母国は一日にして成らず

おはようございます、Manachanです。

我が子に国際人になってもらいたい、英語で苦労させたくない…という親心から、子供を連れて英語圏や東南アジアなど海外へ移住される方もいらっしゃいます。私は15年前から海外暮らしを始め、ホームページ・ブログで情報発信していた関係で、「移住相談」をたくさん受けてきました。

その種の相談は、「英語圏の教育」や「語学スキル」などが話題の中心になりますが、もう一つ、相談者が見落としがちな論点があります。それが、「お子様のナショナル・アイデンティティ」。

たとえばの話、年端もいかないお子さんを連れて、海外(例えばオーストラリア)に移住される方の場合、

(英語のできる)日本人として育てたいのか?
(日系?アジア系?)オーストラリア人として育てたいのか?

それを、ちゃんと考え抜いておられる方は、正直、少ないです。

 

私に相談してくる方のほとんどは、日本国内で、日本人の両親に育てられて成人された方々です。彼らの場合、今後どれだけ長期間海外暮らししようとも、極端な話、日本国籍を捨てても、日本人としてのアイデンティティは、もう揺らぎません。当然、日本語ネイティブだし、日本の文化やシステムのなかで育ってきているし、周りの誰もが日本人として認めてくれます。今後、海外生活に挫折して、日本に帰ってきたら、いつでも「日本人」として生活を再出発できます。

ところが、幼い頃から海外暮らしして、日本とは別の文化や言語、社会システムで育った子供が成人した場合、日本人としてのナショナル・アイデンティティを持てるかといえば、それは自明なことではありません。親の育て方も、大いに影響してきます。

日本人でなくても、移住先の国の人間(例.オーストラリア人)として、確かなナショナルアイデンティティを持つ方もいらっしゃいます。母語は当然、英語です。彼らにとって「日本」は、父母の生まれた国、自分のルーツではあっても、意識の上では「外国」になります。

そして、日本人でもない、オーストラリア人でもない、どっちつかずの状態が続く方もいらっしゃいます。

 

人間は個人であり、かつ社会的動物でもあります。人間は故郷や母国といった「帰属できる場所」を持つことで心の安寧を得る。それが自分の拠り所になったり、活力の源泉になったりします。

明確な故郷・母国をもたない人間は、まずそれを求めたい、最低限の安心を得たいという、強い欲求が働きます。例えば、こんなことがありました。

私の友人で、子供時代、数年ごとに日米間を往復しながら育った男がいます。はたから見て、日本語ネイティブかつ英語ネイティブでスキル的には羨ましいけど、本人は、それを全く有難く感じていないようです。それどころか、彼は事あるごとに、私が羨ましいといいます。

 

マナブには、日本とか柏みたいな、故郷がある。いつでも帰れる”家”を持ってるんだよ。だからこそ君は安心して、世界中いろんなところに出ていけるんだ。

でも僕にとって、故郷や母国がどこなのか、よく分からない。正直、それが欲しくて仕方ないんだ。だから今は、日本から出る気になれない。日本を僕の故郷だと感じるまで、自分を日本人だと納得できるようになるまでは…

 

私の妻は台湾生まれ、8歳からオーストラリアで育った人間です。教育はほとんどオーストラリアで受けており、英語ネイティブ。オーストラリア人以外の何者でもないけれど、そんな彼女でも、自分の母国がどこなのか分からなくなる時があるといいます。見た目がアジア人なので、白人のオーストラリア人から、「あなた、どの国から来たの?」と聞かれることも時々あります。

うちの娘は、中国で生まれ、家庭内言語は英語と日本語、いま日本の小学校に通っている…という複雑な状況。彼女をみていると、とにかく今は東京(東陽町)を離れたくないという願望・意思を感じます。とにかく少女時代は日本で育って、日本を「自分の母国」にしたがっているのかもしれません。

一つ確実にいえると思うのは、

言語スキルの組み合わせだけで、「国際人」はできない。

それはたぶん、ダシの入ってない、具だけの味噌汁みたいなもの。

 

日本人であることが誰の目にも自明な人間が、「ダシ」の大事さに気づくのは難しい。自分も両親も日本人、日本に生まれ育ち、日本語を使っている…それが空気のように自然だから。

だからこそ、まだ幼い我が子を海外に連れていって、英語の教育を受けさせれば、「日本人かつ国際人」ができあがると思ってしまう。それはもちろん可能だけれど、しっかりした方針を持って育てないと、一歩間違えればナショナルアイデンティティ喪失のリスクを抱えてしまう。そのことは、十分認識すべきだと思います。

ナショナルアイデンティティがあやふやな人間にとって、「母国」や「故郷」は、それこそ、自分の人間存在をかけて希求するようなものなんだと思います。

 

うちの子供たちは、いま日本で育ち、公立の小学校に通っています。それが、彼らにとってベストな環境なのかどうか、よく分かりません。娘の不登校問題など、悩ましいこともあります。ただ、

ここ日本で過ごす、一日一日が、子供たちにとっては大変貴重であり、

その積み重ねが、彼らの心のなかに、日本という「母国」、東陽町という「故郷」を育てることにつながっている。

 

今日も一日、子供たちと、大事に過ごしていきたいと思います。

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