その他

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寅さんノマドvs両さんノマド

ここ1~2年、日本で、「ノマド」という言葉を聞く機会が、ずいぶん増えた気がします。

「ノマドライフ」、「ノマドワーカー」、「ノマドスタイル」等々・・・

やはり、この本の影響が、大きかったんでしょうかねえ・・・

ノマドの原語は、英語の”Nomad”。意味は、「遊牧民」、「放浪民」など・・・あまり肯定的な意味はないように思うのですが、

日本語の「ノマド」は、インターネットとモバイルデバイスを駆使して、専門能力を活かして、「好きな場所に住んで自由に働く」ライフスタイルみたいな、肯定的なイメージを持って語られることが多いように思います。

もともと、定住農耕民だった多くの日本人には、心のどこかに、「ノマド的な自由」に憧れる面があるのでしょうし、

また最近、インターネット、クラウド、スマートフォンなどが普及し、「いつでも、どこでも」働ける環境が整ったことも、「ノマド」ブームを、後押ししているように思います。


ところで、ノマドという働き方には、2つのタイプがあると思います。

「全くのフリーランス・自営で、ノマドをやるタイプ」
「企業・組織に属しながら、ノマド的に働くタイプ」

東京の下町・葛飾区の生んだ、二人のスーパーヒーローの例をとっていえば、「寅さん型ノマド」、「両さん型ノマド」と呼べるのではないかと思います。

「寅さん型ノマド」(葛飾柴又タイプ)

全国の縁日をまわり、テキ屋稼業をやりながら、糊口をしのぐ。旅先で美しい女性との数々のロマンスあり、でも結局は、「♪~どうせオイラはヤクザな兄貴~♪」、元のノマドに戻る繰り返し。完全なフリーランス・自営型ノマドが、「寅さんタイプ」。

「両さん型ノマド」(葛飾亀有タイプ)

亀有署に属する現職警察官でありながら、超人的な体力、手先の器用さ、デジタル・ゲーム知識などマルチな才能を活かして、日本中、世界中、いや宇宙空間まで活動の場を広げるのが、「両さんタイプ」。公務員なのに副業・サイドビジネスやり放題、いいのか? (私も人のこといえませんが・・・笑)

ところで・・・・

葛飾から、ほど近いところに生まれ、育った私。寅さん、両さんみたいな、ノマドに憧れるか?と聞かれたら、

憧れません!
だって私、生まれつきノマドだから・・・

そもそも、私の育った家自体が、いわゆるサラリーマン(特に公務員や、日本企業のジェネラリスト会社員)には、肌の合わない気質の家系でした。

東京都心への通勤圏内でありながら、親戚郎党のほとんどが、地元で自営をやるか、「手に職」系の仕事で働いています。

社会人になって、18年。私は常に、「両さん型ノマド」でした。企業組織に属しながら、ほぼ3年ごとに、会社から会社を渡り歩く。勤務時間、勤務地の自由度は比較的高く。海外駐在や出張も多数。

現役会社員で、家族もいる身でありながら、年10回以上は出国してるし・・・

2003年、シドニーに住んでいた頃、書いた、このエッセイ。

旅する暮らし、旅する心 (2003/11/5)

私がこれまで書いてきた、何千ものエッセイのなかでも、特に好きなのが、これです。

当時、35歳の私は、「渡り鳥」とという言葉を使って、「自分は、この人生を、ノマドとして生きるしかない。それが天命なのだ・・・」と、悟っていたような気がします。

また、最近書いたエッセイ、

サラリーマン出口戦略-中編(2012/4/11)

ここでは、「わがままサラリーマン」という言葉を使って、大都会・東京で、スーツを着ていても、実はノマド渡世を送っている、私の職業生活を描きました。

会社員やめたいか?リタイアしたいか?・・・と聞かれたら、私の答えはNO!。

だって、「両さんノマド」が、「寅さんノマド」に変わったところで、別に大差ないと思うから・・・。私にとっては、「亀有に住んでる人が、同じ葛飾区内の柴又に引っ越す」程度の違いしかない。

最後に、ノマド渡世に、一番ぴったりくる歌は、やっぱりこれですね。

「ぼくのミシシッピ」 (「トムソーヤーの冒険」エンディングテーマ)

♪~人が生まれる前から 流れているんだね
 空より広い豊かな ミシシッピ・リバー
 君はいつでも明日を 指差す矢印さ
 知らない世界へ行こうと 歌ってる
 きっといつか ゆくよ僕も きみが目指す海へ
 そして君に 負けないくらい 遠く旅をするんだ♪~

我が地元の、利根川や江戸川であろうと、あるいはシドニーを流れるホークスベリー河であろうと、川面を眺める私の瞳に映る情景は同じ。

それは「冒険の心」と、「知らない世界への憧憬」。

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寅さんノマドvs両さんノマド

ここ1~2年、日本で、「ノマド」という言葉を聞く機会が、ずいぶん増えた気がします。

「ノマドライフ」、「ノマドワーカー」、「ノマドスタイル」等々・・・

やはり、この本の影響が、大きかったんでしょうかねえ・・・

ノマドの原語は、英語の”Nomad”。意味は、「遊牧民」、「放浪民」など・・・あまり肯定的な意味はないように思うのですが、

日本語の「ノマド」は、インターネットとモバイルデバイスを駆使して、専門能力を活かして、「好きな場所に住んで自由に働く」ライフスタイルみたいな、肯定的なイメージを持って語られることが多いように思います。

もともと、定住農耕民だった多くの日本人には、心のどこかに、「ノマド的な自由」に憧れる面があるのでしょうし、

また最近、インターネット、クラウド、スマートフォンなどが普及し、「いつでも、どこでも」働ける環境が整ったことも、「ノマド」ブームを、後押ししているように思います。


ところで、ノマドという働き方には、2つのタイプがあると思います。

「全くのフリーランス・自営で、ノマドをやるタイプ」
「企業・組織に属しながら、ノマド的に働くタイプ」

東京の下町・葛飾区の生んだ、二人のスーパーヒーローの例をとっていえば、「寅さん型ノマド」、「両さん型ノマド」と呼べるのではないかと思います。

「寅さん型ノマド」(葛飾柴又タイプ)

全国の縁日をまわり、テキ屋稼業をやりながら、糊口をしのぐ。旅先で美しい女性との数々のロマンスあり、でも結局は、「♪~どうせオイラはヤクザな兄貴~♪」、元のノマドに戻る繰り返し。完全なフリーランス・自営型ノマドが、「寅さんタイプ」。

「両さん型ノマド」(葛飾亀有タイプ)

亀有署に属する現職警察官でありながら、超人的な体力、手先の器用さ、デジタル・ゲーム知識などマルチな才能を活かして、日本中、世界中、いや宇宙空間まで活動の場を広げるのが、「両さんタイプ」。公務員なのに副業・サイドビジネスやり放題、いいのか? (私も人のこといえませんが・・・笑)

ところで・・・・

葛飾から、ほど近いところに生まれ、育った私。寅さん、両さんみたいな、ノマドに憧れるか?と聞かれたら、

憧れません!
だって私、生まれつきノマドだから・・・

そもそも、私の育った家自体が、いわゆるサラリーマン(特に公務員や、日本企業のジェネラリスト会社員)には、肌の合わない気質の家系でした。

東京都心への通勤圏内でありながら、親戚郎党のほとんどが、地元で自営をやるか、「手に職」系の仕事で働いています。

社会人になって、18年。私は常に、「両さん型ノマド」でした。企業組織に属しながら、ほぼ3年ごとに、会社から会社を渡り歩く。勤務時間、勤務地の自由度は比較的高く。海外駐在や出張も多数。

現役会社員で、家族もいる身でありながら、年10回以上は出国してるし・・・

2003年、シドニーに住んでいた頃、書いた、このエッセイ。

旅する暮らし、旅する心 (2003/11/5)

私がこれまで書いてきた、何千ものエッセイのなかでも、特に好きなのが、これです。

当時、35歳の私は、「渡り鳥」とという言葉を使って、「自分は、この人生を、ノマドとして生きるしかない。それが天命なのだ・・・」と、悟っていたような気がします。

また、最近書いたエッセイ、

サラリーマン出口戦略-中編(2012/4/11)

ここでは、「わがままサラリーマン」という言葉を使って、大都会・東京で、スーツを着ていても、実はノマド渡世を送っている、私の職業生活を描きました。

会社員やめたいか?リタイアしたいか?・・・と聞かれたら、私の答えはNO!。

だって、「両さんノマド」が、「寅さんノマド」に変わったところで、別に大差ないと思うから・・・。私にとっては、「亀有に住んでる人が、同じ葛飾区内の柴又に引っ越す」程度の違いしかない。

最後に、ノマド渡世に、一番ぴったりくる歌は、やっぱりこれですね。

「ぼくのミシシッピ」 (「トムソーヤーの冒険」エンディングテーマ)

♪~人が生まれる前から 流れているんだね
 空より広い豊かな ミシシッピ・リバー
 君はいつでも明日を 指差す矢印さ
 知らない世界へ行こうと 歌ってる
 きっといつか ゆくよ僕も きみが目指す海へ
 そして君に 負けないくらい 遠く旅をするんだ♪~

我が地元の、利根川や江戸川であろうと、あるいはシドニーを流れるホークスベリー河であろうと、川面を眺める私の瞳に映る情景は同じ。

それは「冒険の心」と、「知らない世界への憧憬」。

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幕末がいい?今がいい?

今回、不動産の話題とは少し離れますが・・・

「絶望の国の幸福な若者たち」の著者・古市憲寿さんに聞く

というインタビュー記事を読み、感銘を受けました。

古市さんは、27歳。東大大学院在学中の社会学者。

「年金不安や世代間格差はあっても、いまの若者は幸せを感じている」

「ユニクロ、マクドナルド、ユーチューブ、Skype、お金をかけなくても、毎日楽しい生活をおくることができる。現代の若者の生活満足度はここ40年間のなかで一番高い・・・」

そんな今の時代、今の若者を分析した本が、売れています。

以下、インタビュー記事から、いくつか抜粋。

古市 「いろいろな形でのリスクが起こる社会で、かつて安定と思われていたものが、どんどん当たり前じゃなくなっていく。リスクになってきているなかで、フレキシブルに働くような人とか、働き方が増えればいい。不安定な時代に最も安定する方法は、いくつかの居場所を確保することです。週3日は企業に勤めて、週2日はNPO、週1日は大学とか」

いいですね。マルチな活躍ぶり、かっこいい・・・彼自身も、大学に通いながら、仲間と会社をやっているそうです。

その会社も、とってもいま風というか、21世紀風というか・。


――会社の人数は?

古市 「3人から増やさないと決めています。プロジェクトによって組み方を変えたりしますけど、コアメンバーは3人です。人数を増やすとマネジメントコストがかかってしまうし、仲良くない人と一緒に仕事をするメリットは感じないですから。」

――増やさないのはいいですね。会社はすぐ大きくしたがるイメージがある。

古市 「そうです。上場したら監査も厳しくなって、好きなことがどんどんできなくなっていく。上場した人は、そこで得た創業者利益を持って、中の人と新しい会社をまたつくることも多い。だったら、初めからそれをやればいいじゃんって。」

――上場なんてしたくもない。

古市 「意味がないですよ。仲間たちと豊かに暮らしていることのほうがよっぽど大事」

今、日本の若者は、本当に素敵だなあ・・・と思う。

常に自分らしく、自然体。背伸びしない、無理しない。それでいて、自分の幸せに関して、確固たる哲学を持っている。

「出世のため、お金のため、家族のため」、嫌なことも我慢して、長時間、会社で働く親世代の生き方とは、全く無縁な生き方が、ここにあります。

ビジネスのやり方も、スマート。資金を調達して、規模を大きくしようとするよりも、気のおけない仲間と、やりたいことだけやる。

経済が縮小していく今の時代に、しなやかに適応した人間の姿が、そこにある。

私はもう40代ですが、古市さんのような若者に、強く共感するし、

私を慕ってくる20代の若者も、そんなタイプが多い。

彼みたいな若者が増えれば、日本の将来、経済が縮小しても、幸福度は増すのではないかと思う。

そんな古市さんに、

「もし生まれ変わるなら、幕末がいいか?現代がいいか?」という質問・・・


古市 「生まれ変わるなら、絶対に、幕末より現代がいい・・・上の世代の人たちには「こんな時代を過ごすのは不幸せだ」って言われますけど、そうじゃない。どんな時代よりも現代に生まれたほうがいい、僕も思う。

――5年前でも5年後でも絶対にないですよね。

古市 だからいまはチャンスな気がします。先行世代から受け継いだものがすごい多いから、自由に冒険もできる。一方で、先行世代のものが崩れ始めているから、新しいものが注目される。転換期という意味では若者にとってもチャンスな時代だと思います。

120%、思い切り共感します!

私も、日本人として生まれ変わるなら、幕末なんかより、高度成長期なんかより、今がいい。断然いい!

いや、生まれ変わる以前に、自分が今、この時代に生きていることが、すごくラッキーだと思う。

「絶望の国、絶望の時代」・・・かつての高度成長期、大量生産、大量消費で経済を伸ばしてきた時代の人から見たら、今の日本は、確かにそう映るかもしれません

でも、私は今の日本に、全然、絶望していません。視点が、生き方もモデルが全然違うから。

むしろ今は、日本の歴史始まって以来、人々が上昇志向なく、無理せず、自然体で生きられる時代なのかもしれません。

それでいて、先行世代が、「世界有数の経済大国」をつくってくれたおかげで、世界中どこでも、ほぼノービザでいけるし、東南アジア、北米の不動産も、強い日本円でガンガン買える・・・

強い日本パスポートのおかげで、私たちは、世界中自由に冒険できる。

かつ、既存の権威がどんどん崩れ去っていく時代だから、私みたいな無名な人間が、「アジア太平洋大家の会」みたいな結社をつくっても、世の中に注目される。講演や、コラム執筆の話も、どんどん入ってくる。

こんな美味しい時代は、ない!

自然体で、しなやかな20代の若者とともに、この素晴らしい時代を謳歌したいと思います。

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無駄な抵抗-違法ダウンロード罰則化

今回は、普段の記事(不動産、海外投資、ビジネスキャリア等)とは違うことを書きますね。

海賊版ダウンロード罰則化検討 与野党に議員立法の動き

この法律、どうなんでしょう?なんだか微妙ねぇ・・・

私は著作権法に詳しいわけではないし、この分野で一家言持っているわけではない、単に一ネットユーザーとしての勝手な意見ですが、

このネット全盛の時代に、デジタルコンテンツを有料にするべく法律で縛るのは、歴史的見地でいえば、「無駄な抵抗」という感じがします

いずれ敗北するのが分かっていながら、あえて、時代に棹さして、業界延命あるいは官僚の勢力拡大のためにやっている気がします。

私はIT屋なので、「世の中、ダウンロードとプログレッシブ・ダウンロード、ストリーミングがあるけど、そのうち何を取り締まるの?」、「FTP転送はOKなの?」、「法律をどうやって運用するの?もしダウンロードのキャッシュで違法・適法を判断するなら、そのキャッシュを消し去るソフトが出たら、瓦解しちゃうんじゃない?」みたいなことを、考えてしまいますが、

そういう技術的な議論に走っちゃうと、大多数の人は、面白くないので、

「違法無料コンテンツを取り締まりたい著作権教会、レコード業界、官僚」vs「無料コンテンツを楽しみたいネットユーザー」という構図に、あえて単純化して、

「違法無料コンテンツの取り締まりが、技術的に可能」という前提で、語りましょう。

この法律が通ったとして、レコード業界は、果たしてどれだけ延命できるんでしょう?10年もたない気がしますが、なんとなく・・・

なぜなら、ネット社会において、本当に価値を持つのは、「デジタルコンテンツそのもの」ではなく、「コンテンツをつくる人そのもの」だからです

「デジタルコンテンツ」を、「もの」として見るのは、工業化時代の発想。しかし、

・今や、「もの」自体を、複製するコストは、ほぼ無料。
・人々が「もの」をつくるコストも、無料ツール使って、Youtubeやニコニコ動画に上げるのも、原則、無料。
・人々が「もの」にアクセスする、ブロードバンド・インターネットのコストも、日本は世界最安値レベル。スマホはパケット放題が基本。

そんな「もの」にどうやって値をつけるの?
どう頑張ったって、結局は、無料に収斂されちゃうんじゃないの?

ユーザーの立場からいっても、ネットを通じて、コンテンツがいくらでも無料で手に入るなかで、わざわざお金を払いますか?

法律上、著作権で縛る、取り締まることは、ある程度できても、無料に慣れたユーザーが、今さら大人しく2000円とか出してDVDを買うとは思えない。

欧米先進国は、著作権規制を、各国進めてるようだけど、結果、行きつくところは、「中国の勝利」でしょう。

比較的、著作権規制が緩い(もとい、規制が及ぶのに時間がかかる・・・)中国の「優酷」、「土豆網」みたいな無料動画共有サイトに、世界中の優良コンテンツが集まる。

そして中国人は、世界で一番、優良なコンテンツを、無料で楽しむことができる環境で育ち、創造力あふれるアーティストやクリエーター、デザイナーを大量に輩出して、世界を席巻する。

結局バカをみるのは、規制を進めた欧米や日本の一般ネットユーザー・・・みたいなことにならなきゃいいけど、取り締まる側は、そこまで考えて、制度設計してるのかな?

しかも、著作権自体、偽善的だと思うのは・・・「コンテンツ製作者の権利」を守るといいながら、全然そうなっていないこと。

たとえば、私が本書いて、1万部売れても、印税10%で、手取りはいくらになりますか?・・・100万円くらいにしかならない。1年に何冊も本出せない。これじゃ食えないよね?

製作者、表現者に正当に報いるというより、それにぶらさがる人を食わせるための仕組み、としか私には思えないんだけど・・・

結局、「本」とか、「DVD」というモノにして、利益をあげよう。たくさん売って、社員を食わせよう、という考え方自体が、破綻している。工業化時代はよかったけど、ネット時代の発想ではない。

じゃ、何が価値になるのか?・・・というと、「コンテンツをつくりだす人」そのものでしょう。

たとえば、私のブログ「Manachan’s World」を愛読している方は、数千人単位でいますが、それをつくり出すのは、私、「Manachan」という人間に他なりません。

世界に70億人いても、私じゃないと、このコンテンツはつくれません。
私自身に、価値があるのです。

ブログ「Manachan’s World」を、本にして、あるいはDVDに焼いて、大量に配っても、人々が、「聖書」や「コーラン」みたいに、それを有難がりますか?いまどき喜んで、お金を払いますか?・・・どうしても、そうは思えない。

むしろ、ブロガーとしての「Manachan」のファンになってくれる人々から、

「1人1万円ずつ集めるから、Manachanお願い、アフリカに行って、現地の不動産事情をレポートして」

というかたちで、浄財を集める。そのお金で、私が格安航空券でアフリカ行って、ローカルバス乗って安宿泊まって、サバイバルしながら、身体張って仕上げた渾身の「アフリカ不動産レポート」を、お金払ってくれた人には、惜しげなく、無料で公開する。

というビジネスモデルの方が、はるかに、成立しやすいと思うんだけどなあ。少なくとも、ネット社会的だよね?

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無駄な抵抗-違法ダウンロード罰則化

今回は、普段の記事(不動産、海外投資、ビジネスキャリア等)とは違うことを書きますね。

海賊版ダウンロード罰則化検討 与野党に議員立法の動き

この法律、どうなんでしょう?なんだか微妙ねぇ・・・

私は著作権法に詳しいわけではないし、この分野で一家言持っているわけではない、単に一ネットユーザーとしての勝手な意見ですが、

このネット全盛の時代に、デジタルコンテンツを有料にするべく法律で縛るのは、歴史的見地でいえば、「無駄な抵抗」という感じがします

いずれ敗北するのが分かっていながら、あえて、時代に棹さして、業界延命あるいは官僚の勢力拡大のためにやっている気がします。

私はIT屋なので、「世の中、ダウンロードとプログレッシブ・ダウンロード、ストリーミングがあるけど、そのうち何を取り締まるの?」、「FTP転送はOKなの?」、「法律をどうやって運用するの?もしダウンロードのキャッシュで違法・適法を判断するなら、そのキャッシュを消し去るソフトが出たら、瓦解しちゃうんじゃない?」みたいなことを、考えてしまいますが、

そういう技術的な議論に走っちゃうと、大多数の人は、面白くないので、

「違法無料コンテンツを取り締まりたい著作権教会、レコード業界、官僚」vs「無料コンテンツを楽しみたいネットユーザー」という構図に、あえて単純化して、

「違法無料コンテンツの取り締まりが、技術的に可能」という前提で、語りましょう。

この法律が通ったとして、レコード業界は、果たしてどれだけ延命できるんでしょう?10年もたない気がしますが、なんとなく・・・

なぜなら、ネット社会において、本当に価値を持つのは、「デジタルコンテンツそのもの」ではなく、「コンテンツをつくる人そのもの」だからです

「デジタルコンテンツ」を、「もの」として見るのは、工業化時代の発想。しかし、

・今や、「もの」自体を、複製するコストは、ほぼ無料。
・人々が「もの」をつくるコストも、無料ツール使って、Youtubeやニコニコ動画に上げるのも、原則、無料。
・人々が「もの」にアクセスする、ブロードバンド・インターネットのコストも、日本は世界最安値レベル。スマホはパケット放題が基本。

そんな「もの」にどうやって値をつけるの?
どう頑張ったって、結局は、無料に収斂されちゃうんじゃないの?

ユーザーの立場からいっても、ネットを通じて、コンテンツがいくらでも無料で手に入るなかで、わざわざお金を払いますか?

法律上、著作権で縛る、取り締まることは、ある程度できても、無料に慣れたユーザーが、今さら大人しく2000円とか出してDVDを買うとは思えない。

欧米先進国は、著作権規制を、各国進めてるようだけど、結果、行きつくところは、「中国の勝利」でしょう。

比較的、著作権規制が緩い(もとい、規制が及ぶのに時間がかかる・・・)中国の「優酷」、「土豆網」みたいな無料動画共有サイトに、世界中の優良コンテンツが集まる。

そして中国人は、世界で一番、優良なコンテンツを、無料で楽しむことができる環境で育ち、創造力あふれるアーティストやクリエーター、デザイナーを大量に輩出して、世界を席巻する。

結局バカをみるのは、規制を進めた欧米や日本の一般ネットユーザー・・・みたいなことにならなきゃいいけど、取り締まる側は、そこまで考えて、制度設計してるのかな?

しかも、著作権自体、偽善的だと思うのは・・・「コンテンツ製作者の権利」を守るといいながら、全然そうなっていないこと。

たとえば、私が本書いて、1万部売れても、印税10%で、手取りはいくらになりますか?・・・100万円くらいにしかならない。1年に何冊も本出せない。これじゃ食えないよね?

製作者、表現者に正当に報いるというより、それにぶらさがる人を食わせるための仕組み、としか私には思えないんだけど・・・

結局、「本」とか、「DVD」というモノにして、利益をあげよう。たくさん売って、社員を食わせよう、という考え方自体が、破綻している。工業化時代はよかったけど、ネット時代の発想ではない。

じゃ、何が価値になるのか?・・・というと、「コンテンツをつくりだす人」そのものでしょう。

たとえば、私のブログ「Manachan’s World」を愛読している方は、数千人単位でいますが、それをつくり出すのは、私、「Manachan」という人間に他なりません。

世界に70億人いても、私じゃないと、このコンテンツはつくれません。
私自身に、価値があるのです。

ブログ「Manachan’s World」を、本にして、あるいはDVDに焼いて、大量に配っても、人々が、「聖書」や「コーラン」みたいに、それを有難がりますか?いまどき喜んで、お金を払いますか?・・・どうしても、そうは思えない。

むしろ、ブロガーとしての「Manachan」のファンになってくれる人々から、

「1人1万円ずつ集めるから、Manachanお願い、アフリカに行って、現地の不動産事情をレポートして」

というかたちで、浄財を集める。そのお金で、私が格安航空券でアフリカ行って、ローカルバス乗って安宿泊まって、サバイバルしながら、身体張って仕上げた渾身の「アフリカ不動産レポート」を、お金払ってくれた人には、惜しげなく、無料で公開する。

というビジネスモデルの方が、はるかに、成立しやすいと思うんだけどなあ。少なくとも、ネット社会的だよね?

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バカと民主主義のコスト

今回は、普段の記事(不動産、投資、キャリア)とは、少し違ったことを書きますね。

私はいま、40代前半ですが、自分より年下世代、20代や30代の日本人は、かなりレベル高いと感じている一人です。

私の、ごく限られた交友範囲のことではありますが、自分が尊敬できる人物は、年上よりもむしろ年下世代に多い。

たとえば最近、不動産関係で交流のある、「大学生大家」こと佐藤丈典さんが

年収1000万円の「現役大学生」が考えた 20代で一生の資産を築く方法

という著書を出したので、Amazonで買って、いま読んでいます。彼は自分よりはるかに年下ですが、投資家としても、起業家としても、人間としても、尊敬できますし、彼から学ぶことは大変多いです。

また、日本の政令都市の市長として、史上最年少で当選して、今も現職にある熊谷俊人・千葉市長は、いま34歳。私よりかなり年下ですが、政治家として、人間としても、スケールの大きさを感じさせる人物の一人です。

私は、熊谷市長の政治理念や、これまでの発言に、全て賛同するわけではありません。しかしながら、政治家としての彼の真摯さ、論理的思考能力、ソーシャルメディアを駆使して市民と対話する能力には、凄みを感じます。現代日本が生んだ、史上稀にみる、スケールの大きい政治家になるかもしれません。

たとえば、

災害瓦礫の受け入れに関する熊谷俊人千葉市長の対話

これは凄い!東日本大震災後の、被災地震災瓦礫の受け入れという、極めてデリケートなテーマ、多くの自治体首長が、反対の凄さに腰が引けて白旗を上げるような、この話題に、100万都市の首長という重責を負いながら、果敢に切り込んで、

しかもTwitterという、これまた極めて炎上しやすいツールを使って、「放射脳」と呼ばれる、受け入れ反対派の攻撃を、科学的知見、行政手続、民主討論のルール、ロジック、レトリック・・・その全てを駆使して、スナイパーの如き正確無比さで、バッタバッタと論破・撃退していく腕前は、見事としか言いようがない。

ソーシャルメディアでの「論戦のテクニック」も、完璧。Twitterのやりとりのなかで、熊谷市長を攻撃している人たちが、大変醜く見えてくるから不思議です。

この人、本当に34歳なのか?もしかしたら、オバマ大統領より、さらにスケール大きい人物かもしれない。

詳しくは、読んでいただければと思いますが、熊谷市長の凄さは、

「事実」に基づいた「対話」という、「民主主義的な議論のルール」の本質を熟知した上で、そのルールに従えない人間を、相手にしない

枝野さんが家族をシンガポールに避難させているというデマが・・・私もたまに家族が千葉にいないとか意味不明なことを言われますが、このようなデマを信じるメンタリティでは議論にもなりません

がれき受け入れ反対も結構ですが、なぜ事実に基づかない所からスタートするのでしょう?

測定データが厳然と事実を示しているのですが、「間違いない」という思い込みで発言・行動している人が結構な割合で多いから宗教だと言われるのですよ。

危険を根拠無く煽る人たちは、皆さんが嫌いな御用学者とやらと同じ行動をしていることになりますね。御用学者とやらも事実と異なることまでは言いませんでしたよ。それ以下です。

これまで、こんな政治家が、日本にいたでしょうか?まるで欧米の有能な政治家のようです。

私はオーストラリアに、5年住んでいましたが、ああいう英米圏の社会では、政治・行政の基本的なスタンスとして、

政治家や役所が、物事を丁寧に、ロジカルに説明し、市民からの質問も受け付けた上で、「理解できる」人だけを、相手にする

要は、英語を使って、「事実」に基づく「対話」ができない者は、はなから相手にされない、市民として認められない・・・そんな社会なのですね。

これは、民主主義を運用していく上で、一番キモの部分だと思います。

日本では、「事実」に基づく「対話」ができない者に対しても、政治家や行政がまともに相手しちゃってる面があります。

そういう者を、「バカ」と呼ぶならば、

「バカが民主主義コストを増大」させているのは明らか。

バカとの応酬のために、市役所や議員が多大な時間と労力をかけて、疲弊する。まともな議論にならない・・・という、

熊谷市長のように、最初から「バカ」を相手にしない。政策討論の場から排除すると、最初から強い意志で臨む人物がリーダーになれば、日本の国政・地方行政の場は、ずっと、まともになるはずです。


繰り返しますが、30代、20代の日本人は、すぐれた人物が多いと感じます。

クオリティの高い人材が、良い社会をつくっていく。リードしていく。

一般社会通念とは違うかもしれませんが、私は、「日本の将来は、意外に明るい」と思っています。若い者が優秀だから・・・

私も、もっと頑張らなきゃ。

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リスク・コミュニケーション

今日、18:30に我が家に帰ると、食卓にはいつもの、楽しい家族だんらんがありました。

スーツを脱いで、風呂から上がると、子供たちは、夕食をほぼ食べ終えていて、もうデザートの時間。

私が福島から持ち帰った、「ずんだ饅頭」の包み紙を、妻が開ける。

「これ、また福島産でしょ?他の人にすすめたら、食べるのかしら?」、笑いながら、

さりげなく、子供たちに分け与える。6歳の娘ソフィアは「わーい。パパありがとう!」と、嬉しそう。

「俺が、先に食うよ」と言う間もなく、ソフィアはすでに、饅頭を口に放り込んでいた・・・

東北名物、ずんだ薄皮饅頭

$Manachan - メルマガポータルサイト

これだけ書くと、

「子供を、殺す気ですかっ!」

「毒を食べさせる、とんでもない親だ!」

みたいに、ヒステリーを起こす放射脳な方も、世の中、いるかもしれません。

その点、うちの妻は、冷静。

こんな女性だから、今でも一緒に暮らしているんだろうな。

妻が、放射能の健康リスクに関して、冷静なのは、

彼女が不動産投資の概念を、理解するからかもしれません。

私が、趣味でやってる(とはいえ、すでに事業規模の)、不動産投資経営というものは、

様々なリスクを把握・定量化、評価する、地味な作業の連続。

銀行融資を引いて、何千万~何億もの、大きな買い物をするのですから、

家賃下落、空室、金利上昇、担保割れ、事故物件になるリスク・・・等々が、どの位の確率で起こるのか?

それぞれのリスクに対して、回避策、軽減策を考えつつ、トータルに経営判断します。

普段、それをやっているから、私は、「リスクゼロなんて、あり得ない」と、感覚的に分かりますし、

「リスクを限りなくゼロに近づけるために、採算度外視のコストをかける」こともナンセンスだと分かります。

「リスクが存在する」ことを前提に、それがコントロール可能かどうかを判断したり、

様々なリスクが存在するなかで、トータルにものをみて、評価する・・・という姿勢も、養われてきました。

食品の残留放射能に関していえば、我が家は、セシウムゼロに、余りこだわりません。

たとえゼロじゃなくても、美味しくて、コストとバランスが取れていれば、神経質にならずにいただいています。

笑い声に包まれて、食べるから、皆、健康ですよ。

福島県伊達郡国見町産の、ずんだ饅頭。少し塩味がきいて、リアル枝豆っぽくて美味しかったし・・・

とはいえ、福島で買った饅頭を、職場や客先に持っていって、不特定多数に配るのは、まだまだ難しいだろうな。

妻にしても、ママ友にお裾分けするのは、難しいものがあるのでしょう。

不特定多数のなかに、「絶対に拒否」する人が、いる可能性があるからです。

「絶対にリスクゼロを要求する」、あるいは、「思考停止して、とりあえず福島産は避ける」ような人に、

「トータルな視野で、健康リスクをコントロールする」理屈を説いても、おそらく無駄でしょう。

「リスク」を説明するのって、本当に難しい。

一を聞いて、十を理解できる人がいるかと思えば、十回言っても、どうしても理解できない人も、いるのです。

不動産投資だって、「リスクが怖いから、絶対にやらない」という人が、多数を占めますよね。

実際、かなり成功している不動産投資家だって、旦那様や奥様に、自分が不動産投資やっていることを明かさない、という人が結構います。

少しだけ、毒を吐かせていただきますが、

リスクが怖い怖いといって、勉強しない人は、結局、金運や健康運にも恵まれません。

実際、そんな人ほど、(投資家からみて)超ハイリスク、ローリターンの「郊外新築マイホーム」なんかを、フラット35使って、平気で買ったりします。

住んだ瞬間から、価値が2~3割下がって担保割れ。利回り4%台しかないのに、ろくに需要もない立地。リストラされたら、どうするの?・・・みたいな世界。

自分の頭で、判断する術を持たないから、そんな芸当を、やってのけるのですね。

同じく、放射能怖い怖い~と叫んでる方々のなかに、

私ほど、福島県の地理・地形と、放射能拡散のパターンを理解し、線量データが時系列で頭に入っている人は、ほとんど、居ないでしょう。

知らないからこそ、「福島産は毒」なんて、言いきるわけですね。結局、自分の無知不明を晒して、恥ずかしいだけなんだけど…

そういう人ほど、過度のストレスと、バランスを逸した食生活で、健康を損なうでしょうね。

ここまで、言ってすっきりしました♪

話を少し戻すと、世の中には、リスクの話が、できる人と、できない人がいる。

両者の間で、議論が成立するのか?両者を、どちらも満足させる理屈って、あるのだろうか?

たぶん、ないと思います。

私は、技術屋なので、思考能力のある、理屈の通じる相手への説明は得意ですが、

そうでない相手に、説明するのは苦手です。

後者の場合、理詰めは通用しないので、とにかく、相手の話を聞く(聞き流す)ことと、

おそらく、カルト教団でよく使われる、洗脳みたいな手法が、効果的なんだと思います。

私はあいにく、そういう能力を、持ち合わせていないので、

無視する、関わりあわない・・・それしか、方法はないんだろうなと思います。

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富裕税は可能か?

大みそかになりました。

オーストラリア(ケアンズ)滞在も、残すところあと1日。元旦のフライトで、日本へ帰国しますので、年越し気分なんて、全然ないですよねえ。

ここは紅白も大掃除も、門松もないし、それに、真夏の気温だし・・


ところで、いま日本では、増税論議が盛り上がっていることでしょう。

もちろん賛否両論あるでしょうが、客観的情勢を考えると、増税は不可避だと考えます。

今後も日本に住み続けるのであれば、国民としては、消費税10%、15%の時代にも対応できる、財務体力をつけるのが急務だと思います。

ここオーストラリアも、消費税は10%です。シドニー・オリンピックを開催した、西暦2000年に、消費税を導入し、一気に、税率を10%にしました。

それは、私がこの国に移住したばかりの頃で、導入当時の状況を、今でも、よく覚えています。

当時のオーストラリアは景気が良く、大幅な所得税減税とセットで、消費税導入を一気に実現したのです。

景気良かった分、目立った反対・混乱はなく、比較的スムーズな導入だったといえます。

導入以降、10年余り経ちましたが、この間、オーストラリア経済は、おおむね順調に推移し、消費税も、10%からさらに上げられることは、当面ないと思われます。

余談ですが、2000年(消費税導入)からの10年間で、オーストラリアの人口は、15%も増えています。

[世] オーストラリアの人口の推移(1980~2011年)

好景気が長く続いた最大の要因として、順調な人口増加と、内需の拡大があったことは、衆目の一致するところです。やはり、移民受け入れで人口増加をはかれる国は強い!

一方、同時期の日本の人口はというと、全然増えていません。

[世] 日本の人口の推移(1980~2011年)

人口増えないなか、経済成長を目指すのは、逆風のなか、ヨットを操るようなもので、本当に大変です。

逆にいえば、日本は、全然増えない人口と、高齢化も著しいなかで、よく5兆ドル以上の経済を維持しているものです。

人口減で、民間投資・消費が、構造的にふるわないなか、経済規模を維持するには、政府支出が増えていかざるを得ない。

でもって、いつまでも、国債に頼るわけにもいかないから、やはり増税がトレンドでしょうね。日本が移民国に脱皮する国家的決意がない限り、この状況は変わらないでしょう。


増税となれば、誰から、どのような原則で徴収するか・・・それが、議論の焦点になってきます。

そして、どの国、どの時期でも、「富裕層」は、増税のターゲットになりえます。

「あいつら金持ちなんだから・・・奴らから少々、税金取ってももいいだろう?」というのが、洋の東西を問わず、一般大衆の感情というものです。

米国では、オバマ大統領のもと、「富裕税」を導入すべきか否かという議論が、バフェット氏の影響力とともに、盛り上がっていますが、

それも、いわゆる「大衆感情」と軌を一にするものです。また、政治家の立場からしたって、「富裕税を導入して、一般大衆向けの増税を阻止しました!」といえば、票がとれますよね。

しかし、ここに「徴税技術の壁」という、難問が立ちふさがります。

一般大衆の大多数は、給与収入だけで生活していますから、徴税はものすごくカンタン。給与天引きすれば、徴税効率は100%近い。

一方、富裕層は、給与収入よりも、事業収入や投資収入を主な収入源としています。しかも投資だけとっても、国内外の株式投資、現物投資、デリバティブ投資、不動産投資など、非常に多岐にわたるし、また、個人で収入を得るよりも、「法人」や「トラスト」の枠組みで収入を得るケースが多いですから、

富裕層から徴税する仕組みは、一般大衆向けより、格段に難しい。

不動産課税ひとつとっても、常に変動する土地・建物の現在価値を、いかなる基準で評価するか?減価償却は何年にする?接道条件や土地の形状による違いをどう扱うか等々・・高度なスキルが必要となるし、

あと、先物資産の現在価値をどう評価するか?遺産の相続と生前贈与を、遺言のある・なしによって、どのような基準で扱うか?法人と個人の所得をどう区分けして、どんな場合に「見なして」課税するか?海外の資産からの所得を、どう課税するか等々、どの国にとっても、決して簡単なことではありません。

なおかつ、課税スキームを構想できたところで、足元の経済情勢のもとで実施できるかどうかは、また別の問題です。富裕層の投資であればあるほど、国の経済成長と密接にリンクした分野と重なることがほとんど。

例えば、贈与税の特例を廃止して、富裕層に対して増税することはできますが、それは、新規の住宅需要や、高齢者から若者への所得移転を犠牲にすることになるので、経済成長促進の観点から、増税は難しいわけですね。

面白いのは、洋の東西を問わず、一般大衆や、それを拠り所にする政治家ほど、「国が富裕層の所得を、完全に捕捉・徴税できる」と、思いこんでいることです。

自分が、給与所得・天引きの世界でしか生きていないので、富裕層が、どれだけバラエティ豊かな方式で収入を得ているか、それに対して、国が徴税するのがどれだけ難しいか、理解できないのですね。

例・・・「富裕層から税金を取れ!~子どもたちを貧困から守るために」、この著者は、富裕層課税を、すごく簡単だと考えているようですね。


技術的に難しいとはいえ、富裕層向けの課税スキームは、今や世界主要国の多くの政府にとって、喫緊の検討課題となりつつあります。

その背景には、各国政府の財源が足りない他に、あまりに貧富格差が開きすぎて、社会の調和が保てない・・・という事情があるのでしょうね。

日本の富裕層の間でも、日本政府に嫌気がさして、資産を海外に移転したのはいいが、今度は移転先でも所得を捕捉され、課税された・・・みたいな話を時々聞きますが、

これは、日本だけでなく、資金逃避先の政府も、富裕層向けの徴税準備を軒並み強化していることが、背景にあるわけですね。

海外において、日本人富裕層は、英語や現地語ができなければ、圧倒的な情報弱者ですから、海外の政府当局が「資産を守ってくれる」とは、夢にも思わないことです。

日本の居住者が、海外に資産逃避して意味があるのは、相手国が国策として、資産移転を奨励しているタイミングか、あるいは、「システムがしっかりしてない新興国や途上国」で、「その国の支配層とガッチリ握れている」時くらいかな。

あるいは、「アジア太平洋大家の会」に入って、主に不動産を通じて、各国経済事情を学び、積極的にリスクを取るマインドセットを身につける・・・しかないでしょうね。


最後に、「富裕税」の行方について・・・

富裕層に課税したければ、資産に対する課税や、株式取引に対する課税が王道でしょうが、世界中を見渡して、私は日本ほど、この面で所得の捕捉・徴税システムが発達した国は、他にいくつもないと感じています。

たとえばの話、不動産を投資目的買ったら、不動産取得税がすぐかかるし、固定資産税、都市計画税は毎年徴収されるし、譲渡所得が出たら分離課税されるし、路線価の仕組みも完備されていて、相続税、贈与税もバッチリ取られる・・・。

路線価の仕組みがなかったり、相続税が存在しない国は、先進国でも結構あるわけだから、何だかんだ言って、日本の税制、うまくできてますよね。

すでに、ネタはほぼ揃っているので、多くの場合、優遇措置を緩めるだけで、(政策的にはともかく)技術的には、富裕層増税はできてしまいます。例えば、

1.相続・贈与関連だと・・・配偶者、未成年者控除の廃止・縮小
2.株式関連だと・・・上場株式等の売却益・売却損や配当所得に関する優遇措置の廃止・縮小
3.高額所得高齢者に対する年金カット、所得税アップ

あと、よりドラスティックな方策として、資産を全て棚卸しして、「純資産ー純負債」の何%を毎年徴収するという、包括的な富裕税も、可能性として考えられるでしょうが、ここまでやるには、タックスヘブンを含めて、世界中の政府が、足並み揃えないと難しいでしょうね。

いずれにせよ、明日から始まる2012年、それ以降の数年は、富裕層に対する課税が、世界レベルで強化されるトレンドであるのは、間違いないところだと思います。

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富裕税は可能か?

大みそかになりました。

オーストラリア(ケアンズ)滞在も、残すところあと1日。元旦のフライトで、日本へ帰国しますので、年越し気分なんて、全然ないですよねえ。

ここは紅白も大掃除も、門松もないし、それに、真夏の気温だし・・


ところで、いま日本では、増税論議が盛り上がっていることでしょう。

もちろん賛否両論あるでしょうが、客観的情勢を考えると、増税は不可避だと考えます。

今後も日本に住み続けるのであれば、国民としては、消費税10%、15%の時代にも対応できる、財務体力をつけるのが急務だと思います。

ここオーストラリアも、消費税は10%です。シドニー・オリンピックを開催した、西暦2000年に、消費税を導入し、一気に、税率を10%にしました。

それは、私がこの国に移住したばかりの頃で、導入当時の状況を、今でも、よく覚えています。

当時のオーストラリアは景気が良く、大幅な所得税減税とセットで、消費税導入を一気に実現したのです。

景気良かった分、目立った反対・混乱はなく、比較的スムーズな導入だったといえます。

導入以降、10年余り経ちましたが、この間、オーストラリア経済は、おおむね順調に推移し、消費税も、10%からさらに上げられることは、当面ないと思われます。

余談ですが、2000年(消費税導入)からの10年間で、オーストラリアの人口は、15%も増えています。

[世] オーストラリアの人口の推移(1980~2011年)

好景気が長く続いた最大の要因として、順調な人口増加と、内需の拡大があったことは、衆目の一致するところです。やはり、移民受け入れで人口増加をはかれる国は強い!

一方、同時期の日本の人口はというと、全然増えていません。

[世] 日本の人口の推移(1980~2011年)

人口増えないなか、経済成長を目指すのは、逆風のなか、ヨットを操るようなもので、本当に大変です。

逆にいえば、日本は、全然増えない人口と、高齢化も著しいなかで、よく5兆ドル以上の経済を維持しているものです。

人口減で、民間投資・消費が、構造的にふるわないなか、経済規模を維持するには、政府支出が増えていかざるを得ない。

でもって、いつまでも、国債に頼るわけにもいかないから、やはり増税がトレンドでしょうね。日本が移民国に脱皮する国家的決意がない限り、この状況は変わらないでしょう。


増税となれば、誰から、どのような原則で徴収するか・・・それが、議論の焦点になってきます。

そして、どの国、どの時期でも、「富裕層」は、増税のターゲットになりえます。

「あいつら金持ちなんだから・・・奴らから少々、税金取ってももいいだろう?」というのが、洋の東西を問わず、一般大衆の感情というものです。

米国では、オバマ大統領のもと、「富裕税」を導入すべきか否かという議論が、バフェット氏の影響力とともに、盛り上がっていますが、

それも、いわゆる「大衆感情」と軌を一にするものです。また、政治家の立場からしたって、「富裕税を導入して、一般大衆向けの増税を阻止しました!」といえば、票がとれますよね。

しかし、ここに「徴税技術の壁」という、難問が立ちふさがります。

一般大衆の大多数は、給与収入だけで生活していますから、徴税はものすごくカンタン。給与天引きすれば、徴税効率は100%近い。

一方、富裕層は、給与収入よりも、事業収入や投資収入を主な収入源としています。しかも投資だけとっても、国内外の株式投資、現物投資、デリバティブ投資、不動産投資など、非常に多岐にわたるし、また、個人で収入を得るよりも、「法人」や「トラスト」の枠組みで収入を得るケースが多いですから、

富裕層から徴税する仕組みは、一般大衆向けより、格段に難しい。

不動産課税ひとつとっても、常に変動する土地・建物の現在価値を、いかなる基準で評価するか?減価償却は何年にする?接道条件や土地の形状による違いをどう扱うか等々・・高度なスキルが必要となるし、

あと、先物資産の現在価値をどう評価するか?遺産の相続と生前贈与を、遺言のある・なしによって、どのような基準で扱うか?法人と個人の所得をどう区分けして、どんな場合に「見なして」課税するか?海外の資産からの所得を、どう課税するか等々、どの国にとっても、決して簡単なことではありません。

なおかつ、課税スキームを構想できたところで、足元の経済情勢のもとで実施できるかどうかは、また別の問題です。富裕層の投資であればあるほど、国の経済成長と密接にリンクした分野と重なることがほとんど。

例えば、贈与税の特例を廃止して、富裕層に対して増税することはできますが、それは、新規の住宅需要や、高齢者から若者への所得移転を犠牲にすることになるので、経済成長促進の観点から、増税は難しいわけですね。

面白いのは、洋の東西を問わず、一般大衆や、それを拠り所にする政治家ほど、「国が富裕層の所得を、完全に捕捉・徴税できる」と、思いこんでいることです。

自分が、給与所得・天引きの世界でしか生きていないので、富裕層が、どれだけバラエティ豊かな方式で収入を得ているか、それに対して、国が徴税するのがどれだけ難しいか、理解できないのですね。

例・・・「富裕層から税金を取れ!~子どもたちを貧困から守るために」、この著者は、富裕層課税を、すごく簡単だと考えているようですね。


技術的に難しいとはいえ、富裕層向けの課税スキームは、今や世界主要国の多くの政府にとって、喫緊の検討課題となりつつあります。

その背景には、各国政府の財源が足りない他に、あまりに貧富格差が開きすぎて、社会の調和が保てない・・・という事情があるのでしょうね。

日本の富裕層の間でも、日本政府に嫌気がさして、資産を海外に移転したのはいいが、今度は移転先でも所得を捕捉され、課税された・・・みたいな話を時々聞きますが、

これは、日本だけでなく、資金逃避先の政府も、富裕層向けの徴税準備を軒並み強化していることが、背景にあるわけですね。

海外において、日本人富裕層は、英語や現地語ができなければ、圧倒的な情報弱者ですから、海外の政府当局が「資産を守ってくれる」とは、夢にも思わないことです。

日本の居住者が、海外に資産逃避して意味があるのは、相手国が国策として、資産移転を奨励しているタイミングか、あるいは、「システムがしっかりしてない新興国や途上国」で、「その国の支配層とガッチリ握れている」時くらいかな。

あるいは、「アジア太平洋大家の会」に入って、主に不動産を通じて、各国経済事情を学び、積極的にリスクを取るマインドセットを身につける・・・しかないでしょうね。


最後に、「富裕税」の行方について・・・

富裕層に課税したければ、資産に対する課税や、株式取引に対する課税が王道でしょうが、世界中を見渡して、私は日本ほど、この面で所得の捕捉・徴税システムが発達した国は、他にいくつもないと感じています。

たとえばの話、不動産を投資目的買ったら、不動産取得税がすぐかかるし、固定資産税、都市計画税は毎年徴収されるし、譲渡所得が出たら分離課税されるし、路線価の仕組みも完備されていて、相続税、贈与税もバッチリ取られる・・・。

路線価の仕組みがなかったり、相続税が存在しない国は、先進国でも結構あるわけだから、何だかんだ言って、日本の税制、うまくできてますよね。

すでに、ネタはほぼ揃っているので、多くの場合、優遇措置を緩めるだけで、(政策的にはともかく)技術的には、富裕層増税はできてしまいます。例えば、

1.相続・贈与関連だと・・・配偶者、未成年者控除の廃止・縮小
2.株式関連だと・・・上場株式等の売却益・売却損や配当所得に関する優遇措置の廃止・縮小
3.高額所得高齢者に対する年金カット、所得税アップ

あと、よりドラスティックな方策として、資産を全て棚卸しして、「純資産ー純負債」の何%を毎年徴収するという、包括的な富裕税も、可能性として考えられるでしょうが、ここまでやるには、タックスヘブンを含めて、世界中の政府が、足並み揃えないと難しいでしょうね。

いずれにせよ、明日から始まる2012年、それ以降の数年は、富裕層に対する課税が、世界レベルで強化されるトレンドであるのは、間違いないところだと思います。

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富裕層は賢明なのか?

週刊ダイヤモンドの10月8日号特集

日本を見捨てる富裕層~財政破綻、放射能汚染――“ジャパンリスク”を嫌気した富裕層の「日本脱出」が始まった!」

これ、ずいぶん売れたようですね。
オフショア金融投資、ロングステイなどのセミナーでも、ずいぶん使われているようです。

私も読みました。確かに、複数の国で膨大なリサーチしてあるし、分かりやすい。力作だと思います。

雑誌記事としてのデキの良さと対照的に、ここに出てくる「日本人富裕層」の行動は、微妙というかなんというか・・・

この人たち、本当に頭いいんだろうか?・・・と、疑問に思ってしまう。

ここでいう、「頭いい」の意味は、「財務的に賢い」、いわゆる”Financial Literacy”の意味での賢明さのことです。

私は、今年3月の東日本大震災・原発事故以来、首都圏在住富裕層の、西日本、沖縄、海外への、数々の逃避行をみてきました。

他人事とはいえ、「俺たちカネあるから、海外に逃避できるんだもんね」・・・みたいな上から目線、聞いていて気持ち良くはない。

しかしそれ以上に、憐れみさえ感じてしまいます。何、この人たち、こんな慌てふためいているんだろうかと・・・

あの時、日本円を外貨資産に乗り換えた人は、その後の為替の動きで、大損したことでしょう。

もちろん、逃げたい気持ちは分かる。以前から日本の経済政治に対して、漠然と閉塞感、嫌気を感じていた。それが、震災・原発事故で、一気に「目に見える」かたちで表面化したので、即行動・・・それはよく分かる。

でも、日本だけでなく、どの国にもリスクがあることは、中学生にだって分かるはず。

大震災・原発事故が起こってない欧州も、米国も、財政危機で経済がまじヤバい。中国経済も失速しそう・・・

日本や欧米企業が、生産拠点を移した先のタイやインドシナ半島で、今度は洪水リスクが表面化・・・等々。

雑誌ダイヤモンドを含めて、「日本がヤバい、脱出せよ」と主張している記事・論調が、構造的に片手落ちだと思うのは、

日本のリスクだけ強調して、
海外のリスクに、ほとんど触れていないことです。

日本脱出するのは良い。でも行き先で、どういうリスクがあるのか、それを分かってて、リスク、比較考量、分析した上の行動なら分かる。

でも、大震災以降、日本を脱出したといわれる富裕層の、どれ程の割合が、冷静なリスク比較をしたのでしょう?

私思うに、日本人富裕層のなかで、Financial literacyの高い層は、はるか昔から、資産をグローバル分散したり、高い運用益を上げたりしているはず・・・武富士の創業者一家みたいに。

逆に、いま慌てて日本脱出する富裕層の、グローバルFinancial literacyは決して高くないのではないでしょうか。

ま、ひとさまのこと、私には関係ないといえば、それまでだけど、

一言だけ言わせてもらえば、私は、「国難」とよばれる大震災にあたって、海外に逃げた日本人には絶対に負けたくない!

俺は、奴らには、絶対に負けねえぞ。資産づくりでも、ビジネスでも・・・

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