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小泉敗北の教訓

こんにちは、Manachanです。

日曜日は、残雪の残る中、子供を雪そりに乗せて、都知事選の投票所に行きました。足元の悪いこともあり、投票率は46%台と伸びず、結果的に、組織選挙に徹した舛添氏がダブルスコアで当選しました。

投票所から帰ってきた後、我が家のポストに、細川氏の選挙チラシが入っていました。タイミング遅いっての!

結果的に小泉さんが一番目立ってる、このチラシ・・・それにしても、人選、センスねえなあ。これじゃあ、細川さんが負けるの、当然だと思いますよ。

なぜ、反原発文化人というだけで、味噌も糞も、仲間に入れたがるんだろう?

私は、「湯川れい子」の名前を見ただけで、細川さんに一票入れる気、なくしましたよ。

・私は、将来的に脱原発を目指していくべきだと考えますけど、今すぐゼロ!みたいなこと言う人は嫌い。

・原発憎し、と思いつめる余り、放射能の危険や健康被害を実態以上に言い募り、結果的に福島、東日本に対する風評加害者になっている連中は嫌い。

・原発、電力エネルギーのことを議論しているのに、辺野古とか、オスプレイとか、別の議論を持ち出してくる連中も嫌い。

・脱原発するなら、電力エネルギーを、どういう体制で供給し、コストを誰がどれだけ負担するのか…その辺を語らない人は信用しない。

私みたいに、考えている都民は、きっと多いはず。

これまで脱原発運動を主導してきた「左派」に対して反感を持つ、「脱原発派」は多いのです。同じ脱原発志向でも、左派と、中道・保守派は、相容れないのです。

その辺を洞察できず、脱原発だけで旋風を起こせると考えた「小沢一郎」、そして「小泉・細川コンビ」は、選挙で撃沈しました。

都民の60-65%が、「段階的な脱原発派」というデータもあるそうです。

小泉・細川コンビは、既存の左派的反原発運動ときっぱり手を切り、経済・雇用と両立する現実的反原発路線を打ち出して、保守中道の反原発票を取り込むべきだった。それなら、舛添に勝てたかもしれないのに。

首相という責任ある職を経験した二人なら、なおさら、国政の見地から、東電をどうするのか?廃炉コストを誰がどう負担するのか?10年後、20年後のエネルギー供給をどうするのか?そういう議論をして欲しかった。

「なんでも反対」、「ノープラン」…そんな、既存の左派的反原発運動とは、はっきりと手を切った選挙戦を展開して欲しかった。

それをやりきらなかったのだから、負けて当然ですよね。はっきり言う、時代遅れ!老害!


小泉・細川の敗北から、どんな教訓を引き出せるか?

【顧客層の特定】 誰に向いて、仕事するのか?

【取捨選択の勇気】 何を得て、何を捨てるのか、誰と組み、誰を切るのか?どんな価値観に基づいて判断するのか?

私も実際、「アジア太平洋大家の会」の運営で、いろんな問題に直面します。非営利の活動ながら、海外不動産投資という「お金儲け」を動機とする活動なので、舞台裏は、思い切り欲望や嫉妬のうごめく世界。

業者間の誹謗中傷合戦、投資家と業者間の契約・金銭トラブル・・・いろんな問題が起こり、その都度、「判断」しなければなりません。

「判断」するためには、判断基準と、それを支える「価値観」が必要となります。私は、次のように考えます。

・投資家の立場に立ち、常に投資家に向いて仕事をする。

・海外不動産の情報を得るため、業者と良い関係を保つことは大事だが、あくまで「業者目線」ではなく、「投資家目線」に立って活動する。

・業者、投資家云々以前に、日本や外国の法令を守り、「良き公民」としての義務を果たす。

そういう活動方針ゆえ、投資家の声を、ものすごく気にします。投資家から悪評の著しい業者との関係を切ったことも、何度もあります。評判の悪い業者のセミナーを手掛けただけで、自分自身も悪く言われたりしますから…

そんな感じで、取捨選択の連続ですよね。でも、価値観の軸さえズレなければ、決定的に間違うことはないと思っています。

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核家族、子育て苦・・・されど核家族

こんばんは、Manachanです。

アメリカ、ミャンマー、フィリピン、ラオス、パキスタン、ドイツ・・・世界中から、いろんな投資案件の話が来てます。独立起業して間もない、五反田オフィスは千客万来。嬉しいことです(まだオカネになってないけどね・・・)

激務の合間に、時間をみつけて、ブログ書いてます。今日は、子育てネタでいきますね。

友人から、興味深いエッセイを、紹介していただきました。

赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。

言いたいことは、よく分かります。私も日本で子育てして、父親の立場でそれなりに苦労して。必ずしも子育てフレンドリーとはいえない社会環境に、悩まされることは時々あります。たとえば、

・乳幼児お断りのレストラン
・騒音に厳しい集合住宅や、公共交通機関
・子育てで大変な親に理解のない、一部の大人たち・・・等々

我が家では、子供が赤ちゃんの頃から、飛行機とか、満員の地下鉄東西線に乗せたりしていました。まだ小さい頃は、泣いたり、大声で騒いだりするわけですが、

ああいうシチュエーション、親としては、本当に、大変なんです。周りに気を遣うし、かといって、相手は理屈が通じない生き物だし、なぜ泣くのか、どう対処していいか分からないことも多いし・・・

そんな大変な思いをしている時、舌打ちの一つも聞こえてくると、まじで、張り倒してやりたくなるわけですが、そんな自分も、まだ子育ての苦労を知らない頃は、「うるせーなあ、ガキ連れて電車乗るなよ」と、舌打ちの一つもしていたかもしれません。

人間、いくつになっても、相手の立場に立って思いやるのは難しいものですね。

【子供かわいいけど・・・・良いことばかりではないですよね】

あと、核家族は、子育て向きではない・・・そういう面も、確かにありますね。

その昔、大家族が当たり前だった頃は、子供の数も多かったけど、面倒みる大人も多かった。子供を、どうやって泣き止ませるか、どう躾けるか、大人同士で、知識の伝達もしやすかったことでしょう。でも今は、特に都市部では核家族が主流。子供は少ないけど、基本、母親と父親しか、面倒みる大人はいない。

でもって世の中、父親は仕事で忙しいので、子育ての負担は、母親だけに集中することが多い。周りに相談できる相手もなく、たった一人で、試行錯誤しなくてはならない・・・それが、毎日続くと、確かに過酷だ。それに、子育てのストレスがたまると、夫婦関係にも影響してきますよね。

核家族という形態をとるなら、奥さんの実家の近くで子育てするのが、負担の軽減&知識の伝達という意味ではベストだろうけど・・・我が家の場合、妻の実家が直線距離で5800kmも離れているからとても無理。

私も時々思います。こんなに子育て大変なのに、なぜ自分も、周りの皆も、核家族を選んだのだろうかと・・・

日本の場合、核家族が一般化したのは、私の父や母の世代からだったと思います。高度成長期に、多くの若者が、東京をはじめとする大都市に出る。都会は地価が高く、家が狭いので、大家族は無理。実家の両親と一緒に暮らすことはできず、当然、核家族になる・・・そういう面もあったでしょう。

あとは、何かと束縛の多い大家族から逃れたかった、一つ屋根の下、一族郎党が一緒に暮らし、空気を読まなきゃならない暮らしは窮屈で嫌だ。基本、自分で決められる核家族がいい・・・そんな選択をした人も多かったことでしょう。

私、数年前はインドのIT企業で働いていました。インドへの長期出張の機会もありましたが、かの国は、日本と比べれば、まだ大家族が主流。都市部では、自由恋愛や核家族も増えてきましたが、国全体からみれば、割合は多くありません。

そこで、インド人の部下(男性)が言った言葉が、とても印象的でした

「俺は、早く結婚したい。実家に帰らず、嫁だけもらって、核家族(Nuclear Family)をつくりたいんだ! 」

そんな彼の脳裏には、何かと不自由な、実家の大家族の情景が思い浮かんでいたことでしょう。

【家族を大事にするインド人・・・でも、きれいごとではない現実もきっとあるはず】

国・文化圏を問わず、都市化と、核家族化は進んでいる。私も、子育ての大変さを日々感じつつも、それでも、核家族以外の形態を選ぶことは、今のところ考えられない。

人類は、核家族という、自由を得た。それと引き換えに、子育ての大変さ、孤独さを引き受けなくてはならない。ま、それも、自分が選択した結果なのでしょうね。

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共産党が伸びた理由

こんばんは、Manachanです。今日はひさびさの選挙ねたで、いきます。

ここ1~2年、日本政治は、安倍自民党の圧勝、民主の惨敗、社民・生活や反原発政党の壊滅的没落、維新の不振、みんなの健闘・・・というトレンドですが、その中で、意外に議席を伸ばしているのが、共産党です。

半分しか改選されなかった参院選だと分かりにくいですが、都議選の結果をみると、歴然。共産党は民主党を抜いて第三党に躍進しています。私は選挙前、共産党の獲得議席は11~12くらいと予想してましたが、蓋を開けてみればまさかの議席倍増、17議席ゲット!

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私にとって興味深いのは、自民党が大勝する局面で、なぜ、左派勢力のなかで共産党に支持が集まるのか?中道左派政党が没落するのに、なぜ共産党だけ伸びるのか・・・という点。

日本の都市にたとえて言うと、こんな感じですかね?東京(自民)一極集中が強まると、遠く離れた九州では、拠点都市である福岡市(共産)だけが、九州他地域から人口を集めて栄える。福岡市以外の九州の都市(社民、生活、みどり等)は衰退する・・・みたいな。

私は先日、「中道左派が負けた理由」というエッセイを書きましたが、社民、生活、みどりに象徴される、いわゆる中道左派政党の支離滅裂ぶりに比べると、共産党がまともに見えます。

反原発、という点では左派内で一致していますが、原発事故の起こった福島県においては、社民党は反原発運動のネタとして福島を使う傾向が目立った一方で、共産党はどちらかといえば、福島に残った人に寄り添い、支援するスタンスが目立ちました。やはり共産党の方が、政治センスがまともで、穏当。

それを含めて、なぜ、いまの日本政治において、同じ左派でも、社民党が嫌われ、共産党はそれほど嫌われないのか?これは興味深いテーマですね。

私思うに、いまの日本は「ナショナリズム」、「対外強硬派」が歓迎される政治状況にあります。特に中国と韓国に関しては、対決姿勢を鮮明にすれば、拍手喝采が起こり、弱腰、融和の姿勢を見せたら「反日」と呼ばれたりする・・・硬派の時代ですね。

そんななかで、共産党のキャラクターは、どちらかといえば、男性的で、硬派。党員には党の路線に従う規律が求められるし、分派は許されないし、そして何より、日本国民でなければ、党員になれない・・・実は「日の丸共産党」でもあります。でもって中国共産党と時々ケンカしたりしますので、実は今どきの日本国民の気分とマッチしてる体質があるのですね。

逆に社民党は、よく言えば女性的で民主的、悪くいえば規律とガバナンスがゆるく、新左翼など過激派チックな連中の巣窟になりやすい。中国、朝鮮に対する政治姿勢も概して弱腰・・・ガバナンスゆるい分、国民の感情を逆なでするような発言は、共産党よりも、社民党から出やすくなる。そして問題発言の都度、社民党に対する拒否度が高まる。

昔は、共産党=共産主義革命というイメージで、恐怖感を抱く人もいましたが、今の共産党はソフト路線。議会主義を認め、選挙による第一党獲得を目指しています。しかも、政権をとりにいく気も、他党と連立する気も全く見られないため、実質的に「万年野党」が100%確定している。

【いま、この人が党首で、政権とりそうな気配が全くみられない・・その安心感がイイんでしょうね。】

共産党が政権とったら困るけど、それがない前提のもとで、「自公=推進役」、「共産=チェック・監査役」という役割であれば、支持する国民が多いということでしょうね。グローバル資本主義の影響で、貧困層が増えている現状ならなおさら。

結論・・・自民党が強い時期、それに対する批判票は、硬派なイメージで、実はそれほど嫌われてない「いまの共産党」に流れやすくなるのだと思います。

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せたがや、たがやせ、川場村

おはようございます、Manachanです。

もう1年半も前の話になりますが、いま思い出しても、超、腹が立つ出来事がありました。

柏での移動教室中止 文京区 (2012/2/4、東京新聞)

<引用>東京都文京区は、区立小四、五年生が千葉県柏市にある区の校外学習施設「柏学園」で一~二泊する移動教室を、二〇一二年度は中止することを決めた。福島第一原発事故後、柏市で局地的に高い放射線量が測定されており、保護者から心配する声が寄せられていた(中略)国が除染の財政支援をする「汚染状況重点調査地域」に柏市が指定されたことを受けて、中止を決めたという。代わりに、東京近郊の他地域での日帰り野外体験や校舎内での宿泊体験を各校ごとに行う

少し背景説明します・・・私の地元、柏市には、東京都の中央区や、文京区の子供たちが使う教育施設が点在しています。

中央区立柏学園 (昭和15年創設)
文京区立柏学園 (昭和21年創設)

いずれも、戦中もしくは戦後間もない頃、柏が東京都民のための「疎開地」、「食糧基地」だった時代に、区民の子供たちを自然に触れさせようという趣旨ではじまった施設です。

それから時代は下り、柏は東京の近郊ベッドタウンとして発展し、「柏学園」周辺にも住宅が建て込みました。今の柏駅前は文京区のどの地域よりも都会で繁華、柏市の人口は中央区の5倍以上、文京区の2倍もいます(面積が全然違うけど・・・)。

「(東京の)都会の子供たちが、都会化した柏に来る意味あるのか?」と思ったりしますけど・・・林間学校ではなく、「移動教室」というかたちで、イモ掘りや自然観察などを、柏で年間行事として行っていました。

それが、2011年の震災後、福島原発事故の影響で、柏市近辺で比較的高い放射線量が観測され、保護者から懸念の声が高まったことを受け、同年11月2日に中央区が柏学園の利用を中止、翌年2月4日に文京区も柏移動教室の休止を決定しました。

柏の人間として、言わせていただければ、中央区、文京区の決定は、とても悲しかったです。同時に、

文京区、中央区の親たち、教育関係者は、なんて、思慮のない人たちなんだろう?

と、呆れ果てたことを、今でも思い出します。

だいいち、こんな「目くそ鼻くそ」な話、他にありますか?文京区や中央区から、柏まで、電車で30分台で着くような距離ですよ。福島第一原発から、200km以上、はるばる旅してきた放射性プルームが、柏にだけ落ちたんじゃない。江戸川を越えて、都内にだって、しっかり降り注いでいました。

確かに、柏の方が、都内より多少は、放射線量高かったのかもしれない。でも、せいぜい1泊2日の話でしょう?その期間、柏で過ごして、追加される被曝量が、どれほどのものですか?柏に住んで、この土地で呼吸している人間からみれば、柏での1泊2日を忌避する感覚が理解できません。ましてや、目と鼻の先、都内に住んでる人間から忌避されるなんて・・・

子供に、わずかな被曝量の増加も避けたいという親心は分からんでもないけど、そう考えて行動した結果、どれだけ多くの人々を悲しませ、無念な思いをさせるのか、いい歳した大人が分からんのかなあ?相手の立場に立って考えられないのかなあ?

まずもって、直接の関係者が悲しみますよね?柏で、畑にイモを植えて、子供たちの来訪を心待ちにしていた人たちが・・・

次に、マスメディアの影響。文京区や中央区といった地方自治体が、公式に「柏での移動教室中止」を決定したら、すぐ、東京新聞あたりに、デカデカと書かれてしまうのですよ。「柏の放射能やばい」みたいな文脈で・・・その結果、柏市40万住民が不愉快な思いをする。ネガティブイメージを全国的に植えつけられてしまう。

移動教室の休止は、これまで自分を支えてきた大切な人たちや地域との「関係を切る」ことを自ら宣言することですから、それは教育の本旨にも合うんだろうか?文京区民の一部が懸念する「被曝の増加」と、「訪問先の40万人を悲しませる」こととを天秤にかけた場合、教育者として、どちらを優先すべきだろうか?長年培った大事な関係を、平気で袖にするような子供を育てたいのだろうか?

「友情と子どもの安全は切り離して考えるべきだ」と主張する側の論拠は、科学的でもロジカルでもありませんでした。実際、文京区は、2011年7月、柏市での空間線量が平気で0.5μSrv/h近くいってた時期に、柏学園の線量を自ら測定し、「二泊三日滞在しても、年間被ばく量は国際基準の限度を下回る」として、移動教室を実施していたのです。この決定は、理屈で分かる。

それなのに、柏近辺の線量が下がって、0.3μSrv/hを下回るようになった翌年2月に、「(一部の)区民が騒ぐから」と、移動教室の休止を決めたのです。根拠は、柏市が「汚染状況重点調査地域」に指定されたからと・・・あんなもの、政治的力学で決まるものなのに(例.葛飾区なんて、柏と大差ない線量なのに、東京23区という理由で、指定から外れました)。

私は、こんな感情を体験しました。汚い言葉ですが、ご容赦を・・・

お前らまで、俺らを忌避するのかよ?
いい歳した大人が、エンガチョするのか?恥ずかしくねぇのか?
てめえらのガキだけ良ければ、人を傷つけてもいいと思ってるのかよ?
お前ら、まじで要らねえよ。金輪際、江戸川を越えてくるんじゃねえ!

これと似たような構図の問題が、いま、「世田谷区」と「群馬県川場村」のあいだで存在します。

群馬県北部、美しい風景に囲まれた山村・川場村は、1981年以来、30年以上にもわたって、「世田谷区民のふるさと」として、愛されてきました。

85万人の巨大都市である世田谷区と、人口3千8百人、過疎化がすすむ川場村の間には、全国のモデルになるような、「都市と山村の交流」の長い歴史、蓄積があり、移動教室や林間学校などの活動も、盛んに行われていました。

その川場村も、柏市と同様、「汚染状況重点調査地域」に指定され、関東の放射能ホットスポットの一つと呼ばれています(2011年当時よりは、線量かなり下がりましたけど・・・)

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しかし、世田谷区では、2011年、12年と、川場村での移動教室を実施し続けてきました。学校によっては半数近くの児童が不参加となり、区議会でも紛糾したようですが、移動教室の活動エリア周辺を除染したり、食事の放射性物質検査を徹底するなどして、なんとか命脈を保ってきました(リンク)。

さすがに、震災後2年半が経過し、川場移動教室への反対運動は、下火になってきたようですが、まだまだ、反対論がくすぶっているようです。「ベクレルフリー」みたいな運動が盛んな土地でもありますし。

たぶん、移動教室の休止になることはないと思うけど、もしそうなったら、川場村の人々が、私が味わったような、悲しくて不条理な思いをする・・・そのことだけは忘れずに、世田谷区の皆様には、人の心に配慮し、客観的なデータに基づいた、大人らしい、賢明な選択をしていただきたいと思います。

せたがや、たがやせ、川場村との友情を・・・

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子育てと体罰

おはようございます。Manachanです。

大阪の高校バスケ部の事件をはじめ、教職員の児童に対する体罰が巷の話題になる今日この頃。家庭内でも、児童虐待やネグレクトが新聞やTVニュースに取り上げられたりしますね。

あれが「体罰」という文脈でマスメディアに出るということは、社会の価値観が変わったのでしょうね。今は、「教育的配慮とはいえ、大人が子供に暴力を振るうのは良くないことだ」という観念が、広く日本社会に受け入れられているようです。

私の子供時代は、今よりずっと、教育現場や家庭に、体罰が蔓延していた時代です。体罰が原因で死亡事故を起こしてしまったらともかく、そうでない限り、体罰など当たり前すぎて、ニュースになることなど、考えられなかった。

そして、当時の親たちの多くは、学校に、子供たちをビシビシ、体罰でしつけて欲しいと希望していました。

私が中学生の頃、授業に遅刻したら、男女関係なく、廊下に一列に並ばされてビンタ食らいました。「男性教諭が女子中学生を張り倒す」みたいなこと、今なら新聞沙汰になってもおかしくないけど、当時は全く問題にならず、

また、中学二年の時、宿題を忘れて、先生に横腹にパンチを数発食らって、目に涙を浮かべたこともありました。

「愛のムチ」、「愛の拳」という言葉が生きていた時代・・・先生に体罰受けても、殴られた方が悪いとされた時代。今とは価値観が逆ですね。

とはいえ、私の親世代は、日本の歴史始まって以来、「やさしいパパ」、「マイホームパパ」、「友達みたいなパパ」が登場した時代とされます。

私の父や母は、その親や先生から、比べ物にならない位の、体罰を受けていたと聞きます。

「父親は、本当に恐ろしかった」、「竹の定規を持って、子供を追いかけ回した」・・・そんな話を、よく聞きます。

世の中、世代が下るにつれて、だんだんやさしくなっているのかもしれませんね。

私は、子供たちを叱ることはあっても、手をあげたことは一度もありません。妻もそうです。

子育てにおいて、体罰は、多大なエネルギーを使う代わりに、そんなに効果なさそうな気がしているからです。

体罰というかたちで、親が子供に暴力を使ったら、子供は自分の言うことを聞かせるために暴力を使うことを覚えるでしょう。また、大きくなった時、それが親や教師に向かうこともあるでしょう。

もちろん、逆効果を起こさない、効果的な体罰というものも、世の中には存在するのかもしれません。「体罰のアート」、「愛の鞭アート」というのかな・・・

ただ、子供に体罰を使う時、親の心理状態は、100%に近い確率で怒り心頭、少なくとも冷静ではないでしょう。「体罰のアート」なるものが成立するためには、親が自分の感情を完璧にコントロールしつつ、ゴルゴ13のごとく冷静に、子供がケガしない部分を叩く(お尻ペンペン等)配慮が必要で、これは私を含めて、並の親にはできないことだと思います。

とはいえ、子供に手をあげたい誘惑に駆られることも、正直言って、多々あります。

「可愛い盛りは5~6歳まで」と、よく言われますが、子供が7歳にも8歳にもなると、本当に、親の言うこと聞きませんからね。友達から変な言葉を覚えてきますし、反抗もしますし、

だいたい、大人の世界だって、しっかり、暴力がビルトインされているものです。


社会には、ルールがあって、誰もがルールを守ることを前提に運営されていますが、ルールを守らない奴は、必ずいる。

ルールを守る者が、ルールを守らないで好き勝手やる者と、同じ土俵で競争はできない。

だから、警察や軍隊の「力」で、ルールを強制的に守らせるメカニズムが存在する。

もちろん家庭内で、子供に、ルールを守らせる必要があります。

小さい子供には、理屈が通用しませんので、大人の世界にもある「力」に訴えるのが、一番手っ取り早い方法なのかもしれない。

それ以外の方法(子供にプレゼントをあげるor取り上げる、子供の気分が変わるまで待つ、子供に寄り添って共感してあげる等)は、いずれも、「すぐに、目に見える効果」が期待できにくいものです。

家庭によっては、とても上手にやってるところもあるのでしょうが、少なくとも我が家では、できていません。

親というのは、子供の前では教育者であっても、それ以前に、生活者でもあります。たくさんの仕事、コミットメントを抱えています。子供に使える時間も限られます。

制約の多いなかで、どのように時間を有効に使って、子供に、ルールを守るちゃんとした人間に育ってもらうか・・・体罰を使わない想定なら、なおさら、ハードルは高い、

常に試行錯誤しながら、子供の成長にあわせて、最善の方法を見つけていくしかないのでしょうね。


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コンビニ端末トラブル

おはようございます。Manachanです。

ここ首都圏では、コンビニの情報化・多機能化が進んでいます。ATMマシン、イベント予約端末、プリンタ&FAX&スキャナーの複合機は、すでに「あって当たり前」の世界になりました。

利用者にとって嬉しいのは、各コンビニが、良いサービスを巡ってしのぎを削っていることです。たとえば、「プレゼン資料のプリントならセブンイレブン」、「ディズニーのチケットならファミリーマート」みたいに、それぞれが得意分野を活かして、進化をお続けています。

その反面、システムが複雑になりすぎて、かえって不便になるケースも散見されます。ATM端末は銀行、イベント端末は旅行会社やチケット手配会社が管理しているから、コンビニの店員が詳細まで把握できませんし、

物事が、システムの想定どおりに動けばいいのですが、想定外が起こった場合、誰が、どういうプロセスで動いて解決するのかが分からなかったりします。

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先日、こんなことがありました。うちの近所のコンビニ端末で、「お台場レゴランド」の前売チケットが安く買えるという情報を聞きつけて、

我が家の3人分プラス、妻のママ友2家族6人分、計9人分のチケットを、私が買いにいくことになりました。

レゴランドのチケットは、日時限定タイプ。つまり、「○月△日 何時から何時までに入場」した者にだけ、割引が適用されるという仕組みになっています。

で、私がコンビニ端末のチケット買った後、「日にちを、一日間違えていた」ことが、妻の指摘で発覚。6月3日に買うべきところを、6月4日で買ってしまったのです。

私は急いでコンビニに戻り、「日時の訂正」を頼みましたが、それはシステム上、できないとのこと。

「じゃ、払い戻してよ」と頼んだところ、「一旦、発券されたチケットは、払い戻しできない」という回答が・・・

えっ、じゃあ、俺の買ったチケット、全部無駄になっちゃうの?

割引チケットとはいえ、9人分の入場券は、それなりの金額になります。

しかも私は、妻のママ友家族への好意で、コンビニ行って、代理で買ってきてあげて、自分のクレジットカードで決済したわけです。そのお金が、日時間違えただけでまるまる無駄になるんじゃあ、到底、納得できない。

コンビニ店内で、私は食い下がりました。

・日時間違えるなんて、人間、誰だってやっちゃうことじゃないですか?

・それを、発券したが最後、払い戻しも、日時変更もできないようなシステムを、コンビニで置くべきじゃないでしょう?

・全額払い戻されるまで、私はこの場を離れませんから、何とかしてください!

コンビニの店長さんは、私の言い分を完璧に理解してくれて、誠意をもって、動いてくれました。

コンビニの本部に連絡して、チケット会社に連絡して、ウェブサイトでも調べて・・・でも、そもそも「客の間違いによる払い戻し」というプロセスが整備されていないのと、時間も深夜近くで担当者がつかまらなかったので、私は諦めて、明日出直すことにしました。

私思うに、このシステム・プロセスをつくった人は、頭悪すぎる!

私もシステム屋稼業が長いので、人々が、どのようにシステムを使うか、どのようなケースを想定して、どのような処理を考えるか・・・いろんな経験をしてきましたが、

人間なら、誰もが犯す間違い(ヒューマン・エラー)に対して、変更・取消の仕組みを準備しないシステムは、ハッキリ言って「カス」!

というのが、我々の業界では常識ですし、そんなシロモノを、エンドユーザーに使わせるなんて普通ありえない。

特にイベントチケットは、思い切りオカネが絡みますから、間違いなく、クレームの嵐になって、現場が苦しみます。お客も逃げます。

少なくとも、「お客が間違えて、取消を希望する」際の処理は必要。キャンセル機能を設けるのが普通の考えと思いますが、会社のポリシー上、どうしてもキャンセルさせたくなければ、せめてホットラインで、コンビニがチケット会社に迅速な判断を仰ぐ仕組みは必要だし、

また、操作画面で、「一旦、発券したら、いかなる事由であれ、キャンセルはできません」と、大きく目立つ文字で表示するような工夫も必要だと思います。

世の中の仕組みが、どんどん複雑になって、自分の一存ではいかないことだらけになると、人々はフラストレーションがたまります。

そんななかで、今回のように「人間が、間違わないことを前提に組み立てられたシステム」に出くわすと、イライラも頂点に達してしまいます。

なぜなら、「誰でも、間違いを犯す」という、人間の自然なあり方に反するものだからです。

システム設計者は、「人間らしさを肯定し」、「人間が肩肘はらずに、自然に付き合える」仕組みをつくるべきだと思います。

最後に、チケット発券トラブルの件は、後日談がありまして・・・

翌朝、私がそのコンビニに行ったら、店長が申し訳なさそうに、「我々の手に負えませんでした。お客様がチケット会社やイベント主催者に直接交渉してください」と言って、1000円のクオカードをくれました。

「じゃ、俺が穏やかに話しつけてくるよ!」(心中、もちろん穏やかではない)と言って、例のチケット持って、3家族揃ってレゴランドの受付行って、何も言わずにしらばっくれたら・・・

「受付のお姉さんが、日付間違いに気づかず、9名とも、そのまま入場させてくれた!」

私は結局、クオカード1000円分儲かっただけでした・・・一件落着、めでたしめでたし。

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PTAにみる日本式意思決定

おはようございます。Manachanです。

最近の私は、平日の昼間、地域で過ごす時間が多少長くなったので、娘の通う小学校や、息子の通う幼稚園の保護者会、授業参観などのイベントに参加する頻度が、以前より増えました。

そういう体験を通じて、日本の学校教育のあり方について、私なりに感じることも、いろいろあります。良くも悪くも、「やっぱり、ここは日本だなあ」って思います。

なかでも、「日本人らしさを凝縮した組織」が、PTAだと思います。運営のあり方、意思決定の方法が、極めて日本人的で、私の見聞した限り、他国に例をみないものだからです。

いま、娘の通う小学校のPTAは、難しい運営を迫られています。

PTAはもともと、専業主婦の母親によって、長年、運営されてきましたが、最近は外で働く母親が過半数になり、時間のとられるPTAの役職につきたがらない人が増えました。

その結果、「本部役員」、「広報部」、「卒業対策部」など役職のなり手がいなくなり、クラスによっては「くじ引き」で役員を決める事態に・・・

娘(2年絵師)のクラスの役職決めも、立候補が一人も出ず、結局、「くじ引き」になりました。その保護者会に、妻も私も出たのですが、

妻:もし私になったらどうしよう?日本語できないのに・・・

私自身、普段、学校行事にそんなに深く関わっているわけではないので、どの役職がどんな仕事をやるのか、ピンとこないので、立候補しようにも、判断のしようがない。

でも、仕事の内容わからなくても、「皆がやりたくない仕事なんだな」ということは、よーく分かりました。

妻の育った英語圏(オーストラリア)では、PTAの仕事は、ボランティア。つまり、立候補した者がやるのが原則。その業務内容も、ある程度、自由度が効くそうです。

もし、誰も立候補しない事態になれば、PTA業務の内容を見直して、やりやすいかたちにするか、或いはお金を払って、業者に外部委託すればいい。「くじ引きで役員を決める」など、まず考えられない・・・とのこと。

私も、英語圏式の方が納得しやすいですね。PTAの業務内容が時代にそぐわなくなって、誰もやりたがらなくなったら、「誰にやらせるか?」を考えるよりも、業務内容を見直すとか、役員手当てを出すとか、業者へ外部委託などの選択肢を考えた方が良いのではないかと思う。

ま、お金で解決する以前に、PTA業務をゼロベースで見直せば、おそらく、大部分は減らせるような気がします。

だいいち、娘が学校から持ち帰ってくる配布物の数が、半端ないですもんね。毎日、平均2枚は紙がくる。私は、妻に「日本語読んで!」と頼まれるので、ほとんど、目を通していますが、

あれを手書き&印刷じゃなくて、テンプレつくって、メール配信にすれば手間は大分減ると思うし、また、連絡内容も、必要なものだけに絞ればいいのではないかと思う。もっとも、印刷物の大部分はPTAではなく、職員の方々がつくっているのだとは思いますが・・・

あと、日本人は真面目なので、くじ引きで、不本意ながらPTA役員になっても、何だかんだ言って、やり遂げてしまう・・・だからこそ、PTAが機能しているのだと思いますし、逆にいえば、昔のままの仕
組みが、ずっと温存されるのでしょう。

もし私みたいな奴が、くじ引きで役員になったら、厄介ですからね・・・「なぜ、これやらなきゃならないんですか?」、「本当に必要あるんですか?」、「次の予定があるので、30分で切り上げます」・・・たぶん、嫌われるんだろうな。でも、結果的に業務改善のきっかけにはなると思う。

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お金よりも、大事なこと

こんにちは、Manachanです。

東日本大震災、2周年が過ぎていきました。3月11日、午後2時46分。しばしの黙祷とともに、人の「命」や、人々を真心で結びつける「絆」に、思いを馳せた方も多かったことでしょう。

言うまでもなく、「絆」は、お金では買えないものです。誰かを助けよう、役に立とう、人生にコミットしようという、常日頃の努力によって、ようやく、手にすることができるものですね。

ところで、私たちがこの世で、安心して生きていくためには、「セーフティネット」(安全網)が必要です。それには大きく分けて2種類あって、

1)年金制度や失業保険制度のように、お金(交換価値)をもとに設計された、公的な制度
2)家族や親戚、地域社会、友人同士の「絆」によって、人々が自発的に助け合う関係

前者と後者、いずれも、近代社会には欠かせないものだと思いますが、両者には、本質的な違いがあります。

1)公的な制度としてのセーフティネットは、不特定多数を結び付けられる。例えば、雇用保険の掛け金を払う人と、失業して手当をもらう人との間に、直接的な人間関係はない。

2)一方、絆によるセーフティネットは、通常、助ける人と助けられる人の間に、直接的な人間関係がある。しかも、好ましい感情とリンクする「恩義」「同情」「人徳」「人望」などの成分が必要になる。

自分という人間が、どれだけ、人々の「絆」に恵まれているか?それには、次のケースを想定すれば良いでしょう。

もし自分が、次の瞬間、まるっきり素寒貧・無一文になったとしたら、一体誰が、助けの手を差し伸べてくれるのか?

それを、自分の身体を張って、実証してくれたのが、来週、私と柏でセミナー講演するパートナーである、三歩目こと山崎初一さんです。まずは、3月7日の日記をご覧ください。

人生の中でも、かなりのピンチに陥ってます

滞在先のバンコクで、現金、カード、通信手段・・・すべて盗られて、(Cashの意味では)ほぼ無一文になった彼は、態勢を立て直すべく、3月12日から来日を決意。日本滞在中の、「お金のかからないセミナーや飲み会」の開催を、ブログを通じて、呼びかけました。

すると、バンコクから5000km離れた、日本の各地から、支援の手が差し伸べられました。私も、Facebookを通じて、「柏でセミナー一緒にやりませんか?」と声をかけ、トントン拍子に話が進みました。

その結果が、これ。

3/12(火) 夜 東京
3/13(水) 昼 東京

3/15(金) 夜 金沢 通貨のお話
3/16(土) 終日 金沢 不動産投資の始め方(Vol3-Vol5)
3/17(日) 終日 金沢 不動産投資の始め方(Vol6-Vol8)

3/19(火) 夜 豊橋 本に沿ってダイジェスト
3/21(木) 夜 柏 通貨のお話
3/22(金) 夜 東京 本に沿ってダイジェスト

山崎さんはタイを一歩も出ることなく、そして、ほとんどお金を使わずに、これだけの予定が埋まってしまったのです・・・「金品は失いましたが、それには変えられないものを、いただいたと、思っておりますと、彼は述懐しています。

彼の場合、普段から、仲間との厚い友情、「絆」を育んでいたので、それができた。少し難しい言葉を使えば、「評価資産」を豊富に持っていたからこそ、できた芸当なのだと思います。

「評価資産」・・・耳慣れない言葉ですが、平たくいえば、人々との「絆」を育む、良き評判、名声、人望、人徳、といったことを指します。

「評価資産」は、ITやマーケティングを上手に使えば、セミナーやメルマガというかたちで、金銭に換えることもできますし、

また、本来ならオカネのかかるサービスを、「誰かからの助力」というかたちで、オカネを使わずに、受けることもできます。

しかも面白いことに、オカネを通じて、ビジネスライクにサービスをやり取りするよりも、「好意」というかたちでやり取りした方が、概して、満足感・充実感が高いのですね。特に「与えた側」の満足感が高い。

そして、与える喜び(Joy of giving)を知った者は、さらに多くを与えようとするし、また与えられるべく、人々に良くしようと思うわけです。

貨幣経済が発達する前から、好意を通じたサービスのやり取りは、人々の間で、行われてきました。日本では今でも、お裾分けとか、お見舞い、お礼返しみたいな風習が残っています。特に農山漁村では、オカネを通じないやりとりの占める比重は高いと思います。

フィリピンやラオスなど、南方の「ゆる~い」文化の国に行くと、50過ぎた男が、ろくな職もなく、オカネも甲斐性もなく、周りの人々(特に働き者の女性)に助けられながら、なんとな~く生きている・・・そんな情景をよく見ます。

しかし彼ら、全然不幸そうには見えず、結構楽しく、しぶとく、天寿を全うしたりするのです。グータラでいい加減な奴だけど、なぜか憎めないキャラクターで、困ったら助けてやろう、という気になったりします。

よく考えたら、日本でも昔は、そういう人間が、たくさんいたはずです。今ふうにいうと、オカネはなくても、評価資産を豊富に積んでるから、生きていけるのですね。

海外不動産の活動をやっていると、「日本の将来が不安だから、海外に出たい」という声をよく聞きます。

彼らの意見をよく聞くと、「年金制度」や「雇用」など、オカネを媒体に設計された、フォーマルな制度が、近い将来、音を立てて崩れていくだろう・・・そこに不安を覚えているようです。

もちろん分かるけど、でも、私は思うのです。

オカネがなければ、生きていけないの?

いざという時、評価資産があれば、何とかなるんじゃないの?

かくいう私自身も、なぜ、海外投資サークル「アジア太平洋大家の会」をやってきたのか?もちろん、「オカネに賢くなりたい」という意図もありますが、それ以上に、「自分の評価資産を豊かにしたい」という、気持ちの方が強いです。

自分の得意分野である、海外、不動産という切り口を通じて、人々のお役に立つことによって、「良き人間関係」、「絆」を育んでいくことができれば、

将来、私が全てを
失って無一文になっても、世界のどこかで、人々が助けの手を差し伸べてくれると思うのです。リッチじゃなくても、楽しく生きていけると思うのです。

一見、お金儲けの活動に見えて、実は、人々の絆を育んでいる。オカネに換えられない、自らの人徳や人望を磨き、それぞれが得意分野を生かして、助け合う、与え合う・・・そんな投資コミュニティを作っていきたいし、

「洗練された投資家」だけでなく、「オカネ抜きで、喜んで、誰かを助けられる人間」を、日本に量産していきたいと思います。

今は、世界的にはまだまだ、グローバルマネー全盛の時代。若い人口、消費の伸び、高い成長率を競う経済ゲームの中で、賢く生きる術を学ぶことは大事ですが、

今後、世界経済が成熟して、少子高齢化が進むと、経済の伸びしろも乏しくなり、マネーの力が失われるでしょう。その時、評価資産というものが、脚光を浴びてくると思います。

私は、そして山崎さんも、マネーの時代の次を見据えて、今から、評価資産づくりに励んでいるのですね。

今の時代を、どう生きるべきか?その話を聞きたければ、3月21日(木)の夜、柏セミナーで、会いましょう。

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『アベノミクス時代の海外資産づくりセミナー in 柏』

【日時】2013年3月21日(木) 18:00~21:00
【会場】ブレインズ(BRAINZ)102会議室
千葉県柏市柏4-7-3 メゾン・ドゥ・シェーネ (柏駅東口 徒歩3分)
柏駅から会場までの行き方→地図

【セミナー概要】
 18:00~19;15 三歩目セミナー「通貨のお話」
 19;30~20:45 Manachanセミナー「海外不動産入門~地球の買い方」

【参加費用】
 2000円
(但し、上記の書籍を、会場にお持ちいただいた方と、会場でお買い求めになった方は、特別割引 1500円)

【セミナー申し込み】こちらから、ご登録ください。

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PM2.5報道に望むこと

おはようございます。Manachanです。

ついこないだ、2013年の新年が明けたと思ったら、もう3月なんですね。

もうすぐ、あの「3・11東日本大震災」の2周年がやってきます。

関東住みの私としては、「3・11」は、我が一生でトップ10に入る位、大きな出来事でした。

東北~関東にかけての太平洋岸に住む人たちにとっては、震災・津波の生々しい傷痕ととともに、一生、忘れ得ない記憶でしょうし、

首都圏など、震災の直接被害を余り受けなかった地域の人にとっては、福島原発事故&放射能騒ぎの印象が、たぶん強いでしょうね。

福島県を中心に、東日本全域を覆った放射能騒ぎは、すでに下火になっていますが、あれは、現代日本社会の、みっともない面が出た出来事として、私は一生、忘れないでおこうと思います。

もちろん、事の発端は、震災が直接の引き金を引いた「原発事故」と「放射能漏れ」でした。

あの出来事で、政府・経産省・電力業界の政官財複合体が長年維持してきた「原発安全神話」が瓦解し、原子力科学者に対する、世間の信頼が一気に失墜した。その空白を縫うように、

・放射能騒ぎに便乗して、名を売ろうとする自称・学者 (曲学阿世の徒)
・放射能騒ぎに便乗して、部数を伸ばそうとする商業主義マスコミ (マスゴミ)
・放射能騒ぎに便乗して、勢力を伸ばそうとする左翼系政治勢力や環境系国際組織

みたいな連中が、新聞、週刊誌、Twitterなどネットメディアを使って、意図的に危機・不安を煽る。デマを拡散する。そういう言論は、

・安全と健康はタダで手に入ると思い込んでいる現代人
・過度な健康至上主義、リスクゼロ志向を持つ、子育て中の親たち。

と非常に相性が良く、非科学的、情緒的な「放射能コワイコワイ言説」が、「政府・東電許せん」の気分とともに、一気に広まり、

その結果、福島県を中心とする、東日本の各地が「放射能汚染地」として名指しされ、甚大な風評被害を受けた。

私の生まれ故郷、千葉県東葛地域だって、週刊誌やネットで散々disられて(悪く書かれて)、私は、ものすごく無念で悔しい思いをしてきたのです。

【私は一生忘れない!薄汚い、放射能便乗商売と】

Manachanブログ - 世界で不動産を買おう!

【あることないこと、散々煽った商業マスコミと】

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【自称・ジャーナリストの醜態を・・・】

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「3・11」以降、福島の農業・食品流通関係者たちは、大変な努力をして、残留放射能を測り、公表し、下げる努力を続けてきた。実際、あれだけの大規模原子力災害が起こった割には、内部被曝レベルは、原発至近エリアの人でさえ非常に低く、健康影響が出るようなレベルではない(放射線と発がん、日本が知るべき国連の結論)。

しかし残念ながら、客観的数値や科学的知見はともかく、世の中に薄く広がった「何となく、危ないイメージ」がまだ払拭されない以上、福島県の農漁業が、震災前の水準に戻ることはないでしょう。

その意味で、危機を過大に煽って、特定地域の経済や社会的評価を滅茶苦茶に毀損した人々の罪は重大。日本社会が彼らに適切な「社会的責任」を取らせるまで、私はブロガーとして、情報発信を続けていきます。


ところで、いま世間の関心は、放射能よりも「中国発・越境汚染」といえる「PM2.5」に移りつつあるわけですが、

言論の構図としては、放射能騒ぎとソックリですね。

・危機を煽って、部数を伸ばしたいマスコミの商業主義
・中国・韓国に対する国民的反感を煽りたい政治勢力
・健康至上主義で、極端にリスクを恐れる現代人
・「PM2.5ショック」を商売に結びつけたい、各種メーカーや販売代理店

その4つが結びついて、2011年の放射能騒ぎとソックリな「危険煽り」と、「中国忌避」の論調・・・

違いがあるとすれば、原発事故の時は主に「左派」が騒いだけど、今度は中国・韓国が絡むので「右派」の方が騒ぐ。

そして、PM2.5自体は、過去の日本がすでに経験し、克服してきたものなので、「売名目的の自称・学者」がしゃしゃり出る余地が少ないこと・・・くらいかな。

【いつか来た道・・・】

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私は、新興国の大気汚染地で暮らした経験も長いので、いま日本に住む人が、中国・華北各都市のせいぜい10~20%程度に過ぎない、PM2.5の健康被害を危惧する潔癖感覚が、正直、理解できないし、

仮に気になったとしても、リスクとなる物質が「大気中の微小粒子」である以上、対策は限定される。セシウムやヨウ素と違って、室内退避しても意味ないし、ガイガー持って近所でホットスポット探す意味もない。

せいぜい、高機能マスク買うか、空気清浄機つけるか、汚染度の少ない日に外出する・・・位の対策しか取りようがない。

私は、そんなこと気に病むつもりはないし、ましてや、中国や韓国、西日本の一部地域が、汚染地としてdisられるのを見たくはない。

それより、誰が何の目的で、危険を煽
るのか?
・・・それを見極めて、情報発信することに注力したい。

最後に、放射能やPM2.5といった環境問題は、科学者・専門家有志による、信頼のおけるタイムリーなリスク情報発信が不可欠だと思います。

たとえばの話・・・”risk.co.jp“というURLは、まだ誰も使ってないようだから、「環境汚染物質の健康リスク評価」に一家言持っている、各領域の科学者・専門家が参集して、サイトを立ち上げ、有名にする。

今回みたいな環境汚染騒ぎがあった時は、日本中の人が、risk.co.jpを見て、科学的知見に基づく専門家の意見を聞きながら、自分の見識を深め、判断材料にしていくのが望ましい。

そして、takedanet.comみたいな、胡散臭い自称・科学者のサイトなど、誰にも見向きもされなくなった時・・・日本人の科学。環境リテラシーが、相当高くなったといえるでしょうね。

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いじめ今昔物語

こんばんは、Manachanです。今回は、不動産とは直接関係ない話題でいきますね。

いま、娘ソフィアが通う、都内の小学校では、「いじめ」が全校的な話題になっています。
数ヶ月前まで通っていた、オーストラリア・ケアンズの小学校でも、「いじめ」は深刻な問題でした。

洋の東西を問わず、学齢期の子供たちや親は、「いじめ」と対峙していかなくてはならないようです。

【どの国にも、いじめはある・・・】

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私自身も、小学校高学年から中学、高校にかけて、ずっと「いじめられっ子」でした(先週のセミナー講演で話しましたね・・・)。

また、いま日本で暮らす上で、妻が外国人であることから、うちの子供が他の児童から奇異の目で見られ、いじめに遭うリスクも、ある程度は感じています。

良くも悪くも、「いじめ」に対する世間の反応や、学校の対処法は、私の子供時代と今とでは、大きく変わってきたと思います。一言でいえば、

・昔は、いじめられた方が、悪いとされた
・今は、いじめる方が圧倒的に悪い

私なんか、損な役回りだよね。自分が学校でいじめられてた時代は、マッチョな価値観が支配していた頃で、周りの大人たちは、いじめられる子供の辛さなんて、誰も理解しようとしなかったのです。

「いじめられるなんて、恥ずかしい」
「男なら、やられたらやり返せ!」
「お前が口下手だから、仲間の輪に入れないんだ」

万事が、そんな感じでしたよ。

やられたら、やり返せったってねえ・・・一対一ならともかく、大勢が寄ってたかって、私を攻撃してくるのを、どうやって撃退しろというの?

チクったら(=告げ口したら)、先生の見てないところで、激しい報復が待っているしねえ。幸い、身体が頑丈だったから、怪我しなかったけど。

それにさ、勇気を出して、先生に言ったところで、助けてくれなかったんだから・・・一体どうすればいいんだろ?

高校2年生の時、クラスで集団無視のいじめに遭った時、思い余って、担当教官に助けを求めたことがありました。あの時、こんなことを言われました。

「いまの子供たちは、私が言ったからって、聞いてくれる子じゃないからねえ・・・」
「クラス替わったところで、皆と仲良くなれるとは限らないよ」

結局、その先生は、クラス替えもしてくれなかったし、私を集団無視のいじめから救うような行動を、何ひとつ、してくれなかったのです。

こんな体質じゃあ・・・日本のどこかで、いじめを苦にした自殺者が出るのは当然だよ。で、案の定、自殺者が出て、マスコミと世論が騒いで、徐々に、「いじめる方が悪い」という価値観になってきたわけでしょう?

「いじめられっ子」の観点から言うと、それだけ、世の中がいじめに敏感になり、進歩したのだと思います。

つい先日も、娘が学校で、上級生の男の子に、「あんたのお母さん外国人だの、バカだの」・・・人聞きの悪いことを言われたようです。

後日、その事実が判明し、私はすぐさま学校に行き、担任の先生に伝えました。そしたら、

「その男の子の名前、分かりますか?私が必ず、指導します!」

と、頼もしいことを言ってくれました。私の学校時代とは、えらい違いだ!!

今は混迷の世の中ゆえ、「昔は良かった」、「昔の先生の方が威厳があった、偉かった」みたいな、懐古の声も根強いですが、

私は、昔の先生の方が偉かったなんて、これっぽっちも思いません。自分の狭い実体験の話ですが、「いじめられて登校拒否になる子を、見て見ぬふりをする」、「臭いものには蓋をする」ような昔の教師よりは、「いまの教師」の方がずっと立派で、まともだと感じます。

繰り返しになりますが、それだけ、世の中が進化して、いじめを許さない価値観になってきたのでしょう。

ただ、もう少し一歩踏み込んでみると、いまの先生って、大変だなあ・・・と思うことしきり。

日本が豊かで快適になって、「安全・安心が当たり前」という価値観が広まった故に、些細な問題も許容できず、大騒ぎする親が増えたと感じます。彼らが「モンスターペアレンツ」と呼ばれるわけですが・・・

ま、今は世の中全体が、そうですよね。特に医療従事者なんか、本当に大変。献身的な努力で、100人の生命を救っても、たった1人の医療過誤で訴えられる、マスコミに騒がれて、社会的に抹殺される・・・なんてことも起こる。

世の中が完璧を求め、潔癖になればなるほど、現場のストレスは増える。少しでも問題が起こると、再発防止措置を求める声が起こり、現場の作業はさらに増える。ま、全く意味のないことじゃないと思うけど、一部の声の大きい人を納得させるために、現場が要らぬ作業をさせられることもしばしば。

学校教育の現場じゃなくても、今の日本って、多かれ少なかれ、どこでもそうだよね・・・。

今日も一日、子供が無事に授業を終えて、家に帰ってくる・・・当たり前のことだけど、これは多くの先生方の努力・献身があって、初めて成り立つものです。それに対する感謝を、忘れないようにしたいと思います。

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