学校教育という幻想

こんにちは、Manachanです。今日は日曜日、朝から分厚い雲に覆われています。9月中、ずっとこんな天気だから、太陽光パネルの収入も少なそうだなあ。

うちの娘は、昨年末から不登校気味ですが、気楽な自営業の私が、毎朝、学校に連れていっています。最近は2時間目の途中くらいから登校する感じで、とりあえずは小康状態。このままでいいのか、という気も少ししますが、私時代も高校時代、不登校を経験したので、娘の気持ちは大体、理解できます。娘の気質や勉学スタイルに合う、良い学校が見つかればと思って、いろいろ探してはいるのですが…時間かかりますね。

幸い、いまは学園祭の季節。サイエンス系、英語系の特色ある学校のイベントに子供たちを連れていって、とにかく、「何かを感じてもらえれば」と思っています。

 

とはいえ、一面では、「学校でできることなんか、所詮、タカが知れてるんじゃないか」と、冷めた目でみている私もいます。確かに小中学校、高校は、子供時代の多くの時間を使うところであり、我が子たちも少しでも自分にあった、気持ちの良い環境で学んで欲しいという親心はありますが、

子供の成長やポテンシャルの発揮は、結局は自分の「気づき」次第であり、学校の教学方針やカリキュラムそのものに大きな期待はしにくいんじゃないかなあと感じています。たとえば、

「学校教育で全面的な人間性が育まれる」とか、

「日本の学校教育は詰め込み式で創造性や考える力が育まれない」とか、

「日本の学校の歴史教育で自虐史観を教えているから愛国心が育まれない」とか、

そういう言説は、大いに疑問ですねえ。自分の経験からしても、学校時代の教科書で習ったことなんて、いまの自分のスキルや人生観の何%も占めていないと感じます。それよりも、自分が大人になって、責任を伴う仕事で経験したことや、友人やお客様、同僚から学んだことの方が、はるかに、自分の血肉になっていますので。

私の小中学校時代、今よりもっとキツイ詰め込み式の管理教育が行われていたと思いますが、そんな教育を受けたことで、私たち日本人の創造性が損なわれたとは思いません。世界を歩くと、日本発のアニメ、ゲーム、カラオケ、ファッション、食文化が広く受け入れられ、ブームやブランドになっています。創意・創造力豊かな文化だと感じます。

その代わり、ディスカッションしたり、全体的・包括的な仕組みを構想する力は弱いですけどね・・・日本の学校教育を改善すればいくらか良くなるのか、私にはよく分かりません。

 

学校教育に対して、各人、いろんな立場や思い入れがあると思いますが、ビジネスマン的にいえば、

「大人になった時、責任を伴う仕事を社会に多く供給する」のが、いまの大人(経済人)のつとめだと思うし、

「学校は、それぞれの時代に、責任ある仕事をするために必要なスキルセットを育成する場」なのかと思います。

 

今までは、それが「読み書きそろばん」とか「協調性」だったと思うし、今の時代は英語とか、ITスキルが加わってきた感もあります。その他のプラスアルファは、学校それぞれでしょうが…現実的に、学校教育に期待できるのは、せいぜい、その位なのかなあと思っています。

あとは、子供たちが自分の興味分野を伸ばしたり、知的に成長するための「気づき」を得られやすい環境であるならば、私はそれで十分です。

世の大人が学校教育に期待することの多くは、子供にとって「どーでもいいこと」なのかもしれません。何だかんだいって、人間形成のほとんどは、学校の外で行われるんでしょうし。

 

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