無邪気な正義とバランス感覚

こんにちは、Manachanです。ケアンズ(嫁の実家)滞在5日目になりました。今日も育児ねたでいきますね。

いま、娘ソフィアは小学5年生ですが、かつて、私がその年齢だった頃の日本は、公害問題が深刻でした。毎年、光化学スモッグの警報や注意報が必ず出る、東京タワーから見下ろす街がスモッグに煙る、海や川の汚染はひどく、「田子の浦のヘドロ」とか「瀬戸内海のアオコ」などが、全国ニュースで報道された頃でした。

(あの頃に比べれば、空気も水質も、本当にましになったなあと、感慨深いです…)

 

でもって、当時の教科書や副読本には、公害病で苦しむ人たちや、彼らが国や企業を相手取った裁判のことが、時々紹介されました。それを見た、小学5年生の私の脳裏には、「企業と国=悪者」、「被害者=善人」という単純な図式、「無邪気な正義感」が刷り込まれていました

 

「企業や国はなんで、公害で苦しんでいる人と、裁判で争うんだろう?」

「国は大きくてお金たくさんあるんだから、治療費や生活費を出してあげればいいのに?」

(そんな私でも、大人になると、そんな単純な図式では考えられなくなってくるんですけどね・・・)

 

ソフィアの話に戻りますと…先月、アメリカ各地で、白人警官が黒人市民を射殺した事件が相次ぎ、抗議のデモが相次ぐなど、社会問題になりました(ルイジアナ州の事件ミネソタ州の事件)。

あのニュースを聞いたソフィアが私に、こう言いました。

 

「ねえ、パパ。白人と黒人だったら、どっちを応援する?」

「どっちを応援する、難しいなあ…我々は白人でも黒人でもない、黄色だしなあ。」

「私なら、黒人を応援する。だって可哀想なんだもん。」

 

肌の色というのは、子供にとって理解しやすいらしい。そういえば以前、こんな話もありました。

 

「中国人と日本人が、どうしてケンカするの?どっちも黄色じゃん?」

 

ディズニーの漫画「ポカホンタス」で、アメリカインディアン(我々と肌の色がほぼ同じ)が白人入植者に土地をどんどん奪われていくのも、ものすごい可哀想がってましたね。こういう「無邪気な正義感」って、人間の心のなかで大事な要素だと思います。

 

先ほどの会話に戻ります。

 

「白人って皆、悪いやつらなの?」

「そんなこともないんじゃない。だって、ソフィアが好きなアンクル・ジョンだって白人でしょ?いい奴もいっぱいいるんじゃない?」

「そうなのか・・」

 

と、考え込みます。親の立場からみると、ソフィアのこうした迷いや逡巡が、とても大事だと感じます。

 

すでに、ソフィアには、いろんな人種・民族の仲間、友人知己がいる。

「白人が悪い」、「アメリカ人が悪い」等と言い切る前に、個人レベルに落としこんで考えられる。

 

日本にもいますよね。近隣諸国の人たちに「特亜」(特定アジア=韓国、北朝鮮、中国)みたいなレッテル貼りをして貶めたり、「特亜(反日国家群)vs日本」みたいな図式で考えたがる人って。

ああいう人には、韓国人や中国人の友達のひとりもいないのかな?と不思議に思います。

 

所属国という「属性」はあるにせよ、個人レベルに落とし込めば、いろんな人がいる。もちろん良い人も多いはず。そのレベルでフラットにみれば、「○○国人」と一言では割り切れない多様性があるはず。

相模原の殺傷事件で、尊い犠牲になった19名の方々も、犯人のいう「障害者」というレッテル貼りでは割り切れない、それぞれの個性と生活があったはずなのです。

「特亜」とか「障害者」みたいなネガティブなレッテル貼りをする考え方、気味悪いです。英語では”Us and Them mentality”といいますが、そんな切り方で「Us」に分類されても、私は全然嬉しくない。「こんなアホな図式はお前らの脳内だけで完結してくれよ」と言いたくなる。

 

人間社会を「集団」(所属国、民族、人種、宗教等)でとらえるだけでなく、個人レベルまで落とし込んで考えられる、そういう「バランス感覚」を持つのは大事だと思います。

そのためにも、子供たちにはいろんな体験をさせて、世界中にお友達をつくっていきたいと思っています。

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