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発展都市「柏」の南北問題

おはようございます。Manachanです。

前回までのブログは、銚子市(人口減っても家賃とれる町)、一宮町(外房の勝ち組都市)と、千葉県ご当地不動産ネタが続きました。これらは、県内でも東京から遠い「地方圏」の話ですが、今回は、「東京に近い千葉」の話題でいきます。

今回とりあげるのは、柏市・・・東京都心30㎞圏。まぎれもない首都通勤圏ですね。

・「柏駅」から、JR上野東京ラインで、東京駅まで直通、最速30分、550円
・「柏の葉キャンパス駅」から、つくばエクスプレス(TX)で、秋葉原まで直通、最速29分、670円。

 

世界最大の人口・雇用機会をもつメガシティ東京から至近距離、という立地の意味は大きく、日本全体の人口が減り続ける昨今でも、柏市の人口は安定して増え続けています。

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柏市は、市制施行から60年を超えましたが、その間、人口が減った時期が一つしかありません。平成23年の東日本大震災・福島原発事故に伴い、柏市周辺で比較的高い放射線量が観測され、それが全国に報道された影響で、ファミリー層の転入が鈍り、1500人ほど減った時期があります。しかし、平成24年5月以降はV字回復、以降3年間で7000人も増えています。

震災の影響で、人口増加から減少に転じた千葉県の都市は3つ(柏市、我孫子市、浦安市)ありますが、この3市の中で、人口が回復したのは柏市だけです。

東京都心アクセスがはるかに便利な浦安市や、地価・不動産価格の安い我孫子市を差し置いて、ひとり柏市が回復したのはなぜか?それは、東京圏における人口流入が、「開発余地の大きさ、利便性と不動産価格のバランス」で決まるからだと思います。思うに、こんな理由ではないかと、

・浦安市には住宅の開発余地が少ないが、柏市にはたくさんある。また浦安市と比べて、柏市には庶民層が無理なく買える戸建住宅の供給が豊富。

・我孫子市は不動産開発余地が多くて価格も安いが、東京アクセスや商業的発展、教育環境などの面は柏市の方が魅力が大きい。

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柏市の人口動態が力強い理由の一つに、2005年の「つくばエクスプレス(TX)開業」により、市内北部地域に2つの新駅ができ、東京都心部と直結されたことが大きい。その点、柏市と同じ状況にあるのが、西隣の「流山市」です。同市では、3つの新駅ができています。

・2005~15年の間に、流山市の人口は21,548人増加
・2005〜15年の間に、柏市の人口は29,974人増加

つくばエクスプレス:10周年 流山、柏「勝ち組」に 一部地域に開発集中 環境問題や格差浮き彫り /千葉

 

この一帯は、松戸、野田、我孫子、鎌ヶ谷とともに「東葛飾地区」と呼ばれますが、同地区6市のなかで、人口が増え続けているのは流山市と柏市だけ。やはり東京直結鉄道の威力は半端ないのです。また、柏市の場合はTXのほか、JR常磐線が今年3月から東京駅、品川駅直結の「上野東京ライン」に昇格。TXと上東ラインが、東京通勤客を獲得するべく健全な競争をしているおかげで、住宅地としての柏市の魅力がますます上がっています。加えて、中心エリア「柏駅東口」の再開発も進行中。少なくともあと5~10年、柏市の人口が減ることは考えにくいでしょう。

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いま、流山、柏の両市で起こっている現象は本質的には同じで、社会増が自然増に結びつく、「好転・成長都市」のパターンです。

・他地域からの子育て世代の転入で、社会増になる。
・彼らが子供を産むことにより、自然増にもなる。

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千葉県のホームページには、常住人口増加数が月間でトップだった自治体名が載っていますが、いつも「船橋市」、「流山市」、「柏市」が上位に出てきます。最近、この3市を私は、「千葉の三強」と呼ぶようになりました。船橋市は、東葉高速沿線の住宅開発があるし、ベイエリアにも開発余地が大きいから、さすがに強いですね。あと、津田沼南口の「奏の杜」大開発を抱える習志野市や、千葉ニュータウン中央の人気に支えられる印西市も強い。

千葉の三強:船橋市、流山市、柏市
千葉の五強:船橋市、流山市、柏市 + 習志野市、印西市

※)県都・千葉市は、緑区や中央区など人口増加区と、花見川区など人口減少区があって、両者が相殺されて全体的に横ばい〜微増。

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流山、柏、船橋・・・人口増加や発展の影で、地域にはいろんな問題が出ています。前掲の記事にも出ていますが、

TX沿線の利便性が高まる一方、大きな開発計画のない市南部地域を中心に「南北間格差」や「北部一極集中」を疑問視する声は消えない。

 

柏市の場合、ここ10年で「市内の南北問題」が人々の話題に上るようになってきました。もともと、柏市は東京直結鉄道がJR常磐線しかなく、「柏駅」が市域の中央部に存在したおかげで、船橋市等と比べて、比較的均等に発展してきた都市です。

私の子供時代、柏市は「北工南住」と呼ばれていました。

柏市北部:十余二、根戸、機械金属の「三大」工業地帯を擁する、内陸工業の拠点。
柏市中央部:大ターミナル「柏駅」を擁する中心商業地区、かつ行政の中心。
柏市南部: 東武野田線沿いに広がる、光が丘、つくしが丘、新柏など、落ち着いた戸建住宅地・。

この三地域が、お互いの特性を活かしながら、柏市を形づくってきました。当時は、北部に住む人は少なく、南部の方が人口が多かった印象があります。

 

しかし、2005年のつくばエクスプレス開通によって、北部地域が新興住宅地として大発展。一方、すでに成熟した住宅地である南部には大きな開発計画がなく、南北のパワーバランスが崩れつつあるのが、いまの柏市です。

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ここ10年の人口推移を、「北部」、「中部」、「南部」、そして2005年に柏市に吸収合併された「旧沼南町」別に計算してみました。

2005~15年の平均

・北部 年率1.13%増加
・中部 年率0.95%増加
・南部 年率0.26%増加
・旧沼南 年率1.12%増加

 

2010~15年の平均

・北部 年率1.01%増加
・中部 年率0.88%増加
・南部 年率0.04%増加
・旧沼南 年率0.44%増加

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税収が伸び悩む日本。財政の運営はどこも厳しく、自治体が将来の発展のために新規投資できる余地は限られます。柏市の場合は、つくばエクスプレスが通る北部の新都市と、既存の中心商業地である柏駅周辺の、二大「投資対象エリア」を抱え、限られた財源をどちらに回すかが、市政上の主な争点。「柏市の二大中心」から外れた南部や旧沼南町エリアに大きな財源を回す余裕はない。

特に2010年以降、南部地域の人口増加がピタリと止まったのが気がかりです。このままでいけば、隣の松戸市の常磐緩行線エリアと同様、間違いなく人口減少に直面するでしょうが、残念ながら、地域の魅力を上げるための公共投資ができにくい状況。

 

数年前、こんなことがありました。旧沼南町(広義の「柏市南部」と呼んでよいエリア)で、「手賀の杜」という大規模な戸建住宅地開発があり、就学年齢の子供の数が増えましたが、このエリアに新しい小学校を建てる予算がなく、多くの家庭は仕方なく、1.5㎞以上離れた「風早北部小学校」に通わせました。この学校は校庭も狭く、通学路に歩道もろくにない環境なのにマンモス校化してしまいました。

ほぼ同時期、柏市北部の、TX「柏の葉キャンパス」駅近くでは、2012年に柏の葉小学校が新設されました。ここは、「外国語教室に対応した国際交流室」や「学年ごとにユニット化した教室配置」など最新の設備が特徴で、東京山の手のような今風の学校。しかも、その隣に中学校が新設される予定で、首都圏各地からニューファミリーを呼び込む体制がどんどんできています(リンク)。

それを横目にみている、柏市南部住民からすれば、「なぜ、北部ばっかり優遇するの?」という声になるわけです。TX沿線は裕福で高学歴な住民も多いからなおさら、南北問題になりやすい構図。

 

この問題、一朝一夕には解決しないでしょう。一つ明らかなことは、公共投資に期待できないので、望みの綱は民間投資しかありません。その点でいうと、旧沼南町地区に来春オープンする、日本最大規模の「アリオ」ショッピングセンターだけが、南部地域浮揚の唯一のネタでしょう。

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ショッピングセンターは、東京直結鉄道の新駅や、駅前再開発に比べると人口動態上のインパクトは弱いと思いますが、それでも、空き地の多い沼南町地区に民間投資を呼び込んで、柏市南部の利便性や都市環境を改善していく他に、方法がないのだと思います。

日本に珍しく、人口増加を続ける発展都市・柏市。贅沢な悩みかもしれませんが、願わくば、各地域がバランス良く発展して欲しいと思います。

 

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外房の勝ち組都市・一宮(千葉県)

こんばんは。Manachanです。今回の日記は、千葉県の太平洋岸の町、最近不動産の取引で縁のあった「長生郡一宮町」からお届けします。

首都圏の一角を占める「千葉県」。ディズニーランドや幕張ベイタウンもあり、なんとなく都会なイメージもありますが、それは「千葉市から東京寄り」の話。千葉市から南、あるいは東に行くと、全くの別世界が広がります。

南の海に大きく突き出した房総半島。その西岸の東京湾に面した地域を「内房」(うちぼう)、東岸の太平洋に面した地域を「外房」(そとぼう)と呼びますが、いずれも、関東でも指折りの田舎・過疎地であり、厳しい人口減と産業衰退に直面しています。半島状のどん詰まりの地形ゆえ、工業や物流拠点として成立するのも難しい場所です。

さらに房総半島は、JR東日本から酷く冷遇されるエリアとして知られています。今年3月、北陸新幹線や上野東京ラインが開業した際に、大幅なダイヤ変更が行われましたが、特に千葉県区間の廃止・減便が目立ちます(リンク)。たとえば、

「特急あやめ」(東京~佐原)廃止
「特急さざなみ」(東京~館山)君津以南廃止、6往復⇒3~5往復
「特急しおさい」(東京~銚子)8.5往復⇒7往復に減便
「特急わかしお」(東京~安房鴨川)13往復⇒12往復に減便

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半島状の交通不便地を多く抱える千葉県は、県下54市町村のうち26市町村が「消滅可能性都市」(20~39歳の女性人口が、2010~40年の間に半分以下になる)認定されています。この26という数は、一都三県どころか関東で最多。うち、圧倒的大多数(24市町村)が、ざっくり「千葉市以南・以東」に位置する「東総」、「外房」、「内房」に集中しています。この地域は、全体の75%(32分の24)が「消滅可能性都市」という凄まじい状態。

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衰退一直線の地域のなかで、健闘が目立つ町があります。それが「長生郡一宮町」・・・東京から約80㎞離れた、九十九里海岸沿いの町。

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人口規模は1万2千人と小さく、めぼしい産業もありませんが、不思議なことに1970年以降、一貫して人口を伸ばしてきているのです。

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一宮町の南に隣接する「いすみ市」が、1995年頃をピークに人口を減らしており、すでに4万人を割り込んでいるのとは対照的ですね。

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なお、「いすみ市」は20~39歳女性人口が2010~40年の間に「55.3%減る」と予想される「消滅可能性都市」ですが、同時期の一宮町は「26.4%しか減らない」・・・これは、東京ベッドタウンである、八千代市、鎌ヶ谷市、成田市、柏市に次ぐ、千葉県内では極めて優秀な数字。2040年になっても、対2010年比で一宮町の人口は微減にとどまると予想されます。

なぜ、ここまで力強いのか?一つの要因として、町の中心駅「上総一ノ宮駅」の利便性の高さがあると思います。東京駅から直通する快速電車、多くは上総一ノ宮が終着です。というのも、外房線の複線区間がこの駅で終わり、次の「東浪見」(とらみ)駅以南は、一部を除いて単線になるからです。

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この上総一ノ宮駅の日平均乗客数は、1965年以来、ずっと3000人前後を維持しています。外房線内では、かなりの数です。同駅以南では、一宮町より規模の大きい都市の中心駅・・・大原、勝浦、安房鴨川等がありますが、どの駅の乗客数も上総一ノ宮に遠く及ばないばかりか、明らかに減少傾向となっています。

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また、一宮町が上手に発信する「サーフィン文化の魅力」も大きい。たとえば、サーファー上がりの宅建業者「波乗不動産」では、一宮町周辺の海沿いでサーファー向けのキューブハウス、トレーラーハウス、洋風輸入住宅など、ユニークな物件を数多く取り扱っています。

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また、外房の他の町に比べて、海岸沿いにおしゃれなカフェ、レストランの類が建ち並んでいるのも一宮の特色。「湘南・鎌倉のレベル」まで洗練されてはいませんが、「サマになる飲食店」は、ビーチライフには不可欠。電車交通の便利さとあいまって、一宮に都会のサーファーを呼び込む魅力の一つになっています。

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一宮町は、東京通勤圏から外れた田舎町にもかかわらず、なぜか転入が転出を上回る、「社会増」都市であり続けています。外房で社会増の自治体は珍しく、一宮町の他には、長生村、鴨川市くらいしかありません。しかも、転入元の第一位は、なんと「東京23区」なのです。そして5位は「横浜市」・・・一宮町は、都会から移住者を呼べる町なのです。

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先ほど言ったように、一宮町にはめぼしい産業、大きな雇用者はありません。町民勤労者の15%くらいは、近くの茂原市に通勤しています。また、アウトレットモールなど、大きな商業施設があるわけでもありませんし、大規模な開発計画などもありません。東京や千葉市のベッドタウンというにも遠すぎます。

人口わずか1万2千の田舎町。でも、いまの都会の価値観からいえば、「なかなかイケてる田舎町」なのだと思います。

・東京からアクセスが便利。特急料金の要らない、快速電車が10~20分おきに出ており、80分で着ける。

・駅、街、国道が、コンパクトにまとまっており、そこから海が近い。

・ビーチカルチャーを積極的に発信している。

・東京はじめ、他所から移住者を受け入れて、開放的なコミュニティになっている。

こういう条件が揃っているので、衰退傾向の外房エリアのなかで、一宮町が都会人に選ばれているのだと思います。なお、ここは戸建賃貸でそれなりに良い賃料が取れるし、海が近くて鉄道便利ならAirBnBやる余地もあるので、不動産投資の面でも面白いと思いますよ。

 

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中国人でよかったね

こんばんは、Manachanです。

私は、⒌年前から、日本移住を希望する中国人向けの、投資経営ビザサポートの仕事をしてきました。最初は彼らに不動産売るつもりだったんだけど、蓋を開けてみれば「日本に滞在できるビザ」の要望が非常に強く、その声に応えるかたちで、ビザ業務も始めたのです。

私が最初にビザサポートを成功させた中国人夫婦は、すでに日本滞在4年を経過し、商売も軌道に乗せています。彼らの来日当時、17歳の高校生だった娘さんも家族滞在ビザで日本に呼び寄せています。未成年なので当然、両親の扶養家族という身分で、日本滞在できたのです。

ですがその子も、すでに21歳になり、扶養家族として日本滞在を続けることが難しくなりました。今はまだ学生なので良いですが、卒業したら彼女自身の力で、日本の在留資格を取らなければなりません。

当然、彼女も日本での就職を目指していますが首尾よく就職できたからといって、在留資格が取れるとは限りません。外国人の日本での在留資格は23種類に限られ(リンク)、「日本人ではできない仕事」、「外国人ならではの仕事」、「その人ならではの仕事」など、外国人として日本で働く正当性が求められます。

現実的に考えて、新卒レベルで狙える在留資格は、「人文知識、国際業務」位しかありません。この資格は、外国語を使う通訳や翻訳、ツアーガイドなど、日本人にない言語能力を使う仕事に就くことが条件になります。一般的な事務作業や営業など、日本人が普通にできる仕事の場合、就職できても在留資格が得られない(=実質的に就職できない)ので、一般論として狭き門といえます。

では、多くの外国人は、日本に住み続けたくても、ビザの問題で結局諦めなくちゃならないのかというと、そんな話でもありません。正確にいうと、その人が持つ言語能力が日本社会にどれだけ必要とされるかによって、露骨に明暗が分かれます。その意味では、

 

今のタイミングで、中国語ネイティブとして日本の企業社会に入っていくのは、他の外国人に比べて明らかに有利

 

と思います。特に、私がいま身を置く不動産業界では、中華圏のバイヤーが殺到してますので、特に東京では「中国人社員が喉から手が出るほど欲しい」会社が多い。もし彼女から就職活動サポートを求められたら…私の知り合いだけでも、10社以上、紹介できますよ。

東京周辺の千葉県、埼玉県あたりの、地場の不動産屋でさえも、日本語の宣伝しかしてないのに中華系バイヤーが仲介件数の1割を超えるようなケースが増えて、対応したくても語学力がなくて苦労している会社は多い。

また、今は日本の国策で来日留学生を30万人まで増やす方針があります。留学生受け入れの重点大学として指定されている大学は日本各地にありますが、大学によっては留学生対応に慣れておらず、結局、民間賃貸住宅を求めて、アジア各国の留学生が街の不動産屋に殺到するケースも増えています。「せめて、中国語くらいはできないと、話にならない・・・」と考える会社も少なくない。

今そんな時代なので、中国語ネイティブの立場は強いのです。もちろん、日本語がビジネスレベルでできて、日本の企業社会に馴染めることが前提になりますが、それができる中国人には、東京&首都圏、京阪神、名古屋、福岡、札幌などの大都市、そして国際的な大学のある別府や甲府など・・・日本全国、いろんな都市で、活躍の場が用意されています。

そして不動産に限らず、旅行業、小売業、製造業、IT産業、役所・・・日本の津々浦々、いろんな業種で、中国語能力が必要とされています。

 

もう一度、繰り返して言うと・・・今のタイミングで、中国人だから、中国語ネイティブだから有利なのです。東南アジアの小さい国の出身者とは比べものにならない、強力なアドバンテージです

 

思いおこせば、私は西暦2000年から海外に出て、オーストラリア、中国、米国、インド・・・いろんな国で働き、転職も経験してきましたが、常に「日本語ネイティブ」である幸運に助けられてきました。中国語を別とすれば、日本語はアジアのどの言語よりも、ビジネスでのニーズが高く、求人も多い。しかも中国人と違って、職を争うライバルも少ない(海外で働く日本人の絶対数は、中国人と比べて圧倒的に少ないので・・・)。

「英語ができ、IT業界での職務経歴と技術力がある」人間は、世界中にゴマンといますが、これに加えて「日本語ネイティブ」・・・企業に採用される上で、実に強力なアドバンテージでした。本当に、日本に生まれてラッキー♪

 

いま日本で就職を目指す中国人も、当時の私と同じ意味で「ラッキー」、運がめぐってきたのではないでしょうか。是非、このアドバンテージを活かして、日本と中華圏の架け橋として、良い仕事をしていただきたいと思います。

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人口減っても家賃とれる町

こんにちは。今日のブログは、関東の最東端、潮風の町、千葉県銚子市ねたをお届けいたします。

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太平洋に突き出した銚子半島。この地に行ったことなくても、成田から乗る飛行機からその姿を見た方は多いことでしょう。この地域で、是非知っていただきたいのが、

夏は関東で一番涼しく、冬も暖かい、身体にやさしい気候

 

特に夏の涼しさは特筆ものです。東京都心や神奈川県で35度を超える猛暑日になる日でも、銚子ではせいぜい31~32度。観測をはじめてから、銚子気象台で35度を超える猛暑日になった3回しかないとか…

今年の夏、8日連続の猛暑日に悩まされた東京の人からみると、「同じ関東で、猛暑日とは無縁の場所があったのか…」と、驚くことでしょう。冬も暖かく、銚子で氷点下になったり降雪することは滅多にありません。シニアの保養地、リタイアメントの地として適性が高い場所だと思います(その代わり、湿度は高く、風が強いですけどね…)。

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銚子は、「天国の気候」に恵まれているだけでなく、観光資源も豊富。「銚子漁港の魚介グルメ」、「犬吠埼灯台」、「ぬれ煎餅で有名な銚子電鉄の旅」などを擁し、関東人の行楽の地として知られています。

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JR銚子駅を降りると、商店街になっており、美味しそうな海の幸が並びます…決して人通りが多いわけではありませんが、南欧の田舎町を思わせる、小ぎれいで明るい感じのする街です。

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銚子市を中心とする地域の地図を、拡大してみました。銚子の隣には、同じ千葉県の旭市、東庄(とうのしょう)町、利根川をはさんだ対岸には、茨城県の神栖(かみす)市があります。

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この「広域銚子地域」のなかで、銚子市の人口や経済的地位は落ちつつあります。理由はシンプルで、「仕事が少ない」。銚子は漁業、農業など一次産業が盛んでも、工業地帯のような大きな雇用主がないのです。

地元の方に、「銚子の若者はどこに出ていくのか?」と聞くと、「神栖に行っちゃう」と答える方が多い。隣の神栖市は鹿島工業地帯があって働き口が多いのです。しかも、潤沢な法人税・事業税で財政も裕福だから福祉も良い、街も新しくて便利・・・ということで、子育て世代の神栖への流出現象もみられます。

下の図が、2005~12年の人口推移。銚子市が減少する一方で、神栖市が人口を伸ばしていることがよく分かります。

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これだけ見ると、「人口を伸ばしている神栖はいいけど、人口減ってる銚子で不動産投資はやばい」と思うかもしれませんが、ミクロでみてみると、そういう単純な話でもありません。面白いことに、

・住宅地地価をみると、人口減ってるはずの銚子市が高止まりして、

・人口増えてるはずの神栖市で、地価が下がりまくっているのです。

銚子市の平均住宅地価  41,500円/㎡ (2004) ⇒ 39,400円/㎡ (2008) ⇒ 5.1%減

神栖市の平均住宅地価  35,100円/㎡ (2004) ⇒ 25,300円/㎡ (2008) ⇒ 27.9%減

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なぜ、そうなるのか?まだ詳しく調査したことはありませんが、仮説として考えられるのは…

・神栖市は延々と平坦地が続き、住宅建設の適地がたくさんある。これまで人口の多くなかった旧・波崎町あたりでも、住宅開発が広がり、価格の安い分譲地が増えているかもしれない。

・一方、銚子市は半島で平坦地が少なく、住宅を建てられる土地が限られる。売買用土地の流通が少ないから、地価も高止まりする。

 

地方都市での賃貸経営にとって、「入居者が安い戸建購入に走る」のは、かなり重大なリスクです。神栖市で安い土地や戸建が流通すればするほど、オーナーがとれる賃料の上限がどんどん下がる。たとえばの話、神栖市平均の地価(2.5万/㎡)で200㎡の宅地を買っても総額500万円。そこに、パワービルダーの安い戸建を1000万円建てれば、総額1500万円で新築戸建がつくれてしまう。

1500万円の90%(1350万円)を住宅ローン組んで買った場合、月々の返済額は、金利1.2%、35年返済でいくと39,379円、25年返済でも52,109円・・・そんなマーケットで、月額55,000円以上の家賃を取るのは難しい。

 

あと、山がちな銚子半島と違って、平坦地の多い神栖では、賃貸アパートも建ちやすく、すでに「供給過剰」になっているという話を、複数の業者から聞きました。

賃貸用住宅の空室率 (「Home’sみえる賃貸経営」)

神栖市 34.8%
銚子市 26.4%

 

人口増えてるのに地価下落と過剰供給のダブルパンチ・・・神栖市地場の業者のサイトをみると、同地域の2DK~3DKファミリー向けの賃料は、3~4万円くらいの安いものが目立つ(7万円とる高額物件もあるが…)

http://www.sumairu.co.jp/chintai/bukken/0-7f.html

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一方、銚子市側だと、同じような間取りで、普通に5万円以上とれているようです。神栖と違って、月額3~4万円という激安物件はほとんどない。

http://www.benefit.ne.jp/~choshi/rent/2k.html

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銚子市は確かに人口減っていますが、不動産賃貸の目でみれば需給がバランス取れているので、過剰供給気味の神栖市より家賃取れるといって良いと思います。

しかも、銚子駅に近い中心部には土地の空きがほとんどありませんので、ライバルが増えるリスクも少ないし、衰退都市のイメージがあるので、銚子での賃貸事業に参入する業者も少ない。

地場の良い管理会社と組めれば、銚子の不動産投資って、意外に良いかも。逆張りチックでありますが、関東に残された、数少ない賃貸経営の穴場かもしれませんね。

 

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名古屋ベッドタウンでおカネをつくる

おはようございます。Manachanです。今回の日記は、昨日仕事で行った、「愛知県西部の名古屋ベッドタウン地帯」のことをテーマに書きます。

名古屋市といえば、全国で3番目なのか4番目なのか知りませんが、とにかく、日本を代表する大都市のひとつですよね。面積326㎢、人口227万人(政令市のなかで第3位)、市内総生産額12兆3228億円(同3位、しかも人口1.5倍もある横浜市に肉薄)…どの指標をとっても堂々たる数字です。その上、勢いもある。特に名古屋駅前の「超高層ビル同時開発」の迫力は全国有数!

しかし意外なことに、日本の誇る大都会・名古屋市に隣接する市町村のうち、約3分の1は「町」か「村」なのです!

名古屋市に隣接する自治体(2015年)
11市…春日井市、瀬戸市、東海市、日進市、大府市、あま市、尾張旭市、北名古屋市、豊明市、清須市、長久手市
4町1村…愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、海部郡大治町、海部郡蟹江町海部郡飛島村

 

しかも、2005年「平成の大合併」以前は、「北名古屋市」、「あま市」、「清須市」などは存在しませんでした。これらは、名古屋に隣接するベッドタウンの「町」がいくつか合併してできた新市です。さらに言うと、「長久手市」も2012年以前は「町」でしたので、2005年時点では、名古屋市に隣接する自治体の、実に6割以上が「町」か「村」だったのです。

名古屋市に隣接する自治体(2005年時点)
7市…春日井市、瀬戸市、東海市、日進市、大府市、尾張旭市、豊明市
12町1村…愛知郡(東郷町、長久手町)、西春日井郡(豊山町、師勝町、西春町、西枇杷島町、清州町、新川町)、海部郡(甚目寺町、七宝町、大治町、蟹江町、飛島村)

 

東京や大阪の感覚では、にわかには信じがたい現象です。たとえば、東京23区や大阪市に隣接する自治体は、武蔵野市とか豊中市など、すべて「市」になっています。少なくとも、東京や大阪の中心から30㎞は離れないと、「町」や「村」にはなりません。

だから、大都会・名古屋市から目と鼻の先にある場所が「〇〇郡〇〇町」という現実が、感覚的に理解しがたいです。だって、人口5万を超えれば市制施行できるわけだから。人口227万もいる名古屋市の隣町が、5万人以下のど田舎というのは考えられない…

 

結論からいうと、名古屋市のすぐ隣に5万人以下の自治体は存在します。海部郡大治町(あまぐん おおはるちょう)が3万1千人、西春日井郡豊山町が1万5千人・・・でも、農村や田舎というわけではありません。すでに名古屋のベッドタウンとして都市化され、人口密度も高いのですが、面積がむちゃくちゃ小さいから人口が5万を切るのです。

たとえば、大治町。名古屋市の西方にあり、町役場は名古屋駅からわずか6㎞の近さ。バスも頻繁に出ており210円という市内並みの料金。人口は3万1千人と少ないですが、その理由は面積が6.59㎢しかなく、名古屋市のどの区よりも狭いからです。大治町の人口密度は4740人/㎢と、東海地方では名古屋市に次いで第二位。鉄道はありませんが、バスや自家用車で名古屋に通勤する人が暮らす住宅都市になっています。、

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名古屋駅から西に車を走らせ、庄内川を渡ると、すぐ「あま市」になります。この辺は5年前まで、「海部郡甚目寺町」(あまぐん じもくじちょう)だった場所。前出の「大治町」との市町境が入り組んでいます。

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旧・甚目寺町の領域も、大治町と同様、「ロードサイド店 アパート 戸建 時々田んぼ 工場」の世界。低平で起伏に乏しく、関東でいえば、埼玉の八潮、三郷、吉川あたりに近い感じかな。ここも名古屋に近いベッドタウンとして成立しており、合併して「あま市」になる前は人口4万人、面積わずか9.34㎢、人口密度4000人/㎢超の町でした。

大治も旧・甚目寺も、名古屋と同じ市外局番052だし、街の感じからしても、完全に「名古屋市中村区」みたいなもんですね。こういう、「実質、名古屋市なんだけど、名前は町だったりして知名度が低い」エリアで、面白い不動産賃貸経営ができないかなあと考えてみる。

 

ひとつ思いついたのが、「車庫付きの新築戸建賃貸」…たとえば、11m×30m四方、330㎡(100坪)の、前面接道の長方形の土地を、このエリアで仕入れられたとする。それを、4つに分割すると、接道幅7.5m×奥行11m、82.5㎡(25坪)の土地になります。そこを、こんな感じに開発する。

―前面道路側に、2台分の駐車スペースを設置
―奥側に、6.5㎡×6.3㎡×2階建て、建坪24坪の3~4LDK戸建を建てる。
―隣家との間をフェンスで囲う。
―駐車スペースと隣家との間を玄関に向かう通路(または駐輪場)として使用

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それぞれの住宅は、こんなスペックになります。

土地 82.50㎡
建築面積 81.90㎡ (一階40.95㎡、二階40.95㎡) 
建ぺい率 49.6%
容積率  99.3%

 

大治町、あま市近辺だと、おそらく建ぺい60%、容積200%の一種住居や準工業地域が多いと思いますが、上のプランなら建ぺい50%、容積100%の土地にも建てられるので、用地仕入れコストが安くできるかもしれません。

大治町、あま市平均の地価は坪20~30万円のようですが、相続などで売り急ぎの土地を、例えば坪15万近辺で仕入れられれば土地代は1500~2000万円。各戸建が800万円で建てられれば、総事業費は4700~5200万円で済む。そうやってできた4戸の戸建を、

・賃貸するなら、月9万円で貸す
・買うなら、分筆して1戸1700万円で売る
・当面、賃貸した後、⒌年以内で買うなら、1年経過する毎に36万円づつ安くした価格で売る(月額家賃9万円のうち、3万円ずつ購入用に積み立てているのと同じ)

 

いま、大治町やあま市で販売されている新築・築浅戸建の価格を調べると、40~50坪の土地に建物がついて2100~2900万円あたりがボリュームゾーンであるよう。だから1700万円の新築戸建ては価格競争力があると思います。

また、この地域の人が2500万円の戸建を90%(2250万円)、金利1.25%の融資を引いたとして、月々の返済額は35年ローンで66000円、30年ローンで75000円、25年ローンで87000円。だから、月額9万円で設定しておけば、入居者が別の戸建購入に走るリスクは少ないと思うし、もし購入を希望するならばそのまま買い取ってもらえば良い。

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これを、オーナー側からみると、
4戸全部貸せれば、グロス利回りは8.3%~9.2%
4戸全部売れれば、グロス収益は1600~2100万円 (粗利益率30%以上)

 

今どき、大都市近郊で、土地に新築の建物がついて利回り8~9%も出れば上出来だと思うし、戸建のエンド需要あるエリアなら出口も取りやすい。名古屋へ至近距離で人口も増加傾向にあり、その割には地価も安い大治町、あま市エリアに合った投資方法だと思います。

もっとも、これが実際にできるかどうかは、さらに詳細な調査が必要ですが…いろんな土地に行って、「どうやったら、このエリアでおカネをつくれるか?」を考えるのって、楽しいですね♪

 

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地方物件融資は「一ランク田舎の銀行」を狙え!

おはようございます。Manachanです。今回も日本国内不動産ネタでいきます。

小学4年生になる娘ソフィアは、いま、日本の都道府県地図がマイブーム。地図パズルをやったり、地理図鑑を買ってきたり、タブレットを使って「ピアノの生産量日本一は静岡県!」みたいなクイズをやったり…

数えてみると、ソフィアが行ったことのある日本の都道府県数は、15でした。あと32行けば、全国制覇ですな。

 

ところで、私が昨年2月から、東京・五反田オフィスではじめた宅建業。最近は弊社で売買仲介する物件が、全国規模に広がっています。東京の物件を中心に扱うと思いきや、意外にも、全国からリクエスト来るものでして…

これまで売買仲介を成立させた都道府県数は、8になりました(東京、千葉、埼玉、神奈川、静岡、愛知、福島、福岡)。プロジェクトベースでいうと、15くらいになるんですよね。

 

つまり、最近の私は、「売買の仕事で地方出張が多い」ということです。毎回、融資づけの話も当然するわけなので、それぞれの地域でどの銀行が不動産融資出すのか、それなりに見聞してきました。私が感じるのは、

 

「地方」には、「地方における中心県(都市)」と、「さらに周辺の県(都市)」がある。

「地方の中心県(都市)には、周辺の県から多数の金融機関が集まり、支店を出している」。

「そうした周辺県の金融機関は、地元に仕事が少ないから、地方中心県(都市)での融資にはとても熱心」

 

分かりやすい例でいうと、九州の中心「福岡市」、特に「博多駅近辺」には、九州7県と山口県の金融機関が集結しています。地元でよく言われるのが、

 

「福岡県で物件買うなら、”みやぎん”に話するのがいいよ」

 

九州で「みやぎん」とは、「宮崎銀行」のこと。同銀行は、福岡県内での不動産融資に大変熱心、というのがもっぱらの噂。近隣にある「かぎん」(鹿児島銀行)や、「くまぎん」(熊本銀行)と比べても、「みやぎん」の融資姿勢の熱心さは際立っているそうです。

ま、地元の宮崎で融資先探すよりも、福岡に出てきた方が仕事はたくさんあるでしょうし、ライバル県のライバル銀行との競争に勝って、福岡で営業成績上げたい事情があるのでしょうね。

 

最近は、福島県郡山市での仲介の仕事がありました。ここでも似たような話が、

 

「郡山で物件買うなら、”あきぎん”がいいよ」

 

東北地方で「あきぎん」とは、「秋田銀行」のこと。同行は秋田県のほか、東京、宮城県(仙台)、北海道(札幌)、福島県に店舗を展開しています。しかも、東北の中心都市・仙台で3店舗出店しているのに対し、都市規模が3分の1に過ぎない福島県郡山市にも同じく3店舗(郡山支店、郡山北支店、郡山南支店)出店している位なので、郡山での融資には力を入れていることが分かります。

私は、「秋田の人が外に出るとすれば仙台か東京だろう」と思っていましたが、郡山に行ってはじめて、「秋田⇒郡山」という人口移動もあることを知りました。郡山の地元の人に聞くと、「郡山に出てきて成功した経済人には秋田出身者が多い」そうです。

確かに郡山は、東北地方では珍しく、「明治以降の開拓によって発展した、北海道チックな都市」ですので、外部からの人の流入にはオープンな土地柄だと感じます。明治以降、いろんなタイミングで、秋田の人が入ってきて、郡山の発展に貢献したのでしょうね。

こういうことって、実際に現地に来てみないと分からないことですね。なかなか面白いです。まとめると、

地方物件の融資づけは、「物件所在地より、もう一ランク田舎の銀行」が狙い目

なのかもしれませんね。

 

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地盤と震災リスク

こんにちは、Manachanです。

「何を見ても東京の足元にも及ばないが、温泉だけは立派なものだ」…これは、夏目漱石の小説「坊ちゃん」に出てきた一節。舞台は、四国松山の道後温泉ですね。

今回、坊ちゃんの千葉県民バージョンができました。「何を見ても東京の足元にも及ばないが、地盤だけは立派なものだ」。舞台は、千葉県鎌ケ谷市。

東京から至近距離。代表駅の新鎌ヶ谷は、 成田スカイアクセス線、東武野田線、新京成線が交わる交通の要衝。日本ハムファイターズのスタジアムと、赤ちゃんサイズの「鎌ヶ谷大仏」もある、すげーやるじゃん!…とはいえ、周辺の船橋、松戸、柏といった大きな都市の影に隠れていまいち目立たない鎌ヶ谷市は、秘密兵器「大地震になっても揺れにくい!」地盤の強さを、ウリにしてきました。

近隣にある流山市のキャッチコピー「母になるなら、流山市」は、数年前から知られていますが、今年に入ってから鎌ヶ谷市の「ゆれにくいまち、鎌ヶ谷」ポスターも、東京の地下鉄で時々見かけるようになりましたね。

鎌ヶ谷市企業誘致なびサイトでも、「ゆれにくい安全なまち」が、第一のアピールポイントになっています。

(地盤が良いのはいいけど、それ以前に、防災をウリにするなら「行き止まりだらけの狭い道路なんとかしろよ」と、突っ込みたくなりますが…)

プリント

 

いまの時代、便利なもので、このサイトを使えば、全国どこでも、「何丁目」レベルまで、地面の揺れやすさ(表層地盤増幅率)が数値で把握できます。大まかに分類すると、こうなります。

2.0以上(特に揺れやすい)
2.0未満~1.6以上(揺れやすい)
1.6未満~1.4以上(場所によっては揺れやすい)
1.4未満(揺れにくい)

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先ほど紹介した、「ゆれにくいまち鎌ヶ谷」も、この指標からいうと、大して良い数値ではないことが分かります。首都圏の平均的なレベルでしょうか…

鎌ヶ谷市役所(新鎌ヶ谷2丁目) ゆれやすさ 1.69 (揺れやすい、但し液状化しにくい)
鎌ヶ谷駅(道野辺中央2丁目) ゆれやすさ 1.57 (場所によっては揺れやすい、液状化しにくい)

 

いま、世間を騒がしている、横浜市都筑区の「傾斜マンション」問題ですが、このマンションが建っている地域の地盤は、数字からみるとかなり良い部類に入ります。

横浜市都筑区池辺  ゆれやすさ 1.05 (揺れにくい)

 

横浜市では数年前にも、西区三ッ沢で傾斜マンション問題が起こりましたが、こちらの地盤も実は悪くない。

横浜市西区宮ヶ谷  ゆれやすさ 1.30 (揺れにくい)

 

但し、地盤の比較的良い地域であっても、大型マンションを建てるにあたっては杭が支持層(地下数m~数十mにある強固な地盤)に届く必要があり、そこまで届いていなかった施工ミスにより、上記の問題が起こったわけですね。

yokohamamansion

 

軟弱地盤といえば、私の住んでる江東区東陽町なんてモロ最悪の部類に入ります。支持層なんて、長さ40~60mの杭を打ち込まないと届かない世界。

私の自宅―塩浜2丁目   ゆれやすさ  2.26 (非常に揺れやすい)
江東区役所―東陽4丁目  ゆれやすさ 2.29 (非常に揺れやすい)

  

江東区に限らず、城東・城北の下町~ベイエリアにかけての地盤は弱くて揺れやすい。ゆれやすさ2.0を超えるのは、23区中の過半を占める、「中央区、港区、台東区、墨田区、江東区、品川区、大田区、北区、足立区、葛飾区、江戸川区の12区の大部分」。東京を代表するビジネス街である大手町・丸の内の地盤も弱い。

 

では、揺れやすい地盤だと、どれくらいリスクが増すのか・・・同じ地域内で極端に揺れやすさが違う「千代田区飯田橋」を例にとってみましょう。

飯田橋1丁目  ゆれやすさ 1.42 (揺れにくいが、場所によっては揺れやすい)  ローム台地
飯田橋3丁目  ゆれやすさ 2.10 (非常に揺れやすい)  谷底低地

 

飯田橋1丁目と3丁目は数百メートルしか離れていないので、同一震源の地震波はほぼ均等に届くはずですが、地盤の強さが違うので表層での揺れ方が違います。3丁目は1丁目に比べて、今後30年間で震度6弱の出現確率が1.8倍、震度6強の出現確率が3.7倍になっています。同じ地震で、震度が0.5~1くらい違うのではないでしょうか。

飯田橋1丁目 飯田橋3丁目
揺れやすさ 1.42 2.10
震度5弱 99% 99%
震度5強 90% 98%
震度6弱 42% 75%
震度6強 6% 22%

 

いま日本で、「特にゆれやすい」2.0以上の軟弱地盤に上に生活している人が、2200万人いるそうです。私もその一人ですね。生まれた場所は、揺れやすさ1.48(柏市あけぼの4丁目)のまあまあ良い場所なのに、今は軟弱地盤2.26の江東区に住んでいる。

いや、それ以前に、いま事務所を構えてる品川区西五反田2丁目が「揺れやすさ2.37」じゃん!西五反田の一帯は「後背湿地」、説明を読むと「平野にある湿潤な低地で、粘性土、泥炭、腐植質土からなる地盤で、液状化しやすい」とのこと。私って、無意識のうちに、揺れやすい場所を選んでるのかな?

 

ま、それでもいいんです。人生、所詮は運なんです。いくら地盤が良くても揺れにくくても、施工不良とかでマンション建て替えが起こるんです。それに、東南アジアとかよく行ってるから、「2㎝くらいの傾きで大騒ぎになる」日本はかえって安全という感覚です。地震起こらない国だって、マンション施工が悪くて傾いたり、倒壊することだってあるんですから…

「マンションは一生もの」と思い込んで、横浜あたりで4000万くらいの新築マンション買って、地盤がどうだ、盛土か切土か、施工デベロッパーはどこかと一生懸命気に病んでも、問題起こる時は起こる。しかも、自分のコントロールの及ばないところで…

そんな不確実な世の中なんですから、4000万円のお金があったら、私なら資産を2つに分散しますね。都筑区あたりなら2000万円の中古ファミリーマンションいくらでもあるから、「東京の便利な場所に2000万円位、約40㎡の1LDK中古マンション」と、「横浜市都筑区内で3LDK、約70㎡、2000万の中古マンション」を分けて買う。万一、どちらか一方が問題起こしても別の住まいにすればいい。それに、東京勤めの帰り、都筑区まで帰るのが億劫なら都内の別宅に泊まればいい・・二地域居住みたいでかっこいいじゃん!

以上、東京でもとびきり地盤の悪い場所に住んで働いている奴の独り言でした。

 

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路線価の本当の意味

おはようございます。Manachanです。今日は朝6時過ぎに家を出て、東京駅から新幹線で名古屋へ移動中。いま神奈川県内を走行してます。相模川を超えると急に田舎な風景になるのね…今日のテーマは、日本の不動産における「路線価」と「実勢価格」について書きます。

私、不動産の仕事をはじめてから、これまでの人生では考えられない位、日本国内のいろんな地方に出張で行く機会が増えました。ここ1か月の間に行った先は、愛知県一宮市、静岡県浜松市、福島県郡山市、千葉県君津市、栃木県小山市…東京から1000㎞離れた九州や北海道の仕事もあります。

いろんな地方に行くと、東京にいては分からない、それぞれの事情があることが分かります。言葉も食べ物もライフスタイルも、それぞれの地域で違う。日本は広いですね。

 

地方出張が続くと、「東京の常識」が通用しないことがよくあります。「土地の価格」は、その最たるものでしょう。役所が決めた「路線価」や「固定資産税評価額」と、売主・買主が決める「実勢価格」のバランスが、大都市圏とそれ以外の地域で、全く違うのです。

首都圏の住宅地では、「路線価は実勢価格の7掛け(70%)」と言われます。東京郊外のベッドタウン、たとえば八王子とかさいたま市あたりで、実勢価格で「坪50万」する宅地の路線価は、その7掛けの「坪35万」くらいになることが多い。

東京を代表する、銀座や渋谷などの商業地では、いま世界中の投資マネーが入って実勢価格がむちゃくちゃ高いので、「路線価は実勢の3掛け?」あるいは「そもそも路線価の意味がない」世界になっています。「路線価<実勢価格」の差を利用した、「タワーマンション減税」テクニックも、東京では流行っています。

 

<都内タワーマンション、実勢価格は評価額を大きく上回る>

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ところが、地方へ行くと、状況は一変します。

北海道・深川市:宅地100坪980円 1年半以内建築で

私、この記事読んでた時、小学4年の娘ソフィアと一緒にいました。ソフィアが、「本当に980円で土地買えるの?私のおこづかいで買えるね」と言ってました。

980円で分譲されるこの土地、1区画あたりの固定資産税評価額は「82~124万円」だそうです。20年以上買い手がつかなかったこの土地が980円で流通した場合、「評価額は実勢の820~1240倍」ということになります。

 

閉店から10年、今も固定資産税 減額求める訴訟も(北海道芦別市)

先ほどの「深川市」から遠くない「芦別市」で起こったケース。閉店から10年経ったパチンコ屋の買い手が未だにつかないという。約500平方メートルの土地を100万円で買う、という人はいたが、解体には1千万円かかるため、あきらめたよう。

市場価値がゼロに近い不動産物件だが、芦別市はこの土地に約150万円、建物に約4200万円の評価額をつけている…もし、実勢価格が100万円とすれば、「土地建物の評価額は実勢価格の43.5倍」ということになります。

<芦別市のパチンコ店。値段はつかないのに固定資産税は毎年かかる>

 

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上記2件は極端な例に聞こえるかもしれませんが、札幌以外の北海道の地方都市なんて、大抵どこもそんなもん。軒並み「路線価・評価額」>「実勢価格」の世界です。首都圏と真逆ですね。

最近は、東海地方の土地を査定する仕事が増えていますが、

・名古屋圏では東京と同じく、「実勢価格」>「路線価・評価額」

・岐阜市の郊外住宅地あたりでは、「実勢価格=路線価・評価額」

・岐阜県の郡部や小都市になると、「実勢価格<路線価・評価額」

 

私は、「岐阜市の住宅地で路線価が実勢とバランスする」という事実は、注目に値すると思っています。岐阜市は、日本の真ん中にある、人口40万人の中堅都市。都市規模も、大きくもなく小さくもない、日本の平均的なサイズ。

・岐阜市と比べて都会なら、路線価は実勢より安く抑えられている。

・岐阜市と比べて田舎では、路線価は実勢より高くなっている。

 

もう少し、掘り下げて考えると…

・日本の役所は、全国平均値に近い岐阜市あたりをベンチマークにして、ここの実勢価格が公定価格とバランスするように、路線価や評価額を設定しているのではないか?

・岐阜市より都会な、名古屋や東京みたいな土地で、実勢価格に対して課税してしまうとオーナーの負担が大きくなるから、評価額を控え目に設定している。

・岐阜市より田舎な地域で、実勢価格に対して課税してしまうと、全然、税金とれなくなって、地方自治体の財政が行き詰ってしまうから、評価額は高めに設定している。

 

あくまで仮説の域を出ませんが…このように考えると、日本の地価に関するいろんなことがロジカルに説明できてしまう。面白いですね。

最後に一言…最近、土地建物の査定依頼が増えていますが、岐阜市より田舎と思われる地域で、「路線価や評価額がこれくらいだから、俺の土地もこれくらいで売れるはず」なんて考えないでね。そもそも無理なんですから。

 

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コスモポリタン江東区

おはようございます。Manachanです。

私は、東京の東側、江東区の東陽町に住んでいます。ここは東京駅から地下鉄で10分足らず、YMCAや英米系、インド系のインターナショナルスクールが近隣にいくつかあり、東京のなかでは比較的、外国人住民が多いエリアです。

東陽町の駅前にある、コンビニ、マクドナルド、居酒屋など、チェーン店系列の店は、どこに行っても、外国人店員・アルバイトが多い。日本人がかえって珍しい位。

駅から北へ5分ほど歩くと江東区役所があります。区の住民課には、常時、英語や中国語を話す職員がいて、住民登録をする外国人でいつも賑わっています。

駅から南へ8分ほど歩くと私の住むマンションがあります。平日の7時50分には小学生の児童が登校班で集まりますが、明らかに日本人の風貌でない、英語名を持つ子供が何人かいて、皆、普通に日本語話してランドセルを背負って小学生やっています。近所の中学校では、日本語を十分に話せない外国人生徒のための補修クラスがあります。

区の北側にある大島(おおじま)地区ではインド人IT技術者ファミリーが多く、長年日本に暮らすインド人が団地の自治会長をつとめる例もあります。

 

外国人が増えた…それは数字でも明らかに裏付けられています。在住外国人のなかでも、「東・東南アジア系」(日本人と見分けがつきにくい)と、「それ以外」(一見して外国人と分かる)を、出身国別に分けて集計したのですが、江東区は1994年から2014年にかけて、「東・東南アジア系」も「それ以外」も、いずれも一貫して増えています。このような動きをしている区は、江東区の他には、台東区しかありません。こちらも城東地区。

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江東区の外国人登録者数の推移

H26.1.1   21,234人 (総人口の4.36%)
H27.1.1   22,766人 (総人口の4.61%)
H27.10.1  23,805人 (総人口の4.75%)

直近3年でみると、毎年、約7000名づつ増え続ける江東区の人口、その2割強、1500人が外国人の増加によるものです。当然ながら、外国人の総人口に占める割合は増え続け、今は「日本人95%、外国人5%」の社会になっています。江東区の外国人数は東京23区中、第4位。

 

私は、オーストラリアやアメリカなど、移民国で暮らした時期があります。彼の地は、「小学校のクラスで、パパやママの出身国を書くだけで世界地図ができてしまう」ほど、コスモポリタンな環境でしたが、いま東京の江東区・東陽町に暮らしてみると、この街も着実に、コスモポリタン都市への道を歩んでいるように思います。

もっとも、東京はエリアによって外国人比率が違います。概して、都心区(新宿、池袋や港区)と、城東地区に外国人が多く、西側には少ない。「フィリピン人は足立区」、「インド人は江戸川区」など、特定エスニックグループの集まる地域も、23区の東側に多い。

英語補習校の友人(英国人男性)が、最近、練馬区から江東区に越してきましたが、「練馬区は外国人が少なく、区役所に行っても日本語しか通じない。その点、江東区は区役所で英語が通じるし、英語の教育機関もいくつかあるから外国人には住みやすい」と言っていました。

 

最後に、エピソードをひとつ。昨晩、香港から義姉夫婦が来日したので、東陽町の居酒屋でウェルカムディナーをやりました。この店、内装は純和風なのに、店員の大部分が外国人という、いまどきの江東区にありがちな居酒屋です。

最初は、フィリピン人らしい店員がオーダーを取りにきました、最初はもちろん日本語を使っていましたが、我々のグループが英語話者だと分かると、流暢な英語で話しはじめました。次に、食事を運びに来た、台湾人の店員も英語が流暢でしかも中国語も通じる…ということで、お客様も「コミュニケーションしやすい店」だと、大変満足されてました。日本人店員ばかりの店だと、こうはいかなかったことでしょう。

外国人住民が増え続ける東京・東陽町…この街の外国語対応力も、着実にアップしているようです。

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衰退する母国と私

おはようございます。Manachanです。

私が社会人になったのは、1994年(平成6年)のことです。それから、21年が経ちましたが、この期間中、日本が景気良かった時代はほぼ皆無でした。実感の上でも、また数字の上でも。

私と同世代か、ちょっと下の世代の日本人の大多数は、「好景気を知らない」、「経済成長の実感のない」世代と言って良いでしょう。自分の生まれ育った国・日本が、経済停滞し、所得水準と国際的な地位をずるずる落としていく…不本意な時代しか経験していません。

 

私は、いろいろな奇遇があり、31歳から38歳までの7年間を、海外で過ごしました。うち5年間住んだオーストラリアは、「経済黄金時代」と呼ばれ、2年間住んだ中国は、驚くべき高度成長の真っ只中。私は海外に出て働いたからこそ、「経済が成長する状態」を、勤労者の視点から体感することができましたが、もし日本国内でずっと働いていたら、そんな体験もできなかったことでしょう。

2007年、38歳で日本に帰国した後、しばらくは、ITエンジニアとしてインド企業に勤めていました。間もなくリーマンショックが起こり、勤め先CEOの粉飾決算スキャンダルもあって職が危うくなり、「クビになる前に、転職しちゃえ」と思い立ち、縁あってドイツ企業のIT部長の座に収まりました。

その会社での体験ほど、「日本の衰退」を実感したことは他にないですね。

 

勤め先はドイツ本社の下で、世界60か国以上に事業所を展開する多国籍企業。私は日本と台湾のIT部の部門長を任され、シンガポールにある、アジア・パシフィックのITディレクターにレポートする立場でした。

私の着任当時、日本事業所の社員数は400名余り。アジア・パシフィックでは中国の500名余に次ぐ第二位の規模でした。もっとも、その4~5年前は日本が600名以上で最大規模、中国は300名位しかいない状態でした。その後、急成長する中国にわずか数年で抜かれていたのです。

私の入社後も、中国の事業所は大いに業績を伸ばし、欧州、北米、日本が軒並み頭打ちななか、「成長の機関車」と呼ばれていました。内陸部の地方都市にどんどんオフィスを開設、ITプロジェクトにも事欠かず、部員も増え、常に忙しくしていました。

それを横目に、日本事業所は、高松や札幌の拠点を閉鎖、人員は削減につぐ削減。IT部のプロジェクトは全て凍結、爪に火を灯すようなコスト削減だけが求められました。私のいた3年間で、400名余りの社員数が、280名ほどに減ったのです。早期退職の仕事で人事部は大忙し、我々IT部はリストラされた社員からPCやスマホを回収して、リース会社に返したり、リサイクルする仕事だけが増える・・・

「日本の仕事だけやってても、先細りの将来しかない…」

 

私は海外で長年働いたグローバルプレイヤー。日本に居ながら、海外の仕事も取っていこう、アジアパシフィック全体の仕事に関与していこう、自分の生存領域を広げようと、私なりに努力しました。日本の数少ないITプロジェクトに台湾から部員を呼んで国際プロジェクトにしたり、中国のプロジェクトに日本から参画しようとしたり…

ただ、それはマネジメントの望むところではありませんでした。いくら技術力と経験があっても、「コストの高い日本人をなぜ中国に行かせる?中国で安い人を使ってやれ!」と言われるのが関の山。それでも、コストとベネフィットに基づいた議論ができれば良いのですが、そのうち、マネジメントは自社IT部そのものを廃止し、他社へのアウトソースを検討していることが判明。「お前ら、何もやらなくていいよ。余分な金かけなければそれでいい」と言われてるような気がして、だんだん、やる気を失っていきました。

イケてない職場人生のなかで、一番、ショッキングだったのが、2011年3月の東日本大震災の時…東京の臨海部にあるオフィスは、もちろん大きく揺れました。書棚は倒れる、天井は外れる…そんななかで、IT部の管理するサーバールームは無傷でした。その前年に、耐震補強工事をやっていたおかげです。アジアパシフィック全体が使うサーバーもいくつか、東京にありましたので、結果的に、海外オフィスの社員に大きな迷惑をかけずに済みました。

あの後、首都圏では交通機関は止まるし、輪番停電はあるし、信号は点灯しないし、ミネラルウォーターやトイレットペーパーは品薄になるし、新浦安で被災した韓国人社員を我が家に泊めてあげたりと、暮らしはいろいろ大変でしたが、頑張って毎日出社していました。その数日後です。海の向こうから、

「地震リスクのある日本に、アジアパシフィック全体のサーバーを置いておけない。シンガポールに移す!」

というお達しが・・・

 

「俺たちは、震災でいろんなものを奪われて、そこから懸命に立ち上がろうとしてるのに、お前らさらに奪おうとするのかよ?」

私は抵抗しました。結果からいうと、日本からシンガポールに移すプロジェクトも予算不足で中止になりましたが、

とはいえ、会社の限られたリソースを、成長期待の大きい中国、インドに集中させる方針は変わりません。縮小していくマーケット、日本に投資することを、ドイツのマネジメントが承認する雰囲気でもなく…結局私は、その1年半後、会社を去ることになりました。

多国籍企業のなかで、「日本の衰退」をさんざん痛感させられ、悔しいけれど何もできない非力さを感じた3年間でした。「結局、サラリーマンではどうしようもない、自分でビジネスを興すしかない」と決心するきっかけの一つにはなりましたね。

「お前ら、いつか見てろよ!日本をいつまでも軽視するんじゃねえ。俺たちが、日本経済を復興させるんだからな…」

 

日本に見切りをつけて、海外にお金を出そう、移住しようと、提唱する人もいます。私も財産はかなり外出しして、海外投資で利益を上げていますし、海外で働く能力を豊かに持っています。いくらでもやれる。でも、それだけではつまらない。

自分が東京に出てきて、いくら大成功したとしても、私の地元、(千葉県)柏や松戸や我孫子が、東京や神奈川の人間に馬鹿にされたり、蔑まれるのは絶対に嫌だ。

それと同じ理屈で、日本が今後さらに衰退して、欧米や中国やシンガポールの人間に、蔑まれたり、憐みの目で見られたりしたら嬉しいですか?私たちの先輩方が、戦後、あんなに素晴らしい経済復興を成し遂げてくれたのに、それを維持できずに、ずるずる下り坂しかないなんて、超かっこ悪いぜ。

衰退する国に住んでいるからこそ、我々は、いま景気の良い国の人間以上に、頭を使わなければならない、賢く立ち回らなければならない。

shibuya

 

グローバルプレーヤーになることは必要だし、その中で日本の立ち位置を正確に認識しなければならない。いま話題の安保法案にしても、自分勝手で内向きな理屈は要らない。国際社会のなかで、日本がどういう立ち位置を目指すのか?米国や中国とどう付き合うのか?米国と組む決断をするのなら、日本が衰退する国力をどう上手に使って、具体的にどのようなメリットを米国に与えられるのか?・・・その辺を考え抜けない社会運動や政党なんて、日本に要らない。

同じく、私はビジネスをする中で、いまの日本に対する健全な危機感、冷静な自己認識と、経済復興に意欲を持つ人と一緒に仕事したいと思っています。

 

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