空気よめない父 vs 空気よみすぎる娘

こんにちはManachanです。今回は久しぶりの育児エッセイでいきます。

私自身も、娘ソフィアも、それぞれ日本の学校には不適応な面を抱えつつ育ってきました。娘は現在中学1年生で不登校中。一方、私の小中学生時代は不登校自体が許されず(当時は「登校拒否」という犯罪者めいた言葉で呼ばれていた)、担任の先生にも毛嫌いされつつ日々登校しましたが、さすがに高校生になると自我が芽生えて、自分の意志でしっかり不登校するようになりました。

余談になりますが、加計学園問題で国会証人喚問されて、時の人となった文科省の元事務次官・前川喜平氏。出会い系バーや天下り斡旋問題もあって賛否両論の人物かと思いますが、彼、実は日本の不登校問題における偉大な功労者なんです。

 

・1980年代「登校拒否」児が増えた時期。当時の学校は「登校しないと卒業証書ださないぞ!」と保護者や子供を脅すことが横行し、無理な登校がさらに悲劇を大きくするトラブルが続出。そこで文部省は「卒業証書必ず出しなさい」指導を出した。その結果、今では完全不登校の状態であっても中学校から卒業証書が出るようになった。

・1992年に、「登校拒否」ではなく「不登校」という言葉を通知で使い、不登校は誰にも起こること、当たり前のことだと認識を改めた。その上で、民間施設等で学校復帰を前提とする指導を受けている場合、在籍学校での出席扱いにする方針を出した。

・2016年、馳浩文科大臣ら議員有志と協力して、「教育機会確保法」の実現に尽力した。

 

娘と同様、かつて日本の学校で不適応を経験した父の視点でみると、不登校児童に対する教師の理解や支援体制は、今なお課題が多いとはいえ私の小中学校時代と比べれば格段に整ってきたと感じます。これも前川氏や馳議員をはじめ、多くの方々の功労があってこそです。

ところで、同じ学校不適応でも、私と娘とは、違うタイプの性格ゆえ、それぞれ別の苦労をしています。

 

私は、空気が読めない。だから、集団行動でさまざまな問題を引き起こす。

逆に娘は、空気を読みすぎてしまう。表面的には集団行動で全く問題ないようにみえるが、実は相当疲弊している。

 

いずれも、病気ではなく、人類に一定の割合で存在する「脳の性質」です。私のは「自閉症スペクトラム」とか「アスペルガー」とか呼ばれるもので、娘のはおそらくHSP(Highly Sensitive Person、高敏感性・高感受性)かと思いますが、いずれも少数派であり、多数派の児童や先生に最適化された学校社会において様々な不適応を起こしやすいのです。

それぞれ、どんな問題を起こすのか?私の場合は、集団行動のなかで自分が何をすべきなのか、ちゃんと言ったり書いたりしてくれれば理解できるけど、それ以外の非言語的コミュニケーション(空気読み、人の気持ちを察する等)が極めて苦手で、それができて当然と考えるグループのなかでは誤解や齟齬が起こりやすい。この性質のせいで、社会人になっても、また家庭生活でも苦労しています。

一方で、娘の場合は、集団行動のなかで自分がすべきことを、他の人より知りすぎてしまう。空気を読みすぎ、同調圧力も必要以上に感じてしまう。人間関係だけでなく、大きな音や匂いにも極めて敏感で、処理する情報が質量ともに多すぎるために、学校で起こる物事にすぐ圧倒されてしまう。表面的には他人とうまくやる能力があるので、問題行動は起こさないが、実は相当な無理をしているので、結局、自分を守るために不登校や引きこもりになるのです。

言い換えれば、非言語的な情報に「鈍感すぎる父」と「敏感すぎる娘」…ともに、学校など集団生活では苦労するという共通点を持っています。

 

でも、学校という閉じた社会で不適応を起こしても、実社会ははるかに複雑で多様なので、鈍感な父も敏感な娘も、どちらも、社会のなかで居場所をみつけることはできるはず。その意味で私は、娘の将来を楽観しています。

私の場合は、非言語コミュニケーションは極めて苦手でも、言語コミュニケーションは人一倍得意で、ブログやコラム執筆、外国語習得などの分野で能力を発揮し、それを仕事に活かしています。他人のペースで動かされるのは絶望的に不得手ゆえ接客業などは無理でしょうが、得意分野に特化して自分のペースで動くのは得意なので、「海外不動産投資」という圧倒的な得意分野に特化して、情報発信と組み合わせてビジネスをしています。

一方、娘の場合は、感受性が人一倍強いという特性を生かした職業で輝けると思っています。例えば、デザイナーとか、カウンセラーや精神科医、あるいは、本人が多人数と付き合うストレスを克服する方法を見つけたなら、それこそ「学校の教師」になれたら良いと思います。不登校が一向に減らない今の教育現場では、一人ひとりの子供に好奇心を持ち、心でつながれる教師が切に求められているからです。

 

最後に、私と娘の性格は相性良いです。多くの刺激を受けすぎて疲れてしまうHSPな娘にとっては、たぶん鈍感すぎる人間の方が気が楽でしょう。

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定住人口で縮み、交流人口で拡大する日本

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回のブログでは、不動産投資・ビジネス、国民経済におけるキーワード、「定住人口」と「交流人口」について論考したいと思います。

 

海外の不動産投資を志す日本のお客様は、多くが「将来、日本の人口が減り、経済が停滞・衰退する」ことを懸念しており、それが彼らをして海外に目を向けさせる主な動機になっています。

彼らのいう「日本の人口が減る」とは、日本の国土で暮らす「定住人口」が減ることを意味します。総務省の統計によれば、2017年の通年で、「日本国民が37万人減り、外国人の定住者・長期滞在者が15万人増え、差し引き22万人減り」、その結果、総人口が1億2682万人から1億2660万人くらいになるようです。ちなみに過去数年の総人口推移は「18万人減(2014)→14万人減(2015)→20万人減(2016)→22万人減(2017)」位です

(総務省や社人研の図表に必ずついてくる人口の将来推計は意図的に省いております。結局のところ、推計のほとんどが外れるわけで、それ自体が判断を誤らせるもとだと思います…)

 

一方、「交流人口」とは何でしょう?日本国に関していえば、「外国人(または日本人)が、相手国に居住しない前提で、旅行やビジネス、親族・友人訪問、会議や研修などの理由で日本(または外国)に短期滞在する人口」を意味します。

交流人口は、定住人口よりずっと速いペースで変動します。特に、日本に来る外国人の数は、「1341万人(2014)→1973万人(2015)⇒2403万人(2016)⇒2869万人(2017)」と。定住人口の20倍くらいのハイペースで増え続けています。

つまり、「定住人口が少し減って、交流人口が大きく増えている」のが、いまの日本の状況であり、両者を合わせてざっくり計算すると、面白い結果になります。

 

1)定住人口の見方…日本に定住する人間が年間22万人減る、彼らが一人あたり、生活費、住居費、教育遊興費などで年間300万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 22万人x300万円=6600億円の消費が減る。

2)交流人口の見方‥・海外から日本に来る人間が年間400万人増える。彼らが一人あたり、ホテル代、飲食費、ツアー費用お土産代なので、年間15万円を消費すると仮定すれば、

⇒ 400万人x15万円=6000億円の消費が増える。

 

両者あわせると、日本経済への影響は「ほとんどチャラじゃん!」。今後、海外からの交流人口が今のペースで増え続けるかどうかは。国際環境や為替の影響を受けるため未知数ですが、少なくとも一国の経済を考えるなら、「定住人口と交流人口」を合わせてみた方が有益だと思います。

 

ところで、「定住人口の世界観」と、「交流人口の世界観」は、根本的に違います。これは、「定住農民」と「貿易商人」のものの見方の違いに似ているかもしれません。

私は後者、「交流人口」の世界で生きる人間です。日々、不動産を通じて日本と海外を結びつけるビジネスをしているので、「日本→海外、海外→日本の交流人口」をベースに物事を見ています。一方、日本国内で日本人を相手にするビジネスは、不動産賃貸経営を含めて、基本は「定住人口」をベースに物事を考えます。

 

おそらく、日本人の大多数が「定住人口」の住人だと思いますが、私は時として彼らと話がかみ合わなくなることがあります。例えば、彼らがよく口にする、「日本の人口が減るから経済衰退する」という悲観論が理解できても心から納得できないのです。なぜなら、私は交流人口の世界に生きており、こちらの方は縮小衰退どころか、「年々、数十%成長のすごくエキサイティングな世界」だからです。

また、交流人口の世界観でいうと、「日本なんて、まだ国際化始まったばかり、伸びしろすごく大きい」と思います。私が携わる国際不動産ビジネスは特にそうで、日本の業者が世界の不動産で商売する時代は、今まさに黎明期。特にヨーロッパ方面に行くと、私は日々、パイオニア。「彼らの目の前に立ち現れた最初の日本人業者」として商談に明け暮れています。

競合プレイヤーも少なく、いまから真面目にやれば、発足したばかりの弱小企業とはいえ、「日本と海外をつなぐ不動産ビジネス」というニッチ分野で天下取れると思っており、今のところ悲観や衰退とはまるで無縁の世界に生きています。

 

今のところ、国際交流人口では年々、マーケット拡大している日本国ですが、誰もがその恩恵にあずかれるとは限りません。明暗を分けるのは多分、「スキルセット」や「ものの見方、考え方」なのだと思います。たとえば、こういう文章を書く日本人がいます。

 

京都が悲鳴。日本に金を落とさせない中国丸儲けビジネスの実態

もう日本人の出る幕なし?外国人だらけのニセコにみる日本の未来

 

京都やニセコは、日本国内におけるインバウンド観光で成功した都市の代表格であり、タイのパタヤ、プーケット、インドネシアのバリ島に通じるものがあります。

海外のお客様を相手にする商売である以上、外国語でのサービスは必須であり、それを提供できる外国の事業者とも競争しなくてはならない宿命があります。日本国内でありながら、英語や中国語が幅をきかせる世界も一部存在するのでしょう。パタヤやプーケットでタイ語よりも英語がロシア語が幅をきかせるのと同じように・・・

これをチャンスととらえるか、脅威ととらえるかは、個人次第。上記の文章を書いた人のように、「自分自身が変わらずに外国人業者ばかり儲かることを嘆く」ようでは…

 

日本の業者だからといって競争に勝てるとは限らないのが国際ビジネスの掟であり、その競争が日本国土の上で起こるのがインバウンド観光。その恩恵に与りたい気持ちがあるならば、頑張って英語や中国語を覚えるなり、或いはそれができる人を上手に使って商売すれば良いと私は思うんですけど…

そういうマインドセットになれない人は結局、交流人口で拡大するニューエコノミーを味方にすることはできないのだと思います。

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イギリス~この国と文化のかたち

おはようございます。Manachanです。私は数日前まで、英国ロンドン近郊のセントアルバンス(St Albans)という美しい街にいました。驚くべきことに、この街は古代ローマ時代以来の2000年の歴史を持ち、当時は英国(グレートブリテン島)のなかでロンドンに次ぐ第二の都市だったそぅです。

現在、英国の主力民族であるアングロ・サクソン族が、欧州大陸からグレートブリテン島に渡ってくるはるか以前、先住民(ケルト民族)が支配者ローマ人に抵抗して戦った地が、ここセントアルバンス。

あれから2000年経って、大都市ロンドンの通勤圏ベッドタウンになった今も、街中いたるところに、ローマ時代の大聖堂や石積みの橋などの遺構が残っています。それだけでなく中世、近代、現代の建築物や道標、エンブレム、郵便ポスト等が街中に存在し、今なお現役で頑張っています。

 

 

海の向こうから訪れる私たちにとって、英国が今日みせる景色は、とても魅力的です。

この国では、古い街は古い街らしい落ち着いた佇まいをみせ、大都会ロンドン内にある各地域でさえ個性豊かな歴史と風情に溢れています。そして、真っ白な羊が草を食む緑の田園風景は他のどの国よりも美しい。

大陸欧州と違って戦災や自然災害による破壊が少なかった分、昔のものがよく残っています。その点は島国・日本にも近いのかもしれませんが、日本の農村によくある新建材の家みたいなものは少なく、荘園(マナーハウス)や茅葺き屋根の家とか水車小屋など、昔ながらの良さが残っています。

 

一方で、英国・アングロサクソンの文化は、「新しもの好き」で、情報発信能力に優れています。今なお、ビートルズとかハリーポッターとかマンチェスター・ユナイテッド等、世界中に影響力あるコンテンツを生み出し続けています。

それ以前の時代も、議会制度、郵便、鉄道、金融システム、株式会社と近代企業経営、サッカー、ラグビー、クリケット、ポップミュージック…英国人が始めた様々な仕組みが、世界中に広まって、人々の暮らしを楽しく豊かにしています。

なぜ、英国は古いものを多く残しながら、新しい仕組みやトレンドを生み出す力を持っているのか?英国文化を源流にもつ国・オーストラリアで暮らしていた私の仮説はこうです。

 
「アングロ・サクソンほど、親と子の関係や成人同士の関係が対等な社会は他に類例を見ない。多分それが、独自の文化創造力につながっている」

 

オーストラリアで暮らして驚いたのですが、この社会では、長幼の序とか、先輩・後輩みたいな感覚が皆無に近く、成人すれば、たとえ20歳と50歳であろうと対等、という雰囲気でした。

親子の関係にせよ、誤解を恐れずにいうと「お互いにため口をききあう」みたいなフラットな関係で、特に子供が成人すれば、その意志は個人として尊重され、親の意向を押し付けることは少ない。

こんな社会だからこそ、「親の世代はともかく、俺は俺の好きなようにやるよ」となる。その結果、世代ごとにトレンドが生まれる。それが、事実上の世界共通語(リンガフランカ)になった英語とともに世界中に広まる…

 

一方で、「なぜ、英国では古いものがよく残るのか?」というと、それも、アングロサクソンのフラットな親子関係が影響していると思います。

この社会では、子供世代は自分の好きなことをやる。でもって、親の世代が残したものは、良い意味で「放っておかれる」のです。

親世代が子供世代に対して、古い価値観を強圧的に押し付けるような社会では、力関係が逆転した時に、親世代の残したものを全否定したり破壊したり、みたいな負のパワーが生まれがちですが、

アングロサクソンでは、(少なくとも近現代においては)その押し付け自体が少なく、基本「自分の好きなことをやりなさい」という社会だから、親世代が残したものをあえて破壊したいという気持ちも生まれない。

下の写真にみるように、100年以上は経っていると思われるレンガ造りの住宅にモダンな店舗ができたり、隣の古い家に高さを揃えるかたちでモダンな近代集合住宅が建ったりするのは、英国ではありふれた風景です。

 

そういう歴史を繰り返してきたからこそ、今日の英国では、古い時代から遺されたものが、重層的に存在して、モダンなものと自然に共存していると思います。

日本はアジアのなかでは、奇跡的に、英国と似ている面の多い社会だと思いますが(島国、古いものがよく残る、実は新しもの好き…)、でも日本と大きく違うのは、英国は万事、「あまり無理しない」ことだと思います。インフラ整備も、ライフスタイルも、日本の都市部ほどせかせか急がず、ゆっくり、無理せず…そんな緩い空気の溢れた国。

英国のそんなところが、世界中の旅人を魅了するのだと思います。

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漢字で学ぶ中国語‐日本人の特権

こんにちはManachanです。今回は久々「語学ねた」でブログ書きます。

 

我が家は国際結婚ファミリーで、東京に住んでいます。子供は二人いて中1と小4。上の子は明日が入学式です。

私は日本で育ち母語は日本語、大人になってから英語圏に5年、中国語圏に3年暮らしたので、英語も中国語もビジネスレベルでできます。妻は台湾生まれですが幼い頃オーストラリアに移住したので、英語がネイティブ。家庭で親との会話は中国語が使われていましたがオーストラリア育ちゆえ漢字に触れられる環境ではなく、きょうだい間は英語が共通語になりました。彼女が漢字読めるようになったのは、高校卒業後、台湾に留学したからです。

その留学中、日本から語学留学に台湾に来ていた私との出会いがありました。その後、結婚して子供ふたりできて、いまは東京で暮らしています。

 

台湾で私たちが出会ったのは、1989年のこと。当時、妻は留学3年目で、中国語を流暢に話しましたが、それでも他の留学生と同様、「漢字の読み書きが難しい」と言ってました。

一方の私は、台湾に来てからわずか2か月、話し言葉は十分にできませんでしたが、日本で育ったおかげで漢字の読み書きの苦労はありませんでした♪

当時の留学生にとって、朝食は街の安食堂が定番ですが、当然ながら漢字オンリーの環境。「小籠包」「豆醤」「油条」「焼餅」「葱油餅加蛋」などと書かれたメニューを解読して満足に注文できるようになるまでに、約1年の中国語学習が必要と言われていました。確かに、漢字を持たない国で育って「一、二、三‥」の書き取りからはじめる人にはその位の学習期間は必要かもしれません。でも日本人だけは別で、中国語知らなくても、来台1日目からメニューの意味くらいは分かってしまいます。

 

その後、台湾で一年暮らしてどうなったかというと、私の中国語は長足の進歩を遂げ、台湾滞在4年目の妻と遜色ないレベルになりました。一生懸命勉強したつもりはありません。たまたま漢字を知っているアドバンテージを素直に活かしたらそうなったのです。

当時の私が中国語をどうやって覚えたかというと、日々、貸し漫画屋で「ドラえもん」の繁体字中国語版を借りて読んでました。1冊4元(20円)で借りられるので安いし、漢字だから意味が分かるし、何より子供の頃から親しんだ日本の漫画だからストーリーも知ってる。「なるほど…中国語ではこの場面でこう言うんだ!」。それを繰り返し、日常生活で真似していくと、話し言葉がどんどんできるようになりました。

 

あと、台湾の字幕付きTV番組も、中国語学習に大いに役立ちました。当時の台湾では日常的に台湾語(閔南方言)や客家語を使い、北京語発音を理解しにくい人が年配者を中心に多かったのです。それでも漢字字幕があれば理解できるので、ほとんど全てのTV番組に字幕がついていましたが、

日本で育った私からみて、こんなに素晴らしい学習手段は他にありません。字幕は漢字だから目で追っていけば意味はだいたい分かる、そこに北京語の音声がついてくるわけです。すでに知ってる漢字の意味に「日常生活で使われる生きた北京語の言い回し」を当てはめていけば、TVで楽しみながら語彙力が日々アップしていくわけです。漢字のない国で育った人だと、学習2~3年目にならないとできない芸当でしょうが、私はたまたま日本で育ったおかげで台湾渡航後すぐ実行できてしまうのです。

日本人が漢字知ってるアドバンテージを活かせば中国語は英語よりずっとラクに習得できる外国語・・・それが正直な実感です。

 

ところで、私たちはいま、日本で子育てしています。家庭で子供に対しては私が日本語、妻が英語で話します。平日は区立の小学校で普通に日本語環境、英語は補習校に週1回通わせています。

二人の子供たちは日本語と英語がネイティブで話せて読み書きもできます。中国語は子供たちは普段話しませんが、私は全く心配してません。なぜなら、

「二人とも日本で育ってるから漢字は分かる。それで中国語半分できたも同然」と思ってるからです。彼らが将来、中国大陸や台湾に行って中国語環境に身を置けば、経験上、非漢字圏の学習者の約半分の時間で習得できてしまうでしょう。

 

逆に、「英語圏で育てた方がいい」とアドバイスする人の気持ちが正直分かりません。漢字を使う日本で育つからこそ中国語に横展開できるのです。英語圏に連れていったらそのメリットが活かせないわけで・・・

私も妻も子供たちも人種的にはアジア人ですし、親から子へ文化的に継承すべき言語は日本語、英語、中国語の3つ。そう考えると、いま子供たちが「日本で育ち日本語をしっかり学ぶ」ことは、アジアと世界で生きていく上で戦略的価値があると私は考えます

 

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「移民受け入れ是非」じゃなくて、「生活者」として自然に受け入れよう

こんにちは、Manachanです。久々のブログ更新になります。

私は仕事柄、欧州諸国の収益不動産をかなりの頻度で見にいきます。ドイツや英国が特に多いですが、これらは成熟した先進国で、高齢化もそれなりに進んでいます。経済成長率も年1~2%とか控えめな数字です。

そんな成熟社会でも、不動産価値は上昇傾向になることが多い。欧州は日本と違って新築供給が少なく、中古住宅をメンテしながら長年住み続ける文化が根本にあり、需要に比べて住宅供給が不足しがちなので賃料も売買価格も値上がりやすい傾向にありますが、価格を支えるもう一つの要因として「移民流入による人口増加」もあります。

英国の各都市ではポーランドなど東欧出身者や、インドやパキスタンなど南アジア系の方々が多く、ドイツではトルコはじめ中近東系の方をよく見かけます。彼らが英国やドイツの社会に順調に統合されているのかというと、当然いろいろ課題があるのでしょうが、苦労しながらも、それぞれの国なりに経験値と知恵を積んでいる印象です。

社会のなかで、外国出身者がマイノリティとしてそれなりの割合存在し、本国のマジョリティとともに生活者として暮らす風景は、程度割合の差こそあれ、私の住む東京にも共通する点です。つい数日前、Facebookにこんな投稿をしました。

 

[実質的な移民社会、東京に暮らして…]

日本に一定期間(90日)以上、合法的なビザで滞在する外国人の数は増え続けており、かつ、増加のスピードも加速しています。

【外国人登録者数の推移】
217万人(2015/6末)⇒223万人(2015/12末)⇒232万人(2016/6末)⇒238万人(2016/12末)⇒247万人(2017/6末)  ※今は確実に250万人超

数字を素直に読む限り、ここ数年の日本における外国人純流入(=入国-出国)は15~17万人/年のペースで推移しており、日本人の自然減少約30~35万人/年の約半分を補っています。

そのうち東京圏を詳しくみると、外国人純流入の約半分(7~8万人/年)が定着し、かつ日本人も15万人/年が他地域から転入しているので、「日本人も外国人も増える」、「外国人増加が全体の3分の1を占める」社会になっています。私の暮らす江東区も外国人比率が6%に迫り、身近に日本人以外が暮らすのが当たり前になりました。

ところで、日本の外国人純流入15~17万人は、奇しくも10年前の英国やドイツにおける外国人純流入(約20万人)と近い数字です。なおドイツは同時期(2005年)に移民法を制定し、移民を対象とするドイツ語の公教育などが法律で定められました。ドイツも英国も、移民してきた定住者の過半数が国籍を取得(日本でいう「帰化」)しています。

もっとも日本は欧州とは国情も歴史が全く違います。日本国として「移民を公式に受け入れる」宣言や、「税金を使って移民に日本語教育を与える」意思決定は、まだ遠い先のことでしょう。なお、うちの近所の小中学校では、アジア圏から十分な日本語知識なしに途中転入する生徒がいるので、実質的に教員による日本語補習が行われています。そういう地域も日本中に多いでしょう。

外国人がさらに増え、日本語教育や在留資格、年金はじめいろんな問題が起こり、既存の枠組ではにっちもさっちもいかなくなった時に、ようやく「潮時」、「移民受け入れやむなし」の雰囲気になって初めて、公式に物事が動くのだと思いますが。

でも生活者、不動産賃貸事業者の目でフラットにみる限り、相当数の外国人が日本に定住し、その数が年々増えている。労働提供者として消費者として賃借人として、日本社会に確かに存在しているという意味で、日本(特に東京)は実質的な移民社会になっていると考えて良いでしょう。日本政府が公式に移民を受け入れるかどうかは、「外国人が日本に暮らす」実態にそんなに影響しないと思います。

フィリピンとかインドとか中国から数年前に来日して、うちの近所で暮らしている人結構いますけど、彼らは普通に都心で働いて子供を地元の学校に通わせてて、母国に帰りそうな人は割合としては少ないです。そんな東京の風景は、トルコやポーランドから来て定住した住民の多い「ドイツ都市部」と重なります。

 

上の議論を、もう少し膨らませて書いていきますね。

日本の総人口は2008年をピークに減少局面に入り、少子高齢化を背景に減少幅は年々大きくなることが確実視されます。継続的な人口減少は日本経済に重苦しい悪影響を及ぼし続けており、日本社会や福祉システムを存続させるためにも、子育て支援に加え「ある程度の移民受け入れ」が議論のテーブルに乗って然るべきでしょうが、「移民」という言葉に対する国民のアレルギーが大きいので、政治家もそれをなかなか口にできません。

でも東京の江東区あたりに住んでると、身近に外国人が普通に居て、すでに長年暮らしてるし、お子さんは公立の小中学校に普通に通い、名簿をみても日本人じゃなさそうな名前がクラスに数名居る…実質的に移民受け入れてるじゃん、という感覚です。実際、首都圏各自治体では外国人比率が年々高まっていますし、横浜市とかは間もなく「日本人が減って外国人が増える」時代に入るでしょう。だからから猶更、「日本は移民受け入れない」という言説とのギャップを感じてしまいます。

日本の言論事情を考えると、「移民」という言葉を使わず、「定住者」といった抵抗の少ない言葉を使って議論した方が生産的でしょうね。「移民受け入れ、是か非か?」みたいな神学論争は意味がないし、すでに近所で暮らしている外国出身者との共生を目指し、彼らが日本社会に合流できる仕組みづくりを具体的に議論すべきだと思います。

 

日本は一般に言われるほど、排他的な社会ではないと思います。特に宗教に関して日本人は寛容で融通無碍なので、外国人比率が増えても信仰の違いに起因する衝突はたぶん起こりにくいでしょう。また、日本人同士だと同調圧力が強く存在しストレスの元にもなりますが、それが外国人に対しては通常適用されないので、そんなに「息苦しい社会」でもないでしょう。

外国人に対して寛容な日本人が、こと移民受け入れになると消極的になるのは、外国人を憎んでいるのではなく、日本人同士で互いに配慮しながら摩擦を起こさず過ごすのが快適で、その暮らしをずっと続けたいと思ってるからなのでしょう。確かに、日本の生活習慣に慣れていない外国人が目の前に居る環境で、日本的な意味でお互い摩擦なしで過ごすのは難しいでしょうから、

身近に暮らす外国人との間で文化の違いに起因する誤解や摩擦は起こりうるという意味での「無秩序」や、ゴミ出しや共同生活のルールや言葉で一から説明しなくちゃならない等の「面倒臭さ」を、日本人がある程度、受け入れる必要があると思います。逆に日本に一定期間以上暮らす外国人も、「日本人同士で気遣いながら快適に暮らしたい」というマジョリティの気持ちを尊重する必要があるのでしょう(普通は否が応にも、それに気づくものです…)。

外国出身の住民が身近に増えても、多くの日本人にとって「英語学習」は大して求められないでしょう(どっちみち、英語苦手なアジアの国からの流入が多いでしょうし…)。その代わり、「誰にも分かる簡単な日本語」で説明するスキルが必要になってくると思います。

 

日本で都市部を中心に「外国出身の住民」比率が今後も増えるのはほぼ確実でしょう。江東区でも、今の外国人比率6%弱が、5年後に7%、10年後に8%…みたいなペースで、徐々に増えていくと思います。日本の国籍や永住権を取る人も増えるでしょう。

でもそれは、日本人の人口減少を外国人に埋めてもらう「数合わせ」程にはならないでしょう(多分やるべきじゃないでしょうし・・)。日本人マジョリティの「摩擦起こさず快適に過ごしたい」気持ちと、「でも人口減少で国力衰退も困る」という気持ちの間で、今後の歴代政権が最適解を探りながら、「移民」という言葉を使わずに徐々に受け入れていくのだと思います。

その近未来が分かっているなら、排除せず、かといって無理もせず、お互い楽しく暮らしていきたいよね。

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旧西独vs旧東独の経済格差

こんにちはManachanです。いつもご愛読ありがとうございます。今回はいま私が出張で来ている「ドイツ」の話題でいきますね。

ドイツの首都にして、最大の都市は「ベルリン」ですが、この街は世界の大都市のなかても数奇な現代史を経験しました。

1945年にヒトラー率いるナチスドイツ敗戦により、ドイツ国は東西に二分されました。アメリカ主導で資本主義国として再出発した西ドイツ(ドイツ連邦共和国)は、「ライン川の奇跡」と呼ばれる経済復興を遂げ、わずか数十年で世界有数の経済大国に躍進。一方の東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、ソ連主導で計画経済を運営してきましたが、経済力や所得水準、産業技術や企業経営の面では西側から大きく立ち遅れてしまいました。

その頃、首都ベルリンがどんな状態だったかというと、地図を見れば分かりますが、東ドイツ領のなかに囲まれていました。とはいえベルリン自体は、資本主義体制の西ベルリンと、社会主義体制の東ベルリンに二分され、その境界に「ベルリンの壁」が建設され、人々の行き来は厳しく制限されていました。

当時は、「東ベルリンが東ドイツの首都」。「西ベルリンは、西ドイツのなかで最大都市(でも地理的に孤立)」という位置づけでした。

 

資本主義と社会主義の違いによる、東西経済格差が誰の目にも明らかになった1989年に、「ベルリンの壁」が崩壊。翌年、事実上西ドイツが東ドイツを吸収する形で、ドイツ統一が成就、首都はベルリンに定められました。それから30年近く経ち、東西ドイツの経済格差がどうなったかいうお話をしますね。

マクロでみれば、東西ドイツ間の格差は縮小しつつありますが、現時点で格差はまだあります。見にくい表で恐縮ですが、2015年時点で

・旧東独地域の一人あたりGDPは、旧西独の71%
・旧東独地域の一人あたり可処分所得は、旧西独の82%

 

もっとも統一直後は、GDPも可処分所得も、東独地域は西独地域の40%以下でしたから、そこから見れば徐々に改善してきてはいます。今日でも、旧西独地域の住民は連帯税(Solidaritätszuschlag)という税金を連邦政府に払い、それが旧東独地域のインフラ整備や失業者の年金原資に充てられており、「西が東の経済を支援する」状態は変わっていません。

ドイツ統一は西側の住民には「税負担」というかたちで、一方で東側の住民には「人口流出」というかたちで、それぞれ大きな負担になりました。経済格差を大きく残した状態で国家統一、住民の移動が自由になった結果、東側の住民が良い給料、良い暮らしを求めて、大挙、西側に移住し続けたのです。その結果、

・旧西独地域の人口、統一時から4%増加
・旧東独地域の人口、統一時から14%減少

 

とはいえ、統一後20数年経って、「東から西への人口流動」の時代はようやく終わりました。2014年は、統一後はじめて、「西から東」への人口流動が「東から西へ」を上回りました。主な原因は、旧西独地域から首都ベルリンおよび周辺地域への大規模な移住です。ベルリンは首都なので仕事が豊富にある上、かつ旧西独地域より家賃はじめ生活費が安いのです。

つまり、(ベルリン全体を旧東独という前提で言うなら)ベルリンが東側で独り勝ちして、今や西側の人口を惹きつける程の発展を遂げているのです。その他の旧東独地域で、人口が増えているのは第二の都市ライプチヒ、ドレスデン位で、その他の地域は人口流出が止まっていません。

 

日本に例えていえば、「九州全体の人口は減少」、「でも福岡市やその周辺だけは人口増加率全国一で、首都圏からも移住してくる」のと似ていますね。

私は首都圏出身で福岡市に住んだことがありますが、福岡暮らしの魅力のひとつは「(首都圏と比べた時の)家賃や物価の安さ」でした。これは旧西独地域の人間にとってのベルリンの位置づけと似ています。ベルリンは、半分が旧東側だった歴史を引きずっている関係で、ミュンヘンやフランクフルト、ハンブルクなど旧西独地域の大都市より所得水準が20~30%低く、その関係で生活費も安めなのです。

 

次に、都市力という意味で東西を比較すると、ドイツの経済を引っ張るトップ7都市(Major 7)のうち、6つを旧西独の都市が占めています。東側でランクインしているのはベルリンのみ。

旧西独:ハンブルク、デュッセルドルフ、ケルン、フランクフルト、シュツットガルト、ミュンヘン

旧東独:ベルリン

 

航空網をみても一目瞭然で、ドイツの3大空港は、フランクフルト、ミュンヘン、デュッセルドルフと、全て旧西独にあります。いずれも都市周辺の経済力が高く、ビジネス需要が旺盛なのです。一方でベルリンは、テーゲルにしろシェ―ネフェルトにせよ、まだ空港が小さくて、フランクフルト辺りからみると田舎空港の趣きです。2020年にベルリン・ブランデンブルク国際空港が完成すれば、また状況も変わってくるのでしょうが…

 

なお、旧東独地域の都市からみると、ベルリンは「仰ぎ見るよな大都会」、「全てにおいて別格」の都市という位置づけになるようです。第二の都市ライプチヒも人口60万人いて、「ネクストベルリン」と呼ばれる程、発展が期待される都市ですが、そこに住む友人がこう言ってました。

「ベルリンは旧東独とはいえないよ。だって、半分がもともと西側なんでしょ?」

「デュッセルドルフとかミュンヘンとか、旧西側の都市は、お父さんやお爺さんの世代からずっと裕福だったんだよ。でも我々東側の人間は、社会主義で財産全部取られた状態で出発してるでしょう?格差あるのは当然だよ!」

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不動産価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのと、どちらが楽しい?

おはようございます、Manachan@バンコク滞在中です。いつもご愛読ありがとうございます。

今回のブログは、ここ1~2年、常に投資界隈を賑わせてきた「暗号通貨」(仮想通貨)と、私がライフワークにしている「不動産投資」との関係について書いてみます。

 

いくつかの暗号通貨の価値(もとい日本円や米ドルへの換算額)が短期間で何十倍、何百倍になり、世の中が「億り人続出」とか、「確定申告どうしよう~?」とか、騒がしくなってくるずっと以前から、私はビットコイン(BTC)を、送金用に使ってきました。

2015年末、私が最初にBTCを買った時の値段を、今でも覚えています。確か44,700円近辺でした。今日のレートは120万円近辺ですから、20分の1以下の値段。凄い話だよなあ…。

 

当時のBTC/JPYレートの値動きは穏やかで、今みたいに一日で20万円も30万円も動いたりなんてことはありませんでした。だから日本から海外へお金を送る、あるいはその逆をする際に、銀行窓口での煩雑な手続きを避けるための便利な代替手段として使っていました。その意味で、当時のBTCはまさしく「おカネ」でした。

BTCがおカネじゃなくなり、投機の対象になったのは、いつのことですかねえ?潮目が大きく変わったのは2017年前半あたりだと思います。

でもまあ、おカネって地味ですから…暗号通貨がおカネであることをやめた頃から、世の中の話題に乗り始めたんですよね。今では「コインチェック」とか「イーサリアム」とか、その辺歩いてるサラリーマンOLが当たり前に話してる世界ですもんね。

 

で、私はといえば、暗号通貨が急騰、乱高下した頃から、これに対する興味を失っていきました。余りにも簡単に、根拠や裏付けなしに値上がりすぎて、ゲームとして面白くないんです。逆に、私がライフワークにしている不動産は、実に奥深く素晴らしいアセットだと、改めて認識しました。気持ちを正直言うと、

 

自分の買った不動産の価値が2倍になるのと、暗号通貨が100倍になるのとでは、前者の方がずっと楽しい!

 

なぜそう思うのかを、考えてみました。

 

1)「物件選び・保有というプロセス自体が楽しい」

不動産投資は、根拠とルールのあるゲーム。世の中に何一つ、同じ物件が存在しないなかで、自分にとって「オンリーワン」の物件に巡り合うプロセスが楽しいし、また、ミクロ(物件周辺の環境、生活利便性、交通アクセス、地域賃貸需要や競合との関係etc.)とマクロ(人口増加率、GDP成長率や金融・融資環境etc.)を総合的に考えつつ、物件価値を上げていくプロセスが楽しい。また自分がオーナーとして運営するなかでバリューアップできる余地も大きい。要は、「マイ物件を探すのが楽しい」、「持ってて楽しい」…そういう意味での楽しさが、暗号通貨にはない。

 

2)「確かな資産になる」

不動産投資は実物ゆえ値動きも緩やかで、5~6年くらいの保有期間で価値を2倍にするのは簡単ではないが、それができれば相当な達成感がある。また、一旦2倍の価値になったものが、一夜にしてゼロや半分になることはありえず、確かな財産として自分の手元に残る安心感がある。一方、値動きの激しい暗号通貨には、それに相当する安心感がない。たとえ保有資産の時価が瞬間風速で1億円になっても、翌日6000万まで落ちることもありうる市況では、それはそれで、結構しんどいんじゃないかなあと思う。

 

また、いつも疑問に思うのですが、暗号通貨を推進してる人って、なぜ、「日本円みたいなリアル通貨への換算額」を気にするんだろう?

 

暗号通貨はもともと、通貨を独占的に発行する国家のコントロールを離れても、ブロックチェーン・分散型台帳技術のおかげで「信頼に足りうる流通・決済手段」として機能するものだったはずです。「脱・リアル通貨」として成り立つ「新タイプの通貨」候補だったはずです。少なくとも2015年末の時点で、私はそのようにビットコインを使っていました。

でも、今では暗号通貨そのものが投機の対象になり、客観的な裏付けなく思惑だけで乱高下するようになりました。脱・リアル通貨として価値が上がったのではなく、1BTCで買えるリアルな商品・サービスの価値が何倍になったわけでもありません。否、「日本円などリアル通貨への換算額」というバーチャルなレートだけが目まぐるしく乱高下しています。

 

「億り人」、「ビットコイン長者」といわれる人たちは結局、暗号通貨で何か商品・サービスを買ったりするよりは、むしろ日本政府が管轄する日本円に換えたかったんだな、と思います。そもそも「億」という言葉自体が「100,000,000JPY」の意味であるわけで…

そういう人が増えるほど、暗号通貨は脱・リアル通貨としての生命を失い、日本円を含むリアル通貨に従属するものになっていきます。主要国が暗号通貨の取引を禁止したり、取引所を一斉閉鎖したりしただけで価値を失うんですから、それ続けていくと、結局勝つのはリアル通貨になるよね。

 

だから、私はリアル通貨に対しても安定感のある不動産というアセットで、これからも資産づくりをしていきます。また、暗号通貨でひと財産築いた人は、早くアセット組み替えて不動産の形にした方が良いと思います。

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私が日本の将来を悲観しない理由

こんにちは、Manachan@バンコクドンムアン空港です。いつもご愛読ありがとうございます。

「海外不動産の総合商社」という新しい業態の会社を起業し、仕事柄、世界中を飛び回っている私。先週はアメリカ、今週は東南アジア、来週はヨーロッパと、めまぐるしく移動を続けるなかで見聞、体験したことや知見を、日本国内に暮らす皆様にフィードバックしています。今回お伝えしたいのは、

「私の見立てが正しければ、日本の将来、捨てたもんじゃない。悲観することはないと思うよ」

 

日本国内では、ここ20年ほど、悲観論が蔓延しています。諸外国に比べて景気が悪いとは言えない昨今でさえ、言説の上ではいま私たちが暮らすこの国の未来に対する先細り感が支配的。その背景には「将来、日本の人口は減り続け、経済停滞し、国際的地位が落ちる」「時代遅れになった経済社会システム変えられない、移民も受け入れられない」みたいな思い込みがあると思います。要は日本の総人口が減ることが運命であり、それを自分の意思で変えられると思ってないことが閉塞した思考の原因なのでしょう。

私の経験上、「日本以外で暮らしたことのない人」に特にその思い込みが強く、その背景には「失われた20年」を過ごすなかで各人の職業人生における成功体験の少なさが影響しているのかもしれません(もちろん、個々にみれば例外も多数あります)。

一方で、若い頃から日本を飛び出し海外各国で働いてきた私の目には、全く違う「日本の姿」が映っています。ポイントは4つあります。

 

1)「日本の経済社会システムは、皆さんが言うよりずっと自由でまともですよ」

→私は実際、日本にこれまでなかったタイプの会社を興して、今のところ誰にも邪魔されずに思う存分ビジネスできています。弊社の属する不動産業界は業界団体こそ古臭いですが大した影響力はなく、株式時価総額からいってもITやAIを駆使して不動産実業と上手に組み合わせた新タイプの会社が高く評価され、影響力を高めています。言論の場では日本経済界の古臭い部分だけ強調される感がありますが、実態はそれよりずっと自由で21世紀的なのです。

 

2)「海外でのビジネス競争に勝って利益をあげてる日本企業はたくさんありますよ」

→日本国内の言説では、中国はじめ外国企業との競争に負けて影響力を落とす日本企業のニュースが過大に報道されている感があります。無論そういう面もありますが、一方で平昌オリンピックの日本選手団のように「世界で堂々と戦う力をつけ、成果をあげている日本の企業」は物凄くたくさんあります。でもそれは日本語メディアになかなか上がってこないんですね。

 

3)「移民もとい外国人定住者が増えており、彼らを含めた日本の総人口はそんなに減りませんよ」

→東京など大都市圏を中心に、ここ5〜6年、外国出身の住民数が増え、人口動態の上で無視できない数になっています。すでに首都圏への流入人口の約3分の1を外国人が占め、横浜市や川口市など、外国人純流入が日本人純流入を上回る自治体も続出しています。日本全体でみても少子高齢化で日本人が毎年30万人減るなか、約15万人の外国人純流入がインパクトを和らげています。

彼らを「移民」と呼ぶと、日本人のなかでは「絶対無理〜」という声が上がってきますが、その言葉が嫌なら彼らを「外国出身の定住者」と呼べばよいわけで、実際に日本社会は年間15万人程度の外国人定住を、さしたる社会的混乱もなく受け入れています。外国人の流入を想定に入れない将来人口予測だけ見てると日本の今後が悲観的に見えますが、実際はそれよりずっと緩やかで現実的な線に落ちつくでしょう。欧米などたいていの先進国はそうやって人口規模を維持しています、

 

4)「日本の地方都市はポテンシャルの塊で、伸びしろ凄く大きいですよ」

→人口流出や少子高齢化、産業衰退の文脈で語られることが多い日本各地の地方都市。でもよく観察すれば、それぞれの街の持つポテンシャルを活かし、ビジネスやシティプロモーションにつなげる人材の厚みが足りないだけの話で、東京や世界中に居る豊富な人材、ノウハウ、資金を活かすかたちがつくれれば大きな宝に化ける潜在力を秘めていると思います。

私が「金沢市」の「町家を活かした宿泊施設」に着目したのは、「地方都市の持つポテンシャルを東京の資金とノウハウを使って経済価値につなげる」モデルケースにしたかったからです。金沢スタイルの町家が世界に愛される素晴らしい観光資源であるにも関わらず、地元視点では価値を見出せないので安い値段で放出される。でも幸い、金沢には東京の香りも知ってる、意識の開かれた起業家がいるので、彼らと組んで町家旅館やイベントを次々とプロデュースできれば、この地に新たな経済価値をつくることができる。

このモデルで、日本中の、新幹線の泊まる駅で新たな視点で観光地プロデュースをやってみたいです。特に西日本には、世界向けにプロデュースできそうな街が豊富にありますね。

 

以上まとめると、

私の目からみて、日本の経済社会は結構自由で革新的、世界で戦って勝てる企業も豊富にあり、人口も実質的に外国人を受け入れておりそんなに減っておらず、地方都市を中心に伸びしろをたくさん残している

フェアにみて、日本の将来は暗くないと思いますし、また次の世代に明るく自由な日本を引き継いでいくのは、私自身を含めて現役ビジネスマン世代の責務だと思います。

 

 

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3000万円以上の海外本命物件を買おう!

こんにちは、Manachanです。いつもご愛読ありがとうございます。

前回は、「予算1000万円で海外不動産買うなら何が良いか?」について私見を書きました(記事リンク)。結論を一言でいえば、「この予算帯なら先進国(ドイツ、アメリカ等)地方都市の、ネット8%くらい回る戸建や区分が一番おススメ」です。

海外の先進国で1000万円の実物不動産というのは、「外国人投資家が宇都宮や高崎で物件探しする」位、かなりニッチな話ではありますが、その地域内でちゃんと賃貸需要と実需購入需要があり、可処分所得からみて無理しない賃料で8%回る、資産価値もたぶん毀損せず出口も取れる…という意味で、金融商品チックな投資案件や、賃貸・実需マーケットが未成熟な新興国の物件を買うよりはずっと手堅くて安心度高いだろう、というのが私の考えです。

それを名づけて、「ニッチな地方都市利回り物件」と呼びますね。地方都市ゆえ経済発展のスピードは緩やかで、値上がりもあまりしないだろうけど、その代わり安い価格で買えて、賃料収入を得る意味でのフローの資金効率は良いのです。

 

しかしながら、「予算3000万円以上」あれば、話は別です。それだけあれば、先進国の大都市(人口100万人以上)のちゃんとした立地で、賃料と値上がり益を両方狙える「本命物件」取得が視野に入ってきます。

本命物件とは何か?それは、私たちの資産形成の主役になりうる高い戦闘力を持った、資産価値のしっかりした物件です。

不動産の場合、立地が一番モノを言います。「大都市で、それなりに良い立地にある物件」なら、買って住みたい人、借りて住みたい人は相当数いますし、都市の発展や利便性の向上に伴って今後価値を上げることも、十分考えられるのです。

 

日本国内(関東)に例えれば、こんなイメージです。

「ニッチな地方都市利回り物件」…北関東の地方中核都市とか、あるいは千葉県の新京成線や東武野田線沿線のように、東京都心に行くのに乗換が必要な片道1時間圏郊外にある物件をイメージしてください。

「大都市本命物件」…東京23区の大田区とか江東区とか練馬区のように、都心まで至近距離にあり、購入も賃貸も需要旺盛な地域にある物件をイメージしてください。近郊でも、たとえば三鷹とか新百合ヶ丘、青葉台みたいな人気の高い駅の徒歩7分圏内みたいな場所をイメージしてください。

 

東京の大田区内や、新百合の駅近みたいな場所で、実需層もターゲットにできるファミリータイプのマンションを買おうとすれば、中古でも3000万円は軽く超えてきますよね。海外でも事情は同じで、先進国都市部で良い立地の物件というのは、どんな安くとも3000万円(30万USドル)スタートというイメージです。

なお、3~4000万円くらいの予算では、都心狙いはまず無理です。また、ロンドンやニューヨークみたいな世界トップレベル都市も狙えませんし、シドニーやバンクーバーのような、世界都市としては二線級でも不動産価格が高騰してしまった都市もターゲットから外れます。

そうなると必然的に、「まだ、物件価格が上がりきっていない、先進国の大都市(首都ではない、第二、第三の都市)」を狙うことになります。たとえば、

 

アメリカなら、テキサス州のダラスやヒューストン等

オーストラリアなら、ブリスベン・ゴールドコーストやメルボルン等

カナダなら、モントリオールやオタワ、カルガリー等

イギリスなら、マンチェスターやバーミンガム等

ドイツなら、デュッセルドルフやケルン等

 

これらの都市なら、現時点で3~4000万円で不動産マーケットに参入でき、かつ、賃貸経営上も出口の面でもリスクの少ない好立地の物件を買えるチャンスが残されています。

なお、3~4000万円を不動産で手堅く運用しようとすれば、上記の海外都市の方が、いま日本の首都圏で買うよりは良いと思います。なぜなら、「都市が拡大中で人口増加があり、住宅需給バランスも良く、賃料や不動産価値が上がる見込みがある」からです。

 

たとえば、アメリカのダラス・フォートワース都市圏は700万人超の人口が、年間15万人以上のペースで増えています。オーストラリアのメルボルン都市圏は450万人超の人口規模で、年間10万人の増加。いずれも年率2%超です。

一方、日本の人口を吸い寄せる首都圏一都三県は、3500万人超の人口規模で年間15万人増ですから、年率0.4%と、かなり見劣りします。しかも、日本・アジア地域に特有の弊害「過剰供給リスク」を抱えています。一方でダラスとかメルボルン、ブリスベン等では、住宅供給以上のペースで人口が増えていますので、一部の特殊地域を除いて過剰供給はありませんし、賃料も不動産価値も年々伸び続けています。

 

海外(先進国)の本命物件購入を検討される方に一言、申し上げたいことがあります。

・利回り星人になってはいけません。

・たとえ見た目の利回りが低くみえても、本命物件としての戦闘力があれば、値上がり含めて、最終的にはより多くのお金が残る可能性が高いです。

 

たとえば、上述の「3~4000万円で買える先進国大都市」で、好立地にある住宅物件の賃貸利回りは、ざっくり言うと「表面5%、実質4%」いけば良いほうです(アメリカだと、固定資産税が高い分、表面7%、実質4%みたいな数字になることが多い)。

日本の投資家によくあるのは「利回り8%以上ないと買わない」みたいな反応ですが、「8%」みたいな表面的な数字にこだわる余り、立地含めた物件の収益力を評価できず、結果的に高リスクな金融商品的な海外案件購入に流れてしまう方が多いです(記事リンク:不動産の顔をした事業投資をお勧めできない理由)。

 

私の経験上、「大都市好立地で5%回る物件」の方が、「地方都市や郊外の8%回る物件」より、投資期間全体でみれば、より多くのお金が残ります。それは「賃料上昇や不動産価値上昇」が期待できるからです。

先進国第二位、第三位くらいの大都市の好立地物件を、不動産価格の上昇局面で「グロス利回り5%」で買えれば、私の感覚では「割安」ですね。購入後、さらに値上がりして、5~6年後くらいにグロス利回り4%くらいで売り抜けられることが、経験上かなりあるのです。

 

たとえば、カナダのトロント、オーストラリアのメルボルン位のレベルの都市で、「グロス5%」物件を購入し、その後の家賃上昇が年平均2%、6年後にグロス4%で売り抜けられたとすると、

初年度 価格4000万円 年間家賃200万円 (グロス5%) 
2年目 年間家賃204万円
3年目 年間家賃208万円
4年目 年間家賃212万円
5年目 年間家賃216万円
6年目 年間家賃220万円 グロス4%で売却 ⇒ 5500万円で売れる。

つまり、税前の値上がり益1500万円、期間通算の家賃が1260万円で、合計2760万円。投資額4000万円に対して69%のお金が増えることになるのです。

4000万円の物件が6年間で5500万円になるということは、年平均6%近くのペースで不動産価格が上がり続けることを意味しますが、日本を除く各先進国の不動産価格推移をみる限り、それは全く不自然な数字ではありません。普通に経済成長している国なら不動産価格も普通に上がるんですから、大都市や成長都市の好立地を狙って、値上がりを取りにいくのが投資のセオリーです。

 

一方で、地方都市の安い物件を1000万円、グロス8%で買ったとします。その後の家賃上昇プラスマイナスゼロ、6年後の売却も購入時と同じ1000万円で売れるというのが現実的な想定ですので、その場合は、値上がり益ゼロ、期間通算の家賃480万円。投資額1000万円に対して増えるお金48%という計算になり、「大都市本命物件」の69%と比べて見劣りしてしまいます。

 

以上はざっくりシミュレーションの数字ではありますが、海外の不動産を低リスクで運用しながら価値を増やしたい方には、「先進国大都市の好立地でグロス5%位の数字が出れば買い!」だという投資判断センスを養っていただきたいと思います。

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1000万円の予算で海外不動産買うなら何が良いか?

こんにちはManachanです。今アメリカ北部、インディアナ州サウスベンド(South Bend, Indiana)という地方都市に滞在しています。本当に小さな街で、中心街を歩いても商業施設は3ブロック位で終わってしまい、その先は住宅地だったり森だったり…

私は北海道の千歳市にも物件持ってるんですが、街のサイズ的には同じくらいですね(人口:サウスベンド107,000人、千歳市97,000人)。気候も似たようなもので、今の季節はとにかく寒いし、積雪で歩きにくいので、ホテルの部屋でブログ書いてます。

あ、そうそう。どちらの街も国際空港があるんですね。新千歳ほどの大空港ではないけれど、サウスベンドにも国際空港があります。あとは教育環境も似てますね。サウスベンドは名門ノートルダム大学や、インディアナ大学サウスベンド校を擁する教育都市。一方、千歳市には科学技術大とかリハビリテーション大学とかありますよね。

 

ところで、私がなぜ、遠い異国の酷寒の地くんだりまで来てるかというと、実は不動産物件を仕入れに来ています。

私はいろんなテーマを持って、海外各国で物件を探しています。時には10億円単位の大金を投じたい企業様のために投資案件を探すこともあれば、1億円を2都市に分散して手堅く投資したい方の物件探しもやります。

今回、雪に埋もれながらサウスベンドの物件を見に来た理由は、「1000万円程度の低予算で海外不動産投資をスタートしたい方のための提案ねたづくり」です。

 

誤解を恐れずに言いますね。不動産投資は本質的に、「お金や信用力ある人のための資産形成手段」だと思います。株式など金融商品と比べて、不動産はどうしても金額が張ります。高額ゆえ参入できるのは現金のある方か、銀行融資を引っ張ってこれる方になります。

金額が張る分、不動産は多くの人にとって「分散投資」に馴染みません。例えば3000万円を金融商品に投資する場合、300万円x10口の分散投資すれば良いでしょうが、不動産の場合は、300万円の物件を10戸買うのはナンセンスです。それどころか、1000万円を3戸に分散するのもよろしくない。むしろ、都市部の好立地で3000万円の本命物件を1つ買うことに集中すべきです。

海外不動産投資でも結局は同じこと。3000万円ある方には、ニューヨークやロンドン、ロサンゼルスやシドニーは無理でも、ダラスとかブリスベンとかマンチェスターとかデュッセルドルフみたいな、まだ比較的安く買える先進国都市で、3000万円をまるまる投じて「普通に貸せて、いつでも売れる、損しない」物件を選ぶことになります。

 

あと、考えなければならないのは、「1000万円しか予算がないけど、海外の不動産欲しい方に対する提案」です。世の中、3000万円持ってる人より、1000万円持ってる人の方がずっと多いわけですから…

1000万円というと、不動産の世界ではかなりの低予算になります。日本国内の物件なら属性次第で90%融資とか引いて1億円程度の物件取得も視野に入ってくるでしょうが、海外の場合、融資が難しいので、どうしても大都市やメジャー立地を外した「ニッチな投資適地」を狙うことになります。

海外で「ニッチ」探すって、結構難しいんですよ。アメリカでいうと、NYやLAみたいな、誰でも知ってる有名大都市じゃなくて、無名な地方都市をリサーチして探さなきゃならない。そういう土地には、日本人も滅多に居ないし日本語なんて通じないから、現地の人間と対等にやり合うだけの英語力が必要。そして、地元しか知らない田舎者のアメリカ人とつきあう根性(ストレス耐性?)も求められる。

 

こういう仕事がちゃんとできる日本人って少ないから、結局、日本で紹介されてる海外不動産商品のうち、「1000万円クラス」が最も、投資観点からいうと微妙な商品のオンパレードになっています。例えば、

「介護施設」「学生寮」「業者借り上げ民泊」「不動産担保つきレンディング」等、「何年間、利回り何%保証」をうたう金融商品チックな投資案件

 

まともな運営業者も居るので、確定利回り商品の全てを否定はしませんが、私の知る限り、多くは「不動産賃貸業としては微妙な立地に、高い建築費で建ててる」非効率な投資案件。もとい、業者利益がたくさん乗ってるので、オーナー視点では非効率になってしまう「かぼちゃの馬車」的な案件です。

その非効率(利益乗せすぎ?)を挽回するため、運営リスクを伴う事業を行って利回りを上げるという話にしてますが、そのプロセスを業者に丸投げするため、オーナーは非効率な所有部分だけを担い、おいしい運営部分だけを他人に明け渡すことになります。

運営中はもとより、一番困るのは出口でしょう。土地・建物本来の価値より大幅に割高な価格で買ってしまえば、売却時に損切りしなければなりません。収益構造を見る限り、最初から不動産投資として失敗が確定してるようなものです。

 

「1000万円しか出せない人」が海外不動産を買って、それなりにハッピーな結末を迎えるにはどんな物件を紹介すればいいのか?私はそれを常に考え、世界中を飛び回っています。そのほとんどは徒労に終わりますが、これまで知りえたなかでの私の結論は、

 

1000万円の予算なら、「ドイツ地方都市の区分マンション」か「アメリカ地方都市の戸建」を、私の目で厳選した上でおすすめしています。

 

なぜかというと、「賃貸経営が成り立つ上に、資産価値的に安定感あるから」です。

・ドイツ、アメリカ等先進国はカントリーリスクが少なく、法制度も整備されている。

・家賃水準に無理がなく、その家賃を前提にネット8%程度の数字が出るので、投資として成り立つ。

・日本と違って賃貸住宅つくり過ぎず、需給バランスがとれており、今後しばらく崩れそうにない。

・中古住宅が当たり前に市場流通し、その値段で売買するので、売る時にも大きな損はしそうにない。

 

なお、地方都市の経済成長は大都市ほどの爆発力はないので、値上がり益はそれほど期待できないでしょう。その代わり、普段は家賃収入を得られて、売却時に元本価値を毀損するリスクが少ないので、大きな失敗をしにくい投資といえましょう。

いま日本ではASEAN新興国の物件紹介セミナーが多いですが、先進国で1000万円以下でちゃんとした収益物件が買えるのなら、賃貸市場も二次売買市場も未成熟な新興国の物件を、投資目的で買う必然性はないと個人的には思います。いま新興国の首都中心部の物件をすごく安く買えて、将来大化けする可能性があるなら話は別ですけど、そういう話って日本のセミナーには出てこないよね。

 

開催決定!3/14(水) 米国インディアナ激安収益戸建セミナー@東京

不動産価格上昇が続くアメリカ。治安が悪くない場所としては、全米最安値水準6~8万ドル台で購入でき、かつネット利回り8%以上出る収益戸建を紹介します。シカゴの東に隣接し、全米屈指の名門ノートルダム大学と国際空港を抱える北インディアナ地方、日本でまだ誰も知らない不動産投資機会を学ぼう(リンク)。

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