事業の引き際

Manachanです。おはようございます。
今日は、不動産を含む、経営・ビジネス全体の話題でいきますね。

帝国データバンクの「大型倒産情報」なるサイトがあります。ここに、負債額30億円以上の、いわゆる「大型倒産」の事例が載っています。

最近、名の知られた企業の倒産といえば、

株式会社総通 (TVショッピング日本直販)

あたりでしょうか・・・「総通」という会社名は知られてなくても、「日本直販のTVショッピング」や、そこで生まれた「高枝切りバサミ」などのヒット商品は、お茶の間でよく知られてますね。

在りし日「テレビ全盛の時代」を彷彿とさせますねえ・・・<

世の中、社名よりも商品名の方が知名度高い会社は、結構あるもので、最近倒産した会社のなかには、

株式会社河合商会(「Nゲージ」玩具卸売)

大阪観光株式会社(「箕面観光ホテル」経営)

などがあります。いろんな業態、業種の会社がありますが、倒産に至る道筋というのは、とてもよく似ていて、


第一期:時流に乗って、ビジネスが拡大する。

第二期:その後、何らかの構造変化(インターネットの出現等)や、競合の激化によって、収益基盤が揺らぎ、利益が落ちこむ。

第三期:会社を何とか再建しようと、多角化(新事業進出)、リストラ、果ては金融取引などを手がけるが、うまくいかず、自力再建が不可能になる。

第二期と、第三期の会社経営は、困難を極めます。そもそも、「会社の一番得意な分野で収益が伸びず、不得意な分野で勝負する」わけですから、うまくいく可能性はかなり低く、

経営者にとっては「資金繰りで綱渡りの日々」、そして多くの従業員にとっては「ブラック企業」になる時期でもあります。多くの人が、不幸になります。

私の問題意識は、

・第二期を迎える前、まだまだ旬な時期に、事業を売って撤退してしまうのが賢明ではないか?

・儲かっている時に、「いつでも撤退しやすい、身軽な事業・財務構造」をつくる必要があるのではないか?

たとえばの話、正社員が多ければ多いほど(さらに言うと、会社への依存心が高い社員が多いほど)、彼らを「食わせていく」ために、事業からの撤退が難しくなりますし

事業資金にしても、「絶対に返さなきゃならないお金」の割合が多いほど、事業からの撤退は難しくなりますし、経営権を奪われるリスクも高まります。

一方で、気楽な一人会社や家族会社、あるいは、共同経営者だけで運営する会社で、さらに、自己資金豊富で銀行借入がほとんどない・・・みたいな会社なら、極端な話、撤退したいと思えば明日にもできるでしょう。

私の理想は、「身軽な会社」、「いつでも売れる会社」、「売れば利益確定できる会社」です。不動産投資と一緒の考えですね。

また、そういう会社は、いまの時代にあっているとも思います。経営環境の変化が非常に激しく、コンセプトもテクノロジーも、すぐ陳腐化する、世界中から競合が現れてくる・・・そんな状況のなかで、

社員を食わせるために、あるいは銀行団を納得させるために、古いビジネスモデルで頑張ったり、あえて不得意分野に参入したり・・・というのは、社会的にみても、経営・人的資源の無駄だと思いますし、

ドライな考え方かもしれませんが、事業は、儲からなくなったら、とっとと畳む。社員も、儲からない会社にさっさと見切りをつけて、次に移る・・・その方が健全だと思います。


余談ですが、私は先月、44歳になりました。

44歳・・・といえば、私の父が脱サラして、母とともに、千葉県柏市で「女性学生会館」のビジネスを始めた年齢でもあります。今から26年前のことです。

このビジネス、15年ほど続きました。柏の周辺は、東京理科大、二松学舎大、中央学院大、麗澤大、日本橋女学館など、比較的大学・短大が多く、首都圏外からの進学も多い。

年頃の娘さんを、初めて首都圏に出す、地方の親御さんが、安心できるよう、女子のみ受け入れ、門限を設定し、食事を提供する・・・というビジネスモデルでした。

創業後は、バブル景気の余波もあり、10年ほどは比較的順調でした。11年目くらいから、地域内での競合激化、地方圏での不況の深刻化により、経営基盤が揺らぎ、

値下げ、キャッシュバックなどで対抗してしきましたが、空室がなかなか埋まらず、15年目に、土地建物を売却して撤退。借入金はチャラになりましたが、現金はほぼ残りませんでした。

当時、私はオーストラリアで働いており、当時、為替レートの関係で、安月給だった豪ドルの給料から捻出して、日本の親に資金援助した時期もありました。

結果論になりますが、事業として成功なのか失敗なのか、よくわかりません。「15年の間、家族を食わせてきた事業」である反面、「15年間も頑張って、現金が残らなかった」という見方もできますので・・・

ただ、ひとついえるのは、撤退時期が少し遅かったかな・・・ということ。創業8~10年目あたりで、事業を売っておけば、たぶん買い手もついただろうし、現金も多少、残っていただろうし、

それに何より、あの時期に撤退しておけば、12~15年目に味わった苦労をしなくてよかった・・・父も、60歳定年を迎えるまで、この事業で頑張らなくちゃと、思ってしまったのかもしれませんね。

ただし、世の中の動きは早く、「事業の引き際」は、定年を待ってはくれません・・・

飛行機のパイロットが、「離陸は簡単だが、着陸はその何倍も難しい」と言うように、事業経営も「始め方」より、「終わり方」の方が、ずっと難しいのでしょうね。

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コメント

  1. noki-mama より:

    1. ふむふむ
    確かに先が見えないとはいえ、ある程度の引き際は感じますよね。
    何が安定なのかわからない時代に生きているだけに、よりアンテナの感度を良くしておなかいとです。
    http://ameblo.jp/noki-mama/

  2. manachan より:

    2. Re:ふむふむ
    >noki-mamaさん

    >何が安定なのかわからない時代に生きているだけに、よりアンテナの感度を良くしておなかいとです。

    同感です。 アンテナ感度も大事、引き際のタイミングも大事。

    そして、しがらみを少なくするのも、同じくらい大事だと思います。
    http://ameblo.jp/manachan2150/

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