語学

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通訳にならなかった理由

おはようございます、Manachanです。今回は久々の語学ねたで…

私、海外出張がむちゃ多くて、我ながらどこに住んでいるのかわからない状態ですが、一応は東京在住です。滞在日数は一年のうち日本国内7割:海外3割といったところ。

日本にいる時は、東京・半蔵門のシェアオフィスで仕事する機会が多くなっています(五反田オフィスもあるけど、自宅から近くて便利な半蔵門に、ついつい行ってしまいます…)。

 

半蔵門といえば、20年ほど前、アイエスエスという学校で日中(日本語⇔中国語)同時通訳コースに通っていたことを思い出します。毎週日曜日の午前中、千葉県柏市の実家から、片道1時間かけて通学してました。

当時、私は20代後半の駆け出しサラリーマン。年収が高いとはいません。幸い、ほぼ定時に終われる職場だったので、自由時間を使って、第二の収入の途を模索していました。当時、注力していたのが、「外国語能力を活かした副業」。要は、通訳や翻訳、ということになります。

 

当時、同時通訳コースで一緒に学んだクラスメートは、約10名。私以外、全員女性でした。日本人7割で中国人3割、三重県の桑名から通学していた仲間もいました。こじんまりしたクラスで、仲良かったですよ。半蔵門・麹町の中華めし屋でランチとかよく行ってました。

私はそのクラスの中で、成績は比較的良い方でした。一度、クラスから選ばれて、同時通訳ブースに入ってトライアル会議通訳をやったこともあります。学習は楽しかったし、一時はプロになることも考えましたが、残念ながら、本業のサラリーマンの方で転職、九州へ転勤辞令と、環境が激変したため、通訳の学習を続けることができなくなりました。

 

ただ幸いにして、40代後半になった今でも、語学力を使った活躍の場はたくさんあります。たとえば今週、東京、名古屋、福岡で行われる英国不動産セミナーでは日英通訳をやってますし、7月の英国不動産視察ツアーでも、4泊5日間、日本人参加者のアテンド通訳をしました。9月には北京で中国語でセミナー講演と、多くの商談をこなしました。

英語、中国語だけでなく、タイ語や韓国語も読めるし書けるし、それなりに話せるので、特にタイを舞台とする調査チームや商談のメンバーにいつも加えていただいてます。海外滞在が長くなるのも、数名のチームで仕事するなかで、私の語学能力を前提に物事が進むことが多いからです。

 

その意味では、「20代の頃に思い描いていたことが、いま、実現した」と言っても良いし、実際、プロの通訳になるより、今みたいに「メインの仕事(不動産)があるなかで語学力も活かせる」方が自分にとってはハッピーです

通訳の仕事、できるし、嫌いじゃないけど、それだけでは、何か物足りないのです。それはたぶん、「他人のつくったコンテンツを、別の言葉に変換するだけの仕事だから」だと思います。

 

もっとも、通訳の仕事の面白さは、それなりにあります。いわゆる機械翻訳と違い、生身の人間のやる通訳は、お互い違う文化・商習慣の文脈(コンテクスト)を考慮しつつ、聞き手に伝わりやすい最適な言葉や表現を選ぶ、という作業が発生するからです。それが「人間が通訳をやる」付加価値でもあります。

たとえば、私が不動産セミナーでの通訳をやる場合、英国と日本の不動産マーケット、それを支える法律、社会システム、税制…そうした知識が頭に入った状態で通訳しますので、不動産知識が乏しい者が通訳するよりはクオリティの高い仕事ができると自負しています。

 

ただ、それでも、自分の頭を使ってコンテンツをつくって、それを皆様に伝えた方が、断然楽しいです。今の私は、自ら不動産ビジネスを経営し、その中でコンテンツがつくられる。語学力は本業のビジネスを広げるために有効活用される…それが、自分にとって最適なかたちなのかなと思っています。

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「なんちゃって日本語」業者にムカつく理由

こんばんは、Manachan@北京出張中です。

ここ北京では、エキサイティングな仕事と、素晴らしいグルメで充実の日々を送っておりますが、その話題は次回以降に回して、今回は「日本語コミュニケーション能力」のテーマで書きます。

海外不動産関連の仕事をしていると、普段使う言葉は英語か、物件所在地の現地語になることが多いですが、たまに、日本語が使えるケースがあります。不動産仲介業者、管理会社、弁護士…といった人々が海外在住の日本人だったり、あるいは日本語堪能な外国人であった場合がそれです。

「海外なのに相手が日本語使ってくれるなんてラクじゃん」と一瞬思うけど、甘い!彼らと日本語でメールのやりとりをしばらくすると、結構な違和感を感じます。端的にいうと「ムカつく」んです。

お互いの立場としては、彼らが「業者」で、私が「客」あるいは「客の代理人」としてやりとりすることが多いですが、彼らは日本の民間事業者なら「ありえない」レベルの、相手に嫌われるコミュニケーションをすることがあります。典型的なパターンは3つ。

1、「客の言い分を聞くより先に、自分の言い分を言う」
⇒(独白)そんなのお宅の事情で、客の知ったことじゃないだろ!と思う。

2.「自分が客に対してできることを言う前に、最初から”できません”を言う」
⇒(独白)いろんな制約があるのは分かるよ。でもそれ以前に、客のために何かできるのを考えるのがおたくらの仕事でしょ?と思う。

3.「相手に要求する時に、ストレートに言う」
⇒(独白)日本では「大変申し訳ありませんが、かくかくしかじかの事情で、~していただけたら幸いです」と前置きをするのが普通。内心で申し訳なく思ってなくても、相手に受け入れられるためのそれが最低限のマナー。

上の内容を、日本語じゃなくて、英語で言ってたら、多分そんなに問題はないのですよ。

私も英語圏で長年仕事してましたけど、業者が客に対して「自分の言い分から先に言う」、「要求をストレートに言う」のは普通だったし、最低限の礼儀ある言葉さえ使えば問題にはならない。

でも、業者が日本語を使って日本人客と話した瞬間、「磁場」が変わります。自動的に「日本の業者と客」の関係になり、TPOや相対的立場に応じたコミュニケーション能力が求められ、その観点から判定されて、好かれたり嫌われたりするのです。

業者側には日本社会で当然に求められる配慮や言葉遣いが、暗黙のうちに要求され、それができないと「使えねえ業者」、「失礼な業者」の烙印を押されるのです。

その点の機敏を、海外に長年住んだ方は、分からないことが多い。他の言語圏で暮らしている以上、仕方ないことではありますが、せっかく日本語を使ってサービスしても、日本語を適切なレベルで使いこなせないことのマイナスが目立ってしまうのです。

とはいえ私は、日本式のコミュニケーションが他の文化圏のそれより良いとか、優れているとかは、これっぽっちも思っていません。特に業者と客の関係になった時、日本のコミュニケーションはフェアじゃないと感じる面も多い。

日本語には、いろんなお作法があって、いろんな配慮をしなくちゃならず、面倒くさい。これが英語や中国語だったなら、どんなに楽だろうかと思うことも多々あります。

ですが、日本人を客としてビジネスをすると決めた以上、特にサービス業の場合、日本語コミュニケーションを高いレベルでこなす能力は、欠かせません。

サービス業は、人と人とのやりとりを通じて、価値が実現される産業です。言いかえると、相手を満足させて、良い気持ちにさせて、お金をもらう性質の仕事です。だから、貧弱なコミュニケーションで下手こいたら致命傷になる可能性がある。その点は極めてシビア。

〇「日本語で用件が伝えられるスキル」と、「日本語のやりとりを通じて相手を満足・安心させるスキル」とは、レベルが違う。

〇サービス業をやる場合は、暗黙のうちに、後者のレベルが求められる。前者のレベルしかないと、トラブル、クレームのもとになる

私は海外に長年住んだあと、日本に帰って客先常駐のプロジェクトマネージャーをやって、わがままで横暴な客とのやりとりに、かなり苦労しました。悔しい思いもたくさんしてきました。

その原体験があるから、声を大にして言いたいのです。コミュニケーションスキルが足りなければ、問題を直視して、克服しなければならないことを…
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タイの文化と人々が面白い…

おはようございます、Manachanです。いつもは不動産投資の話題ですが、今回は趣向を変えて、「語学と文化」ねたで書いてみます。

 

私は昨年4月に、東京・飯田橋の学校で、タイ語のプライベートレッスンを始めました。学習のきっかけは、昨年7月にバンコク、今年1月にパタヤ・シラチャーで不動産マーケット調査をするにあたって、タイ語の基本的な読み書き会話ができた方が便利という理由でした。実際、むちゃくちゃ役に立ちました。バンコク都心を少し外れると英語がほぼ通じない、タイ文字ばかりの世界になりますから。

で、蓋を開けてみれば、タイでの不動産マーケット調査が終わっても、相変わらず学習を続けています。先生にも恵まれ、楽しいから続けているんですよね。私は出張多い身ですけど、東京にいる時は、1~2週間に1度のペースで、2時間のレッスンを受け、その事前学習に2~3時間くらい費やしています。

40代半ばを過ぎると、記憶力が落ちてきて、「単語4つ覚えて、3つ忘れる」みたいな効率の悪さですが、自分のペースで学習続けていると、頑張れば文章もそれなりに読めるようになるものです。

 

私のタイ語は、いま中級レベル。「読み」を中心に学習しています。普段は、日本で出版されている「中級タイ語総合読本」と、

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タイ本国で外国人向け学習教材として出版されている「UTL (Unity Thai Language Shool、ユニティタイ語学校)」のプリントを併用しています。

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「中級タイ語総合読本」の方は、少し古風な教科書といった感じの読み物、タイの地理、気候、民族、観光地、家屋、結婚、家族、葬式など、スタンダードな内容を、当たり障りのない言葉で扱います。私が読むと、ちょっと退屈…

一方、UTLの方は対照的に、「生きたタイ語の読み物」。タイ人ライターが、皆さんの関心あるトピックについて、いま普通に使われているタイ語で書いた、1500字位のエッセイで構成されています。こちらの方は、読んでてとても面白い。ブロガーの知識欲、文章表現に対する興味を、十分満足させてくれる内容です。

これまで読んだUTLのエッセイのなかで、一番好きな文章がこれです。思い切り意訳して日本語で書きますね。

 

タイのやくざとヤンキー」(นักเลงโต)

昔、タイの農村ではどこも、「盗賊」が悩みの種でした。特に裕福な村では、いつ盗賊に襲われて大事な財産を盗られるか分からず、不安で夜も安心して眠れませんでした。警察など、ろくになかった時代でしたから、どの村にも、壮健な若者からなる「やくざ組織」があって、暴力には暴力で対抗することで、村人の財産を守っていたものです。

当時、タイの村々にいたやくざ者は、命知らずでケンカが滅法強く、人々の畏敬の的でした。また、子分や仲間がたくさんいて、ケチケチしない「気前の良さ」が身上でもありました。当然、暴力は振るいますが、村に欠かせない大事な役割を果たしていたのです。

時代は下り、社会が都市化・組織化されてくると、「古き良きやくざ者」の居場所が、だんだんなくなっていきました。今日のタイ農村では、「やくざ者」は単なる「チンピラ」「ヤンキー」の類に成り下がり、単に乱暴な連中というネガティブなイメージになりました。農村の生活は退屈で、若い身体を持て余してしまいますから、ヤンキーの兄ちゃんたちは、スリルと興奮を求めて、隣り村の水牛を盗むなどの悪さをします。なお、タイの近隣諸国でも、同じような「やくざ者」はたくさんいます。

 

読んだ感想…何だか、日本とよく似てますね。タイのやくざ者気質は、日本の「任侠の世界」を彷彿とさせます。「堅気には迷惑かけねえ」、ご近所に優しい「その筋の方々」は、今日でも日本各地にいますよね。

現代だと法律が整備されるので、彼らはどうしても「反社」指定されたりして、居心地が悪くなるものです。タイ版「農村ヤンキー」も、構図的には日本と似てますね。日本の田舎ヤンキー、さすがに水牛は盗まないけど、改造したバイク乗り回したりして、退屈な日々にスリルを求めようとしているわけで…

 

あと、この文章も好きです。

 

タイ人の教育」(การศึกษาของคนไทย)

昔、タイの農村には学校がありませんでした。子供たちは、掃除洗濯、炊事、野菜の育て方、家畜の扱い方など、生きていく上の知恵や技能を、親や年長者から自然と学んだものです。

当時は、「お寺」が教育機関の役割を果たした面もあります。タイは仏教の国ですから、仏教寺院はどの村にもあり、読み書きのできる「僧侶」がいます。男の子はお寺に住み込んで、お寺の仕事を手伝いながら、読み書きや礼儀作法を習うこともありました。なお、これは男の子だけの特権でした。女の子はお寺に住み込むことは許されず、読み書きを習う機会もほぼありませんでした。

ラーマ3世の時代(1850年頃、江戸時代末期)に、タイで初めての学校ができました。これは皇都バンコクの王宮内に設置され、王族の子女しか学ぶことはできませんでした。時代は下り、ラーマ5世の時代(1900年頃、明治後期)になって、王族だけでなく一般人男女にも学校教育の機会が開放されましたが、結局、子供に学校教育を受けさせるのは経済力のある家庭に限られました。

今のような現代的な学校制度が確立したのは、1960年頃です。今日のタイでは男女の区別なく、誰もが学校に通い、読み書きができて当たり前という状況になりました。

 

感想…教育をめぐるタイの話を聞くと、やはり、日本の風景とダブってみえます。学校制度の確立以前、農村のお寺が教育機関の役割を果たしたのも、また、教育機会が男の子に偏重していたのも、日本と似てますし、また、タイで学校制度が確立した時期や、発達の経緯も、日本と大きな差がないですね。

 

あと、「石油の値上がりで生活が苦しくなった時、学校の先生が子供たちと一生懸命エネルギー節約の方法を考える話」とか、「タイ人が憧れる職業の話」とか、「タイ人の敬愛を一身に集める王室の話」とか、「庇(ひさし)を貸して母屋をとられた話」など、UTL教材には他にも良いエッセイがいろいろあります。

これ読めば読むほど、タイの文化や人々が、自分にとって身近な存在になってきますね。西洋の読み物も好きですが、タイの場合、田畑とかお寺とか、お祭りとかがいつも出てきて、日本の風景と似ているからイメージしやすい。王室(天皇)を敬う心とか、農村が都市化されて近代住宅になっていく風景とか、どんどん複雑になっていく今日の社会、現代ならではの人々の悩みとか…いろんな意味で、タイは日本を映す鏡と言っても良い。

 

チャオプラヤー河に、上流から椰子の葉や実が流れ来る、常夏の国タイ。日本から遠く離れて気候風土も違うけど、水田農耕をベースにした、同じアジアの国で、仏教や王室など共通点も多い。タイの言葉を学んでみると、「我々に似ているんだなあ~」と、さらに親近感がわいてきます。これからも学習を続けようと思います。

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「話せるだけ」じゃ困ります~多言語教育はつらいよ

こんばんはManachanです。

数日前から、家族とともにオーストラリア・ケアンズに滞在しています。仕事はほどほどに、日がな一日、子供たちと過ごしているので、ブログも自然、「育児」ねたが多くなる今日この頃です。

今回の日記は前回(言語技術者のぼやき)に引き続き、「多言語教育」に関して考察してみたいと思います。

 

ソフィアちゃんやポニー君は、子供の頃から、英語や中国語ができて羨ましいわねえ」と、周囲の人からよく言われます。確かに、普段の家庭生活で三か国語(日、英、中)が入り乱れる環境で過ごせるのは、日本でもオーストラリアでも、得難いことだと思います。また子供の言語習得能力は高いですから、話し言葉に関しては「日本語と英語が両方ネイティブ」の上に、「中国語も聞いて分かる」状態が実現できています。

でも、実際に子育てしている親の立場からいうと、「話し言葉なんて、大したことないよ」、「本当に大変なのは学校の勉強」と言わざるを得ない…

 

それを、Spoken Language(話し言葉)とAcademic Language(学習言語)という、二つのキーワードを使って説明してみましょう。

子供に多言語教育させたい親は多いと思いますが、真の意味でマルチリンガルにするには、Spoken LanguageとAcademic Languageの両方を習得させなければなりません。特にAcademic Languageはものすごく大事で、これが中途半端になってしまうと、大人になった時、「○○人(日本語人?英語人?)として普通の社会生活」ができなくなり、就職や進学にも支障を来たしてしまいます。

世の中、「英語と日本語を流暢に話すことができれば日英バイリンガル」だとみられることがあります。でもこれは、Spoken Languageが上手にできるだけの話にすぎません。そんな人でも、漢字の読み書きがからきしダメとか、英文エッセイを書いてもスペリングや構文が滅茶苦茶だったり、私はそんなケースを結構見聞きしてきました。つまり、Academic Languageの習得に失敗しているわけです。こういう人は、日本でも英語圏でも就職に苦労します。

 

私の実感からいうと、

・多言語教育のなかで、Academic Languageの習得は、全体の9割以上の労力を要する。
・話し言葉で数か国語を操る子供でさえも、Academic Languageは一つしか持つことができない。
・大体、小学校5年生くらいまでに、Academic Languageを決めなければならない。

 

東京都内に住む、うちの子供たちは、普段は「区立の小学校」で日本語の教育を受け、土曜日だけ「英語の補習校」に通っています。つまり、Academic Languageを「日本語メイン、英語サブ」にしています。

上の子(ソフィア)は小学5年生ですが、この歳になると、「英語の補習校」をやめる子がたくさん出てきます。その理由は、「インターナショナルスクール」で英語の教育を受けるから…Academic Languageを英語と決めた場合、日本では小学校5年位までに始めないと間に合わないと、多くの親が判断しているのです。

 

そういう子供たちは、日本の小学校にも行かなくなりますし、数学、理科、社会、音楽、図工など各教科を、英語でこなすことになります。目指すのはもちろん、英語圏での進学。もちろん、日本に住んでいるのでSpoken Languageとしての日本語は維持できますが、Academic Languageとしての日本語能力は、漢字の読み書き含めて、とりあえず小4で止まってしまいます。

そういう子たちが、Academic Languageを含めて、真の日英バイリンガルになるには、まず英語で高等教育を受け、抽象的な概念や思考を学べるようになってから、日本語を学び直すしかありません。もちろん、小4まで日本で教育を受けている分、全くの初学者よりは断然有利ですが…英語圏にいて、漢字のたくさんある日本語を学び直すことが決して簡単ではないことは容易に想像がつきます。

 

我が家に関しては、ソフィア(小5)のAcademic Languageを日本語にすることを決めました。今後当面、東京に住むわけだから、日本語の教育の方が断然やりやすくて低コストだし、また我が家には「中国語」という言語要素もありますので、漢字を多く含む日本語で教育した方が、将来、中国語へ横展開するにも有利だと考えています。

ただ、この子は日本語にしろ英語にしろ、学校という組織に合わない性分。不登校問題も起こすので、親としては苦労が絶えません…

一方、ポニー(小2)に関しては、Academic Languageを英語にする目もまだ残っています。この子はお姉ちゃんに比べて学校や勉強への適性が高く、日本語も英語も成績はまずまず。どちらを選ぶか、今後、2~3年かけてじっくり考えます。

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言語技術者のぼやき

こんにちは、Manachanです。7月30日から、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で、家族と過ごしています。早いものでもう4日目ですね。

今、この家はなかなか賑やかで、義母、義姉、そして我が家(私と妻、子供2人)の計6名が常時いる他、ケアンズに住む義弟も毎日のように来ます。私がケアンズに来た日には、義姉の旦那さんがいたし、明日からは義母の妹が米国ロサンゼルスから飛んできます。

 

この家族は、全員、3か国語以上を話します。家族のルーツは台湾ですが、その後、日本に6年、タイに3年、インドネシアを経て、今はオーストラリアに定住しています。妻の二人の姉は日本で生まれ、弟はタイで生まれ、各地でいろんな言葉を話してきた…そんな環境で過ごせば、特別な学習をしなくても多言語話者になります。

私自身も、この家に毎年来るようになって、もう20年以上になります。育った環境こそ日本語オンリーでしたが、大人になってから英語圏と中国語圏で長年過ごしたので、今ではこの多言語ファミリーに違和感なく溶け込んでいます。

 

この家の食卓では、大人も子供も、自分と相手の関係に応じて、誰もが英語、中国語、日本語のいずれかを使い分けます。二人の子供たちも、義母からは中国語、妻や義姉からは英語、私からは日本語と、三つの言語で話しかけられて、それぞれの言語で返答します。生まれながら、ナチュラルにマルチリンガル。

この家の食卓に、時々、単一言語しか話さない人が入ってきます。例えば、義姉の旦那さん(アメリカ人男性)、義弟のパートナー(オーストラリア人男性)は、いずれも英語しか話しませんが、そういう時は皆が彼らに合わせて、英語オンリーの会話になります。

 

子供の頃から、農作業を手伝っていれば、植物の知識と、要領の良い身のこなしが自然に身に着くのと同じように、普段、多言語環境で過ごしていれば、誰もがナチュラルに、多言語話者になります。私もその一人だし、その能力を特別なこととか、特に優れているとかは思わないのですが、

その私が、日本という、「単一言語話者」が圧倒的に多い社会に行くと、「英語や中国語の能力」がそのまま、「特殊能力・技術」として重宝される、おカネにもなる…という、不思議な体験をします。

確かに日本で、日本語オンリーの家庭で育てば、英語や中国語が、生活のなかでナチュラルに身につくものではありません。そういう能力は、留学とか高額な教育機関とか、おカネをかけて身につけるものなので、私が自然に(カネかけずに)身につけた英語や中国語の能力がおカネになるのも、理屈からすれば当たり前ですが、

 

・私にとっては「日本語」も「英語」も「中国語」も、日常生活や仕事で使う当たり前の言葉なのですが、

・でも日本語しか話さない人々からみれば、私は「日本語の世界」と「英語や中国語の世界」をつなぐ「言語技術者」に見えるらしい。

 

自分が「言語技術者」として重宝されるのは有り難いことだし、求められればもちろん、皆さんの期待値を踏まえて行動しますけど、その過程で、日本語の単一言語話者に対する「違和感」や「カルチャーの違い」を感じることがあります。例えば、

 

・外国語の発音・アクセントをやたら気にする人がいる。例えばクイーンズイングリッシュのアクセントがどうとか、豪州訛りがうつったら嫌だとか…

⇒私たち多言語話者の多くは、どのアクセントであろうと、厳密に気にしない。会話のなかで大体の意味が通じればいいと割り切る。

 

・外国語の言い回しを厳密に気にする人がいる。例えばメールの末尾に書くBest RegardsとかYours SincerlyとかBest Wishesなどについて、誰がどういう場合に使うのか、みたいなことにこだわる。

⇒私たち多言語話者の多くは、別にそんな些末にこだわるより、同じ内容で言い回しが何通りもあるのは当たり前なんだからとっとと覚えればいいじゃんと考える。

 

また、彼らの外国語学習のスタイルに関しても、違和感を感じることがあります。

 

・自分たちが日本語しか話さず、他の外国語を覚える気がないのに、自分の子供には高いお金をかけて英語を身に着けさせようとする人がいる。

⇒私たち多言語話者は、新たな外国語を学ぶことに関する抵抗感がほぼないので、もし子供に英語やらせたいのなら、まず親である自分が先に英語を覚えて、家庭内で日常的に英語を話す環境をつくる方が早いと考える。また、生活のなかで自然に外国語を学んできたので、子供たちに「英語に慣れさせる」ためだけに大金を使うことは不思議だと感じる。

 

・子供たちが日本語を確立する年齢になる前に、英語圏に語学留学させようとする人がいる。

⇒英語留学の過程で、日本語の読み書き含めたサポート体制がしっかりしていればいいけど、そうでないなら「日本語があやふやになるリスク」の方を強く感じる。私たち多言語話者は、「英語は世界中の何十億人が話すありふれたスキル」なのに対し「日本語は1億数千万人しか話せない特殊スキル」という感覚が強く、同時に日本語の経済的価値の高さも認めている。せっかく日本に住んで両親とも日本語話者なら、まず子供たちが日本語の読み書きを確立してから、英語が必要になった時に後付けでやればいいじゃんと考える。

 

Englishが話せるなんて当たり前、漢字の読み書きできる方がすごいじゃん!

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そのような違和感も含めて、私たち「多言語話者」のものの見方、感じ方を、日本社会にフィードバックしていくことは大事だと思っています。そろそろ公立の小学校でも英語クラスが義務化されますし、東京はじめ都市部では外国人住民が少なからず暮らしているわけですし…徐々にマルチカルチュラル、マルチリンガルへの舵を切る日本社会に、有益な情報を与えていきたいと思います。

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学びやすいベンガル語

こんばんはManachanです。今回は久々の語学ねたでいきます。

来週火曜日から、また海外出張が入りました。行き先はバングラデシュの首都ダッカ

同国への渡航は、意外にも、お初なんですよね。西隣のインドには5回、東隣のミャンマーには4回行ってるのに、なぜか、バングラデシュだけ盲点だったんです…ところで、バングラデシュで話される言葉といえば、

 

ベンガル語(Bengali)

 

そもそも、バングラデシュ(Bangladesh)という国名が、「ベンガル人(ベンガル語を話す人)の国」という意味です。原語で発音すると「バングラ」(Bangla)なので、「バングラ語」と呼ぶべきかもしれませんね。このベンガル語、数字の上ではなかなか大したもので、

 

・話者人口、2.2億人(世界第7位)
・うち、バングラデシュで、約1.3~1.4億人
・インド(西ベンガル州等)で、約0.8億人
・ベンガル語圏の大都市…コルカタ(インド)、ダッカ(バングラデシュ)

 

なんと、日本語の約2倍の話者人口がいる大言語なんですね。地図で表すと、下記のピンク色の部分、インド亜大陸の東部が、ベンガル語が使われる地域であり、インドとバングラデシュ、二か国にまたがっています。分かりやすくいうと、

ベンガル西部⇒インド領(西ベンガル州、州都コルカタ)
ベンガル東部⇒バングラデシュとして独立、首都ダッカ

bengali

 

ところで、ベンガル語のアルファベットは、こんな感じです。見慣れない、とっつきにくそうな文字。全くの独学だと、覚えるのなかなかキツイかもしれません。

bengalialphabet

 

でも幸いなことに、いま我が家に、インド・オリッサ州出身の家族が泊まりにきています。オリッサ州はインド東部、「西ベンガル州」の真南にあります(上の地図の赤い部分)。

オリッサ州では、オリヤー語(Oriya)という言葉が話されています。オリヤー語のアルファベットはこんな感じ。隣のベンガル語と似ても似つかない、丸っこい文字です。

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何となく、昔流行った、「変体少女文字」を思い出させますね。

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ですが、文字は違えど、オリヤー語はベンガル語によく似た言語だそうで…オリッサ州で育てば、ベンガル語での意思疎通は一応可能。コルカタやダッカに行っても、地元の人間の言葉は聞いて分かるし、文字も読めるようです。流暢に話すのは難しいとのことですが…

そこで今回、オリッサ州出身の友人に、「指さし会話 ベンガル語」からプリントアウトしたベンガル語の文章を一通り読んでもらいました。こうすることで、すごく縁遠く感じていたベンガル語が、一気に身近に感じられるようになりました。

 

折しも、私がベトナム語学習で使っていたノートが、ちょっと油断した隙に、娘に落書きされてしまったので…それを丸ごと、ベンガル語学習ノートにしました。

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アルファベット表と、「指さし会話 ベンガル語」をみながら、興味の赴くまま、書き写してみる。

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その後、ベンガル語の単語を読んでみると…意外に、簡単に読めちゃうものですね。日本語の「あいうえお」に似て、文字と発音がほぼ一致しているので、文字さえ覚えてしまえば基本、読める。

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しかも面白いことに、ベンガル語の語順は日本語とほぼ同じ

東京から来ました  
⇒トキオテケエシェチ

あなたの名前は何ですか?
⇒アプナルナームキー?

インド人の友人も、「日本語は、漢字難しいけど、文法は楽勝」と言ってましたもんね。

 

出発まで、あと6日間ありますので、ベンガル文字を一通り読めるようにする他、「ベンガル数字」を解読できるようになれば、バングラデシュでローカル食堂でメシ食ったり、地元の床屋で髪切ったりできるようになって、有意義な滞在にできそうですね。

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感動のインドネシア語

こんばんは、Manachanです。

今朝から、東京飯田橋の語学学校で、インドネシア語を学びはじめました。マンツーマンレッスン形式で、10~12時までインドネシア語、12~13時までタイ語と、3時間ぶっ続けだったので結構ハードでした。

 

タイ語、ベトナム語と並行して、インドネシア語まで学ぶ・・・お互いに違いの大きい3ヶ国語の同時並行学習は常識的なやり方ではないのは分かってますが、もちろん、私なりの計画と勝算があってのことです。昨年10月1日のブログ「半年+30%多言語習得戦略」では、2016年3月にはインドネシア語の学習を始め、半年後には「とりあえず使える」(習熟度30%)レベルになると書いてますが、今のところ大体、描いた通りのスケジュールで学習が進んでいます。

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インドネシア語は、マーケットも大きく、将来性あふれる言語だと思います。

・話者人口 1億6500万人 (世界10位前後)

・2億以上の人口を持つ大国インドネシアの共通語

・隣りのマレーシアでも通じる言葉

 

下の地図の範囲内ではだいたい通じる言葉といえます。同じアジアで日本から比較的近く、経済関係も密接、将来的な伸びしろも大きい国ですので、インドネシア語の利用価値は高いですね。私は、今年後半に予定している「ジャカルタ不動産マーケット現地調査」に向けた準備の一環として、この言葉を学んでいます。

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もっとも、インドネシア語を母語とする人数は少なく、せいぜい2000万人台だそうです。広大なインドネシアの島々では700を超える言語が話され、お互いの意思疎通もままなりません。インドネシア国家統一に伴い、リアウ州(スマトラ島東岸、マレーシアに近い地域)で話される言葉が、諸民族の意思疎通のための共通語として選ばれ、「インドネシア語」となりました。

ですので、インドネシア人の大多数は、日常的には彼らの母語(ジャワ語、スンダ語、バリ語など)を使い、第二言語として「インドネシア語」を学ぶのです。

 

このインドネシア語という言葉…とにかく、とっつきやすいことで有名です。

・発音が簡単 (ローマ字の棒読みで大体OK)

・文字はアルファベット

・表記と発音がほぼ一致 

・時制もない、語形変化もない

・文法は自由度が高く、語順にうるさくない (日本語に似ている・・)

・英語そのままの語彙が多い(Information->Informasi, Pharmacy->Farmasi)

 

今日、インドネシア人の先生から初めてレッスン受けてみて・・・びっくり。拍子抜けする位、分かりやすいんです。

・えっ、まじ?こんなに簡単でいいの?

・これまでの、タイ語とベトナム語の苦労は、あれは一体なんだったんだ?

 

タイ語の場合、まずはあの難解そうなタイ文字を覚えなければなりません。しかも、声調は5つもあるし、子音と声調記号の組み合わせを覚えないと、正しい声調で発音できません。また、文字と音声が一致しないことも多いです。

その点、インドネシア語は、日本の小学4年生で覚えるローマ字みたいなアルファベット言葉だし、声調もない。文字と音声もほぼ一致…何だこのラクさは!

 

ベトナム語の場合、ローマ字だから文字的にはとっつきやすいし、同じ漢字文化圏なので日本の漢語みたいな語彙(漢越語)も少なくありません。でもその代わり、発音と声調はかなり厳密にできるようにならないと通じません。

その点、インドネシア語は声調なし、発音簡単(小学生がローマ字文読んでるみたい!)

 

もう、拍子抜けする位、簡単!とりあえず、日常会話レベルとか、初級レベルであれば、インドネシア語の学びやすさは、世界でもピカイチだと思います(中上級レベルになると、結構難しいようですが・・・)

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東南アジアによく行く人なら、インドネシア語、利用価値も大きいと思うし、是非学んでみては・・・

 

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日本人になるために…

こんにちは、Manachanです。今回は不動産を離れ、「育児」ねたでいきますね。

日本で子育てしていると、冬場はインフルや風邪の流行があるので、なかなか大変です。先週は娘ソフィア(小学4年)のクラスが二日間学級閉鎖になり、一息ついたと思ったら今週は息子ポニー(小学1年)のクラスが学級閉鎖に。

子供たちは、「家でゆっくりゲームできる!」と喜んでいますが、親としては複雑な心境でして…

 

我が家は国際結婚。私が日本生まれ、母は台湾生まれのオーストラリア育ち。ソフィアとポニーは、生まれながらにして、日・英・中の三か国語が飛び交う環境で暮らすことを運命づけられました。

(私の顔が福山になっているのはご愛嬌ということで…)

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毎年、夏休みの1か月余りは、オーストラリア・ケアンズにある妻の実家で過ごしますが、そこではさらに複雑な言語環境があります。そのなかで、小さなソフィアとポニーは、複数の言語を、相手に応じて使い分けながら育ってきました。

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「我が子には、英語、中国語を学ばせて、国際人に育てたい」と思う日本人の親からみれば、もう、羨ましくて仕方ない環境かもしれません。確かに言語スキルの面では、英語、中国語、日本語…世界的にもメジャーな3言語に、日常的に触れられるという意味で間違いなく恵まれているでしょう。ですが、こういう家庭にありがちな、厄介な問題もあるのです。

ソフィアは以前、「自分が何国人なのか、よく分からない」と言ってた時期がありました。「どうして私はフツーの日本人の名前じゃないの?」、「ソフィア亜州香なんて、”明治神宮前原宿”みたいな名前やだ!」と。

今では、「自分は日本人であり、かつ英語人」だと言うようになりましたが(「オーストラリア人」とは言わずに、英語ネイティブスピーカーという意味で「英語人」と言ってるようです・・)、

彼女の心、そしてもっと若い弟ポニーの心に、確固とした母国「日本」ができるまでには、あと数年を要しそうな気がしています。

 

私の場合、子供たちとは違い、日本人というアイデンティティを、寸分も疑うことのない環境で育ちました。両親とも日本人だし、東京近郊ベッドタウンという土地柄、(今と違って)外国人らしき人もほぼ見かけない。ご近所さん、学校の先生…周りが日本人ばかりで、使う言葉も日本語だけ。19歳になるまで出国したことがなかったし。

自分が日本人であること、周りの人たちからも、日本人として認められていること…それは私にとって、空気のように自明なことでした。

 

良い悪いは別として、いま、ソフィアやポニーは、私の子供時代とは著しく違う環境で育っています。両人とも日本語名、英語名、中国語名、3つの名前があります。「君のルーツは複数あるんだよ」、「日本人であり、同時にオーストラリア人でもあり、中国人でもあり…それでいいんだよ」といっても、まだ小さな子供がそれを理解するのは難しい。

ソフィアの場合、本人が意識しているのかどうか知りませんが、いま一生懸命、「日本人になろうとしている」健気な努力を感じます。周りの日本人の子供たちと一緒に、妖怪ウォッチのゲームで遊ぶ、コロコロコミックを読む、宿題を見せあう、学校で日直をやる、いろんな係や当番をやる、運動会や学芸会のリハーサルをする・・・

日本の学校なので、そりゃ、かったるい面も多々ありますけど…でも、そういう一日一日の地味な積み重ねが、彼女の心のなかに、「母国・日本」、「自分は日本人」というアイデンティティをつくるような気がするのです。

ソフィアやポニーにとって、名実ともに日本人になるための条件は、たぶん「周りの人に、日本人として認められること」、「日本人として、いろんな役割を求められ、それを一つ一つ、果たしていくこと」でしょう。ナショナルアイデンティティの確立、それは根源的な人間存在に関わることであり、言語スキルなどよりはるかに大事だと思います。

今、子供たちはフツーの区立の学校に通っています。教学環境としてベストなのかどうかは評価が分かれますが、「普通に、日本人になる」には最適な環境だと思います。ここで過ごす一日、一日が大切ですね。

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日本人に英語は不要なのか?

こんにちは、Manachanです。いま、北陸新幹線「かがやき」で、金沢に向かっているところです。安中榛名を越えるとトンネルばかり、電波もバリバリ圏外っすね…

私、2月29日(月)の夜に、「複数言語習得」(マルチリンガルになる)というテーマで、東京・銀座で講演することになりました(リンク)。話の幅を広げるため、時間をみつけて、語学学習に関するブログなどを読んでいますが、そのテーマでWeb検索していると、必然的にヒットするのが、この本。

 

成毛眞著「日本人の9割に英語は要らない」

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今から数年前、楽天、ユニクロ、サイバーエージェントなどの企業が、立て続けに「社内英語公用化」を宣言して、世間の話題になった頃に出た本ですね。グローバル化の流れで、猫も杓子も英語、英語、言ってるけど、普通の日本人にはそんなに必要ないんだよ」、「英語不自由でも専門や教養をしっかり学んでいればそれでいいんだよ」という論調で、英語コンプレックスを抱く層にもてはやされました。この本に触発されて、「英語不要論」という言葉さえ生まれましたね(でも、成毛さん本人は、英語を必要とする少数の日本人にはしっかり英語力をつけることを提唱しているので、英語不要論は彼の本意ではないと思いますが…)。

内容に賛否両論はあるでしょうが、私、「日本人の9割に英語は要らない」という内容に異論はありません。英語の影響力が増す昨今ですが、日本国の領域内は、今も昔も日本語が圧倒的に優勢な世界。日本で生まれ育った大部分の人は、日本語だけで一生過ごせますし、多少なりとも英語能力を必要とする日本人は、せいぜい総人口の1割というのも、私の肌感覚に合います。例を挙げると、日本パスポート持って海外渡航する人数は、延べ人数で年間1700万人程度。そこには、私みたいに複数回、海外渡航する日本人も相当数含まれていますから、重複を省けば、1300万人(総人口の1割)程度になるかも…

「英語必要な1割、不要な9割」という比率は、将来的にもそんなに変わらないと思います。非英語圏のなかでも、日本語は話者人口10位前後、経済規模3位、学習人口7位…相当な規模を持つマーケットで、日本語による出版、技術・高等教育など文化活動がビジネスとして十分成り立ちます。ドメスティックな市場原理が成り立つ以上、英語メディアに根こそぎ持っていかれることはまず考えられない。

 

私は日本で育ちましたが、たまたま国際結婚したし、海外で就職したし、英語はじめ、いろんな外国語を覚えなきゃならない境遇にいたから一生懸命勉強しただけであって、自分の体験を日本人一般に当てはめることはできないのは十分承知です。

「英語は大事」、「マルチリンガルになろう」みたいなことを、日本人向けに提唱したところで、そのマーケットは、どんなに頑張っても1割を超えないでしょう。渋谷センター街や難波パークス歩いてる若者の9割に、おそらく外国語は必要ない。今も将来も…

 

ただ、この書評に関しては、違和感ありまくりでした。

日本人も驚き。「英語ができないのは、幸福な国の証」だった

 

引用しますね。

>(シンガポール、フィリピンなどでは)英語ができない人はエリートとして扱われない。英語ができなければ、生涯大きなハンディを背負うので、必死に勉強しなければならない・・・自国の産業を持ち、国民がみな一定の生活レベルを保っている日本では、海外に飛び出さなくても自国で幸せに生きていける。英語ができないのは、幸福な国の証でもあるのではないだろうか。
たまたま、非英語圏のなかではマーケットでかくて、それほど切実に英語やらなくても良い日本の状態を、「幸福」というのはどうなんだろう?その推論に妥当性があるのかな?

シンガポールやフィリピンなど、英語やらなきゃならない国々の人々が、大変で不幸なのでしょうか?ああいう国の人々は、別段苦労しなくても、英語はじめ複数の言語を、日常生活のなかで身につけられる言語環境に暮らしているだけの話だと思いますよ。

私の立場からいうと、フィリピンやシンガポールに生まれて満足な教育を受けられれば、英語で情報収集も自由自在にできるし、英語を使った仕事に就けるから世界中でキャリア形成できるし、かえって得してると思うんだけどな。

英語は大変、英語を切実にやらんでもいい日本は幸福…そういう感慨を持つのは個人の自由だけれども、「幸福」という価値観に安住して、英語が満足にできないことの免罪符として使ってるような印象を受けてしまいます(本人は、そのつもりではないのかもしれませんが…マルチリンガルから見ると、そういう解釈になる)。

 

図を使って分かりやすく言えば、

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「英語やらなきゃならない層」(総人口の10%)のうち、約7割が「挫折予備軍」、約3割が「継続学習派」であるとしたら(この数字当てずっぽうですが、個人的には結構いい線いってると思う・・・)

本当は英語やったらメリットの得られる「挫折予備軍」をして、「英語不要な層」に引きずり込むような結果に寄与してしまうと思います(図でいうなら、下方に向かう白の矢印↓)。

 

もう一つ、引用。

>アメリカの外務職員局の調査によると、アメリカ人がフランス語、スペイン語など欧米圏の言語をマスターするには約600時間で済むが、日本語や中国語、アラビア語などは難しく2,200時間が必要だとしている。日本人が英語をマスターするのも2,000時間ほど必要と言われており、特に日本人が語学下手という訳ではない。単に日本語と英語はそれほど異なった言語だ、という事だ(中略・・)日本で仕事をしながら英語を流暢に話せるレベルに到達するのは、ほとんど不可能だと考えた方が良い。

日本語と英語の言語的距離が遠いのはその通りと思いますが、この議論には、外国語学習における目標設定が現実的でないという、根本的な問題があります。「英語学習者からみて、日本語習得は2000時間以上かかる」(日本人が英語をやっても、ほぼ同じ時間がかかる)・・を引用してますが、これは、英語を使って仕事できる「ビジネス(習得)レベル」を想定しているものですね。アメリカ外務省が出してるんだから、エリートの人間が外交官として勤務することを想定した数字なんでしょ?

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私の言語学習理論「5%-30%-80%」の法則からいえば、日本語環境で暮らす日本人が英語を学ぶ場合、多くの人にとって現実的な目標は「使用レベル(30%)」の達成英語圏で暮らしたり、英語で仕事する職にも就かない限り、「ビジネスレベル(80%)」達成は非常に困難。そのレベルを想定して、難しいと言っている…日本に住んでて英語を普段使ってないんだから、難しいの当たり前じゃん。

 

「英語は難しい」、「日本人は英語できなくてもいい」、「それでいいんだ、幸せだ」…そんな言説に、私は真っ向から意義を唱えます。本の知的レベル向上に百害あって一利なしと思うから。

 

私の役目は、

・「挫折予備軍」を、「継続学習派」に引き上げること

そして、

・「継続学習派」をさらに強く動機づけして、「バイリンガル」、「マルチリンガル」に育て上げること。

manachaneigo

 

英語含めて、外国語なんて、大して難しくないんですから…

適切な目標を設定して、体系的に学習を継続していけば、誰だってできるようになるんですから…

マルチリンガルが特に頭いいなんて、そんなこと、全然ないんですから…

 

日本人のなかで、英語・外国語を必要とする約10%に対して、私はそれを訴え続けたい・・・その第一歩となる講演をやりますので、興味のある方、きてくださいね。

 

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
(ドリンクチケット2枚&ブッフェ料理)
21時以降のご来店:2,500円
(ドリンクチケット2枚)

会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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マルチリンガルになる方法‐各論編3)「お金稼げる」レベルの外国語力を身につける

こんばんは、Manachanです。「マルチリンガルになる」連載、いよいよ最終回になります。

前回までは、「外国語を何とか使えるレベル」(習熟度30%)にするための学習方法を書きましたが、今回書くのは「外国語を使って仕事できる」、つまり「ビジネスレベル」(習熟度80%)を達成するには何をすべきか・・・これまでとはワンランク次元が違う話になります。

 

「ビジネスレベルの語学力」なるものを、具体的にイメージしてみましょう。私の身辺には、中国をはじめアジア各国の出身で、日本での留学・卒業を経て、日本の企業で働いている方が多数いますが、彼らは日本人に交じって、日本語ばかりの環境で、1日8時間以上、上司や同僚、部下とともに働いています。話し言葉のアクセントから彼らが日本人でないことは分かりますが、それでも、顧客対応含め日本語の読み書き会話は問題なく、外国人だからと特別扱いもされない…それこそが、ビジネスレベルです。

私自身は、英語圏(豪州、米国)で5年と、中国語圏(中国、台湾)で3年の在住・就労経験がありますが、当時の私は彼ら在日外国人社員と全く同じ境遇でした。平日は英語や中国語だけ使う職場で朝から晩まで過ごし、上司や部下、同僚と共に、メール、電話、チームミーティングをこなす日々。家に帰れば帰ったで、友達を呼んでホームパーティーしたり、子供を病院に連れていったり、保健所で親子教室に参加したり、壊れた電化製品を返品しに行ったり、時にはマイホームを買うために不動産屋や銀行と折衝したりと、おおよそ大人の生活に必要なあらゆることを、英語と中国語でこなしてきました。

いま振り返って考えると、当時の私は「会社員」(サービス提供者、上司、部下、メンター等)「顧客」、「学生」、「ホスト」、「父親」、「夫」といった、様々な社会的立場に立ち、その役割に求められるコミュニケーションを英語や中国語で行い続けたからこそ、ビジネスレベル以上になれたのだと思います。

 

日本語で「役職が人間を育てる」という言葉がありますが、外国語学習においても全く同じことがいえると思います。そう考えると、外国語ビジネスレベルになるための効率の良い方法は、「外国語圏への移住」か、「外国語を日常的に使う職場への転職」になるかと思います。

私自身に関していえば、これまで、英語圏や中国語圏で暮らし、働いてきたおかげで両言語ともビジネスレベルになれたけど、現在「使用レベル」(習熟度30%強)にある韓国語とタイ語については、今みたいに日本で暮らして仕事も日本語中心という状況が変わらなければ、ビジネスレベルの達成は難しいと感じています。全く不可能とは思わないけれど、多分、ものすごく時間がかかる。

逆に、私が韓国やタイに移住してしまえば、私は日常的に韓国語またはタイ語環境にどっぷり漬かる上に、会社経営者としてビジネスの現場でそれらの言葉を使うはずなので、ビジネスレベルの達成は間違いなくできると思います。いま、私の手持ちの言語知識や学習速度から考えると、

・韓国語の場合、半年~1年程度で、ビジネスレベル達成可能
・タイ語の場合、1年~1年半程度で、ビジネスレベル達成可能

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この論法でいくと、「日本人が日本に住み続ける限り、外国語のビジネスレベル達成はほぼ不可能」みたいにに聞こえるかもしれませんが、上に述べた通り、外国語を日常的に、様々な社会的立場で使う言語環境に身を置くことができれば、実現可能だと思います。たとえば、日本に住んでいても「外資系または海外事業部に属し」、「職場では英語をメインに使う」環境で過ごし、経験値を積めば英語ビジネスレベルにはなれるでしょう。

 

私が経験した、いくつかのエピソードを紹介します。

私はTOEICスコア845点の状態で、2000年5月に、オーストラリア・シドニーに移住しました。到着後すぐ就職活動をはじめ、奮闘3か月間、11社に落とされ12社目でようやく採用され、IT技術者として晴れて入社。

ただ、それまでの人生で、「1日8~9時間、英語だけの環境で仕事する」という経験がなかったため、入社当初は苦労しました。職場の同僚はフレンドリーで居心地よかったけど、一日の仕事が終わると疲労困憊、もう何も考える気力が残っていませんでした。

英語メールの書き方でも苦労しました。入社から半年ほど経った頃、私のメールの書き方が適切ではないと上司から注意され、英語ネイティブの同僚に、私がメールを出す前に、いちいち添削してもらった時期があります(今考えると、そいつは技術家肌でメールが得意ではなく、最適な人選だったとは思えないけど・・)。

メールや会話含め、英語のハンディを感じずに仕事できるようになったのは、入社1年半後くらいだったかと思います。しかし、ようやく一息つけたかと思った頃、私はLotus Notes技術チームのリーダーとして、若手の社員のメンター(世話役)をやるように命じられました。でもって、私の配下になったのが、マシンガンのような速さの英語をまくしたてるネイティブの女の子2名で、聞き取るのも大変で参りました。

そんな感じで、いろんな苦労がありましたが、5年近くもの間、英語環境の職場で働いてしまえば、もう言葉の苦労はありません。英語のビジネスレベルは、一生キープできる自信がつきました。

 

その後、私は2005年3月に、オーストラリアから中国へ国際転職。大連ソフトウェアパーク内で働くことになりました。私は台湾での留学経験があるので、中国語の会話は最初から問題ありませんでしたが、ビジネスの現場で中国語を使うのは初めてでした。

オーストラリアなど英語圏の職場は、「誰もが英語使うのは当たり前」の世界で容赦ありませんでしたが、中国の場合はもう少し優しく(?)て、外国人が中国語をしゃべることを、それほど期待されませんでした。フィリピン人やインド人など、中国語を一言も話せない、漢字読めない社員も相当数いましたし、彼らには、「中国人社員の英語力向上のため、職場では英語だけしゃべって欲しい」と期待されていました。

ただ、私の場合はなぜか、入社1日目から中国語環境のPCを渡され、中国語オンリーの社員研修を受けさせられました(同日入社の中国人新入社員数十名に混ざってしまい、外国人だと気づかれなかったのかも…)。

この職場で働いてみると、私が外国人として、英語で話すこと(=中国人社員の英語練習台になること)を一応期待されてはいましたが、コミュニケーションの効率を考えると、私はどう考えても、中国語を使わざるを得ませんでした当然ながら、社員の95%以上が中国人で、英語得意な人は少数。チームミーティングでは大体10~15名ほど参加。私以外、全員が中国人(または華僑)で、会話は当然中国語になる。私だけのために英語を使うと効率が著しく落ちるわけです。

あと、中国のITの職場は社員の入れ替わりが激しく、当時チームリーダーだった私は、毎日のように、採用のための面接をしましたが、そこでの会話は当然中国語になりますし、また、現地の人材紹介の会社ともたくさんやりとりしましたが、彼らの英語力は限りなくゼロに近いので、結局は、中国語使わないと仕事にならないのです。

そこまでやれば、否応なく、中国語はビジネスレベルになりますし、英語と同様、一生ものの能力になります。

 

私の「マルチリンガルになる」連載は、これで終わります。最後に一言、私が、今回の連載を思い立った理由について書きます。

一言でいえば、「日本でマルチリンガル(多言語話者)を一人でも増やしたい、そのために貢献したい」という気持ちから発しています。

私が何か国語話そうとも、そのスキルは私の頭脳の中にしかありませんから、儚いものです。私の寿命が尽きてしまえば、途端に、終わってしまいます。しかし、私の分身よろしく、5ヶ国語、6か国語を操る日本人を多数輩出することができれば、全く別の話になります。

世界数か国で、ITビジネスの最前線で長年働いてきた私の肌感覚でいうと、「日本の首都・東京には、グローバルビジネスを支えるマルチリンガルが数十万人必要」、「それができて、はじめて、香港やシンガポールに対抗できる」と感じます。これまで、それができなかったから、香港やシンガポールにアジアパシフィックの本社の座を奪われてきたわけで…

これは大変壮大な話で、私は余りにも微力ではありますが、何らかのかたちで、「マルチリンガル育成教育」に関わっていきたいし、良い方法論を模索してきたいと思うのです。

 

その第一歩として、初めて、「マルチリンガル」ねたで講演することになりました!いつもは不動産の話ばっかりだけど、たまには語学の話もいいですね。興味ある方は、2月29日(月)夜、銀座へGO!

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【第10回講座】 銀座夜大学『マルチリンガル(多言語話者)になる方法』

外国語はカンタン。やり方次第では、一生に10言語、20言語の習得だって十分可能!
5ヶ国語を操り、年間1言語ずつレパートリーを増やしているという客員教授 鈴木学氏の頭の中と学習方法を大公開します!英語学習で苦労する人生とは永遠にサヨナラしよう☆

◯日時:2月29日(月)19:00~22:00
◯授業料:21時までのご来店:6,000円
(ドリンクチケット2枚&ブッフェ料理)
      21時以降のご来店:2,500円
(ドリンクチケット2枚)

会場:SHINOBY’S BAR 銀座
104-0061 東京都 中央区銀座5-10-10 6階

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