福島を敵に回した反原発(2014年夏・福島紀行最終回)

こんばんは、Manachanです。福島旅行から、無事、東京に帰ってきました。楽しかった~。

今回の日記は、福島のいまを語る上で欠かせないトピック「反原発運動」…私、彼らに対しては極めて辛辣な口調になりますが、戦後日本の歴史のなかで、かくも愚劣で、多くの人々を失望させた社会運動があったでしょうか?

その評価・総括は、後世の歴史学者に、やってもらうとして、現時点での私の問題意識は、

・なぜ、日本の反原発運動は、福島原発事故という絶好の「ネタ」がありながら、支持を広げていけなかったのだろう?

・なぜ彼らは、原発事故で一番苦しんでいる福島の人々を味方につけられなかったのだろう?

・なぜ彼らは、福島に住んでいる人々の心を傷つける言動(ヘイトスピーチ)を、いつまで経ってもやめられなかったのだろう?

一言でいうと、震災後の反原発運動は「不安」をネタに勢力拡大しようとして、いつまでもそのスタイルに固執した。それが決定的な間違いだったと思います。

仮面ライダー(ウィザード)にたとえれば、要は「ファントム」みたいな運動だったんですね。

「仮面ライダーウィザード」に出てくる「ファントム」っていう怪人は、なかなか興味深い存在ですよ。

ファントムとは:『ウィザード』に登場する魔物の集団、及び人間の精神世界「アンダーワールド」に巣食う魔物の総称。高い魔力を持つ「ゲート」と呼ばれる人間が絶望した瞬間、その者のアンダーワールドから浸食し、ゲートの内側から破壊する事で現実世界に出没する。

ファントムは、私たちの誰もが心の奥底に持っている「絶望」を養分にして、現実世界に出没して、仲間を増やそうとします。

この「絶望」を、「自分では解決不可能な不安」と読み替えても良いでしょう。あの原発事故で、東北や関東の多くの人が、いくばくかの放射線被曝した。それがきっかけで、「健康上の不安」を抱える人が増えた。

不安には、もちろん個人差があります。安全と安心は違うし、危険と不安も違う。私の場合、不安はわずか数週間で解消しました。3月21日に放射性セシウムを含んだ雨が関東に降り、私の故郷・柏エリアを中心に、線量が上がりました。でも、ウェブで勉強して、「あ、何だ、こんな程度。全然問題ないじゃん」と思った。

一方で、いくら客観的な数値を出して、丁寧に説明しても、不安が消えない人はいる。それが長引けば、「絶望」に変わる。ファントムに乗っ取られてしまう…

要は人生哲学の問題でしょうね。私、この世はリスクだらけと思ってます。リスクゼロも、100%の安心も、絶対無理。だから、「リスクを定量化して、他と比較して、どこまでなら許容する」アプローチをとる。その結果、「大丈夫。関東はもちろん、福島県の原発近くに行っても問題ない」という結論に至った。

一方で、「100%の安心」を求める人もいます。そういえばゼロ・ベクレル運動とかあったよねえ。地球上に生きる限り、ゼロは実現不可能なのに…そういうレベルを求めちゃうと、生きにくいよねえ。

東北・関東、そして日本に住む誰もが、安心と不安の狭間で、自分の答えを見つけようとしていたあの頃…反原発運動に関わったリーダーたちは、リスクを定量化・比較するより、「不安」側に寄り添う選択をしました。そこには、彼らなりの正義感と思い込みが働いていたのでしょう。すなわち、

・原発は絶対に悪。再稼働は許してはならない。

・原発が悪だというためには、放射能も危険でなければならない。

・放射能は微量でも超危険だから、福島原発事故に起因する放射能被害が必ず出るはずで、それを強調しなければならない。

そういう脳内概念操作によって、「危険」や「健康不安」を強調する言説ばかりが目立ってしまった。しかし、いま思えば、これは「勝ち目のない」論陣だった。なぜなら、

・原発の状態が落ち着き、2011年3月のような、放射性物質の大規模なフォールアウトは起こらなかった。

・地上に降った放射性セシウムが崩壊するので、空間線量はどんどん下がっていく。

・さらに、4月末までに、原発20㎞圏や高線量地域からは人々がおおむね避難し、農産物の出荷も制限されたので、福島県を含めて、放射線量による健康被害が出る可能性は非常に低くなった。

科学的・定量的に考えるなら、反原発運動のリーダーたちは、ここで戦略転換しても良かったはず。つまり、

「放射能健康被害は、福島県でさえも、たぶん出ない」ことにヤマを張って、原子力災害による故郷消失の不条理や反社会性などに、政府攻撃の焦点を絞れば良かった。

そりゃそうでしょう。浪江町とか飯舘村とか、自分の町で原発誘致してないのに、放射能で避難させられ、暮らしを奪われたんだから、世の中、こんな不条理はない。そこを上手に強調すれば、日本中の多くの人が、いや政府・東電でさえ納得してたはず。

そして、暮らしを奪われた気の毒な人たちが、他所に移住するもよし、故郷に帰るも良し、放射線と賢く付き合いながら、それぞれの人生を全うすることを、物心両面からサポートすべきだった。そうすれば、反原発派は日本国民の味方であり続けることができたはず。

しかし、なぜか分からないが、反原発勢力は、いつまでも「放射能による健康被害」の強調をやめなかった。過剰なほど放射能不安を煽り、ファントムのつぶやきに終始した。

福島で放射能による死者が一人も出ない。いつまで待っても出そうにない…その事実を突き付けられた彼らは、焦りさえ出てきた。死者ゼロは、本来なら喜ぶべきなんですが、それじゃ運動を続けられないという焦りからか、いろんな珍説、珍運動を編み出した…

瓦礫搬入絶対反対運動
(あの~、その瓦礫、福島じゃなくて、岩手・宮城のなんですけど…搬入に何の問題ありますか?)

どうして、こんな人たちが?
(何の目的かしら?動労千葉、動労水戸の人が、福島県内の鉄道開通に絶対反対って、意味不明)

こんなポスターつくって、福島の人、怒るよ
(俺、柏でこんなことされたら、ヤンキーマジ切れだぜ!)

福島で健康被害が起こってくれないと困る。運動が続けられない…そんな手前勝手な、倒錯した願望が、言葉に出さずとも、多くの人々に伝わってしまった。

かくして彼らは、福島の敵、日本の嫌われ者になった。だってファントムなんだもん。福島の人々の健康を素直に喜べない連中が、人間の味方なわけないでしょ?

その後、彼らの末路の哀れさは、推して知るべし。反原発候補、選挙で連戦連敗。福島県でも議席とれない。日本未来の党、瓦解。細川さん小泉さん小沢さん…大物政治家がことごとくKO負け。

鹿児島・川内原発の再稼働だって、阻止する力なし。福島の原発至近の「避難指示準備解除地域」「居住制限区域」「帰還困難区域」の区分けだって、行政主導で進み、反原発派は、何らの貢献もできなかった。

基本的な考え方が間違っているから、いつまでも修正できないから、ダメなんだよ。それで社会を変えるのは無理だよ…それに、彼らが気づくのは、いつのことだろう?

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