2017年 8月 の投稿一覧

東京30km圏~過疎化高齢化サバイバル戦線

こんばんはManachanです。今日は妻の実家で、広い庭のモップかけ作業…ちゃんと労働しております。

前回、「東京都心の人口フィーバー」について書きましたが、世の中、話には必ず裏があるものです。住民が増え、子供も増えて小学校の新設・増設に追われる都心周辺とは対照的に、30㎞以上離れた郊外住宅地では高齢化が進み、子供世代も都内に流出、人口減ってシャッター通り増えて、財政が苦しくなる…急速な「衰退・地方化」が進んでいます。

この種の話題で有名なのは「多摩ニュータウン」ですが、首都圏郊外には、そんなの目じゃない位、強烈に衰退している地域が相当数あります。今回は、「高齢化・衰退と戦う東京郊外」の課題と将来展望について書いてみます。今回取り上げるのは、私の生まれ故郷である、

 

・千葉県柏市と我孫子市

 

です。お互い隣接した両市、東京駅からの直線距離でいうと、柏駅が28~29㎞、我孫子駅が31~32㎞に位置し、その中間あたりを「都心30㎞ライン」が通っています。この地域では奇しくも、「国道16号線(東京環状)」が30㎞ラインとほぼ重なります。この16号線、私の目には、「東京圏と地方圏を分ける結界」のようにも見えます。

 

お互い、都心30㎞圏都市である柏市と我孫子市ですが、将来の人口推計では大差がついています。都心30~50㎞圏都市を対象とする「2010⇒30年人口増減率ランキング」で、柏市は人口増加率ベスト6位であるのに対し、我孫子市はワースト9位。2030年時点でも20年前の人口規模をキープする柏市に対し、我孫子市は13%も人口を失うと推計されています。

我孫子市の将来人口減少は、「厳しい高齢化、少子化(若年層流出)」と直結しています。2030年時点の年齢別人口推計によれば、我孫子市は「少子化比率」、「生産年齢人口比率」、「高齢化比率」の全てでワースト10にランクインしています。都心からみて我孫子より一つ遠い「茨城県取手市」も同じ傾向を示しています。

 

都心距離の面で大差ない両市がなぜ、人口面で差がつくのか、理由は二つあります。

 

・柏市が地域中心地として大きな都市・商業機能を持っているが、我孫子市にはその要素がない。

・柏市北部には新線「つくばエクスプレス」が開通し、ベッドタウンとしての発展が見込めるが、その材料が我孫子市にはない。

 

でもよく考えれば、バブル崩壊前の右肩上がりの時代までは、程度の差こそあれ柏市も我孫子市も発展軌道に乗れていたのです。でも今は低成長と都心回帰の時代、都心距離30㎞も離れた世界では「商業機能や通勤新線の有無」によって、残酷にまでに明暗が分かれてしまうのです。

 

ですが、もっと詳しくみれば、柏市内でも我孫子市と同様、高齢化と若年層流出に悩む地域がたくさんあります。というか、市域の大部分が、すでにそうなっています。

柏市内には、10の駅があります。都心直結している「JR常磐線」上のターミナル駅が「柏」、その両隣が「南柏」と「北柏」。市域北部にも都心直結の「つくばエクスプレス」が通り、「柏の葉キャンパス」、「柏たなか」の2駅あります。これらの駅から、東京駅・大手町まで、乗車時間30~45分で到達できるので、都内通勤圏として十分成立します。

あと、柏駅と交差する「東武野田線」上には、「豊四季」「新柏」「増尾」「逆井」「高柳」の5駅があります。都心直結ではないため多少アクセスは劣りますが、その分地価も安いので、広めの土地付き住宅を求める層に支持され、東京通勤可能圏として成立しています。

 

上記の駅周辺を歩くと、「柏駅の徒歩15~20分圏内」と、「その他の駅徒歩10~12分圏内」には、新築・築浅住宅が多数建っています。つまり、都心通勤が可能なので、この地に育った子供たちも住むし、適度な流入人口もある…住宅地として世代交代ができているわけです。

ですが、駅徒歩圏を離れてバス便エリアになると、途端に「モロ高齢化」した住宅地になってしまうのが柏市の特徴。高度成長期に建ったと思われる築40年超の戸建住宅が建て替えられず、かといって新築戸建もあまり建たず、相続税対策の変な木造賃貸アパートばかりが増える、平日の日中に行くと高齢者ばかり、子供いない…という世界。地域社会として、すでに「サバイバルモード」に突入している感があります。

駅徒歩圏の「世代交代可能な住宅地」と、それ以遠の「過疎・高齢化危惧サバイバル住宅地」を、面積、人口密度を入れてざっと推計してみると、こんな結果になりました。

 

柏市の人口 42.0万人

うち世代交代可能住宅地 15.4万人(36.7%)

それ以外  26.6万人(63.3%)

 

つまり、柏市民のうち、世代交代可能な住宅地に住んでいるのはわずか37%。それ以外はバス便地域の旧い住宅地か、工場、農地、森林が延々と広がる世界であり、都心回帰の圧力にシビアにさらされて過疎化・高齢化が危惧されるという意味では、我孫子市や取手市と基本的に同じ状況と思われます。

柏市内に、東京に通える駅が「10」あるというのは、千葉県北西部の都市としては平均的で、「37の駅がある船橋市」や「20の駅がある松戸市」に比べると明らかに不利といえます。今は通勤新線がつくれる時代でもないので、既存の路線を上手に利用して「駅を増やす」、というチャレンジはやる価値があると思います。

幸い、柏市内の東武野田線にはポテンシャルがあります。

 

・柏―新柏間が3.1km離れているので、中間点に「常盤台」新駅をつくる。

・柏―豊四季間が3.0㎞離れているので、中間点に「旭町」新駅をつくる

現在、「柏市常盤台」地区は、最寄りの柏駅から徒歩20分以上離れているので通勤利便性が劣り、旧い住宅地が世代交代していきません。高齢化も市内トップクラスに進んでいます。でも、東武野田線上に新駅をつくれば、話が全く違ってきます。「柏駅から1駅2分」で結ばれ、都内へラクラク通勤できますので、市内でもかなり好条件の新興住宅地に生まれ変わるはず。宅地がどんどん取引され、若い世代が戸建住宅やマンションに住むようになるでしょう。同じことが「旭町」新駅についてもいえます。

しかも、「常盤台」、「旭町」新駅は、駅勢圏が既存のどの駅とも重ならないため、この2駅の徒歩圏が、まるまる「東京通勤可能な住宅地」として新たな人口を呼び込みます。計算すると、世代交代可能住宅地の人口が2万1千人増えることになります。そこから得られる長期的な住民税や固定資産税、商業発展による地方事業税を考えると、ある程度の市費を投じても実現すべきプロジェクトのような気がします。柏市の人口をさらに持続可能にするためにも大いに意味がある。

よく考えると、首都圏の各地で、新駅つくればいいのに…と思う場所はたくさんありますね。例えば、東海道線の「大船~藤沢」間は5㎞近く離れているので、中間地点の「村岡」あたりに新駅をつくればいいのに。数万の人口が張り付き、東戸塚みたいな街に成長できる可能性も見えるので、現状が実にもったいないと感じます。

 

次に、「我孫子市」の将来をどうするか?…柏市とはまた違ったアプローチがありうると思います。

 

・郊外都市として他市との人口争奪戦に勝ちにいくか?

・あるいは、都市の縮小を前向きに受け入れた上で、次世代型の価値を追求していくか?

 

私は、我孫子には後者の目が十分残っていると思います。風光明媚な手賀沼を擁し、大正時代、白樺派の文人墨客が集まって数々の名作を生みだし、「北の鎌倉」とまで称された地なのですから…それにここは、「東京メトロ一本で行ける、心癒される緑の田園地帯」でもあるのですから。

我孫子市内、JR天王台駅から、利根川に向かって歩いていくと、「青山」や「南青山」といった、東京港区のおしゃれな地名になります。でも「我孫子市の青山」には、ブランドショップやエステサロンはなく、その代わり緑豊かな田園地帯が果てしなく広がります。西は柏市、野田市まで、東は印西市を経て成田近くまで続く、地平線さえ見える広い田園です。

この癒されるロケーション・眺望そのものが、21世紀型のブランド価値を持つと思います。欧米には、都市近郊の田舎が注目されて、観光地やブランド住宅地として賑わう場所がたくさんあります。

 

この広い場所で、バリのエステとかタイの王室マッサージとか、おしゃれな喫茶店とかエスニック雑貨屋とか、ワイナリーみたいなものがあれば楽しいし、これがインバウンド観光と結びつくとさらに大きな可能性を感じます。もし私が我孫子プロモーションの責任者だったなら、ハコモノなんて一切つくらない。その代わり、我孫子の良さを新鮮な視点で紹介できる、ユーチューバーを世界中から集めますね

福岡市で活躍しているミカエラさんみたいな、影響力あるユーチューバーに声かけて、我孫子に来てもらって、縁があれば住んでもらって、世界のいろんな言葉で我孫子を、それぞれの切り口でプロモーションする。「我孫子って何だか面白そうだぞ」と思う人間が世界中から集まり、彼らが我孫子でいろんな商売を始めるのをサポートする、長い時間をかけて、コミュニティをつくっていく…高度成長期から続く都市間競争には負けても、その代わり、21世紀的価値観のなかで、新たな勝ち組を目指す。

我孫子って、地元の小学生が様々な種類の稲を使って「田んぼアート」をつくってしまう…そんなセンスの良さを持っている街。しかも東京から至近距離にあるので、今後、意外なかたちで注目されるかもしれません。

 

子供の頃から、柏・我孫子の各地を、自転車で走り回った私が思うこと…

 

・柏は、首都圏内のメジャーリーグ都市として生き残る競争に乗り出すだろう。

・我孫子は、柏とは全く違ったかたちでの将来像を模索するだろう。

 

東京都心が栄える一方、30km以上離れた郊外では、高齢化・過疎化リスクに直面しています。今後、自分の地域をどうしていきたいのか、各市の模索は続きます。

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日本最後の人口フィーバー地帯=東京都心

こんにちはManachanです。今日もケアンズは良い天気。普段、長旅の疲れが溜まってるのか、ケアンズでは1日10時間くらい寝てます♪

最近オーストラリアねたが続いたので、久々の日本ねたで行きます。舞台は「首都・東京」。

 

私と家族は、東京の大手町駅からメトロ東西線で4駅目「木場」、5駅目「東陽町」の中間くらいに住んでいます。住所は江東区、都心からの直線距離は4kmちょっと、自転車でも行ける近さ。

木場・東陽町一帯は、ここ15~20年くらいで、見違えるほど住みやすくなりました。20年ほど前、私が東京農工大の工学部に居た時、東陽町駅近くの町工場で実験装置の金型をつくってもらってたのですが、当時この一帯は小規模工場が多く雑多な雰囲気で、住みやすい感じはしませんでした。隣の木場は駅前からして工場だらけでしたし・・

 

しかし今や、木場・東陽町は都心近接ベッドタウンとして綺麗に整備されました。工場は中高層住宅とショッピングセンターに置き換わり、公園も多く教育・医療施設にも恵まれ、20坪の新築マンション6000万円近い値段しても住みたい人が続出。2DK40㎡マンションの月額家賃13~14万円しても都内で一番空室率が低いという、都内東側で有数の人気住宅エリアに様変わりしました。最近はインド人エリートITエンジニアも大勢住んでます。

南隣の「豊洲・東雲エリア」のタワマン開発ブームに牽引されるかたちで、江東区民の平均所得も、もともと都内23区で下位だったのが今や真ん中までランクアップ、世帯所得1000万円を超えるファミリーが「都心に近い」という理由でどんどん移り住む。豊洲のららぽーとなんて、二子玉に住んでたような優雅なマダムが悠然と闊歩し、30万円もする血統書付きペットがガンガン売れる…昔の江東区を知る者にとっては驚くことばかり。

区内人口もこの20年、激しく増加しています。20年前、36万人だったのが、今や51万人。年間8000人、年率1.6%という、アメリカやオーストラリア、インドを上回るハイペースで増え続けています。しかも、あと20年は増え続けるらしい…

 

江東区人口爆発の背景には、首都圏における「都心回帰」の流れのなかで、「都心3区」(千代田+中央+港)の人口が大きく増えたことが背景にあります。もともと「オフィスだらけで住みにくかった」のが、今は「都心が住みやすくなった」んですね。

特に中央区の動きが顕著で、2007年を100とした時の区人口が、10年後(2016年)には134.2に爆増。次いで千代田区124.6、港区121.5と、都心3区が人口増加率上位を独占。都心の東側に隣接する江東区も112.8と4位になるのも地理的必然ですね。

 

「港区」の人口推移をみると分かりやすいですが、東京都心部の人口は高度経済成長期からバブル崩壊後にかけてずっと減り続けました。特にバブル最盛期は「このままいくと限界集落になっちゃうの?」と思う位の激減ぶり。ボトムを打ったのが1996年頃で、その後はV字回復。20年ずっと増え続けています。千代田区、中央区も同じ傾向です。

世界最高水準の都市機能が揃う東京都心。「職住接近を好む高所得ファミリー」や「充実した交通と医療環境を求める富裕層シニア」の流入が止まりません。中央区、港区、江東区臨海部に続々と建設されるタワマン群が彼らの受け皿になっています。

 

東京都心周辺の人口は、この先、どこまで増え続けるのか…私は、まだ増加余地が大きいとみています。都市・住宅政策にも影響されますが、都市のキャパシティからみてあと50万人以上は軽く増えそうな気がします。

東京と似たレベルで都市機能や公共交通が揃う大都市は、世界的にみても数えるほどしかありませんが、類似事例として「ニューヨーク」と「香港」をとりあげて比較すると、「東京都心部の人口密度がまだ低い」ことが一目瞭然。

ニューヨーク・マンハッタン 面積59.13㎢、人口1,643,734、人口密度27,799人/㎢

東京都心4区        面積60.46㎢、人口806,482、人口密度13,559人/㎢

香港・九龍         面積47㎢、人口2,109,419、人口密度44,881人/㎢

 

東京の都心4区(千代田、中央、港、新宿)は、マンハッタンとほぼ同じ面積で人口が半分。香港・九龍と比較すると、人口密度が3分の1以下なのです。

都心業務機能、公共交通網、人口規模、インフラ、アメニティ…どの指標をとっても、東京はニューヨークや香港と何ら遜色ないWorld Class City同士であるにも関わらず、都心部の人口が半分以下という、不思議な現象が起こっています。裏を返せば「伸びしろが大きい」といえます。

マンハッタンや香港並みに、東京都心部の容積率を緩和すれば、高層オフィスビルや住居を計画的に開発する余地ができますし、豊洲~有明~お台場~芝浦の臨海部には広大な空き地も残っています。東京オリンピック前後で鉄道や道路インフラの整備も、都心~臨海を中心に進みますし、また東京は世界的にも治安が良い都市で、「利便性」重視の傾向も強いため、需要サイドでも都心選好になりやすい。

 

日経新聞の記事(2017/4/6)によると、都心3区の人口は2015年の44万人から2040年には63万人と、20万人弱増えると推計されていますが、不動産の現場に携わる私からみると、もっと増えると思います。20年後をざっくり予測すると、

・都心三区 20~30万人増
・江東区  10~15万人増
・準都心(新宿、渋谷、台東、品川等)15~20万人増

都心周辺だけで、合計40~65万人増…これだけ増えれば、東京都心部の人口密度が今のマンハッタンに近いレベルになり、都市の在り方としてもバランス良い状態になると思います。それだけ職住接近が進むわけですから。

「関東大震災が起こったらどうなるんだよ!」という方もいるでしょうが、それはまあ、時間が解決するでしょう。不動産的にいうと、「恐怖の記憶は2か月で薄れる、3年後には元に戻る」…2011年の震災で大きな被害の出た新浦安だって最近マンション建って人も移り住んでるし、もともと東京は流動人口が多い都市なのですから、結局は「都市機能の充実」が人を呼び込む要素になるでしょう。

東京都心周辺こそ、人口減少日本に残された、最後の、かつ一番力強い人口増加フロンティアなのだと思います。

 

最後に、私たち不動産投資家は、「日本の総人口が減るから、過剰供給だから、不動産価格が落ちる」みたいなマクロベットな考えを好みません。むしろ、「地面に張り付いて動かない」不動産を扱う分、物件周辺のミクロな人口動態、所得環境、需給バランスなどを重視します。

その視点でみた、東京都心周辺エリアは、これから人口が増える、所得水準もたぶん増えるという意味で、Growth Market的な楽しみがあります。今は値段高いのでなかなか手が出せませんが、もし安く買えたなら、「自宅として買って(住んで)、じっくり値上がりを待ち、マイホーム特例で免税で買い替える」タイプの投資も面白いと考えています。

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南半球チャイナタウン盛衰記

こんばんはManachanです。今日ケアンズは天気が良く、3時間ほどプールで泳いだので体調良いです。今回は、いま全世界で伸長著しい中華系コミュニティと、その象徴「チャイナタウン」の話題で書きますね。

オーストラリア、特に不動産やビジネスの世界では、いま中華系の躍進が目覚ましいです。また移民や旅行客の人数も大いに増え、「東アジア人といえば中国人」という時代が続いています。ゴールドコーストやシドニーの一部地域では、まだ日本人のプレゼンスも多少あるでしょうが、全体の印象としては完全に「中国の時代」ですね。

なにせ、日本人とは人数が断然違います。少なくとも10倍はいるんじゃないかな。オーストラリアの都市部では、商店、銀行、ITの職場、法律事務所…どこへ行っても中国人が大勢働いています。韓国人やベトナム人もまあまあ多く、彼らに比べて日本人は明らかに少ない印象。たとえ「中国人には極力売らない」デベロッパーの不動産を視察しても、モデルルームを見に来るアジア人の客は、ほぼ全員、中国語をしゃべっています。彼らは見に来るだけでなく、ガンガン買います。まじで凄いです彼らのマネーパワー。

不動産バイヤーとしてだけでなく、デベロッパー(開発業者)としての中華系の伸長も目覚ましい。たとえば、私が昔住んでいたシドニーの家のすぐ近所で、いま774戸という大型分譲マンション開発を手掛けるのは、中国・武漢を本拠とするFuxing Huiyu (福星恵誉)グループの子会社Starryland社です。日系も戸建住宅分譲などで頑張っている会社がありますが、中華系みたいに700戸以上の大型プロジェクトやるとさすがに目立ちますね(関連記事:英語中国語)。

ですが、中華系マネーやビジネスの勢力が伸びる一方で、伝統的な「チャイナタウン」は、オーストラリア各都市で寂れる傾向にあるのが興味深いです。その背景を、私の視点で書いてみますね。

 

ところで、ここオーストラリアで、私は日本人なのか中国人なのかよく分からない立場で暮らしています。私は日本生まれ日本育ちで両親とも日本人ですが、妻が台湾出身の華人系オーストラリア人で、彼女の家族を通じてオーストラリア社会と接触した時期が長かったからかもしれません。

今この瞬間もケアンズで、彼女の家族と一緒にいます。今回は子供連れてきているので日本語も使いますが、そうでなければこの家では中国語しか使いませんし、彼らから現地の友人を紹介されても、相手が華人なら中国語、それ以外なら英語を使うだけで、日本語の登場機会がほとんどありません。

 

私が妻と以前住んでいた、シドニー西部の街Parramatta(パラマタ)は、極めてコスモポリタンな街で、地域住民は欧米系白人、インド系、アラブ系、中華系の4大勢力が拮抗していました。この街で東アジアの顔してる人間の約9割が中華系と推定され、あとは韓国系が少々。日本人は見渡す限り居ない環境でした。

この街には中華系商店がいくつかあって、週に3回は買い出しに行ってましたが、「東アジア人=中国人」な街なので、私が入店しても、誰一人として中国人以外とは思ってくれません。店員の話す英語にクセがあって中国語で話した方がラクなので、結局、この店では日本語も英語も使わず何百回も買い物してました。

また、私が住んでいた家は全6戸の共同住宅(タウンハウス)で、オーナーの半分が東アジア系(我が家含めて)、残り半分がアラブ系でした。東アジア系は私を除き全員中国系。管理組合総会やると英語で議事進行したものを、中国語とアラビア語に訳してそれぞれのグループに伝えておしまい…自分の国籍を名乗らない限り、間違いなく中国人だと思われるシチュエーションでした。

 

そんな環境で暮らしていると、別に中国人だって日本人だって、どっちでもいいやあ・・という感覚になります。相手と親しくなれば、当然、自分の国籍を名乗りますし、それが良い会話の発端にもなるわけですが(日本人だと名乗れば、ある意味、アジア人のなかでブランド扱いされます。悪い結果にはなりません)。そこまで親しくない人に対しては、相手の得意な言葉に合わせて会話するだけだから、その結果、中国語使って中国人だと思われても全然構わない、という感覚。

シドニーには3万人からの日本人が暮らしており、私も日系コミュニティとある程度の付き合いがありました。ただ、彼らの主な居住地域と我が家は20㎞離れ、日常的なお付き合いするには遠すぎ、必然的に距離を置いた関係になりました。今考えると、当時の私は、

「交友関係」 中華系6:日系4
「話す頻度」 中国語9:日本語1

そんな環境にいた私。「チャイナタウン」を含む中華系社会の動向は、ある意味「内部の人間」としてよく知っています。

 

オーストラリアの、人口100万以上の大都市中心部には、必ず「チャイナタウン」があります。多分シドニーとメルボルンのチャイナタウンが一番大きくて立派、次いでブリスベン、パース、アデレードと、規模は小さくなりますが、どの街にもあの「赤い楼門」があって、道の両側に中華系めし屋が並んでいます。

ところで、オーストラリアのチャイナタウンは、不思議なことに、どこも衰退気味のようです。

 

・先月、メルボルンに行きましたが、以前、Lonsdale/Little Bourke Street界隈にあって結構栄えてたチャイナタウンの規模が小さくなっているのに驚きました。

・先週、ブリスベンに行きましたが、以前よく行ったFortitude Valleyの中華街が無残なほどに寂れて、行きつけの湖南料理屋もなくなり、空き店舗や日本料理店ばかりが目立つようになって驚きました。

・オセアニア最大級・シドニーのチャイナタウンはまだ勢いを保っているように見えますが、よく観察すると10数年前ほどの隆盛がなくなり、ところどころ歯抜けになっています。

 

これら、大都市のチャイナタウンがどこに行ったのかというと…郊外に移ったんですね。

 

・シドニーでは、都心から南に15㎞ほど離れたHurstvilleに中華街ができて、とても賑わっています。

・メルボルンでは、都心から南東に20㎞近く離れたClaytonのミニ中華街(?)が元気です。

・ブリスベンでは、都心から南東に10㎞ほど離れたSunnybankのショッピングセンター一帯が中華街のようになり、本家Fortitude Valleyをしのぐ賑わいを見せています。

 

背景として、オーストラリア在住の中華系住民のライフスタイルが多様化、現地化したことが考えられます。オーストラリアの都市にチャイナタウンができた19世紀~20世紀前半は、まだ黄色人種に対する偏見も強く、中国系が皆力を合わせて身を立てないといけない状況があったのでしょうが、今は知識労働者の領域に進出する中国系住民も多い。当然郊外マイホーム住まいの者も増えるので、渋滞や駐車場の問題がある市内中心部から、郊外でクルマの便の良いところにシフトしていったのでしょう。

また、市内中心部ほど、オフィスや高層住宅のニーズが高いですから、中華系の個店が高値で買い取られて中高層建物に置き換わる状況もあるのだと思います。

 

あと言うと、言葉の問題も大きいでしょうね。伝統的な市内中心部のチャイナタウンは、どこも香港系の店主が多く広東語が幅をきかせる世界ですが、いまオーストラリアにやって来る人は北京語(マンダリン)話者が圧倒的に多い。その関係で、シドニーHurstvilleやブリスベンSunnybankなど、いま発展中の郊外チャイナタウンは、どこも北京語優勢の世界になっています。

同じことが、日本の首都圏でも起こっています。横浜では日本最大のチャイナタウン(広東語優勢)が健在ですが、最近来日した北京語話者(ニューカマー)によってつくられた、東京の池袋北口や新大久保の方が、どんどん新しいお店ができて勢いが凄いだと感じます。

 

商店主から知識労働者へ、オールドカマーからニューカマーへ、広東語から北京語へ…中華系社会の大きな変化のなかで、チャイナタウンも変容している。それはオーストラリアでも日本でも変わらないのだと思います。

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オーストラリアで収入をつくろうー完結編(移住・就職)

こんばんは、Manachanです。ここケアンズは、きれいな満月の、静かな夜です。皆様いかがお過ごしでしょうか?

前回(後編)、「オーストラリア不動産市場に参入する方法」を詳しく書きました。現時点で、「40万豪ドル(約3500万円)が参入の最低ライン」というが私の偽らざる意見ですが、「敷居が高いなあ…」と溜息をついた方も少なくないでしょう。

大丈夫です。いま40万ドルなくても、お金をつくる方法はたくさんあります。読者のなかには、ご自身の事業や仮想通貨取引で、すでにお金をつくった方もおられることでしょう。

 

オーストラリアが大好きで、すぐにでも移住したい、という方々に、移民国オーストラリアはいつでも門戸を開いています。但し、必ずしも敷居が低いわけではありません。例えば投資永住権の場合は、年齢制限も英語力要件も滞在日数要件ありませんが、その代わり10億円以上の投資金額が求められたりして、本当に一握りの富裕層向けです。

それよりむしろ、技術移住(Skilled Migrant)の方が、多くの人により現実的だと思います。かくいう私も、永住権こそ妻(豪州籍)にスポンサーしてもらいましたが、実質的には技術移住した一人です。

 

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【わたくしの年表】

1997年(28歳) 日本で会社勤めしながら、オーストラリア移住を決意し、「移住3年計画」を立てる。「IT技術者」として移住するために、外資系企業に転職しシステムエンジニア稼業を始める。

1998年(29歳) オーストラリア永住権(仮ビザ)を取得。

2000年(31歳) 日本の職場で3年間経験を積んだ時点で退職。オーストラリア・シドニーに渡り、就職活動開始。

2000年5月  渡航後休む間もなく、現地系、日系の転職エージェントに履歴書を送りまくる。

2000年6月  エージェントとの面談を通じて、先方の企業との面接アポがぼちぼち入り始める。

2000年7月  企業との面接アポが日々入り、忙しい日々を送るが、11社連続で落とされる。8月初めに、日本に一時帰国するので、それまで結果が「スカ」だったら嫌だなあと不安に思う頃、12社目のチャレンジでIBMに拾ってもらい、無事内定を得る。

2000年8月  IBMで勤務開始。職種はLotus Notes Developer(ロータスノーツ開発者)、年俸は6万5千ドル。

2002年8月(33歳) シドニー郊外Parramattaにてローンを組んでマイホームを購入。

2004年11月(36歳) オーストラリアIBMで人員整理があり、将来に不安を感じていた頃、中国・大連のIBMでのITチームリーダー急募の話があり、応募。

2005年1月 中国IBMに内定を得る。

2005年2月 オーストラリアIBMを退職。シドニーのマイホームは賃貸に出し、中国に渡る。

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31~36歳まで、5年弱の期間でしたが、シドニーでの暮らしは本当に楽しく実り多いものでした。特に、「英語圏でプロフェッショナルな職に就けた」ことと、「不動産買って資産形成もできた」ことは、その後の人生に大きな自信になりました。

私の後に続いてオーストラリア移住したい、現地で就職して身を立てたいという方々に、私は協力を惜しみません。実際これまでも採算度外視でたくさん時間を使ってきました。なお、移住経験者の立場から言いたいことは、

 

1)移住希望者向けに、キャリアコンサルティングが、もっと必要だと思う。

オーストラリアの場合、ビザの申請代行や、ワーホリ向けのサービスはそれなりに多いですが、移住者がオーストラリアでどんな仕事について、どれ位の給料を得られるのか?みたいな情報は質量ともに少ないと感じます。例えばの話、

オーストラリアの職業別の給与水準を知るサイトPayscaleは、もっと知られて良いと思います。

http://www.payscale.com/research/AU

 

たとえば、私のようなIT職で移住する場合、

Software Engineer / Developer / Programmerだと、全国平均の年俸が69,967ドル(615万円)

 

より経験を積んで上級の技術職になると、平均91,455ドル(805万円)

 

管理職コースにいってProject Managerになると、平均104,948ドル(925万円)

 

オーストラリア渡航後、いくら給料が取れそうかが大体わかれば、居住地やライフスタイルもある程度類推がつくし、また自分の専門分野がはっきりしてない方は、今後どんな専門を身につけるべきか、課題も見えてくると思うので、とても有益だと思います(かつての私だって、移住後就職しやすい専門分野で経歴を積むために、日本で3年かけて準備したのです・・)。

 

2)移住後、どんな「社会階層」の暮らしを手にできるか、もっと情報提供が必要だと思う。

身も蓋もない話かもしれませんが、オーストラリアにもどの国にも「階層」(Class)があって、それぞれの階層に属する人が経済力に応じた暮らしを送っています。日本人が移住しても、結局は、オーストラリアのどこかの「階層」に収まることになります。

オーストラリアの大部分を占める「欧米系白人」は、生活水準別に4つのカテゴリーに分かれるように思います。

 

1)白人超富裕層 (人口構成比1~2%以下)
ビーチ際の豪邸住まい、クルーザー数台持ち、大きなビジネスのオーナーか親からの遺産で莫大な富を所有。

2)白人中流層(人口構成比30~40%)
高学歴で専門職を持ち、たいてい共稼ぎで世帯年収15~30万ドル。教育熱心。環境の良い郊外住宅地か都心近くのマンションに住む。彼らの生活水準は日本の中流層より高く、ある意味「憧れのオーストラリア暮らし」話の題材になりやすい人々。

3)白人庶民層(人口構成比50~60%)
いわゆるフツ―の人々。ショッピングセンター店員、工場の行員、小商店主など、様々な職業に従事。生活は質素だが、大人一人あたり車一台はくらいは持っている。庭つきに住みたい人は都心からとっても遠い郊外住宅地か、通勤が嫌なら都心近郊の平均的なマンションかタウンハウスに住む。

4)白人貧民層(人口構成比5~10%)
資質、素行に問題の多い人々。ドラッグ、酒浸り。刑務所とシャバを行き来している人が多い。都市近郊のハウジングコミッション(公共住宅)に住む人が多い。

 

日本から移住する場合、ほとんどの人は「2)中流層」か、「3)庶民層」のいずれかの階層になります。もし、ITエンジニアのような専門職について、経歴を積んで10万ドル程度の年俸を得るようになれば、とりあえず「2)中流層」相当にはなります。

但し、今のシドニーやメルボルンは不動産価格の高騰が著しく、自分の稼ぐ10万ドル+配偶者の給料程度では理想の家に住むことはまず無理です。地域にせよ間取りにせよ、最初のマイホームはかなり「妥協」することになると思います。まあまあ良い給料もらってる白人さんも、同じように苦労してますので…

でも、この国で「2)中流層」の生活を維持するには、給与収入だけでは無理です。何らかの投資をしなくてはなりませんこれはオーストラリアの掟!

これは強調したいですね。というのは、まあまあの給料もらっていても、投資をしなかった故に、中流層の生活を維持できなかった日本人の仲間が相当数いますので…

投資商品は数多くあれど、「不動産」がオーストラリアで最もポピュラーな投資対象であることは間違いありません。この国で金持ちになった人のほとんどは不動産を所有しています。そして、オーストラリアは相続税がありません。

 

もし、オーストラリアに渡航して、無事就職できたら、是非、この国の不動産投資を学びましょう。最初は小さくても良いので、まずは自分の物件を持つことをおすすめします。なお、元手はそんなに要りません。この国で働いていれば、頭金2割くらいで良いでしょう。

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オーストラリアで収入をつくろうー後編(不動産投資)

前編の続きです。

オーストラリアでいかにして収入をつくるか?いくつかの方法がありますが、まずは「不動産」から語ってみましょう。オーストラリアに住まなくても、オーストラリアの不動産を買う資金があれば、賃貸収入を得て、資産を増やすことも十分視野に入ってきます。

 

オーストラリアは、とてもフォーカスしやすい不動産市場だと思います。まず、人工衛星からの夜間撮影画像をみれば一目で分かるように

・海岸沿いに点在する五大都市以外に、ほとんど人が住んでいない。

シドニー、メルボルン、ブリスベン(含ゴールドコースト)、パース、アデレード…五大都市に総人口の6割以上が集中。オーストラリアは先進国中、最も都市集中が進んだ国です。アメリカ本土の画像と比べれば一目瞭然ですね。

 

・五大都市はお互いに遠く離れ、その間の人口が少なすぎて、経済的に一体化できない。

五大都市はそれぞれ別の州に属し、かつ、地理的に遠く離れています。強いていえばシドニー~メルボルン間が最短距離ですが、それでも850km以上離れています。私はこの区間を何度かドライブしましたが、休憩時間入れて10時間はゆうにかかります。沿道は、シドニー近郊とメルボルン近郊を除いて、無人に近い地域が延々と続きます。正確に言うと約100km毎にGoulburnやYass、Alburyなどの小都市が点在しますが、いずれも日本でいう「村」か「町」のサイズ。移動距離と人口から考えて、五大都市は経済圏として一体になれません。

日本の「太平洋ベルト地帯」や西ヨーロッパの「ブルーバナナ」のような、地理的に連続した巨大都市圏は、オーストラリアでは出現しようがないのです。

 

・五大都市は、それぞれの州内で、州都として圧倒的な人口を持つ。

シドニーのあるニューサウスウェールズ州は、日本の倍以上の面積を持ちますが、州の総人口は770万人。うち68%にあたる525万人が州都・シドニー圏に住んでいます。

メルボルンのあるビクトリア州の人口は603万人。うち77%にあたる467万人が州都・メルボルン圏に住んでいます。

クインズランド州は日本の4倍もの広大な面積がありますが、人口482万人。うち61%にあたる295万人が州都・ブリスベン&ゴールドコースト都市圏に住んでいます。

パース(ウェスタンオーストラリア州)に至っては、州人口の82%が集中しています。

ここまで圧倒的な人口・産業が州都に集中していれば、皆、州都に住みますし、人口増加や産業発展の多くは州都周辺で起こります。特にオーストラリアは移民国で、人口増加の半分以上が移民純流入によってもたらされています。移民は当然、職場と同国人コミュニティのある「大都市」(特にシドニーとメルボルン)に集中します。

 

非常に分かりやすい構図ですね。「5大都市(州都)に人口集中」、「それ以外は無人に近い」…オーストラリアで不動産投資して利益を得るには、「都市圏内を狙う」のが定石なのです。

5大都市圏はどこも人口が増えており、土地利用が高度化しています。土地の広い一戸建てが、どんどん細分化されてタウンハウスになり、都心近くではユニット(マンション)が一般化しています。そうなると、

・都市圏内の便利な場所で、土地つきの物件を持っているだけで、土地利用高度化の恩恵を得て物件価値が上がる。

しかも、

・慢性的に住宅不足の国で、かつ人口が増え続けるので、空室率が非常に低い(1~4%)。まともな物件を選べば賃貸収入は確実に入る上、需給バランスから、物件価値も上がりやすい。

 

その基本を踏まえた上で、「いくらあれば、オーストラリア不動産市場に参入できるのか?」を考えてみましょう。

・オーストラリア各都市間で、不動産価格に大きな違いがある。

シドニー圏の平均不動産価格 852,000ドル(≒7500万円)

メルボルン圏の平均不動産価格 641,200ドル(≒5650万円)

ブリスベン圏の平均不動産価格 486,000ドル(≒4280万円)

 

土地付戸建、マンション、全てひっくるめて、平均でこれだけの価格になります。高いですね~。特にシドニー在住の皆さんは、これだけの価格を頭金貯めてローン組んで買うので、若い世代は本当に大変です。

なお、一般に初回購入者(First Home Buyers)が買う物件は、平均よりやや安くなります。そして、国から2万ドル程度の補助も出ます。それでも購入は決してラクではなく、シドニー、メルボルンでは若い世代のマイホーム取得が社会問題になっています。

 

「初回購入者の不動産取得価格」

シドニー圏 50~60万ドル

メルボルン圏 40~50万ドル

ブリスベン圏 30~40万ドル

そういうマーケットなので、オーストラリアの都市圏では、「値上がり可能性のあるまともな不動産は、40万ドル(約3500万円)がスタートライン」と考えてください。

 

40万ドルの予算で、何が買えるかというと、

・シドニーでは難しい(参入するには60万ドル欲しい…)

・メルボルンでは、都心近郊のマンションか、かなり遠い郊外の戸建・タウンハウスが買える。

・ブリスベン&ゴールドコーストでは、都心のマンションか、都心近郊のタウンハウスが視野に入ってくる。

 

予算が40万ドルなら、シドニーは諦めて、メルボルンかブリスベンを狙うのが現実的ですが、それぞれの都市規模・価格差を考えると、次の視点で選ぶのがおすすめです。

・ブリスベン&ゴールドコーストなら、近郊で鉄道と高速道路の便の良いエリアで、土地付きを優先すべし。

・メルボルンでは、土地付きを求めるとかなり立地が悪くなるので、都心近くの相対的に出遅れたエリアでマンションの方が良い。

 

上記の観点からみて、私が「価値上がりそう」と思った物件を、いくつか紹介します。

 

1)ブリスベン西郊Redbank Plains。土地251㎡、住宅2戸タイプ(3ベッドルーム+1ベッドルーム)

約48万ドル、想定家賃580ドル/週、グロス利回り6.3%

 
人口増加が著しく、特に悪い評判のない新興住宅地。すでに交通、買い物、学校の便が良いほか、新駅設置計画もあり、将来的なキャピタルゲインが期待できる。

 

2)ブリスベン~ゴールドコースト幹線上の新興住宅地Pimpama、土地220㎡、3ベッドルームタウンハウス

約44万ドル、想定家賃440ドル/週、グロス利回り5.2%

ブリスベンとゴールドコースト両都心へ、鉄道でも高速道路でも非常に出やすく、教育・買い物環境も整ったエリア。内装もデザインも極めて良質で、地域も物件も評価が上がりそう。

 

上記2物件は、いずれも「電車と道路のダブルアクセスで交通便が良い」、かつ「土地付き」という共通点があります。地元で働くファミリーに、賃貸も購入もニーズが高い立地と間取りなので、安定した賃貸経営と、将来の売却益の期待大だと思います。

 

3)メルボルン都心から6㎞、Moonee Pondsの新築マンション

1ベッドルーム48㎡が約40~41万ドル、想定家賃370ドル、グロス利回り4.7%

メルボルンは、40万ドルの予算だと土地付きを買うのが厳しいので、便利な都心近くで、まだ周辺地域と比べて出遅れ感のある地区で良質なマンションを買うのが良いでしょう。

都心から北へわずか6㎞、Moonee Pondsもそういう地区の一つ。利便性も治安も環境も良いにも関わらず、都心からほぼ同距離のRichmondやSouth Yarraなどに比べて、知名度の関係で同じ間取りのマンションが10万ドル以上も安い。今後、評価が上がっていくだろうと期待できます。

 

なお、外国人の立場でオーストラリア物件を買う場合、いくつかの制約条件があります。

1)オーストラリアの永住権がない方は、原則・新築しか買えません。

2)FIRB審査料5千ドルに、印紙税(物件価格の7~10%、州により違う)がかかります。

3)オーストラリアで融資づけは非常に難しくなりました。

 

1)新築しか買えないことは、不動産投資で特にハンディにはなりません。オーストラリアでは中古の方が良い値がつくことの方が多いので、新築時に適正な価格で良い物件を買っていれば、売却で苦労することはまずないでしょう。

むしろ、大変なのは2)と3)ですね。印紙税負担に加え、オーストラリアでの融資付けが難しいため、4000万円前後を現金で出さねばならない人が多く、「オーストラリア良いのは分かるけど、敷居が高い」と購入を諦めてしまう方が多いのが実情です。

(※日本での融資付けは可能性あります。政策金融公庫やノンバンクなど、日本で担保余力のある物件を保有しておくと有利です。あと、金利高くなりますが、オーストラリアのノンバンクも一応使えます。)

 

4000万円を現金で用意できる方、または日本で融資をひける方で、オーストラリアに興味ある方は、是非、今のタイミングで参入をおすすめします。

「日本より給料も物価も高いオーストラリアで安定した資産と収入をつくるチャンス」だからです。それは一生の宝物になります。老後の生活保障や、オーストラリアを視野に入れた二か国居住に道を開くでしょう。

 

最後に、一番大事なこと…40万ドルで物件買った後、どのように運営すればよいのか?

・まず、購入後7~10年間、家賃を得ながら、査定額が60万ドルになるのを待ちましょう。

・60万ドルになったら、次の収益物件を、40万ドルくらいで買いましょう。2物件を担保にした融資を、オーストラリア金融機関でひける可能性があります。

・1号物件、2号物件が揃えば、家賃収入の合計が週1000ドル近くになってるはずです。週1000ドルは、オーストラリア人サラリーマンの平均的な給料に近い水準ですので、銀行も評価します。それを担保に融資をひいて、3号物件の取得が視野に入ってきます。

・最終的には、自分の住む物件と、収益物件2つを、ローン完済した状態で持つことを目指します。

・自宅を持ち、かつ週1000ドルの固定収入が不動産から入ってくれば、円換算で月額37万円に相当します。大好きなオーストラリアで夫婦二人で、老後、結構なゆとりを持って過ごせるでしょう。日本の年金を心配する必要もありません。

 

上記は、全て実現するのにおそらく20年ほどかかるかと思いますが、40歳でチャレンジすれば60歳。いま30歳なら50歳で実現できる可能性があります。かくいう私も、シドニーの1号物件に加え、ブリスベンの2号物件が来月稼働しますので、まだローンは残っていますが、額面の家賃収入は週1120ドルあるので、複数の金融機関から「次の物件で融資引きませんか?」とアプローチを受けています。うまくやればあと6~7年で、オーストラリア・ファイナンシャルフリーを実現できるでしょう。

(もし、上記物件の購入に興味がある、委細相談したい、という方は、こちらからご相談ください)。

 

以上が「不動産を使ったオーストラリア収入創出法」になります。日本の融資含めて、数千万円の元手が用意できる人向けの方法論ですね。

現時点で、その元手が準備できない人は、どうすれば良いでしょう?お金がなくても「若さ」と「向上心」があって、「オーストラリアに渡航して頑張ってみせる」という人には、私は誠心誠意応援いたします。私自身も31歳で渡航して、オーストラリアで頑張って働いて生活をつくりあげてきたのですから…それは、稿を改めて書こうと思います。

オーストラリアで収入をつくろう―完結編」に続く

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オーストラリアで収入をつくろうー前編

こんにちはManachanです。いまオーストラリア・ケアンズにある妻の実家で家族とのんびり過ごしています。8月22日まで、あと17日間ここにいる予定で、「大人の夏休み」みたいなもんですね。我が家の二人の子供たちは、日本の学校の夏休み中、約1か月をケアンズで過ごします。

ここは実家なので住居費もかからず、小さい街なのでお金のかかるイベントもあまりなく、時々ショッピングセンターでお昼するか、子供をたまに習い事に連れていく位のシンプルな生活ですが、それでもここは物価高で知られるオーストラリア、家族4人が普通に暮らすと、それなりにお金がかかります。いまの為替レート(1豪ドル=88円)で計算すると、

 

・ミートパイを買うと、1個4.5ドル(400円)
・カフェラテを買うと、1杯4.2ドル(370円)
・ゲームセンターでUFOキャッチャーやると、1回2ドル(180円)

 

ミートパイを買うごとに、娘ソフィアは言います。「これ、日本のおにぎりみたいなもんだよね。日本では100円ちょっとで買えるのに…」。

日本では毎週、ソフィア(小6)にお小遣い400円、ポニー(小3)に250円渡してましたが、同じ金額をオーストラリアで渡しても全然、使いでがありません。

そんな物価で暮らすわけなので、シンプルな生活をしていても、東京で暮らすのと比べてざっと1.3~1.5倍くらいの生活費がかかります(我が家は毎年ケアンズで過ごしてるので、この数字、かなり正確ですよん…)。

 

思い起こせば、私がオーストラリア(シドニー)に移住した2000年頃は、ここまで物価高くありませんでした。むしろ日本と比べて安いと感じたものです。

あの当時、為替が1豪ドル=63円で、近所の中華街のフードコートでチャーハン食べたら5.5ドル(350円)、職場まで片道28キロを電車移動すると片道2.9ドル(185円)、郊外のCronullaビーチから対岸のBundeenaまでの渡し船が片道2.5ドル(170円)、全てが「安い!」と思いました。

 

物価が安い分、給料も日本に比べて安く感じました。私は当時、ITエンジニアとして現地企業で月給もらってました。年俸が6万5千ドル。でも税金ひかれて手取りが4万4千ドル、邦貨換算280万円、安いぞ!

移住直前、私は日本の外資系で同じような仕事をして、年俸477万円、残業代入れて602万円、税金と社会保険料引かれても、手取りが約480万円ありました。しかも、自宅から職場への定期代も会社負担でしたが、オーストラリアに来た途端、交通費は実費負担になるので、安月給感はさらに募りました。この給料でオーストラリアで暮らすなら良いけど、日本に里帰りしたらコストが心配…そんな時代でした。

それでも、「移住して良かった」と思いましたよ…オーストラリアでサラリーマンやるって、日本でやるよりずっとラクですもん。普通は定時で帰れるし、残業あっても30分~1時間くらいだし、早退もかなり自由だし、疲れたら簡単に病欠とれるし。

日本ではかなり残業して、家に帰る時間も9時や10時が当たり前だったから、オーストラリアで働くようになって、まだ明るい6時半とかに帰宅できる身分になると、時間を持て余してしまうくらいでした。散歩したり、ラグビーの試合見に行ったり、海に泳ぎに行ったりしてましたね。とにかく、自由時間は有り余るほどで、そのライフスタイルが楽しかったです。

 

ところで、2000年から今日にかけて、オーストラリアと日本の価格差や給与水準は逆転しました。いま、日本からオーストラリアに来た場合、ほとんどの人が、「給料高い、物価も高い」と思うはずです。

この逆転劇は、一日にして起こったのではありません。日本の物価が上がらないまま10数年の歳月を過ごした間、オーストラリアの物価は、少しづつ、じりじりと上がり続けてきたのです。

 

シドニー・チャイナタウンの炒飯、私が来た2000年は5.5ドルでしたが、翌01年は6ドル、02年は6.5ドル…みたいに値上がりが続き、今では11ドル位します。今の為替で1000円するので、日本で食べた方が確実に安いですね。

家賃だって、2000年当時と比較して、倍近くになりました。当時、週340ドルで査定が出ていたシドニー郊外の貸家が、今や週590ドル。現地通貨ベースで75%も上がっています。円換算すると、週21,420円⇒51,920円。なんと2.5倍ですね。同じ期間中、日本の家賃は全然上がっていません。

給料だって当然逆転してます。私が当時やっていたITエンジニア(Lotus Notes Developer)の仕事、当時の年俸は6万5千ドルでしたが、今この職種で採用されれば年収10万ドルはいくでしょう。邦貨換算、年収880万円以上になり、日本の多くのITエンジニアと比べて高収入ですね。マネジャークラスになれば年収15万ドル(1320万円)。今オーストラリアのITの現場では、こんな給料が当たり前になりました。

 

日本の現場でばりばり働いてるITエンジニアも、英語覚えて、どんどんオーストラリアやニュージーランドに働きに来ればいいのに、と思いますよ。給料良くなるし、仕事たぶんラクだし、英語圏で経験積めば日本に帰国した時に差別化できるし…

興味ある方は、最近、IT技術者としてニュージーランドに移住したHassyさんのブログがとても参考になります。時代と国は少し違いますが、私も彼と同じような努力をして、オーストラリアのITエンジニアになり、この国で収入をつくる術を得たのです。

 

ここ十数年の、日本とオーストラリアの物価・給料の推移を見てきて、思うこと、

・日本の収入や貯金で、海外でリタイアするという考え。相当の資産家ならともかく、一般ピープルがやるのは、長期的にみれば現実味に欠ける。

・もし、一般ピープルが海外で生活の拠点を設けたいのなら、その国でも収入を得られるようにする方がずっと安全で持続可能だと思う。

 

以前書いたブログ記事で、「PC=Profit Center(お金を稼ぐ場所)」と「CC=Cost Center(お金を使う場所)」について論考を書きましたが、日本経済が停滞・衰退することを前提に海外移住を考える場合、「PC=日本、CC=海外」という設定にはどうしても無理がある。オーストラリアの例をみるまでもなく、年々、交易条件が自分にとって悪化することを覚悟しなければならないし、オーストラリアが物価高で暮らせなくなれば、まだ安いマレーシアやタイに流れる、その国々も結局物価上がって生活水準下がる…という悪循環から抜け出せません。

お金がないから、物価の安い国に流れるって、たぶん本意ではないはずです。オーストラリアが好き、オーストラリアに行く意味がある‥そんな人が移住を希望するはず。大好きなオーストラリアに暮らし続けるためには、必要最低限のおカネの知識がなければならないし、知識ある人が普通に考えれば、「PC=日本、CC=オーストラリア」は持続可能でないことがすぐ分かるはず。

 

物価と給料の高いオーストラリアをPC(稼ぐ場所)にできれば、景色は一変します。オーストラリアで暮らしてお金を使うことになっても、その物価相応の給料・家賃収入を前提に運営されている社会なので、この国で収入があれば割高感は感じないで済むはず。

あと、日本に住むことになれば、現地物価がオーストラリアより安いので、オーストラリアの収入があればかなりお値打ちに暮らせるはずです。

 

オーストラリアで収入を得る方法は、いくつかありますし、どの年齢でもチャレンジ可能です。

・いま、日本でばりばり働き、20代~40代前半で、学習意欲のある方には、技術移住をおすすめします。

・それなりの資産を築いた方には、不動産の賃貸経営をおすすめします。

 

後編で、その道筋を具体的に書いていきたいと思います。

・オーストラリアで不動産投資する場合、どの位の元手を使えば参入できるのか?いかなる方法論に基づいて、資産価値やキャッシュフローを増やしていけるのか?最終的にいくら位あれば、オーストラリアでリタイアできるのか?

・もし、その元手がない場合、どうすれば良いのか?

 

後編まで、ちょっと、コーヒーブレイク!

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インドネシア、巨大ガラパゴス不動産市場の魅力-2)バリ編

前編の続きです。

インドネシアの二枚看板といえば、東南アジア最大のメガロポリス「ジャカルタ都市圏」と、東南アジアを代表するリゾート地「バリ島」になるかと思います。

バリ島の状況は、ジャカルタ圏を含むジャワ島とは大きく異なります。同じ国に属すとはいえ、宗教、人文、産業構造、不動産市場…どれをとっても、バリ島の独自性が際立ちます。日本における沖縄、アメリカにおけるハワイのさらに上を行くほど、インドネシアにおけるバリ島は圧倒的にキャラ立ちしています。

最も根本的な違いは「宗教と世界観」でしょう。インドネシアの圧倒的大多数はイスラム教を信仰しますが、バリ島だけは「バリ•ヒンドゥー」という、土着信仰とヒンドゥー教が融合した宗教が、島民の8割以上に信仰されています。

イスラム教が厳密な一神教であるのに対して、「バリ•ヒンドゥー」は多神教で、「やおよろず(八百万)の神」が信仰のなかに息づいています。ある意味、日本人の宗教観に似ていますね。数多くの神が信じられている分、他宗教の流入には寛容な土地柄で、同じヒンドゥー教はもちろん、イスラム教もキリスト教も仏教も神道も含め、どの宗教を信仰する者が入ってきてもバリは自然に受け入れる…その寛容さが「世界的観光ブランド=バリ島」の素地になっています。

バリ島内を回ると、日本の風景にとても似ていて、親近感が湧きます。片側一車線の狭い道の両側に商店や家並が続き、街々に小さな祠(ほこら)があって、沖縄のシーサーみたいな獅子が門を守り、ガジュマルのような木があって…一瞬、沖縄の離島にでも来たような錯覚を覚えます。そういえば、バリ島には「ナシ•チャンプルー」(Nasi Campur)という、ご飯におかず数品をお皿に盛り、混ぜて食べる郷土料理があり、沖縄との共通性が際立ちます。バリ島は昔から、海を通じて沖縄や日本本土と交流していたのかもしれません。

あとバリ島は言語も文字もジャワ島方面とは異なります。もちろん標準インドネシア語は通じますが、バリ人同士は地元のバリ語で話します。インドネシア語の表記はローマ字ですが、バリ語はインド起源と思われる独自の文字を持ちます(一見、ラオス文字に酷似)。古来、バリ人はこの文字を通じてインド伝来のヒンドゥー教や仏教を受け入れたのでしょう。

バリ島の独自性を踏まえて、そろそろ不動産の話題に移りましょう。

バリ島には、おそらくインドネシアのどの地域よりも大きい、外国人コミュニティがあり
ます。特に目立つのは、オーストラリア人やヨーロッパ人など、欧米系白人定住者のコミュニティです。彼らは戸建タイプのVillaに好んで住み、長年住んでいるのでVillaの売買も盛んに行われています。

欧米人のみならず、日本人を含む東アジア系や、インド人、アラブ人などの定住者も少なくありません。今のバリ島は東南アジアで稀にみるコスモポリタンなコミュニティになっています。

定住者に特に人気の高いのが、海側のスミニャック(Seminyak)地区と、山側のウブド(Ubud)地区で、この一帯では街中の条件の良いVillaの多くが欧米人居住または所有になっています。また、伝統的な観光中心地であるクタ(Kuta)や、より静かな海辺の街サヌール(Sanur)等にも外国人が多く暮らし、その居住地は年々、広がっています。

不動産投資の観点で、バリ島が面白いのは、

1)外国人による借地Villaの売買マーケットが確立している。

2)賃貸利回りが高い。旅行者に短期貸しするとネット8〜15%は得られる計算になる。米ドル、日本円建ての家賃収納も可能。

まず1)に関して、前編で説明したインドネシアの不動産権利関係をおさらいしてみましょう。

– 外国人の個人名では借地物件(Leasehold)しか売買できない。
– 外国人が所有権物件(Freehold)を売買するにはインドネシア法人(PMAなど)を立ち上げる必要があり、設立にはコストと時間がかかる。
– Freeholdはキャピタルゲインが期待できるが、法人設立コストを考えると最低1億円以上の投資額は欲しい。一方、Leaseholdは安く買えるが、いずれ地主に土地建物の賃借権を返す前提なのでキャピタルゲインは限られる。

参入障壁が高く、外国人投資家には頭の痛い環境ですが、バリ島に限っては「借地Villaを個人名義で買い、旅行者向け貸出で回し、借地期限をある程度残した状態で外国人に売る」モデルの投資が可能な環境だと思います。その背景にはバリ島の特殊事情がもたらす、1)外国人借地Villa売買マーケット、2)高い賃貸利回りがあります。

分かりやすく、首都ジャカルタと比較してみましょう。ジャカルタ都心部には、Kempinski やFXなど、いくつかの借地コンドミニアムが外国人同士で流通しています。一等地ゆえインドネシア人富裕層が実需で買うパターンの出口も取れるため、投資として十分アリだと私は思ってますが、その代わり賃貸利回りは6%程度。借地期限は20年程度ありますが、期限が来たら売買価格の1/4程度の借地料をオーナーに払わねばなりません。ジャカルタの場合、土地オーナーがインドネシア政府なので交渉も難しい。

一方でバリ島の借地Villaの場合、より高い賃貸利回り(8〜15%)で回す目算が立ち、10年回せば投下資本を回収できる可能性があるのと、土地所有者の多くが個人(バリ人地主)なので、彼らがお金に困ったタイミングで借地料交渉の可能性もあるため、ジャカルタに比べて借地Villa投資に向いた環境だと思います。何よりも、バリ島は素晴らしく心地よい場所ですから、別荘として自己使用する楽しみがありますよね。収益型別荘として運用するなら借地で十分かと。

もちろん、インドネシア法人を設立してFreehold(所有権)買ってキャピタルゲイン狙いもできますが、その主戦場はバリ島のような小さな場所ではなく、ジャカルタを含むジャワ本島だろうと思います。ジャワ島だけで1億3000万の大人口がいて、経済発展中の都市が数多くありますから…

そう考えると、「ジャカルタ&ジャワ島で法人立てて所有権買ってキャピタルゲイン狙い」+「バリ島の特殊事情を活かして借地の収益型別荘を運用」が、インドネシアで私が追求したいハイブリッド投資モデルです。

インドネシア不動産、実に面白いですね。この一国だけで、タイ+ベトナム+フィリピンを合わせた人口と経済規模がある超大型マーケット、かつバリ島という極上の収益別荘適地もある…参入障壁高いけど、無視するには余りに魅力的すぎる国です。

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