。

日本社会が変貌を遂げつつある間、30代の私は主に海外で過ごしていました。オーストラリア5年、中国2年、米国・台湾・インドなどに1年。日本以外の場所に活路を見出すべく、奮闘を続けていました。

当時は、いろんな民族、人種、国籍の人が暮らす多文化社会が、自分の気質に合うと思っていました。実際に、心地よかったです。オーストラリアの職場では、上司がフィリピン人だったり、ペルー人だったりスリランカ人だったり、同僚の年齢も20代から50代後半までバラバラで、週5日働く人もいれば3日勤務の人もいて、とにかく、職場の誰ひとりとして似たバックグラウンドの人がいない、そんな職場でもちゃんと仕事を回している。ご近所さんだけで世界地図ができるような超・多文化社会なのに、ちゃんと社会を運営できている…

もちろん私も努力しました。語学力、意見表明力はじめ、世界で求められるスキルの習得にも熱心に取り組みました。そうした経験を積んだことが、日本に帰ってからプラスに評価されました。

海外渡航前は、日本で「人付き合い、世間づきあいがヘタ」と言われていましたが、海外で暮らして、「いろんな外国人と上手につきあえる」という、自分の長所に気づくこともできた。

日本に残ったとしても自分なりに努力したとは思いますが、30代で海外に行かなかったらいまの自分はなかったでしょう。「フランダースの犬」が日本人に発見されなければ、たぶん日の目をみなかったと同じように、私も日本で違和感を感じながら、企業社会のなかで埋もれていたと思います。

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これまでは「自分語り」になってしまいましたね。「フランダース戦略」を、もう少し、一般化してみましょう。

シナリオは二つあると思います。「不適合」と「過当競争」。

不適合パターン:「いま、自分の属する社会や組織に馴染めない場合、評価されない場合はどうするか?」

→1)自分の持ち味が生きる場所、自分のスキルや性質が高く評価される場所を他に探す (例.転職、移住など)

→2)自分の持ち味のなかで、一般的な理解とは、違う側面をみつけて、プロモーションする

2)が分かりにくいので、一例として、私の尊敬するブロガーのひとり「イバラキング青木先生の教え」を紹介します。

青木先生は、茨城県出身。関東ではマイナーで存在感が薄いといわれる茨城県の方言や地元ネタを面白くプロモーションして、茨城の認知度・地位向上に尽くしておられる方です。彼の講演を聞きに、茨城県の水戸までいったこともあります。彼曰く、

同じ人・モノにも、いろんな面がある。角度によって見え方も違う。一般的な理解とは違うポジティブな側面を強調してみると、面白いことができる。

たとえば関東では、茨城弁に対して「田舎臭い」とか「ダサい」イメージがある。でも逆にいえば「人間的」で、「温かみ」があるイメージもある。東京人
からみれば、「茨城訛り」自体が「ユーモア」になることもある。世間のネガティブなイメージを逆手にとって、ポジティブな側面をプロモーションしてしまおう、という考え方。

私も彼のアイデアを、いろんなところで実践しています。

過当競争パターン:「いま、自分の属する社会や組織で、自分の目指す方向が過当競争、狭き門だったり、あるいは自分よりずっと優秀な人がたくさんいて、競争に勝ち残る自信がない場合はどうするか?」

→1)物理的な場所を移して、過当競争ではない場所を探す。
 
→2)競争の土俵(フィールド)を再定義する。

2)が分かりにくいので、少し解説しますね。

私、2007年に日本に帰国した後、自分自身を、不動産投資ブロガーとして売り出そうとしていた時期があります。しかし、この分野には自分よりずっと優秀で、経験豊富な方がたくさんおられるので、とてもじゃないが、彼らを差し置いて、世に出ることはできそうにない。

では自分が得意とする「海外」ネタはどうか?しかし海外といえども、「グローバル資産運用」という分野で戦うと、先行者がたくさんいて、これも難しい。

そこで、当時は日本で誰も着目していなかった「海外不動産投資」という新たな土俵をつくり、そこで第一人者になろうと試みました。2011年に「アジア太平洋大家の会」を旗揚げしたのも、そういう考えからきています。

幸い、ここ数年は日本で海外不動産投資が盛り上がってきて、各方面から活躍の機会を与えていただくことができています。まだまだ発展途上ですが、「フランダースの犬」のように、自分たちの活動が世界中に輸出されるようになれたら素敵だなと思います。

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