起業

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どちらがショックでかい?~物件仲介悲話~

おはようございます。Manachanです。

私は自営業者として独立して2年目、食っていくために、そして自分の趣味も兼ねて、いろんなビジネスを手掛けています。日本国内の収益物件売買仲介もそのひとつ。

この仕事、まさに「一寸先は闇」。買付をとっても契約しても、決済して仲介手数料が振り込まれるまで、一瞬たりとも油断できません。

【決済まで至らない主な理由】
・売主都合による売り止め
・買主都合の「やーめた!」
・銀行融資否決または減額
・(売主・買主が法人の場合)社内稟議否決
・他の仲介業者による「横取り」 等々・・

そうなった場合、我々仲介業者の手取りは「ゼロ」です。話をまとめるのに、どれだけの時間と労力、費用を費やしても、決済まで持ちこめなければ一銭も入らないのです。

私は、自営業者という立場で売買仲介に関わりますが、相手方の担当者はサラリーマンであることがほとんど。お互いに、話が流れた場合はショックでかいですが、これまでの私は、「自営業者である私の方がダメージでかい」と考えていました。なぜなら、

仮に仲介が成立しなくても、サラリーマンなら毎月給料振り込まれるはず。でも我々社長は収入ゼロになってしまうから…

相手方がサラリーマンでも営業職の場合、話がまとまらなければ成績にならず、ノルマとかで経営陣上司にガミガミ言われることもあるでしょう。それでも給料入るだけマシじゃん、私はそのように思っていました。

でも最近は考えが変わり、「サラリーマンの方がダメージでかいかもしれない」と思うようになってきました。なぜなら、

仲介が成立しなかった場合、我々自営業者は誰にも説明する必要はなく、単にお金を諦めれば済むけど、サラリーマンの場合、ことの経緯、原因や改善策を、いろんな人に説明しなくてはならないから面倒臭い。

最近、こういうことがありました。とある収益物件の売買仲介で、相手方はサラリーマン(前職は銀行員) でした。話がまとまりそうな勢いで行ってた時は態度も紳士的でしたし、実際、前に進めるために社内調整にご尽力いただきましたが、結局、条件が折り合わずに話は流れました。私は終日ドライブ中で多忙だったこともあり、残念な結果に終わった旨、メールで簡単に報告しました。

翌日のことです。その彼から、ものすごい剣幕の電話が入りました。

「俺の顔をつぶしやがって!どう責任取ってくれるんだ!」
「お前、仲介だろ俺らの会社に謝りに来い!」

これまでの紳士的態度が一瞬にして豹変、すごい居丈高な口調に…

電話を切った後、強烈な違和感が襲ってきました。

・俺ら仲介業者って、不動産会社の一社員に怒鳴られるほど、社会的ステータス低いの?(一応、経営者の端くれなんだけどなぁ…)

・だいたい、同じ会社で働いてるわけじゃないのに、他社の社員の顔を潰した責任を俺が取らなきゃいけないの?

たぶん、こんなことが起こったんだろね…

その会社で経営者にがみがみ言われて、ムシャクシャして勢いで私にあんな電話したのか、あるいは経営者の前で威勢を見せるためにあんな口調になったのか、分かりませんが、私に言わせれば、ああいう虎の威を借る狐みたいな態度、カッコ悪い。

同じ男として、情けねぇ。ケツの穴の小さい野郎だぜ!という印象しか残りません。

ま、この件は私も穏便に、相手方の会社のしかるべき人間に電話して、今回、私の力量足りずにまとめられなかった件と、社員から失礼な電話が来て嫌な思いをした件を、事実として伝えました。

この件で、私思ったこと…

不動産会社のサラリーマンが、仲介の話をまとめられなかった場合、社内のいろんな人に説明したり、反省させられたり、理不尽なこと言われたり、嫌な思いを一杯するのかもしれない。

その点、俺なんか気楽な一人会社の社長だから、まだマシなのかもね…

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起業家型と実務型

おはようございます。Manachanです。今回は「経営論」ねたでいきますね。

私は2013年12月に、都内にオフィスを構えて自分の商売(不動産ビジネス)をはじめました。業種を問わず、こういう仕事で食っていくには、

- 起業家スキル (将来時点の収益のために、リスクを取って何かを始めるスキル)
- 実務スキル (目の前の仕事を適切に処理するスキル)


この二つの能力を兼ね備えていないと、自分の商売を軌道に乗せるのは難しいと思います。なぜなら、

-サラリーマンなら、起業家スキルが乏しくても、実務スキルがあれば何とかなってしまうし、何より、毎月給料が入ることが約束されている。一方、会社経営者になると、特に立ち上げ当初は相当期間の収入ゼロ&赤字を覚悟しなければならないし、「いますぐおカネにならなくても、近い将来、おカネになるであろう」ことを、たくさん仕掛けていかねばならない。したがって起業家スキルは不可欠。

-とはいえ、会社を立ち上げた当初は、自分ひとりで仕事をこなさなきゃならないので、実務能力も絶対に必要。人を雇うにせよ、自分が実務分かってないと指示もできない。

で、自分の身の周りを見渡すと、起業した者のなかで、「どちらかといえば起業家スキルに寄った人間」と、「実務スキルに寄った人間」がいることに気づきます。

若くして起業した人は、「起業家スキル70:実務スキル30」という感じの人が多い。ロマンティストで、やる気とガッツ、ハングリー精神に富んでいるが、実務面では、経験豊富なスタッフのサポートが必要…というタイプ。

一方で、士業の人とか、サラリーマンを長年やった後に独立した人ほど、「起業家スキル30:実務スキル70」という塩梅の人が多い。仕事はできるし、知識も豊富で、精確。反面、目の前の、すぐおカネになる仕事にフォーカスし過ぎる傾向が強い。

どちらのスキルも「50:50」という、起業家的にバランスのとれた人は、なかなかいないものですね。いずれにせよ、自分のスキルセットを理解した上で、社員を雇うなり、適切なビジネスパートナーとアライアンスを組むことが肝要だと思います。

私自身は、起業家のなかでいえば、どちらかといえば「実務」に寄ったタイプだと思います。サラリーマン稼業を19年もやってきた人間ですので…

ですが、サラリーマン時代はITエンジニア。今は全く違う「不動産」という業種で独立したため、不動産実務には弱い面がある。そこは、経験豊富な宅建主任者の方に補完していただいています。

また、不動産という仕事の性質上、「税務」や「法務」と不可分に絡んできます。その分野の仕事は、専門家でないとできません。当然にして、司法書士、行政書士、税理士の方々と業務提携することになります。

そういう「士業」の方々は、経営者とはいえ「実務型タイプ」が多いんですよね。中には「太陽光発電」とか「外国人相手のビジネス」などに参入する、起業家精神豊富な方々もいますが、どちらかといえば少数派。多くの場合、専門家として、きっちり仕事をしていただくことを期待することになります。

他方、私は「国をまたぐ不動産ビジネス」を志向しております。具体的には「インバウンド」(外国人が日本不動産を買う)と「アウトバウンド」(日本人が外国不動産を買う)、どちらもやっています。

いずれも、日本においては新しいビジネス領域。実際にやることは「新市場開拓」であり、いつ、どんなかたちでおカネになるのか不確定な状態でスタートしますので、こちらでは「起業家タイプ」の方々とお付き合いすることになります。彼らは多くの場合、「ビッグマネー」を夢見るロマンチストですで、士業タイプの方々とは全く性質が違います。

いろんなタイプの起業家や経営者と付き合う上で、私は次のアプローチが使えると思っています。

・起業家タイプの方と仕事する場合は、「ビッグマネーの夢」を共有しつつ、彼らが「スキームづくり」、自分が「実務」を担当する。

・実務タイプの方と仕事する場合は、「コンスタントに、おカネになる仕事」を与えつつ、自分が「スキーム」づくり、彼らが「実務」を担当する。

このアプローチで事業に成功した暁には、経営学の客員教授とかやってみてもいいかもしれない。

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五反田に、季節はめぐる…

こんにちは、Manachanです。先週は海外出張で、零下10度以下、酷寒の地モンゴル・ウランバートルに行ってました。

東京に帰ってくると、外気温こそモンゴルよりずっと暖かいですが、空気に湿気が多く含まれ、モンゴルとは違ったタイプの肌寒さを感じますね。日本は水蒸気の多い国だと改めて実感します。

この、じめっとした肌寒さは、昨年11月、東京・五反田でオフィス探しをしていた時と全く同じ。あれから、もう季節が一巡したんだなあと、しばし感慨にふけりました。

今週の月曜日は、朝一番で事務所に出社。新調したOA複合機を設置した後、溜池山王に移動、設立準備中の「日本投資大学(仮称)」ランチミーティングに出席しました。

溜池山王駅から五反田の事務所に行くには、まず地下鉄南北線に乗る。六本木一丁目、麻布十番、白金高輪、高輪台、目黒…その次の「不動前」駅で下りて、8分ほど歩けば着きます。その全行程20分ほどの短い移動の間、いろんな想いが我が胸を去来しました。

溜池山王は、挫折の地。忘れもしない昨年2月14日、私が勤め先をクビになった土地。所謂「ロックアウト解雇」というやつで、突然社長室に呼び出されて契約書にサインさせられ、PCもアクセスカードも回収、付き添いつきで社外に送り出され、もうオフィスには二度と入れない。私は外気温8℃の寒空に放り出され、結果的に、我が19年にわたるサラリーマン人生に終止符を打った因縁の場所です。

一方、五反田は、復活の地。昨年12月7日にオフィスを借りて、自営の宅建業者として再スタートを切った場所です。

溜池山王の寒空で路頭に放り出され、五反田での開業に行きつくまでに、10か月近い歳月が流れました。

あの頃は、いろんな場所で仕事しましたなあ。プロント、スターバックス、ネットカフェ、電源カフェ、漫画喫茶、マクドナルド、中華料理店、そして区役所…「ノマドライフ」といえば聞こえがいいけど、生活の見通しが立たないノマドは結構つらい。

当時の私が、何をして食いつないでいたのか、あまり覚えていません。解雇時に、ある程度の貯えはありましたけど、多くは一棟アパートの購入費用に使ってしまったし、失業保険もらっても、住民税と健康保険で半分は持っていかれました(泣)。

確か、単発の仕事が多かったかな。セミナー講演して謝礼もらう、不動産コラム書いて原稿料もらう、英語や中国語の翻訳・通訳の仕事をピンポイントでやる、あとは家賃収入…財務はかなりタイトでした。海外不動産は各国にそれなりに持ってますけど、すぐに売却・現金化できるもんでもないですし。

五反田事務所を借りる初期費用にも、サラリーマン時代につくった三菱UFJのカードローン使ったし、その後、翌年3月まで事業収入はゼロ、創業融資にチャレンジしたけど通らない。一方で、やれ協会の会費だ供託金だ、OA機器や什器の購入費用、引っ越し費用だと、何かとお金がかかる。一番きつかった今年3月上旬には、カードローンの融資枠も上限近くまで使ってしまう有様。あの頃は、アメリカやオーストラリアの貯蓄も取り崩して、日本に送金してしのぎました。

ですが幸いにして、今は事業も軌道に乗りはじめ、カードローンは全て完済し、いくばくかの貯えもできるようになりました。財務的には、解雇された1年半前の状態をほぼ取り戻しました。これからが本番、事業を大きく発展させていきたい。

私が無事、自営業者として再出発を切れたのも、多くの方に支えてもらったからこそ。それは、いくら感謝しても足りません。会社から放り出されて、はじめて分かる「家族」「友達」「セーフティネット」のありがたみ…

溜池山王から五反田へ…わずか7㎞の距離ですが、私にとっては「挫折の地」から「復活の地」に至る、人生の旅に他なりません。

四季のめぐる大都会・東京。秋が深まり、銀杏の街路樹が色づき、微妙な肌寒さが戻ってくる季節。それは、復活の地・五反田で、1年過ごしたことを示すサインです。

もうすぐ、目黒川がきれいにライトアップされますね。冬もまた楽し。

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アスペくんの生きる道ー2)社会人マナブ編

前回の続きです。

アスペルガー(高機能自閉症)特性ゆえ、子供時代、「この子に会社勤めは無理だろう」と言われていた私・・・しかし、蓋を開けてみれば、大学卒業後、19年間もサラリーマン稼業を続けることができました。

特に大きかったのが、サラリーマン暮らし19年間のうち16年間を占める、「ITエンジニア」という仕事でした。

「ITエンジニア」(特にプログラマー)は、アスペルガー特性の人間(以下「アスぺくん」と略)には、極めて親和性の高い職業として知られています。人間関係のファジーさは苦手だけど、コンピューターなら「0」か「1」で決着がつく世界なので、強い論理数学能力を持つアスペくんの得意分野が生きる職業の一つです。他に、アスペルガー向きとされるのが、建築士、学者、デザイナー、会計士など、いわゆる「職人系」の仕事。

逆にアスぺくんに不向きの職業とされるのは、接客業、教師、レストラン、電話オペレーター、事務、営業など…柔軟なコミュニケーション能力や協調性が求められる仕事はきつい。特に他人(特に顧客)のペースで動かされたり、臨機応変な対応を求められる職業は極めて不向きとされます。

私が幸運だったのは、自分が社会に出た頃、ちょうどインターネット革命が起こり、eメールという通信手段が開発され、普及したこと。

アスぺくんにとって、eメールは画期的な発明でした。電話や対面コミュニケーションにストレスを感じていた者にとっては、まさに福音。eメールがあれば、自分の声や表情を相手に知られずに、ストレスフリーで意志疎通できるのです。

特に私は長年グローバル企業に勤め、用事はほとんどeメールで済ます、相手はたいてい外国人で私の名前「マナブ」の性別さえ分からず、時には「女性」だと思われる…そんな職場環境は、極めてアスペルガー向きで、私が長年サラリーマンを続けられたのも、eメールに助けられた面が大きい。

最近は、アスペ脳を積極的に活用しようという企業の取り組みも広がっています。

しかし、いくらITエンジニアとはいえ、実際の仕事の現場では、私の得意分野ばかりが生かせる環境とは限りません。時には、極めて不得意な業務の現場に放り出されたこともあります。その時の業務評価は恐ろしく悪く、「解雇」の二文字がちらつくほどの状態でした。

どんな仕事が苦手だったかというと、

1)要件定義 (顧客の業務を理解し、業務フローに落とし込む仕事)
2)プレイングマネジャー(上司として部下を管理しながら、部下がやるような実作業もやる仕事)

特に、「要件定義」は絶望的に不得手でした。なぜかというと、顧客のペースや脳味噌の構造に合わせて仕事しなければならないから…アスぺくんは、自分のペースで働くのは極めて得意だけれど、その逆はからきしダメなのです。

要件定義の現場にいた頃、私が脳味噌をフル稼働させて、自分ベストの業務フローを出しても、顧客に「全然違う!」と言われる。上司には「なんで、こいつはいつまでも理解できないんだろう」と言われる。死ぬほど頑張っても、結果は変わりませんでした。

そんな仕事に配属された時の成績は、惨憺たるものでした。たとえば、

1998年(29歳):都内の役所に配属され、客先に常駐して道路管理の業務フロー整理の仕事を命じられるが、全然、使い物にならず、結局、年下の上司が私の仕事を全て引継ぎ、間もなくお役御免に。その年、私の業務評定は、最低ランクの「C」(下から7%)で昇給ゼロ。メンターから、「この仕事、向いてないかもしれないね」と言われたほど。

その頃、私はアスペルガーという言葉さえ知りませんでしたが、自分の個性として、「普通の人にはできない特殊能力がある」反面、「普通の人が当たり前にできることが、どうしてもできない」。特に不得手なことは、自分の努力ではどうにもならないことを学び、「自分の得意分野が生きる職場だけを、注意深く選んでいく」ことに決めました。

結果的には、それが自分のサラリーマン人生を延ばすことにつながりました。特に、誰の追随も許さなかったのが、語学能力。「ITエンジニアで、日本語と英語と中国語、全部ビジネスレベルでできる人材」というのが、日本のみならず、世界中どこに行っても稀少価値なので、重宝されました。

この特殊能力のおかげで、他社により高い年俸で転職したり、海の向こうの職場に転職することは、私にとっては簡単なことでした。

2000年 日本→オーストラリアに国際転職
2005年 オーストラリア→中国に国際転職
2007年 中国→日本に国際転職 

2009年 日本で転職、年俸6.4%アップ
2012年 日本で転職、年俸14.5%アップ

しかし、雲行きが怪しくなったのが、リーマンショック(2008年)以降。全世界的に、金回りが悪くなり、ITエンジニアの職場環境が”Lean and Mean”(ケチでスリム)になり、経営者は、中間管理職を減らし、マネジャーにもプレイヤーを兼務させるようになりました。

これまでと違って、「自分の得意分野だけで勝負する」ことができにくい職場環境になったのです。プレイングマネジャーを長年やらされれば、アスぺくんじゃなくたって、誰だって消耗します。

そして、私の16年にわたるITエンジニア渡世に終止符を打ったのは…自らのアスぺ特性と、極めて不得手な「要件定義」でした。

2012年(43歳):勤め先の会社が極めて人手不足ゆえ、私は都内のアパレル販売会社に常駐し、プロジェクトマネジャーと兼務で要件定義も任せられました。この仕事が絶望的にできず、連日の終電&徹夜が続く奮闘努力にもかかわらず、顧客クレームでプロジェクト途中で現場を外され、数週間後に解雇された。

あのプロジェクトが佳境を迎えていた時、顧客担当者と業務手順を確認した時、「未だに、こんなこと質問するのかよ?」と、ものすごく怖い顔で睨まれたことを、今でも覚えています。

自分としては不本意だけど、顧客がキレる位、相当、的の外れたことを質問してたんだろうな。それに、年俸1300万円で採用した人間を、わずか5か月
目で解雇するのは、相当、出来が悪かったんだろうな。しかし、何が的外れだったのか、未だに気付いていないのも、アスぺくんならではのこと。

あの時の、客の怖い表情を思い出すたびに…心の声が聞こえてきました。

「もう、これ以上サラリーマンは無理だよ。潮時だよ」
「いろんなことあったけど、19年も、頑張ったんだから、上出来じゃないの?」

解雇され、2月の寒風に放り出された日から、1年半。今の私は、都内五反田に事務所を構え、宅建業免許を取り、「気楽な一人会社の社長」として、働いています。

40代半ばにして、初めて手にした、「真に、自分らしい働き方」。上司も部下もおらず、事業に大成功するチャンスと、失敗して野垂れ死ぬ自由と、いずれも満喫しています。

正直言って、野垂れ死ぬリスクは、そんなに高くないと思ってます。今の私の働き方って、得意分野でしか勝負してないからね…アスぺくんが得意分野だけで働けるならば、たいていの人には負けないはずと思ってるから。

最後に、アスぺくんに贈る言葉を、いくつか。

1)人生は、適度に生きにくい位が、ちょうどいい。

2)めくら千人、目明き千人…世の中、常識のないキミを毛嫌いする人もいるだろう。でも、それと同じ位、真っ直ぐでひたむきなキミを好きな人もいるんだ。

3)皆と同じことをさせようとか、周囲に合わせるべきとか、そんなスタイルの上司のいる職場にいても、芽は出ないので、配置換えか転職を考えよう。

4)自分の良き理解者は、一生、大事にしよう。

5)苦手なことを改善しようとしても無理、とにかく長所を伸ばし、自分の得意分野が生きる働き方や活動の場を見つけよう。

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独立自営主の自由と幸せ

おはようございます。Manachanです。

最近、土地建物の取引でいろんな案件が出て、関東地方を、毎日のように、動き回っています。

月曜日は、柏・流山コース
火曜日は、横浜・町田コース
木曜日は、川崎・横浜コース
金曜日は、茨城の県北まで行きます

日曜日からは、別の仕事で、東南アジア出張だ!

それにしても、この一年間で、私のライフスタイル、激変したものです。去年の2月まではサラリーマンだったので、平日は自宅と職場の往復ばかり、都内から出ることもほとんどありませんでしたが、

独立自営主になった今の私は、仕事(になりそうな案件)があれば、日本中、世界中、どこへでも行きます。いつ、どこへ行くかの決定も、誰への気兼ねなく、私の一存でできます。

月曜日の朝9時頃、柏市と流山市の境にある、東武野田線「豊四季」駅に降り立ちました。ここは、私の生まれ育った地元。相変わらず長閑な駅ですが、隣の「流山おおたかの森」駅から、住宅開発の波が及んできて、徐々に変貌を遂げつつあります。

駅から北へ、12分ほど歩くと江戸川大学があり、周辺には学生向けアパートが数多くあります。大地主が農地を潰して、大○建○の賃貸住宅を建てまくったようで、画一的な風景になっています。

○東○託が悪いわけじゃないけど、老若男女、たくさんの人が暮らし、今後も人口が増えるのだから、もっと賃貸住宅の選択肢があっていい。特に、オシャレで良質な賃貸住宅を増やして、楽しく暮らせる都市にしたいなと思う…いま、自分がやっているアパート用地仕入れの仕事も、良質な賃貸住宅を供給して、地元をもっと良くしたいという願いと軌を一にしています。

同時に、不思議な気分になりました。なんで、俺はいま、平日の日中、ここに居るのだろうかと…

大学を出て、都内でサラリーマンになってから、20年の歳月が流れました。平日の勤務時間中に、地元の柏や流山に居るなんて、当時は想像もできないことでした。

これも、独立自営主という、働き方を選んだからこそだと思います。「いつ、どこで、何をしたい」かを、自分で決められる。そんな自由を手にしたからこそですね。

同時に、独立自営主は、経営に失敗して「路頭に迷う自由」、「野垂れ死ぬ自由」もあります。生活の糧は、自分の力で稼がなきゃならない。私も、いま不動産の仕事を一切やめたら、家族が暮らしていくキャッシュは数か月分しかありません。

(厳密にいえば、手持ちの不動産を売れば当面食っていけるんですけど…せっかくつくった資産を取り崩したくないですね。)

ファイナンシャルフリー、という言葉があります。これは、働かなくても、資産収入だけで食っていける状態を指すようですが、

私の場合、不動産でファイナンシャルフリーを実現する前に、会社から放り出されてしまったので、とりあえず食っていくために、自分でビジネスを興すしかなかった。

たぶん、それでよかったのだと思います。

いまの私は、年を越せるだけの現金を稼げれば、それだけで十分、幸せです。もちろん、自分ひとりでお金はつくれません。取引先、パートナー、いろんな方の力を借りて、商談が実現する。そういう方々への感謝の気持ちも素直に感じます。

サラリーマンやってる時は、毎月、給料が入ってくるのが当たり前でした。その収入が、リストラや倒産で、いつなくなるのかを、危惧していたものでした。

いまは自営だから、給料なんて、なくて当たり前。自分で、いろいろ動いて、頭を使って、コミュニケーション能力を駆使して、給料をつくるしかない。それでも、支払タイミングの関係で、今月必要な生活費を稼げないこともある。

収入が「あって当たり前、なくなるのが怖い」のが、サラリーマン時代だったとすれば、

収入が「なくて当たり前、あれば十分幸せ」なのが、独立自営になった今の私ですね。

もし、私がファイナンシャルフリーを実現していたとしたら(ま、それはそれで羨ましいですけど…)、「日々、食っていける喜び」とか、「取引先やパートナーや、神仏に素直に感謝する気持ち」を感じていただろうか?

「このディール成功させたら、無事に年が越せるぜ」という高揚感(?)を味わえていただろうか?

リスクはいろいろありますが、閉塞感とは無縁。日々、生きてる、という実感がわくのが、独立自営主ライフの素晴らしさだと思います。

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機能する組織、帰属する組織

こんばんは、Manachanです。今日は少し毛色を変えて、「企業論」、「組織論」の話でいきますね。

先日、友人から、こんな話を聞きました。

「俺の勤め先で、海外の現地法人をつくったのだが業績が思わしくなくて…自分の職務範囲じゃないんだけど、俺、男気を出して立て直しに行こうかと思ってる。Manachanどう思う?」

かくいう彼は、中間管理職。

会社を立て直す…殊勝な心がけだと思いますけど、私が彼の立場なら、やりません。

立て直しが必要な組織(チーム)というものは、どこか肝心なところが機能してないか、あるいは、今のマーケット環境に合わない変な機能をしちゃっているか、何らかの構造的問題を抱えているもので、

それを立て直すには…私の見聞・経験の範囲でいえば、現場の一管理職の手に負えるものではありません。CEOかCOOの職権、あるいは、CEOの全幅の信頼を得たタスクフォースの長として、自由に采配をふるえる位でないと無理。

泥沼をもがいて渡るような、すごく辛くて、リスキーな仕事です。その見返りとして、給料しかもらえないのであれば…私なら、たぶん会社を辞めますね。起業するか、あるいは自分に合った会社に転職しようとするでしょうな。その方が手っ取り早いからねえ。

私って、勤め先の会社を立て直したい、みたいな発想が皆無なんですよねえ。長年、外資系の職場ばかり渡り歩いてきたから、感覚もドライになっちゃうんでしょう。

・私は、雇用主に、自分のスキル、ノウハウ、時間を提供して、社業の成功に貢献する。
・その見返りとして、雇用主が、私に、プロフェッショナルにふさわしい給与を支払う

雇用契約の範囲内で、もちろん、力を尽くしますけど、それ以上のことは、したくないし、する必要もないと思っている。組織を立て直す仕事が必要であるなら、それはCEOやCOOが、株主の付託を受けて行うべきことでしょう。

「会社」(民間企業)って、所詮は、機能でしかないと思う・・・利潤追求という明確な目的があって、それに基づいて、いつでも自由に、集合離散を繰り返す組織。

私は社会人になってから18年間、自分の都合にあわせて、働く会社を選んだり、辞めたり、時には、自分で会社を興したり、してきました。どんな立場に立っても、会社が「機能」だと割り切ってる点は、20代の頃から一貫しています。

しかし、学校とか、国家、故郷となると、話は全く違ってきます。

会社を「金儲けマシーン」だとドライに割り切る人でも、我が母校のため、祖国ニッポンのため、故郷カシワのために・・・みたいな話となれば、直接の利害関係がなくても、「よっしゃ、一肌脱ごう」という人は多い。

それは、学校や国家というものが、会社と違って、「帰属する」組織だからでしょう。

そこに帰属することが、その人にとって、人生の意味であったり、生き甲斐であったりするわけですし、また、それらへの「帰属」を共有する集団が、同窓生や、国民になったりする。ある意味「共同体」といっても良いでしょう。

もちろん、学校や国家も、現代の資本主義、競争社会のなかに存在している以上、ある程度は民間企業のような「機能」しなくちゃならない面もある。たとえば大学の法人化、国家の経済特区とか、枚挙に暇がない。

とはいえ、完全に「機能する組織」にはなりえないし、なっちゃいけない。そうなったら、学校や国家でなくなってしまう。

たとえば日本国が、日本国民として生まれた者を、好き嫌いや高齢、能力不足等の理由で「解雇」(国籍剥奪)することはできない。また、日本国民が仮に外国籍を取ったとしても、「自分は日本人だ」という「帰属感」「アイデンティティ」はたぶん一生消えない…それが、「帰属する組織=国家」たるゆえんだと思います。

19世紀、ドイツの社会学者テンニースによる「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト」という書籍、社会学の古典として広く読まれていますが、一言でいうと、

ゲゼルシャフト(Gesellschaft)=機能する組織(民間企業など)

ゲマインシャフト(Gemeinschaft)=帰属する組織(共同体、国家など)

人類史上、ゲマインシャフトは太古の昔からあったでしょうが(農村共同体など)、ゲゼルシャフトは間違いなく、近代の産物。そしてすでに、現代生活にとって欠かせないものになっています。

現代人は、大人なら誰もが、ゲマインシャフトにもゲゼルシャフトにも、属していますね。

「○○国民」、「△△が故郷」、「××学校の卒業生」みたいな、それぞれの帰属を持ちながら、社会人として企業で働いて、経済ゲームを戦っている。たとえ勤務先が役所や学校であっても、民間企業の働き方から無縁ではありえない。

私たちが現代を生きる上で、どちらも必要なんでしょうね。

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大金持ちになったら…

おはようございます。Manachanです。

昨晩は頑張って、海外不動産コラムを2本書き上げました。その原稿料がだいたい、うちの奥さんに渡す一週間分の生活費になります。ありがたや~。

こんな風に、ちょこまか働いて、細々と露命をつないでいる我が家ではあります。

ところで、私、いま娘の通う小学校でPTAやってるので、学校に足を運ぶ機会が増えています。

学校の廊下には、子どもたちが描いた「将来の夢」が貼り出されていました。「ペットショップの店員さんになりたい」、「パン屋さんになりたい」…子供らしくていいですね

その中で、ごく少数ですが…

「大金もちになりたい」

いいね、その夢。我々の海外投資コミュニティにスカウトしたいな…

ところで、「大金持ち」って、何だろう?

自分は大金持ちになったことないし、でも、海外不動産投資の会員組織を運営している一上、「お金」や「幸せ」について、自分なりの哲学は持ちたいと思っています。

「いくら以上、収入があれば、大金持ち」ということでは、もちろんないでしょうね。世間からどう見えるかは別として、実際には年間10億や20億、がっつり稼いでいる人でも、主観的には充足してない人が結構多い。

「まだ10億。最低100億くらい稼がなきゃ・・・」と思って、無理して事業拡大している人も結構いますよね。

あと、私の関わる不動産業界では、「仲介地獄」という言葉があります。

不動産仲介…一言でいえば、自分で所有していない、他人名義の不動産を、別の人に売って仲介手数料を稼ぐ、という仕事。

世間には、「物件右から左へ流して、濡れ手に粟のおいしい商売」と思われるかもしれませんが、実際には「千三つ屋」という言葉がある位、1000の物件があっても、そのうち3つ位しか仕事にならない、極めて歩留りの悪い仕事だったりします。

そんな、時間効率の悪い仕事、いつまで続けてても馬鹿らしいジャン、ということで、世の仲介さんは、種銭を貯めて、銀行融資を引いて自社物件を持つことにより、経営を安定させようとします。要は「自分の持ち物」を売れるから、買い手さえ見つければ商売になりますもんね。

実績ができて、事業融資がひけるようになれば、「種銭1000万貯めたら、1億の仕事ができる」、「1億貯めたら、10億の仕事ができる」、「10億貯めたら、100億の仕事ができる」…そんな世界なので、

私、不動産の事業をしている限り、「サラリーマン時代の年収の5倍10倍の売り上げ」位では、到底、充足感を味わうことはできそうもない、と思っています。

※)サラリーマンは給与を得る身分なので、「年収」という概念が使えますが、事業主になると、どんな基準で金回りを測ればいいんだろねえ。売上?利益?社長(自分)に出す給料?自社株や不動産などの資産総額?

オカネの面で、「もう、これで十分よ♪」みたいな充足感を味わうには、一体何が必要なんだろう?

思うに、「何らかの仕組みを構築して、自分の懐に、チャリーン、チャリーンと、自動的に銭が溜まっていく状態」をつくって、それで、自分や家族の生活ニーズ、旅行・教育ニーズ、社会的ステータスのニーズ…全てが満たされて、なお余りあるキャッシュフローができれば、おそらく、満たされるのではなかろうかと?

生活ニーズや、旅行・教育ニーズに関しては、そんなに差はないでしょう(年収概念で言えば、税引後で2~3000万もあれば十分でしょ、みたいな…)。ただ、社会的ステータスのニーズは、大きな個人差があると思います。

派手に稼いで、派手にぶっとんだ(といわれる…)ネオ・ヒルズ族、与沢翼氏みたいに、ロールスロイスやフェラーリを大人買いして、六本木で毎晩豪遊してたら、いくらお金があっても足りないと思うし、

逆に、私はそんなもの要らないし、カローラや新幹線、ビジネスホテル、地元の田んぼでとった「セリのおひたし」「ツクシの天ぷら」「イナゴ佃煮」程度で十分満足できるから、少ない額でも満足できるでしょうね。

先ほどの話に戻ると、「自分の懐に、チャリーン、チャリーンと、自動的に銭が溜まる」状態を目指すなら、いろんな方法がありますね。不動産(家賃収入)はその最たるものだし、他に印税とか、Webサービスつくって使用料収入とか、会長報酬とか…

それがつくれれば、「俺って、大金持ちだぜ!」感覚を味わえるのかもしれません。

あと、自分が首尾よく「大金持ち」になったとして、そのお金の使い方として、最高に満足度高いのは、たぶん「寄付」だと思います。

たとえば、10億くらい、気前よくポーンと出して、

このお金、柏の発展のために、使ってください

みたいなことできたら、気持ちいいだろうな。

自分が寄付したものが、「かたち」になったら、もっと気分いいだろうな(たとえば、柏ベルサイユ住宅みたいに)。

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五反田梁山泊

おはようございます。Manachanです。

サラリーマンをやめて、1年3か月。
JR山手線、五反田駅の近くにオフィスを借りて、5か月
宅建業の免許を取って、2か月半…

まだ開業したばかりの駆け出しではありますが、それでも、私の五反田オフィスは、日々、来客で賑わっています。

何といっても、場所が良いですよね。品川から2駅、渋谷から3駅、新宿から6駅の五反田駅から、歩いて4分。便利で集まりやすいと評判が良い。

あと、五反田の街の雰囲気も良いですね。隣の目黒、恵比寿みたいなエスタブリッシュした感じがなくて、スキだらけで、パワーのつくB級グルメやエスニック料理がやたら多くて…元気の出る街ですね。

私、開業した当初、オフィスを訪ねて来る人々のほとんどは、不動産を売買したい投資家だと思っていたのですが、蓋を開けてみれば、意外にも、「起業・独立相談」が多い。

会社で30年勤め上げたけど、夢を求めて仲間と起業した
子供の進学で学費が嵩むのに、給料全然上がらないから、生活のために副業を始めた
留学生として日本の大学を卒業、日本企業に就職したけれど、どうしてもビジネスをしたくて会社を興した

それぞれ、国籍、年齢、性別も様々。いろんなライフ・ストーリーをもった方々が、五反田駅で降りて、私のオフィスにやってきます。

そして、いろんなビジネスの話が持ち込まれます。たとえば、

日本の投資家と海外物件をつなぐ情報ポータルをつくるビジネス
ミャンマーで収益ビルを建設するビジネス
カンボジアのコンドミニアムや土地を販売するビジネス
フィリピンで土地を担保にとった融資ビジネス 
日本のシニア向けに台湾でロングステイハウスをつくるビジネス 等々…

私は、その全てに通暁しているわけではありませんが、「このビジネスなら、AさんとBさんを引き合わせると面白いだろうな」と思えば、ミーティングの場をセットしたり、時には資金調達の方法をお伝えしたりしています。

なんだか、中国の古典文学「水滸伝」に出てくる「梁山泊」(りょうざんぱく)みたい…

「梁山泊」、ご存じですか?(パチンコ梁山泊じゃなくて…)。舞台は12世紀初頭の中国、「北宋」王朝の末期、汚職や不正がはびこり、世の中が不安定だった時代、軍師、槍の名手、弓の名手、拳法の達人、破戒僧…世の中の枠組に収まらない、様々な特技を持った「漢」(おとこ)たちが、山東省にある船着き場「梁山泊」に集う。

この不思議な集団は、総勢108名になり、首領「宋江」のもと、「梁山泊108好漢」とよばれる統制のとれた反乱軍になり、悪徳官吏を打倒し、国を救うことを目指すようになる…

水滸伝は、日本でも江戸時代には民衆の読み物として親しまれ、「梁山泊」は、何らかの志を持った人々のたまり場、という意味で、日本語でも定着しました。たとえば、

明治初期の東京、大隈重信の私邸には、日本の近代国家づくりを志す井上馨、伊藤博文ら若手官僚が集まり政談にふけった。ここは「築地梁山泊」と呼ばれた…

戦後になると、手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎が下宿する東京・練馬の「トキワ荘」が、「マンガ家の梁山泊」と呼ばれた。

私のオフィスは、「五反田梁山泊」になりつつあるのかも…

起業を目指す方々が来ると、すごく楽しいです。皆さん、会社や学校の枠組みにおさまらない、スケールの大きさを持った方々ですので…

「漢」(おとこ)として、職業人生を全うするために、日々、全速力で動きまくっている方々ですので…

彼らに囲まれていると、閉塞感なんて、全然感じないですね。ものすごい前向きなパワーに包まれ、五反田もとい、日本の未来は前途洋々に見える。

私のオフィスに、宅建業免許が掲示してありますが、もはや不動産業とはいえないな。いっそのこと、起業支援センター、インキュベーションオフィスにした方がいいのかも。

我ら「梁山泊」。反乱軍じゃないけれど、日本を覆う重苦しい閉塞感や無力感、そして先人が築き上げた経済大国ニッポンに「ぶら下がる」、「人の足を引っ張る」メンタリティと、日々、戦っています。

「俺のつくるWeb TV局を、いつかCNN以上のメディアにする!」とか、
「俺の目の黒いうちに、柏を、横浜以上の都市にする!」とか、

緻密なビジネスプランの合間に、大言壮語が飛び交う。いかに荒唐無稽に聞こえようとも、強く願い続ければ、仲間を集めて行動し続ければ、いつか叶うかもしれないと、心のどこかで思っている現代の「梁山泊好漢」たち。

ここ五反田を舞台に、大きなムーブメントを起こせるといいな…

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