東京の友、真の友

おはようございます。Manachanです。

ここ東京は、すっかり冬の陽気になり、道行く人々の服装も厚手のコートやジャケットになりましたね。この大都会で、日々、地下鉄を使って移動されている読者の方々も多いかと思います。

東京メトロの吊り革広告でみかけた、ショートストーリーコンテストの文章が素晴らしかったので、全文引用します。


今日も世界を乗せて 山田ヒカリ

日本語教師をしている私にとっては、外国人と一緒にいることが日常だ。それが、ごくふつうのことだと思っていた。あの日までは。

二〇一一年三月十一日。日本人の心に深く刻まれた数字だ。あの大地震が起きてすぐ、多くの外国人が日本を離れたり、国内の別の地域に一時避難。東京の風景は一変した。

私が教えている学校でも、ほとんどの学生が緊急帰国。プライベートレッスンも休みとなり、大きな不安を感じる日々が続いた。

(もう、この仕事は続けられないかも)そんな思いが、重くのしかかる。

街を歩いていても、電車に乗っていても、一見して外国人と思われる人になかなか遭遇しない。この東京で、である。

震災からどれくらいたったころだろうか。地下鉄で、南アジアの出身と思われる男性が乗ってきた。スーツ姿で、観光客ではなさそうだ。だが、とっさに

「キャン アイ ヘルプ ユー?」

という言葉が浮かんで、自分でも笑った。外国人に会えたことが、ただただとてもうれしかったのだ。実に不思議な感覚だった。

いろんな国の人が、いろんな目的を持って集まり、独特のパワーを作る街。そんな東京が戻ってくる予感がして、どんよりしていた心が、少し晴れてきたような気がした。それからは、地下鉄に乗っていても、外国人の乗客たちのことが気になり出した。

(どんな仕事をしている人なのかな)
(大学や専門学校の留学生なのかな)

日常的に外国人と接しているくせに、なぜかウキウキしてくる。地下鉄という空間が、世界の人々を乗せて走っている。そんな当たり前のことが、とても幸せに感じた。

あれから三年ちょっと。外国からの観光客数も過去最多を記録した。今日も、地下鉄は、さまざまな言語を話す人たちを乗せて走っている。

(ようこそ、 日本へ。 ようこそ、 東京へ)

私は今でも、心の中でつぶやいている。

なんて良い文章!ほとんどの東京人が共感できる内容かと思います。特に、国際結婚して、普段外国語を使いながら東京で暮らしている私には、じーんと心に響く文章でした。

2011年3月11日…東京の大家さんにとっても、一生忘れない出来事が起こりました。特に、外国人に部屋を貸してる大家さんにとっては、「いきなり退去、もぬけの殻」、「家賃払わず緊急帰国続出」で、実につらい日々だったかと思います。」

我が家は、「半分日本人、半分外国人」のようなもの。あの地震と原発事故の恐怖のなか、妻の家族から、「子供たちをオーストラリアに返せ!」コールが起こるのが100%分かりきっていたので、震災翌日の3月12日にジェットスター便をネットで予約し、17日には子供二人と奥さんを成田空港から送り出しました。

あの3月17日、レンタカーで成田空港に向かう途中、東関東自動車道の酒々井パーキングエリアは計画停電で休業、街も異様に真っ暗でした。成田空港に着くと、いろんな肌の色をした外国人が殺到、どのカウンターも長蛇の列で、2~3時間以上待ちの状態。血相変えて帰国を急ぐ外国人たちのパニックのような表情を、今でも忘れられません。

家族をオーストラリアに行かせた後、私ひとり東京に残り、「スーパー行ってもペットボトル飲料買えない、トイレットペーパーも品切れ」の、不便極まりない暮らしが続きました。街は暗く、繁華街は死んだよう。計画停電で信号も灯らず、危ないことこの上ありませんでした。

実家は千葉県柏市にあり、ここはクルマ必須の生活ですが、ガソリンスタンドでの給油は軒並み1時間半待ちの状況。とはいえ、もっと北の茨城県や福島県浜通りの状況はもっと深刻で(日立市あたりで5時間待ちとか…)、放射能恐怖を逃れるマイカーの列が、東京に向かって大渋滞を起こしていました。

そんな東京にも、いつもの春はやってきます。4月初めにはソメイヨシノが開花。地割れしたコンクリートから、姿をみせる野草のたくましい生命。この年のサクラは、例年と違って悲しげにみえました。

あの極限状況のなかで、東京に住む多くの外国人が帰国したのは止むを得ないと思うし、逃げた(?)彼らを責める気は毛頭ありません。

ただ、外国人のなかで、一部かもしれませんが、東京の地に踏みとどまって、日本人とともに、普段の仕事や生活を立派にやり遂げた人たちもいます。

私の家族は、4月12日にオーストラリアから帰国しましたが、その数週間、江戸川区船堀のインドレストランで、誕生日パーティーが開かれました。私のインド人の友人が江戸川区在住で、彼の息子さんが1歳になったのを記念して、盛大なパーティーを開いたのです、私たち家族も招待されました。

パーティーに集まった、夥しい数の東京在住インド人たち。皆、晴れやかな表情をしていました。ここは、2011年4月の東京・江戸川区。まだ震災から1か月強しか経っていない頃の話です。

その時、私は思いました。彼らこそ、東京の真の友なのだと…

A friend in need is a friend indeed! 東京が悲鳴を上げている時、東京に踏みとどまってくれた人々のことを、この街の銀杏とケヤキ並木は、静かに見守っています。そして、いつまでも覚えています。

東京は、自由の街。来る者拒まず、去る者追わず。地縁血縁もしがらみもほぼない。その自由と都市集積ゆえに、国内外の多くの人々を惹きつけています。

震災後3年半が経ち、東京に住む外国人登録者数も、震災前のピーク時にほぼ追いつきました。そして、日本・東京を訪れる外国人観光客数も、毎年、最高記録を更新し続けている状態。そして2020年夏期オリンピックも誘致できました。震災後わずか1年半にして、世界のライバルを破って開催都市に選ばれたのです。

不死鳥のごとき
、東京…ニューヨークやロンドンのようなコスモポリタンな大都会とは毛色がちょっと違うけど、日本中、世界中から来た人が暮らし、働き、遊び、自己実現する大都会。豊かな日本文化に育まれた、楽しくて安全な街。人類が生み出した、最高の作品のひとつ。

東京を愛し、東京を見捨てない「真の友」に恵まれた都であり続ける限り、この街は末永く栄えるはずです

Merry Christmas from Tokyo, Japan..

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コメント

  1. リサ 〜ニート城を買う〜 より:

    1. こんにちは!リサです!
    初めまして1年ほど前にニートになってしまったリサと申します。ブログを読ませていただきました。とても興味のある内容で、ニートの私には憧れるばかりです。風がだんだん冷たくなってきました。私のブログにも足を運んでくれると暖かくなりそうです。
    http://ameblo.jp/301263326/

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