語学

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日本へUターン起業のすすめ(5)

(この物語はフィクションです)

東京オリンピックを間近に控えた2020年3月上旬、Aさん一家は、大きな転機に立っていました。

日本に再移住して3年余り、娘は小5、息子は小2になり、子供同士の会話はもともと英語だったのが、今では日本語で話すことが多くなりました。学校の勉強が順調とは程遠いですが…あと英語力レベルの維持は週1回の補習校通いで何とか頑張っています。

 

子供も妻も元気で日本社会に適応してくれるのは有難いですが、いま懸念となっているのは、Aさんのジョブ・セキュリティの問題‥‥

外資勤めなので、一生会社に面倒見てもらおうなんて思ってはいませんでしたが、いざ、リストラされて東京の路頭に迷ってみると…学齢期の子供2人も抱え、これからどうやって生きていこうか、男43歳、途方に暮れてしまいました。

とりあえず失業保険は6か月間もらえますが、支給額これまでもらっていた手取り給料の4割くらい。生活水準を落とさないため、一刻も早く転職すべく、すでに履歴書も送り、面接アポも入っていますが、そのことがかえって、Aさんを悶々とさせます。

 

「俺は、勤め人をやるために、オーストラリアを離れて日本に戻ってきたんだろうか?」

 

退職を期に、オーストラリアに戻るという選択肢を、Aさんは考えていませんでした。戻ったところで、自分は働いて金を稼がなくちゃならない。サラリーマンとして再出発する意味では日本と一緒だし、子供たちもせっかく学習言語としての日本語を身につけつつあるところで、いまさら英語環境への復帰もないだろう。

何より、わざわざ一家連れて日本に帰ってきたのに、3年間サラリーマンやっただけで出戻るのは勿体なさすぎる。でも、これから何して生きていけばいい?…その答えは、他ならぬAさん自身が見つけなければなりません。

3月下旬、桜が三分咲きになる頃、Aさんは関西の実家へ一時的に里帰りしました。しばらく見ないうちに、両親もすっかり年老い、足腰弱くなり、病院通いの頻度も増えていました。あと2~3年もすればクルマの運転もきつくなるかもしれません。

 

「東京暮らしも、そろそろ潮時かな…」

 

退職に伴い、東京で暮らす意味のなくなったAさん一家。彼にとって故郷でもなく、生活費も高い東京に居る意味はもうありません。なんだかんだ言って、生まれ育った関西の方が水が合うし、両親の近くで暮らした方が何かと便利でもあり…

この里帰りは、これまでの人生や、自分の価値観やスキル、交友関係を棚卸しした上で、ゼロベースで、これからの長い人生を考える契機になりました。

近所の神社で、満開に近くなった見事なソメイヨシノ、その下で談笑する人たちを見ながら、Aさんは、こうつぶやきました。

 

「何ができるか?」じゃなくて、「いま何をしたいか?」、それを軸に考えてみよう。

できるかどうかはともかく、いま一番やりたいことは、これまで10年間、オーストラリア暮らしで身につけた視点を活かして、日本で新しいビジネスをはじめること。

 

オーストラリアで暮らしたAさんからみて、日本はビジネスチャンスの宝庫にみえます。そう言うと、日本の友人は驚きます、「こんな、人口も減って国力が衰えている国で、どんなビジネスチャンスがあるの?普通は東南アジアとかに行くんじゃないの?」…

でも、Aさんに言わせれば、違うんですね。

 

日本はいま、オーストラリアからみて30年遅れで、働き方改革をはじめている。そして、実質的な移民受け入れもはじめている。

その意味で、日本より約30年進んだオーストラリアの社会を自分は体験している。その時間差から得られる発想で、日本で新しいビジネスをすれば、伸びしろは大いにあるはず。

それは、産業技術やインフラの面で、東南アジアより約30年進んだ日本のビジネスマンが、時間差を活かして進出していく発想と、何ら変わらないはず。

 

「これだ!」、落ちてきた桜の花びらをはたきながら、Aさんは手を打ちました。

 

「素晴らしいのに元気のない日本を、何とか盛り上げたい」と思って、オーストラリアの安定した生活を捨てて、日本に戻ってきた。

東京でサラリーマン3年間やって、俺は悟った。このまま雇われを続けても、たぶん自己実現はできない。

自分のルーツ・関西に帰ろう。そこで、俺だからこそできるビジネスを立ち上げよう。

 

…4か月後

東京オリンピック開催が間近に迫り、関西一帯が猛暑に見舞われる7月半ば、Aさんは大阪市内でささやかな事務所を借り、法人登録をしました。

業種は今のところ、「不動産業」プラス「ビザ代行業」。国をまたぐビジネスになります。

 

1)日本の経営管理ビザや高度人材認定制度を取って移住したい外国人向けのサポート。

2)日本(特に関西近県)で不動産購入・賃貸を希望する外国人向けの仲介(将来的には自社物件を仕入れて寮運営もやりたい)。

3)日本人でオーストラリア不動産を投資目的で買いたい人向けの物件紹介・サポート

 

来月は、1)2)のプロモーションのため、中国の上海・杭州に渡って海外移住フェアに参加する予定。また3)のお客様は首都圏に多いので、今後は定期的に大阪~東京を往復することになるでしょう。

設立当初は自分が動くだけ、お金ばかりかかって、なかなか収入になりませんが、1年後には軌道に乗せたいと正直に話し、妻も子供たちも納得してくれました。

そして何より、ブログのファン達はAさんの人生最大のチャレンジ=起業を心から応援してくれました。早くも、お客さんになってくれた人もいます。

 

まもなく44歳の誕生日を迎えるAさん。オーストラリアを出て4年、自分の選んだ道に悔いはない。自分と家族を大事にしながら、人生の後半戦を精一杯生きていくと誓うのでした。

(完)

 

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日本へUターン起業のすすめ(4)

(この物語はフィクションです)

オーストラリアから日本へUターン移住したAさん一家。日本で育ったとはいえ、10年の海外生活で感覚や価値観が相当変わりましたので、日本社会に復帰する上でいろいろな課題や気づきがありました。

 

1)日本で実年齢は必ず聞かれる

Aさんは、オーストラリアの暮らしで、自分の実年齢を意識することはありませんでした。職場や面接で年齢聞かれたことは一度もありません(求職者に生年月日聞くのがそもそも違法です…)。同僚も海外からの移住組が多く、さまざまな年齢で移住してきています。上下関係が年齢とリンクしてないなか、わざわざ、ひとさまの年齢を知る理由はありません。

そんなAさんが、日本で就職活動をすると、履歴書に生年月日を書く欄があるのをみて驚きました。面接でも普通に年齢聞かれましたし、職場でも上司や同僚に、年齢や出身学校や卒業年次を聞かれたのは、さすがに違和感がありました。

でも、日本でしばらく暮らすうちに、なぜ相手の年齢を知りたがるのかを理解できるようになりました。日本人は、相手の年齢を自分の年齢と比較したうえで、言葉遣いや対応の仕方を考えるからなのですね。オーストラリアでは成人すれば年齢問わずフラットな感じがありましたが、日本の人間関係では、年齢などの上下関係がないと座りが悪いのでしょう。とはいえ、女性に年齢聞くことは文脈によっては軽いマナー違反になることも学びました。

 

2)言葉を使わずに「察する」ことが求められる文化

Aさんが、子供が学校からもらってくる教科書に一通り目を通した上で、一番価値が高いと思ったのが「道徳」の教科書でした。

読み物としてのクオリティが高く、子供の日本語読解力キャッチアップに役立つ上に、内容も「思いやり」とか「公共を大切にする心」、「歴史や文化を尊重する心」、「客観的状況から事実を把握するスキル」など、人間として生きる上で大事なことばかり。我が子がこれを内面化できれば、一生の財産になると思いました。

その代わり、「一流の食材は、一流の料理人じゃないと扱えない」。こんな深い内容の教材を、平均的な小学校教師が上手に扱えるとは思えないので、家庭教育の素材として徐々に使っていこうと思うAさんなのでした。

道徳の教科書自体、オーストラリアでは見たことありませんが、読んでて明らかに「日本的だな」と思ったのが、「言葉を使わずに、察する」コミュニケーションが重視されること。たとえば、「雨の日のバス停近く、商店の軒下で雨宿りしながら並ぶ人が数名いる状況に気づかない子供が、来たバスに真っ先に飛び乗って、お母さんに怒られた…なあぜ怒られたのか考えてみよう」という文章がありました。オーストラリアで同じことが起これば、雨宿りしている大人が”Please do not jump the line, mate!”(列に横入りはやめようね)と、言葉を使って言うはずです。多民族国家で「暗黙の了解」なんて通用しませんから、「相手の気持ちを尊重しつつ、上手に言葉を使う」スキルの方が重視されます。

そんなオーストラリアの環境に慣れたAさん、「言葉を使わず察するなんて、難しいなあ」と、日本流のコミュニケーションに戸惑う日々が続きます。もっとも、日本の都市部では外国出身住民が増え、ゴミ出しや騒音などのトラブルも増えたため、行政が「やさしい日本語を使って説明しよう」キャンペーンをやったりしています。日本社会も徐々に、「言葉を使ったコミュニケーション」が重視される流れなのかもしれません。

 

3)いまさら「働き方改革」なんて・・・・

Aさんが移住した頃の日本は、安倍政権による「働き方改革」の呼びかけが始まった時期でした。一言でいうと「労働生産性を上げて、極力残業しない働き方を実現する、副業やダブルワークも柔軟に認める」…という内容ですが、よく考えれば、オーストラリアで、そういう状態は30年以上前に実現しているわけで、「何をいまさら」感がある。

Aさん自身も、オーストラリア在住当時、残業はほぼしなかったし、アフター5の自由時間を使ってちょっとした副業をしたりしました。周りもそれが当たり前でした(本業でエンジニアなのに、副業で家具のビジネスを立ち上げて、そちらが本業になっちゃった奴もいます)。

日本はオーストラリアからみて、テクノロジーや産業の進んだ先進国にみえるけど、働き方の面では、30年以上遅れてるんだなあと思った次第。

 

4)日本に来て「捨てた利便性」と、「得た自由」

日本にUターンした場所が東京だったこともありますが、Aさん一家は移住後まもなく、「日常的にクルマを使う利便性」を捨てなきゃいけないことを悟りました。

オーストラリアに居た時は、基本どこに行くにも、クルマ利用。時に渋滞の悩みはありますが、慣れると「クルマのトランクに全てを詰め込んで、自宅まで一歩も歩かず、重いものも持たずに移動できる」便利さがありました。でも東京でそれは無理な相談。まずもって駐車場が高い、行った先で駐車も一苦労。道路も狭く、結局、公共交通機関を使ったほうがはるかに早く到達できる。Aさんはマイカーを持つ考えを諦め、普段は電車やバス。たまにクルマ使う時は、いま流行りの「カーシェア」でレンタルすることになりました。

また、オーストラリアで当たり前だった、「広い庭、広い居住空間」も、東京では諦めなくてはなりませんでした。もっとも、東京で広い庭なんて無理だと知っていましたが、室内の居住空間もかなりコンパクトになります。いまAさん一家の住まいは、専有面積75㎡前後2LDKバルコニー付の集合住宅。「ずいぶんコンパクトだな」と思いましたが、周りをみると、「東京の都心近くで75㎡に住めること」境遇自体が比較的恵まれていることを悟りました。

クルマを捨てたAさん一家、「駅やスーパー、コンビニまで歩くか、自転車に乗る」ライフスタイルになりました。最初はもちろん、慣れるのに大変でした。夏の暑い日も、冬の寒い日も、雨や雪の日も、とりあえず外気にさらされるわけです。特に、信号待ちする時が苦痛でした。これまでクルマでラクしてたんだなあと悟りました。

とはいえ、この生活に慣れれば、しめたもの。夜中11時12時でも人通りがあってお店が開いてて、女性ひとりでも買い物に行ける自由を手にしました。オーストラリア都市部で、こんな遅い時間に外出するのはまず考えられませんし、治安の懸念もありますが、日本(東京)では「夜中に、一人で外出して、好きなことをする」自由があります。

あと、子供のいる家庭人としていうと、オーストラリアだと公園にも親がついていくのが当たり前ですし、子供一人で留守番させることもありません。そもそも12歳以下の子供を放置すればネグレクトで犯罪になりますが、日本では親不在で子供だけで公園や街で遊ばせることができる…それには驚きました。治安の良さのおかげでもあるのでしょうが、「子供から目を離して親の時間を過ごせる自由」ってあるんですね。

 

Aさんは、オーストラリアで長年暮らした視点から、日本の文化や暮らし、働き方を再発見するブログを書き始めました。それが好評を博し、ファンも増えてきました。

数年後、Aさん一家に転機が訪れた時に、こつこつ書いてきたたブログが幸いすることになるとは思ってもみませんでした。

 

次号(最終回)に続く

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日本へUターン起業のすすめ(3)

(この物語はフィクションです)

201X年10月…

オーストラリアからの帰国移住で、日本(東京)での生活をスタートしたAさん一家。今日は、近所の公立小学校に通う、2年生の娘が通知表をもらってくる日です。

昔は「通信簿」という呼び名でしたが、今では「あゆみ」と呼ぶそうです。日本の学校、以前と同じ3学期制ですが、「あゆみ」が送られてくるのは、前期と後期の、年2回。10月は二学期真っ最中なのに、このタイミングで前期が終わって通知表が来るのは、不思議な感じがします。

 

オーストラリアで生まれた娘が、日本の学校になじめるのかどうかが、Aさんと奥様の最大の心配事でした。幸い今のところ、学校には毎日行けてますし、日本語で先生や友達とちゃんと話せているようですが、いろんな面で、やりにくさを感じているようでもあります。

というか、日本の学校に違和感を感じているのは、子供というよりむしろ両親なのかもしれません。特に納得いかないのが、「宿題」。

 

・宿題が、やたら多い。

・子供に大量の宿題やらせるのは、親の役割だという、暗黙の期待がある。

・それなのに、親にどうやって宿題をやらせるかという、インストラクションが一切ない。

 

娘はオーストラリアの公立小学校に、PrepとGrade-1、まる2年通いましたが、そこでは普段、宿題など出ないし、教科書類も学校に置きっぱなしでした。たまに宿題が出ることもありましたが、その際は両親に対して、宿題のポイントや指導法を、素人にも分かるよう詳しく説明してくれたものです。

一方、日本の小学校ではオーストラリアとは比較にならない量の宿題が出る、小2の子供が自発的に宿題やるわけないから、結局親が子供をなだめすかせて、時には叱りながらやらせなきゃならないが、やってみると実に大変なんです。こちとら、日本の教育受けてきたとはいえ、教えるプロじゃないんだし、日常生活で忙しいんだから、もっと学校にサポートして欲しいと思いました。

それよりも、子供に勉強教えるという、本来学校がやるべき仕事を、なぜ教師でもない親がやらなきゃいけないのか、人さまの時間を何だと思っているのか…そんな違和感がありました。

 

夏休みになると、「計算ドリル」「漢字ドリル」「一行日記」「読書感想文」「自由研究」など、宿題がどっさり出てきます。

娘は慣れない日本の学校生活でストレス溜まっているだろうと思い、慣れ親しんだオーストラリアで3週間ほど、過ごしました。サラリーマンであまり休めないAさんは1週間ほど一緒に滞在、その後は妻に託しました。

 

オーストラリアで生まれた娘は、のんびり屋なのか、あまり宿題をやる感じでもなく、夏休みは普通に遊ぶものだと気楽に考えているようです。そんななかで私や妻が一番苦労したのが、「一行日記」を毎日書かせること。漢字の難しさはもちろん、普段使っている英語の地名Collingwoodなどを、どうやってカタカナで書くべきか(コリンウッド?コリングウッド?)、娘は分からないし、親もどうやって教えていいのか分からない。担任の先生も日本以外住んだことないから、適切なアドバイスもできない。

それでも、Aさん一家は両親とも日本で教育を受けてきてある程度感覚値もあるので、まだしも対応可能ですが、娘のクラスには両親あるいは母親が外国生まれである児童も数名いるので、学校のサポート体制もろくに無いなかで一体どうやって宿題やらせているのか、いつも不思議に思います。

(注.作者の私は、日本育ちの父親ですが、妻が外国生まれで日本語不自由な状態で、子供を日本の学校に途中編入させましたので、Aさん一家より数倍は大変な思いをしております…)

 

あと日本の学校で戸惑ったのは、紙の配布物がむちゃくちゃ多いこと。学校からクラスから、PTAから教育委員会から、日々、膨大な量の配布物が配られてきて、とてもじゃないが、全部目を通す時間がない。そもそも、何が大事で、何をスルーして良いのか、その判断を自分でして良いかも分からないので、戸惑いました。

大量の紙の管理は大変なので、メールとかLINE、グループウェアなどを通知にもっと使って欲しいと思いました(LINEは親の間で広く使われているようですが…)。

 

昔と違って、いまは日本の普通の公立小学校でも、低学年から英語の授業があります。ALTのネイティブ教師が来て、週1回の授業。日本の子供相手なので大したレベルのことはできませんが、娘は英語できるので、先生からも同級生からも重宝されます。英語の時間だけは、ちょっとしたスターになれる感じです。

とはいえ日本の学校では、娘が英語を流暢に話すことが、必ずしも、ポジティブにみなされるとは限らないことも学びました。むしろ、英語能力より、日本語学習の遅れの方を懸念する教育関係者もいます。先生によっては、「とりえあず英語をやらず、今は日本語に専念した方が良い」と、見当はずれなアドバイスをする人もいます。少なくともAさん一家は、全員が日英バイリンガルであるわけで、日本語しか知らない先生に、バイリンガルを捨てるようなアドバイスをされるのは心外だと、Aさんはまじで噛みついたことがあります。

 

そんな感じで、日本の学校環境、違和感は少なからずありますが、素晴らしいと思う面もあります。特に、給食。あんなに美味しくて、栄養バランスのとれた食事を、安価で提供するシステムが素晴らしい。少なくとも、オーストラリアの学校にあるタックショップよりずっとヘルシーだし、日本の児童の肥満問題がずっと少ないのは、給食のおかげかと思うこともあります。

また、日本の学校は、オーストラリアに比べて、小グループ活動がずっと多い。4~5人くらいのグループで、自主的に課題に取り組んだり、協力したり、学習が遅れた友達を助けたり…向き不向きはありますが、娘が日本語まだ不自由だったころ、小グループの仲間にずいぶん助けてもらって有難かったです。

あと、朝の掃除を子供たちがやったり、美化委員会等があって、周りの環境を清潔に、整理整頓された状態に保つ教育も、日本ならではですね。オーストラリアも学ぶべき点だと思います。

 

Aさん一家が日本に再移住して、1年、2年…と、時が過ぎていきます。弟もお姉ちゃんと同じ小学校に入学して、彼なりに日々、頑張っています。そんな一家に、ある日突然、転機が訪れることになりました。

 

次号(第4回)につづく…

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「日本語教育基本法」オリンピックに向け東京都江東区をモデル地区に

今国会中の成立に向けて、超党派議員有志が推進している「日本語教育基本法案」ですが、私は外国人住民が急増する東京都江東区に暮らす一人として、当法案の早期成立と、日本に定住する外国人子弟の日本語教育の拡充を切に望むものであります。

グラフにみるように、我が国の首都・東京23区の外国人比率は年々増加し、総人口の4.4%を占める上に、その増加数は23区全体の半分近くを占めるまでになっています。

私たちの暮らす江東区では2万8千人の外国人が居住し、総人口に占める比率は5.5%と、23区平均より高い数値になっています(私の妻も外国籍住民の一人です)。

江東区は再来年の東京オリンピック・パラリンピックで、競技会場が最も集中する地域となっていますが、実は以前より、オリンピックと外国人住民に縁の深い土地でした。1940年に開催が企画され、日中戦争の影響で消えた「幻の東京五輪」で、都内他地域からの移住を迫られた在日朝鮮人が区内の枝川(えだがわ)地区につくった街「枝川コリアンタウン」が所在し、長年日本人と調和して暮らしてきた街です。

区内で初めて、日本語を母語としない外国人児童のための補習教室「日本語クラブ」が設けられたのは、枝川と近隣地域の子供たちが通う「深川第8中学校」で、1984年の開講。現在も4名の先生方が、中国、韓国、フィリピン、タイなどから来た約20名の児童の日本語学習を支援しています(ウェブサイト)。

時代は流れ、江東区内では昔からいる在日朝鮮人に加え、大手企業から赴任で来た韓国人ビジネスマンや、インド人のITエンジニアが目立つようになりました。それを数倍する数の中国人、そしてベトナム人、フィリピン人など、多様な国籍・様々な職業に従事する外国人が、日本人と共存して暮らす多文化な街になりつつあります。

 

多文化社会へ変貌するなかで、様々な社会問題の萌芽が出てきていますが、私からみて最も深刻かつ喫緊の課題と思われるのは、「江東区に暮らす外国人の児童が、必要な日本語教育にアクセスできていない」という問題です。

人口51万人を抱える江東区には、区立の小学校が45、中学校が23ありますが、「日本語クラブ」が設けられているのは、私が確認した限り3校だけです。区内の在籍児童数は小学校24,309名、中学校7,906名、計31,215名いて、人口比から考えて1,000名以上の外国籍児童が学んでいると思われますが(区内どこでもクラスに23名居るのが当たり前です)、統計的把握はなされておらず、日本語教育ニーズの把握もこれからの課題です。

特に、区内で外国人人口が増えている亀戸(かめいど)や大島(おおじま)地区に日本語クラブが存在しないことが問題となっており、児童が転入してきた小中学校に日本語を教える機能自体がなく、多くはケアのないまま放置されています。

日本語クラブ空白地区の外国籍児童のために、江東区主催で今年9月から日本語補習クラスを開くことになり、募集を行ったところ、会場に入りきれないほど希望者が殺到したそうです。まさに日本語学習ニーズが「爆発」しており、区として地域として「すぐに何かしなければならない」状況です。

日本語教育基本法案の「目的」のところに、「日本語教育の推進に関する施策を総合的に推進し、もって我が国に居住する外国人との共生を通じて多様な文化を尊重した活力ある共生社会の実現」という記述がありますが、今まさにその具体的実施を喫緊に求められている自治体の一つが江東区なのです。

日本の一国民として、外国人を含む家庭で暮らしを営む父親として、この法案が成立することを切に望みますし、晴れて成立した暁に、何か具体的でシンボリックな事業をやるならば、その舞台の一つに「江東区」が選ばれるべきだと思っています。ここは2020年東京オリンピック・パラリンピックの主要な舞台であり、全世界の人々が注目する「日本のショーケース」になります。その場所で、「日本に暮らす外国人が満足に日本語の公教育にアクセスできない」状況が全世界に知られるのは恥ずべきことだと思いますし、日本国として「何とかする意志」を見せるべきではないかと思います。

同時に、江東区は外国人と日本人の長い共生の歴史、30年以上にわたる「にほんごクラブ」の活動など、日本における先端的な多文化社会の一つでもありますので、その蓄積を生かして有意義な事業を実施できる環境だと思います。

 

江東区における日本語教育モデル事業(案)

 ・ 区内在住外国人児童の実態、教育ニーズの統計的把握
  ・日本語コミュニケーション力到達度評価の手法開発・実施
 ・ 「言語保障から学力保証へ」、JSLJapanese as Second Language)教育プログラムの開発と実施
 ・ 日本語クラブの全区小中学校への段階的拡充
 ・ 専門人材(日本語教育、教育心理学等)の育成と活用
 ・ 地域に存在する多様な言語スキルを活かした、外国人児童や家族へのサポート

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日本に東京があって良かった 〜世界からTokyoへUターン起業した男のつぶやき〜

こんにちはManachanです。いつもブログご愛読ありがとうございます。

人間は生まれ育った場所で一生涯を送るとは限りません。故郷を離れ、就職や就学のため他所(大都市など)に移動する人が相当多いからこそ、世の中、UターンやJターンなる言葉があるわけですね。

たとえば、地方出身の人が東京に移動する場合、

  • Uターン…故郷→東京→故郷 (例.青森出身者が東京に出た後、地元に戻って暮らす)
  • Jターン…故郷→東京→故郷に近い中核都市(例.青森出身の人が東京に出た後、仙台で暮らす)

私の場合は少し変わり者でして、日本を飛び出して地球規模で「直径8000キロのUターン」をしました。

  • 故郷(日本)→海外(オーストラリア、中国等)→故郷(日本)

私は日本の首都圏(千葉県柏市)で生まれ育ち、東京の高校、大学で学び、1994年、東京で就職しました。

その6年後、2000年に日本を離れてオーストラリアに移住し、現地で就職。5年暮らした後は中国に移って働き、2007年に日本(東京)に戻り、Uターン就職。その6年後、サラリーマンを辞めて東京で起業しました。

以上まとめると、こうなります

  • 1994〜2000年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2000〜2005年 オーストラリアでサラリーマン
  • 2005〜2007年 中国でサラリーマン
  • 2007〜2013年 日本(東京)でサラリーマン
  • 2013年〜 日本(東京)で起業

私はこのようにグローバルな人生を歩み、海外で英語や中国語を使う専門的職業に就いて働いてきたのになぜ、わざわざ家族全員連れて日本へUターンして、挙句に会社まで興したのはなぜなのか?その意味を考えてみました。

正直言うと、海外の広い世界で暮らしたあとで、日本に戻るに際して「3つの不安」がありました。それは、

  • 1)「大学→大企業という決められたレールを大きく踏み外した後、38歳という年齢で日本社会に合流してもまともな就職はできないのではないか?」
  • 2)「国際結婚して外国で生まれた子供が、異文化との共生に慣れていない日本の学校で先生や仲間に受け入れてもらえないのではないか?」
  • 3)「日本で暮らすと、子供たちに英語力を身につけさせる環境が無いのではないか?」

しかし蓋を開けてみると、上記は全て杞憂でした。日本もとい「東京」に、良い意味で期待を裏切られたのです。東京は私の気づかないうちに、国際都市として進化を遂げており、世界中の人々を同僚や隣人として自然に受け入れる多文化社会になりつつあったのです。

まず、1)については、38歳で再就職活動しても、同世代の一部上場企業の仲間と比べて遜色のない給料で、外資企業のITマネジャーとして迎え入れてもらいました。生活水準もキャリアの面でも、海外に居る時と比べて全く妥協することなしに、日本での経済生活をスタートできたのです。

正直言うと、日本に帰国した場所が「東京」だったから良かったのです。外資企業の専門職、管理職の求人は、私のみる限り、日本全国の80%以上が東京23区に集中していたのです。言い換えれば、私が首都圏生まれだったおかげで、両親の住まいの近くに「Uターン」できたわけです。これがもし、日本国内の他地域、例えば九州出身だったなら「Jターン」(九州→海外→東京)になっていたはずです。

次に2)について。今時の東京都内、特に23区東部の公立小中学校は外国籍や外国生まれの児童がクラスに居るのが当たり前。我が子の名前がカタカナでも妻が日本語ネイティブじゃなくても、珍しいことじゃないので自然に受け入れてもらえます。移民の多い英語圏の国ではノンネイティブの児童が英語の授業についていくのをサポートするESL(English as Second Language)クラスがありますが、東京の我が家近くの公立中学校にもそれに類したJSL(Japanese as Second Language)クラスが設置され、専門の教師が配属されています。

3)に関して。確かに日本社会では日本語が圧倒的に強く、英語の通用度も使用頻度も高くはありません。ですが、東京ならインターナショナルスクールも英語補習校も、帰国子女向けの塾も豊富な選択肢があり、我が家のような日英バイリンガルファミリーで育った子供が、日本語力と英語力を維持する環境は整っています(注. 首都圏でも埼玉や千葉、横浜以遠の神奈川に住むとハンディがあるので、英語力維持したいなら東京都内に住むことが大事です。)

また、他国と比べた英語通用度の低さは、多言語能力と海外勤務経験を持つ私からみれば逆に「他者に差をつけるチャンス」以外の何者でもない。結局その比較優位を活かして東京で起業することにしました。言い換えれば、東京は「世界最大の経済規模を持つのに英語通用度が低い」という稀有な都市であり、その舞台で私はチャンスを掴んだのです。

結局何が言いたいのか?私自身を含め、海外で活躍した日本人にとって「東京はいつでもUターンできる都市」だということです。客観的にみて、東京は日本で唯一の国際都市。外国語を使う専門的職業の雇用が豊富で、多文化共生の社会環境も英語力を維持する教育環境もそれなりにあります。

言い換えれば、国際都市·東京があるから、私は日本に帰って来れたのです。もし東京がなかったら、私は今頃間違いなく、日本以外の国に住んでいたことでしょう。

海外に住んでももちろん良いけれど、私は海外経験を活かして母国·日本に貢献したいと思うタイプの人間なので、日本に東京という都市があって良かった、おかげで楽しい人生になった…本当に、心からそう思います。

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漢字で学ぶ中国語‐日本人の特権

こんにちはManachanです。今回は久々「語学ねた」でブログ書きます。

 

我が家は国際結婚ファミリーで、東京に住んでいます。子供は二人いて中1と小4。上の子は明日が入学式です。

私は日本で育ち母語は日本語、大人になってから英語圏に5年、中国語圏に3年暮らしたので、英語も中国語もビジネスレベルでできます。妻は台湾生まれですが幼い頃オーストラリアに移住したので、英語がネイティブ。家庭で親との会話は中国語が使われていましたがオーストラリア育ちゆえ漢字に触れられる環境ではなく、きょうだい間は英語が共通語になりました。彼女が漢字読めるようになったのは、高校卒業後、台湾に留学したからです。

その留学中、日本から語学留学に台湾に来ていた私との出会いがありました。その後、結婚して子供ふたりできて、いまは東京で暮らしています。

 

台湾で私たちが出会ったのは、1989年のこと。当時、妻は留学3年目で、中国語を流暢に話しましたが、それでも他の留学生と同様、「漢字の読み書きが難しい」と言ってました。

一方の私は、台湾に来てからわずか2か月、話し言葉は十分にできませんでしたが、日本で育ったおかげで漢字の読み書きの苦労はありませんでした♪

当時の留学生にとって、朝食は街の安食堂が定番ですが、当然ながら漢字オンリーの環境。「小籠包」「豆醤」「油条」「焼餅」「葱油餅加蛋」などと書かれたメニューを解読して満足に注文できるようになるまでに、約1年の中国語学習が必要と言われていました。確かに、漢字を持たない国で育って「一、二、三‥」の書き取りからはじめる人にはその位の学習期間は必要かもしれません。でも日本人だけは別で、中国語知らなくても、来台1日目からメニューの意味くらいは分かってしまいます。

 

その後、台湾で一年暮らしてどうなったかというと、私の中国語は長足の進歩を遂げ、台湾滞在4年目の妻と遜色ないレベルになりました。一生懸命勉強したつもりはありません。たまたま漢字を知っているアドバンテージを素直に活かしたらそうなったのです。

当時の私が中国語をどうやって覚えたかというと、日々、貸し漫画屋で「ドラえもん」の繁体字中国語版を借りて読んでました。1冊4元(20円)で借りられるので安いし、漢字だから意味が分かるし、何より子供の頃から親しんだ日本の漫画だからストーリーも知ってる。「なるほど…中国語ではこの場面でこう言うんだ!」。それを繰り返し、日常生活で真似していくと、話し言葉がどんどんできるようになりました。

 

あと、台湾の字幕付きTV番組も、中国語学習に大いに役立ちました。当時の台湾では日常的に台湾語(閔南方言)や客家語を使い、北京語発音を理解しにくい人が年配者を中心に多かったのです。それでも漢字字幕があれば理解できるので、ほとんど全てのTV番組に字幕がついていましたが、

日本で育った私からみて、こんなに素晴らしい学習手段は他にありません。字幕は漢字だから目で追っていけば意味はだいたい分かる、そこに北京語の音声がついてくるわけです。すでに知ってる漢字の意味に「日常生活で使われる生きた北京語の言い回し」を当てはめていけば、TVで楽しみながら語彙力が日々アップしていくわけです。漢字のない国で育った人だと、学習2~3年目にならないとできない芸当でしょうが、私はたまたま日本で育ったおかげで台湾渡航後すぐ実行できてしまうのです。

日本人が漢字知ってるアドバンテージを活かせば中国語は英語よりずっとラクに習得できる外国語・・・それが正直な実感です。

 

ところで、私たちはいま、日本で子育てしています。家庭で子供に対しては私が日本語、妻が英語で話します。平日は区立の小学校で普通に日本語環境、英語は補習校に週1回通わせています。

二人の子供たちは日本語と英語がネイティブで話せて読み書きもできます。中国語は子供たちは普段話しませんが、私は全く心配してません。なぜなら、

「二人とも日本で育ってるから漢字は分かる。それで中国語半分できたも同然」と思ってるからです。彼らが将来、中国大陸や台湾に行って中国語環境に身を置けば、経験上、非漢字圏の学習者の約半分の時間で習得できてしまうでしょう。

 

逆に、「英語圏で育てた方がいい」とアドバイスする人の気持ちが正直分かりません。漢字を使う日本で育つからこそ中国語に横展開できるのです。英語圏に連れていったらそのメリットが活かせないわけで・・・

私も妻も子供たちも人種的にはアジア人ですし、親から子へ文化的に継承すべき言語は日本語、英語、中国語の3つ。そう考えると、いま子供たちが「日本で育ち日本語をしっかり学ぶ」ことは、アジアと世界で生きていく上で戦略的価値があると私は考えます

 

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「インターナショナル教育=英語」への違和感

こんばんは、Manachanです。今日はいつもと趣向を変えて、「言語・教育論」で書きますね。

私は世界中いろんな国で不動産(コンドミニアム)を見る仕事をしてますが、アジアや南欧方面では特に、不動産価値を上げる方便として、「インターナショナルスクール」なるアイテムが使われることが多いです。例えば、

 

・大規模開発で、敷地内にインターナショナルスクールを誘致する

・既存のインターナショナルスクールのそばに建物建てて、教育環境をウリに分譲する

 

世界中どこにあっても、「インターナショナルスクール」での教育に使われる言語は、「英語」というのがほぼお決まりです。たとえ東南アジアにあっても、中国語や日本語で教えるインターナショナルスクールとか聞いたことありません(そういうのは、中華学校とか、日本人学校とか呼ばれるんですよね)。

非英語圏の社会では、海外とやり取りするために英語スキルの需要が高いですから、「我が国における世界への窓口」というイメージで、「英語」が「インターナショナル」になる、それは分かります。

でも、いま私がいるオーストラリアは英語圏ですから、「インターナショナル=英語」という図式はとてもヘンです。だって、公立の小中学校がみんな英語で教えてるじゃないですか?同じ英語で教える学校がなぜ「インターナショナル」なの?という話になっちゃう。

そう考えると、インターナショナルスクールとは、「非英語圏のエリートや中間層の子弟に対して」、「英語を用いた教学を行う営利事業」と定義されるでしょう。それぞれの社会で子供に英語教育を与えれば階層上昇につながるという連想が成り立つことが、このビジネスモデルを支える素地になりますし、よりマクロに言えば、将来にわたって英語の言語覇権を維持する仕組みでもあるのでしょう。

 

ところで、一口にインターナショナルスクールといっても、クオリティは玉石混交。そもそも非英語圏の子供たちが教育対象なんですから、生徒の英語レベルからして様々なはず。

東京には多数のインターナショナルスクールがありますが、両親か片親が英語ネイティブの子弟ばかりが通う学校もあれば、生徒の大多数が日本人か韓国人の家庭育ちという学校もあります。生徒の英語レベルが違えば当然、教学レベルに差が出てきます。同じIB(国際バカロレア)プログラムを採用していても、学校によって全然レベルが違うみたいな話もよく聞きます。

日本には余り英語を使う環境がないので、思い切って海外に出て、子供を現地のインターナショナルスクールに通わせる親御さんもいます。いま人気なのはマレーシアのジョホールバル(JB)とか、フィリピンのセブあたりでしょうが、JBに来てもインターナショナルスクールの教学レベルは様々で、トップの名門校じゃなければ実は内容がショボいとか、その割に学費が値上げに次ぐ値上げで納得できないとか、いろんな話を聞きます。

 

最近はとにかく、ミャンマーでもタイでもインドでも、中国でもカンボジアでもポルトガルでも、どの国で不動産見ても判を押したように、「インターナショナルスクール近所にありまっせ」、「教育熱心な親御さんに人気でっせ」みたいな話ばっかり…英語ニーズ高いの分かるけど、世界中にそんなに学校乱立させて今後どうすんだろと思う。その論理的帰結は、

 

1)インターナショナルスクール間で選別淘汰が進む

2)フツーのインターナショナルスクールがコモディティ化する

3)コモディティ化した学校を出た子供たちが、良い企業になかなか就職できない

4)英語という言語スキル自体も、世界的にコモディティ化する

 

特に4)が大事で、世界中に英語で教える学校が乱立して卒業生を大量に出せば、少なくとも各国の中間層以上の世界では、「英語なんかできて当たり前、それだけでは何の価値にもならない(最低のスタートラインに立てるだけ)」になると思います。

「英語の他、何ができるの?」と問われる世界になるし、言語スキルでいえば、「英語と何語ができるの?」というポートフォリオの話になってくるでしょう。

 

日本は世界でも珍しい位、英語を使わなくても自国言語だけで高等教育がこなせて、最先端のテクノロジーを学べて世界的な企業に就職できる社会です。それ故、この国では英語スキル自体が貴重ですので、我が子を国際社会のスタートラインに立たせるため、早期から英語教育を与えたいと切実に願う親御さんの気持ちは分かります。でも、世界中いろんな場所に住んだ私からみると、「英語なんて所詮コモディティ」、「日本語の方がずっと稀少価値」という感覚が強いです。

だって世界中、英語話せる人はゴマンといますよね。アフリカや中米の奥地に行っても、英語話す人はいるんです。大学出ても月給1万円しかもらえないような最貧国でも、英語を話せる卒業生は多数。一方、日本語話せる人が世界にどれだけいますか?言い換えれば、日本の経済規模や、日本が持つ文化・技術コンテンツの価値に比べて学習者・習得者が相対的に少ないからこその稀少価値でしょう。

それゆえ、「日本語と英語のバイリンガル」は世界的にみて価値が高いわけです。日本人の子供が英語できるから価値が高いんじゃなくて、「日本語と英語、どちらも読み書き、ビジネスレベルのコミュニケーションできるから価値が高い」のです。

それに、日本語をしっかり学習した副産物として、「中国語学習に有利になる」という面もありますね。言語は違っても漢字の意味は80%以上共通ですから、これ非漢字圏の人に比べれば物凄いアドバンテージです。

 

親の両方、または片方が日本語ネイティブなら、「まずは日本語をしっかり身に着けさせるのが先決。英語は後付けで良い」と私は考えます。我が家でも、少なくとも下の子が12歳になるまでは、日本語を確立させるために東京に住み続ける予定です。

子供の日本語能力を確立させるのに、圧倒的に便利かつコスパの良いロケーションは「日本」です。それ以外の国では学習手段の選択肢が少なく、難度が高くなります。一方「英語」なら、英語圏でなくても、どの国にも「インターナショナルスクール」が多数ある上、各国の標準的な教学プログラムにほぼ必ず「英語学習」が組み込まれています。あるいは日本の外資系サラリーマンがやってるように、「仕事の必要に迫られて、必死に英語を習得」など、大人になってからの努力で何とかなる面もあります。英語は、世界中で使われるグローバル言語であるがゆえ、後付けで学習しやすいのがメリットですね。

 

英語は後付けで良いと、世界中の皆が分かってしまえば、「インターナショナルスクール」の商売が成り立ちにくくなるから、英語こそ国際的言語、習得のためには早期教育が良いなどと、世界中で一生懸命宣伝するわけです。

インターナショナルスクールの仕組みに乗るにせよ、乗らないにせよ、そのビジネスのからくりを分かった上で行動した方が良いと思いますね。本質的には、「インターナショナル教育=英語」では全然なくて、「非英語圏の親御さんをスポンサーとする英語を使った早期教育産業」に「インターナショナル」という言葉をつけてるだけですから…

 

私は英語教育を否定・軽視したいわけではありません。日々、世界を相手にビジネスしてますので、英語の大事さはよく分かってます。ただ、世界中で英語教育が行われてコモディティ化しやすい状況なので、日本語を含めた「英語プラスアルファ」戦略で、強い言語ポートフォリオをつくっていきたいと思うのです。

英語なんかちゃっちゃと覚えて、次行こうぜ」、というのが私の本音です。

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子供は、どんなバイリンガルに育つのか?

おはようございます、Manachanです。北京出張から帰ったあと、怒涛のようなセミナーラッシュに、法人確定申告…多忙な時期がようやく一段落し、ブログを書く時間的余裕がようやくできました。
 
世の中はゴールデンウィークの休みに入ります。気候の良い行楽シーズンではありますが、我が家は遠出せず東京の自宅近辺でのんびり過ごすつもりです。久々のブログは、「子供の多言語教育」ねたで書きますね。
 
私と妻とは国際結婚していて、小学生の子供が2人います。我が家はナチュラルに多言語が飛び交う環境です。
 
-私と子供たちとの会話は、日本語
-妻と子供たちとの会話は、英語
-夫婦間の会話は、中国語
-子供同士の会話は、日本語か英語
 
子供の教育環境ですが、平日は近所の区立小学校(当然日本語)に通い、土曜日だけ英語の補習校に通わせています。補習校に来ている子供たちの大多数は、日本人と英語圏出身者の国際結婚家庭のお子様で、我が家と似たような言語環境で暮らしています。
 
補習校は週一ペースなので、ネイティヴの先生が英語の読み書きやレポート、プロジェクトを一通りやるとはいえ、あくまで「英語力を維持するための補完的役割」しかできません。英米系のインターみたいに、月曜から金曜まで、英語だけで授業をやるような密度は当然期待できないし、補習校に通ったからといって人気のインターに即入学できるだけの英語力が身につくとも限りません。
 
そこで多くの親たちは(私も含めて)小学5年生頃までに、大きな選択を迫られます。
 
子供の教育言語(Academic Language)を英語にするか日本語にするか?
 
「英語」を選んだ親は、子供を英米系インターに行かせるか、または英語圏にUターン移住して現地校に入れる人も相当数います。一方、「日本語」を選んだ親は、一般の日本人家庭と同様、私立か公立の中学校、高校に行かせます。
 
親が「せっかく学んだのだから、英語も日本語もモノにしたい」と思い、かつ、子供も勉強好きな場合は、広尾学園や三田学園などのバイリンガル中学校の受験にチャレンジすることになります。
 
でも、そういう学校に行かせたところで、よくよく見れば、教育言語は「英語をメイン、日本語をサブ」か「日本語をメイン、英語をサブ」のどちらかにするに過ぎない。その意味で、他のバイリンガル家庭と同じく、結局は英語か日本語のいずれかを選んでいることになります。
 
その経験から、我々が学んだことは、
 
子供は、話し言葉の面では多国語話せるようになるけれど、教育言語は一つしか持てない。
 
私たちは、日本語が圧倒的優位な環境で暮らし、かつ家庭で英語も使っています。話し言葉の面では、どの家庭の子も、見事な日英バイリンガルになります。うちの二人の子たちもそうです。
 
だた、彼らバイリンガルキッズに、数学、物理、化学、生物、歴史、地理、保健体育といった教科を教える上で使う言語は、英語か日本語か、どちらかに絞った方が明らかに効果的なのです。普通考えて、数学を英語で教えて、また同じ内容を日本語で教えて、というのは明らかに非効率だし、歴史・地理・公民など社会科になれば英語圏の教科書と日本の教科書で内容が全く違うわけだし・・
 
もっとも、英語&フランス語、英語&オランダ語みたいに、お互いに語彙や構造の似た言語同士であれば、教育言語を複数持つことも可能かもしれません。カナダや西欧とかで多くの実例があるでしょうから、皆さんどうやってるか知りたいです。でも、少なくとも日本では非常に難しいです。英語と日本語は天と地ほどかけ離れていますから…
 
我が家では、娘ソフィア(小6)の教育言語を日本語にすることに決めました。息子ポニー(小3)にはまだ英語教育の目も残っていますが、たぶん日本語になるでしょう。私自身、どちらを好むかといわれれば、断然日本語ですね。なぜなら、
 
・世界的にみれば、英語できる人より、日本語できる人の方がずっと稀少。
・英語話者のコミュニティは世界中にあり、新興国途上国にもたくさんあって、彼らの収入給与水準は年収10万~。一方、日本語話者のコミュニティは基本的に日本に限られ、給与水準は年収200万~。つまり個人レベルでみて、日本語できた方が経済価値が高い。
・日本語で教育を受ければ、2000以上の漢字を認識できるようになり、それが中国語学習への近道になる。
・我が家はこれから当面、東京に住み続けるので、通常の学校、専門技術学校含め、日本語の方が断然、教育の選択肢が豊富。
・英語の方が「後付け」しやすい。つまり、日本語で教育を受けた後、大学等で英語で専門教育を受けるのは、世界各国でできるし選択肢も豊富だが、逆に日本語の場合は日本に限られる。

 
それぞれの家庭で、居住地も言語環境も親の言語スキルも違うので、バイリンガル教育を志すにも各自の状況に応じて最適なものを選び取っていけば良いと思います。私は「日本語をベースとした日英バイリンガル」の方が「英語ベース」よりもたぶん価値が高いと思うし、今せっかく東京に住んでいるので日本語での教育に力を入れます。
 
まず日本語をベースとして育ち、後付けで英語、フランス語、スペイン語、中国語、アラビア語などを習得するのは、やる気になればいくらでもできます。現実に私がそれをやっているわけで…

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北京語一極集中の時代に

こんばんはManachanです。東南アジア4か国、10泊11日の出張から無事帰国しました。最初の6日間は、タイ、ラオス、ベトナムを、夜行バス含めて忙しく飛び回り、最後の4日間はマレーシアで家族と一緒にのんびり過ごしました。

 

マレーシア・クアラルンプール(KL)は、春休みに家族で過ごす場所としては、すでに定番です。羽田から直通で行ける、都会の利便性がある、ホテル代激安、現地物価安い、親子で楽しめる施設が多い、英語が通じる…そういった面で、マレーシア以上に条件の揃った場所はなかなかありません。

私がマレーシアを最初に訪れたのは、1992年。それから25年間で、KLの街は劇的に変わりました。

あの頃のKLは、首都とはいえ日本の地方県庁所在地程度の田舎町でした。KLCC(都心CBD)もペトロナス・ツインタワーもまだ無かったし、セントラル駅の西側は一面の森と公園だったし、ブキビンタン(KL随一の繁華街)でさえ百貨店が伊勢丹くらいしかなかった。

 

それが25年経つと、何もなかったKLCCは摩天楼の街に一変、ブキビンタンも百貨店が屏風のように連なり新宿みたいな風景に。セントラル駅周辺にも高層ビル林立…ずいぶん変わったものです。

 

KLタワー周辺の眺望

 

そして25年の歳月は、人々の話し言葉まで変えてしまいます。今回のブログは、語学ネタで書きますね。

 

日本で大学生が選択する第二外国語、今はおおむね「中国語」が一番人気で、二番手が「ドイツ語かフランス語」のようですね。

 

私が大学生だった1990年頃は、「フランス語」か「ドイツ語」が人気トップで、「中国語」は三番手か四番手(スペイン語と良い勝負、ロシア語、韓国語より少し上)みたいな位置だったと記憶しています。私のいた大学では、確か

 

フランス語 9クラス
ドイツ語  8クラス
中国語   4クラス
ロシア語  1クラス
(※スペイン語や韓国語は履修できませんでした・・・)

 

当時と比べると、20数年経って、中国語の地位が躍進したことがよく分かります。中国が世界の経済大国になり、日本との関係も深い。ビジネスで使える、就職に役立つという意味で、ドイツ語やフランス語、スペイン語あたりと比べても一歩抜け出した感がありますね。

 

あと、外国に行かなくても、日本での日常生活のなかで中国語を聞く機会も結構あります。東京は特にそうですね。私が住んでる東陽町とか木場あたりだと、街を歩いてて中国語が耳に入ってこない日はありません。フランス語やドイツ語だと、さすがにここまで身近ではない。

 

「英語の他に、学ぶとすれば中国語」という時代は、もうしばらく続きそうです。

 

中国語の国際的地位が上がると同時に、国内外で、広東語、福建語、上海語など、いろんな方言の使用頻度が減って、「北京標準語」に集約される動きが目立ちます。

 

例えばマレーシアでは、中国系住民の話す言葉が、もともと広東語や福建語だったのに、今は北京標準語一色に変わった印象。この動きはマレーシアに限らず、シンガポールでも、欧米各地の華人社会内部でも、同時進行で起こっています。

 

1992年、私が初めてマレーシアに来た時は、広東系マレーシア人の友人に水先案内してもらいました。当時の私は北京語を話せましたが、「マレーシアの華人社会で北京語はあまり通じない」と言われ、わざわざ「広東語の基本フレーズ」を覚えていったものです。

 

今、マレーシアに行く場合は、華人社会とのコミュニケーションは北京語できればそれで充分。逆に若い世代に広東語や福建語が十分継承されていない印象を受けます。
 

マレーシア華人の昼食風景

 

急速に進む北京語化のなか、広東語の牙城といえば「香港」。ここの生活言語は広東語で、旧英領植民地ゆえ英語もよく通じます。20年以上前は大陸中国がまだ貧しく素養も低かったため、香港では北京語自体が馬鹿にされていました。私が台湾で覚えた北京語も、香港で話すと「大陸の田舎者」だと見下されるので、英語で話した方が良いと諭す友人もいたほどです。

 

しかし今日の香港は、びっくりする程、どこへ行っても北京語が通じます。都心や観光地だけでなく、香港ローカルしかいない住宅街の小さな商店に行っても、北京語だけで事足ります。北京語が馬鹿にされる時代はとうの昔に去り、今や香港人が商売するために一生懸命北京語を覚える時代になりました。

 

3年前に、香港で不動産セミナー講演した時のこと。私は広東語できないので、英語と北京語どちらで話せば良いかと現地協力会社の人に聞いたら、北京語の方が分かりやすいのでお願いしたいと言われました。話し終わった後、会場からの質問を受け付けると、7割方は流暢な北京語で話してきました。今や香港でさえ、北京語だけでほぼ全て事足りる世界になったわけです。英語も結構通じますけど、今や北京語の方がよく通じますね。

 

言葉とは、人間が世界を認知するツールであると同時に、コミュニケーションの手段でもあります。より多くの人に話が通じ、キャリアアップや商売の発展につながる言葉に、需要が集中する。その結果、マイナーな方言が廃れて標準語に集約される…それも言語のひとつの生態なのでしょう。
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台湾訛りですが、何か?

 

おはようございます、Manachanです。いまマレーシアのクアラルンプールで乗り継ぎ中。今回は久々の語学ネタです。

昨日、1月28日は旧正月。中国でいう「春節」でしたね。私、縁あって「春節晩会」というパーティーに招待されました。ここに集まったのは、中国語教育で有名な相原茂先生を中心とする、教育界、出版界つながりの方々が多く、普段、不動産や投資ビジネスな方々とつるんでいる私にとっては、軽いカルチャーショックというか、良い意味で異業種交流ができた気分です。

NHK中国語講座などで人気の段文凝さんもいらしてました。近くでみると、女優さんみたいにきれいな方ですね。皆、彼女とツーショットの写真撮ってました。

基本的に、中国語学習とか研究というキーワードで集まった方々でした。こういう集団のなかで中国語というテーマを語る時、私は軽い違和感を覚えます。

それは、私の話す中国語に強い台湾訛りがあって、それがどう解釈されるかが、学術教育界の方々とビジネスマンとで大きく違うからです。

私は大学時代、台湾に留学して中国語を覚えました。留学中に台湾出身の彼女ができて、そのまま結婚してしまいました。今は二児の父となり、家庭では日々、妻とは台湾風の中国語で話しています。

こんな環境に居るから、私が中国語を話すとバリバリ筋金入りの台湾発音になります。関西人同士で結婚して家庭内会話がモロ関西弁の方々が関東に住んでもなかなか東京弁にならないのと同様、私と妻は中国大陸(大連)に数年住みましたが台湾アクセントは抜けません。たぶん一生直らんでしょうし、直す気もありません。

台湾訛りを意識していても、中国語での意思疎通やビジネスで別に不自由しないから、直す必要性を感じないんですね。あと文化的な劣等感も皆無。そもそも中国大陸で、台湾独特の発音や語彙は「かっこいい」と思われることが多いですから。

(あと、俺ら台湾の訛りは、少なくとも香港の連中が話す広東語訛りよりは断然、北京標準語に近くて通じやすいと思うし。)

台湾人が中国大陸各地で事業を展開し、鴻海や奇美電子、BenQ、統一食品といった台湾企業が大雇用主になってる今日、中華圏のビジネスシーンで台湾発音の中国語が揶揄されたり問題視されることは、私の知る限り、ありません。

しかし、教育学術という分野になると、また別の力学が働きます。日本人というノンネイティヴに中国語を教えるわけですから、広い中国のなかから「標準語」を選ばなきゃなりません。そして教育の必要から、標準語の発音や言い回しにこだわる必要が出てきます。

日本で中国語ラジオ講座とかに出てくるネイティヴの先生って、たいてい北京とか東北地方の出身者が多くて、台湾とか香港出身の人を余り見かけないのも、「北京標準発音」を打ち出す必要性から来ていると思います。

これまで会った中国語の先生のなかには、私の台湾訛りを問題視して、矯正しようとする方もいました。「你的发音要改一改」(君の発音直した方がいいよ)と言われたこともありますが、さすがに違和感がありますね。

私はビジネスマンだから、実用で通じりゃそれでいいじゃん、わざわざ直す必要ないじゃん、という感覚です。

そういえば英語だって、私の場合オーストラリアで覚えたから、英国や米国からみればやはり訛ってるし、当然自覚もしてます。でも英米人と問題なく意思疎通できるわけだし、英語なんて特に、ノンネイティヴ同士の意思疎通に使われる世界共通語なんだから、中国語以上に「通じれば、それでいい。発音なんて二の次」だと思います。

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