五反田梁山泊

おはようございます。Manachanです。

サラリーマンをやめて、1年3か月。
JR山手線、五反田駅の近くにオフィスを借りて、5か月
宅建業の免許を取って、2か月半…

まだ開業したばかりの駆け出しではありますが、それでも、私の五反田オフィスは、日々、来客で賑わっています。

何といっても、場所が良いですよね。品川から2駅、渋谷から3駅、新宿から6駅の五反田駅から、歩いて4分。便利で集まりやすいと評判が良い。

あと、五反田の街の雰囲気も良いですね。隣の目黒、恵比寿みたいなエスタブリッシュした感じがなくて、スキだらけで、パワーのつくB級グルメやエスニック料理がやたら多くて…元気の出る街ですね。

私、開業した当初、オフィスを訪ねて来る人々のほとんどは、不動産を売買したい投資家だと思っていたのですが、蓋を開けてみれば、意外にも、「起業・独立相談」が多い。

会社で30年勤め上げたけど、夢を求めて仲間と起業した
子供の進学で学費が嵩むのに、給料全然上がらないから、生活のために副業を始めた
留学生として日本の大学を卒業、日本企業に就職したけれど、どうしてもビジネスをしたくて会社を興した

それぞれ、国籍、年齢、性別も様々。いろんなライフ・ストーリーをもった方々が、五反田駅で降りて、私のオフィスにやってきます。

そして、いろんなビジネスの話が持ち込まれます。たとえば、

日本の投資家と海外物件をつなぐ情報ポータルをつくるビジネス
ミャンマーで収益ビルを建設するビジネス
カンボジアのコンドミニアムや土地を販売するビジネス
フィリピンで土地を担保にとった融資ビジネス 
日本のシニア向けに台湾でロングステイハウスをつくるビジネス 等々…

私は、その全てに通暁しているわけではありませんが、「このビジネスなら、AさんとBさんを引き合わせると面白いだろうな」と思えば、ミーティングの場をセットしたり、時には資金調達の方法をお伝えしたりしています。

なんだか、中国の古典文学「水滸伝」に出てくる「梁山泊」(りょうざんぱく)みたい…

「梁山泊」、ご存じですか?(パチンコ梁山泊じゃなくて…)。舞台は12世紀初頭の中国、「北宋」王朝の末期、汚職や不正がはびこり、世の中が不安定だった時代、軍師、槍の名手、弓の名手、拳法の達人、破戒僧…世の中の枠組に収まらない、様々な特技を持った「漢」(おとこ)たちが、山東省にある船着き場「梁山泊」に集う。

この不思議な集団は、総勢108名になり、首領「宋江」のもと、「梁山泊108好漢」とよばれる統制のとれた反乱軍になり、悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指すようになる…

水滸伝は、日本でも江戸時代には民衆の読み物として親しまれ、「梁山泊」は、何らかの志を持った人々のたまり場、という意味で、日本語でも定着しました。たとえば、

明治初期の東京、大隈重信の私邸には、日本の近代国家づくりを志す井上馨、伊藤博文ら若手官僚が集まり政談にふけった。ここは「築地梁山泊」と呼ばれた…

戦後になると、手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎が下宿する東京・練馬の「トキワ荘」が、「マンガ家の梁山泊」と呼ばれた。

私のオフィスは、「五反田梁山泊」になりつつあるのかも…

起業を目指す方々が来ると、すごく楽しいです。皆さん、会社や学校の枠組みにおさまらない、スケールの大きさを持った方々ですので…

「漢」(おとこ)として、職業人生を全うするために、日々、全速力で動きまくっている方々ですので…

彼らに囲まれていると、閉塞感なんて、全然感じないですね。ものすごい前向きなパワーに包まれ、五反田もとい、日本の未来は前途洋々に見える。

私のオフィスに、宅建業免許が掲示してありますが、もはや不動産業とはいえないな。いっそのこと、起業支援センター、インキュベーションオフィスにした方がいいのかも。

我ら「梁山泊」。反乱軍じゃないけれど、日本を覆う重苦しい閉塞感や無力感、そして先人が築き上げた経済大国ニッポンに「ぶら下がる」、「人の足を引っ張る」メンタリティと、日々、戦っています。

「俺のつくるWeb TV局を、いつかCNN以上のメディアにする!」とか、
「俺の目の黒いうちに、柏を、横浜以上の都市にする!」とか、

緻密なビジネスプランの合間に、大言壮語が飛び交う。いかに荒唐無稽に聞こえようとも、強く願い続ければ、仲間を集めて行動し続ければ、いつか叶うかもしれないと、心のどこかで思っている現代の「梁山泊好漢」たち。

ここ五反田を舞台に、大きなムーブメントを起こせるといいな…

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